107.躙り寄る恐怖
不自然不可解極まりない恰好。
そんな姿で前に出ちゃった私と、容認しちゃったまぁちゃん。
だけど効果はありました。
いや、うん、ない訳ないよね。
この場の視線、一人占めです。
「どこのおんぶお化けだ!!」
そして勇者様のツッコミ。
ありがとうございます。
言われると思ってました、ありがとうございます。
だけど、勇者様がちょっとほっとしたように見えました。
うん、まぁちゃんの背中越し、被った上着の隙間からちらっとだけだけど。
でも私というツッコミどころ満載のお化けを前に、意識がこっちに逸れたから…かな。
勇者様が、なんだかようやっと。
そう、ようやっといつもの調子を取り戻したように見えたんです。
やっぱり勇者様の復活には、ツッコミどころが必要なのだと。
私は、今度こそ確信を持って再確認した気分です。
そんな満足げな私とは、裏腹に。
勇者様はだらだらと冷汗を流し、目をうろうろさせて。
心底、困惑した様子で私にどうどうと手ぶりで示します。
あれ、私、馬扱い?
「リアンカ、待て、落ち着け? 何をしたいのか知らないが、落ち着け?」
「私は十分に落ち着いてますよーぅ」
「落ち着いてはいても、混乱してるだろう、実は!?
それともこれはまた何かの悪戯なのか!? 一体何の試練だ、この事態!!」
「勇者様、なんか大変そうですねー」
「概ね、リアンカ達のせいだからな?!」
「心外ですねー…」
「どの口でそれを言う!?」
ぽんぽん、ぽんぽん。
すっかりいつもの調子で、いつも通りの会話が繰り広げられます。
ぎゃんぎゃん騒いでいる内に、勇者様の胡乱に挙動不審だった部分も落ち着いてきて。
一回叫ぶごとに、勇者様は平静を取り戻している気がします。
やがて、疲れ果てたように。
勇者様は「はあ…っ」と万感の思いが籠った溜息。
それとともに両手で顔を覆ってしまいました。
だけど、その足の震えはいつの間にか完全に収まっていて。
勇者様が、ちらりと此方を見上げてきます。
上着の隙間から覗く、私の目に目を合わせるように。
「それで? なんで、どういうつもりで、そんなことを?」
主語は聞かずともわかります。
二人羽織のことですよね。
「いやー…一度暗黒まで堕ちたご令嬢の前に、勇者様と親しげに接する顔を出したら後が怖いかなぁと」
今までの反応実験を見て、あのご令嬢が模範的なご令嬢だとは分かりましたけどね?
でも色恋が絡むと変わる人間っているものです。
特に、勇者様の周囲には。
それにここは人目のある場所。
先程からのルシンダ嬢の態度の全てを、まだ疑ってかかってもいい筈です。
人目のあるなしで、態度の変わる人も珍しくはありませんからね。
なので、顔を覚えられるような愚行は冒せません。
そういうと勇者様は微妙なお顔。
だけど仕方のないことだとは、納得したのでしょうか。
「それにしたって、やりようがあっただろうに…変に悪目立ちしているじゃないか」
そう言って、深~い溜息です。
まあ、私の正体は知れずとも、まぁちゃんの顔は曝してますからね。
勇者様預かりの人間が奇行に走っている、という噂は免れないかもしれません。
勇者様、どんまい☆
「………まぁ殿も、おかしいと思わないのか? こういう時は止めるべきじゃないのか」
「まあ、リアンカは満足してるし。顔を出さねぇのは俺も賛成。
色々な兼ね合いを考えたら、何だかまあいいかーって思えてきてな?」
「そこで諦めないでくれ! 面倒がらずに、もっと考えろ!」
「勇者、頭なんて抱えて頭痛か?」
「分かってて言わないでくれ、この元凶は誰だと!?」
「まぁちゃん」
「リアンカ」
互いを指差しながら、私達の声はほぼ同時。
二人そろって同じ反応を見せたら、勇者様はげんなりしたお顔。
「仲いいな、ほんと…」
疲れたようにがっくりと肩を落として、その言葉で勇者様も諦めました。
よって、おんぶお化け続行です!
私とまぁちゃんの登場以来、腹を抱えて笑い転げていたサルファ。
「り、り、リアンカちゃんっ 最高☆☆☆」
目に涙を溜めながら、奴はこちらにぐっと親指を立てて見せます。
そんな甥っ子の反応に頬を引き攣らせたフィーお兄さんは、憤怒の顔で。
でも私達には戸惑いの顔。
やっぱり、顔は引き攣っています。
きっと、色々と私達には言いたいことがあるのでしょう。
しかし彼がいるのは彼にとっての他国。
しかもそこの王子が最終的に容認してしまったとなれば、彼に言えることはありません。
後はただ、彼も認めるしかないおんぶお化け。
だからこそ、彼の顔も引き攣っているのでしょう。
毒気が抜かれた、という様子で棒立ちです。
まあ、こんな面妖なイキモノが登場しちゃったらねー…
先刻までは勇者様に諌められながらも、やっぱり収まりはつかない様子で。
家名の恥、甥を殺して後を追わんばかりの鬼気迫る様子でしたが。
今は本当に、おんぶお化けと全力で笑い転げる馬鹿みたいな甥っ子に脱力しています。
もう甥っ子を追い掛け回して切り捨てようという気力は零ですね。
――さて、となると。
私達の相対すべきは、一人に絞られる訳ですが…
まぁちゃんの肩をタップして、指示ひとつ。
それに不服を唱えるでなく、まぁちゃんは私のお望み通りにくりっと振り返って。
真正面から、その瞳にルシンダさん。
「ひっ…」
私とまぁちゃんが真正面に配置をとって、真正面。
ルシンダ嬢が、悲鳴を堪えるように息を呑みます。
その顔に浮かぶのは、焦りと驚きと張り詰めたナニか。
なんですか、その反応!
さもそこに、恐怖の対象がいる、みたいな反応です。
………まあ、傍目に得体の知れない怖さがあることは、認めましょう。
まるで神の芸術作品めいた妖艶な超絶美青年。
……の、背中に取り憑いた何か。
剥き出しの脛。
頭から被った大きな上着。
毛ほどの動揺も見せず、そんな状況を受け入れている妖艶な美青年の無表情。
うん、怖いね!
ルシンダ嬢の反応も尤もと、自分を省みて頷いてしまいます。
さて、怖いのはわかりました。
恐怖は美味しい優位性です。
これからどうしようっか?
我ながら、人には見せられませんが。
口元がにたぁ…っと。
悪戯心を擽られた笑みを浮かべるのがわかりました。
「…で? これからどうするよ?」
まるで私の心を計ったかのような、まぁちゃんの問いかけ。
うん、私達って息ぴったりですね。
私はちょっとだけ悩む素振りを見せて…まぁちゃんに、笑顔で言いました。
ちょっと、楽しくなってきたのが丸わかりな口調で。
「じゃあまずは、躙り寄ってみよっか」
私の心に、鬼が降臨しました。
――たし…、たし…と。
ゆっくり確かに、まぁちゃんが独特の歩法で躙り寄ります。
もう躙り寄るとしか言いようのない、それ以外に表現法のわからない歩み。
背に乗った私も、ちょっとした演出を加えます。
まぁちゃんの、前。
胸の方に、肩上からだらりと。
力を失ったみたいな感じで。
両腕をだらり、垂れ下がらせてみました。
その状態で、妖艶で怪奇な超絶美青年が躙り寄って来る訳ですが。
この状況で、誰か嬉しく思えるような猛者っているのかな?
首を傾げながらも、私は相変わらずまぁちゃんの背中に潜んでいます。
首を動かせば、まるで背中で蠢いているように見えるかもしれませんね。
両腕からだらりと力を抜いたお陰で、体勢を保つのがちょっと苦しい。
何しろ腕で、まぁちゃんの肩に掴まれない。
だから上半身をちょっと肩の上に乗り上げる形で、何とかくっついている訳だけど。
そうなると、どうなるか?
………まぁちゃんの胸の方に、私の長い髪の毛が垂れ下がって降ります。
わあ、ホラー顔負け☆
…うん、傍目にとっても怖いだろうね。
ちらり、視界の端に。
地面に両手両膝をついて項垂れる勇者様が見えました。
ツッコミどころが盛大にあるのに食って掛からないところを見るに、どうやらルシンダ嬢が怖くて接近できないようですね。
まあ、それもツッコミを我慢できなくなった時、どうかは知りませんが…
とりあえず、今は無力感だか虚無感だか何だかに打ちひしがれているように見えます。
ドンマイ☆勇者様!
「あ、あ……あ………あぁ…」
目を見開いて打ち震える、ルシンダ嬢。
得体の知れない、謎めき過ぎた私達。
パッと見、私達ったら悪役ですね。素敵!
そうこうする内に、ルシンダ嬢との距離は三mを切って……
「よーし、ここらでおまけしてやろう。状態異常:恐怖の軽レベル開放だ」
「わあ☆ 大判振る舞いだね、まぁちゃん!」
なんと、大サービス…!
まぁちゃんが魔眼能力の一つ、状態異常:恐怖を開放してくれましたよ!
レベルは一番軽いヤツなので、大したことはありません。
威力は精々、数々の修羅場を潜り抜けてきた百戦錬磨のおば様のマジ睨み程度ですが!
……ある意味、歴戦の勇士よりも怖いかな…?
私達の目の前には、慄き怯えるお嬢様。
とてもとてもできた人で、真人間に見えるお嬢様。
貴女の本性、どんな人?
今の貴女が、偽りなく本当のあなた?
最初は、そんなことを考えていたんですけどね?
そんなことも、いつしかどうでも良くなって…
わかりやすく言うと、いつの間にか楽しくなってきていました。
うん、更なる悪ノリの兆候ですね!
「…と、言うわけで!」
「どんな訳なんだか………」
「細かいことはお気になさらず、それよりも!」
「それよりも?」
「キング・まぁちゃん発進!」
まぁちゃんの髪の毛を握って、そんなことを言い出した私に。
まぁちゃんはちょっと此方を見上げて、ほんの少しの間を置いて。
「はいはい、発進発進」
追従しました。
「すすむなぁ―――っっ!!」
勇者様、絶叫。
地面に膝をつき、力尽きたように手を突いたまま。
それでも、とんでもないと。
見過ごせはしないと。
泡を食った顔で、此方を見てきます。
やったね☆血色超良いよ!
顔に赤みが戻っているのを目で見て確認して、うんと頷き。
私はまぁちゃんの髪を掴んだまま。
「あーはははははっ あはははははーっ」
まぁちゃんが速度を出してくれたお陰で、楽しくなって。
我慢することなく、楽しい気分で盛大に笑ってみました。
周囲の、此方を見る目がびびっています。
それは勿論、ルシンダ嬢も。
ルシンダ嬢も、突如追いかけられ始めて引き攣った顔で逃げ惑いました。
「ひ、ひぃ……っ」
必死。
超必死です。
混沌とした状況下。
面白がって顔面蒼白に怯える令嬢。
そちらの方へとずかずか近付く私達は、きっと傍目に物凄い悪役ですが。
「満足か?」
まぁちゃんが、そう聞いてきます。
私はそれには答えず、もっともっととせがむ様に、まぁちゃんの肩をタップしました。
まぁちゃんが更に魔眼の力を開放した為、状況は更に悪化の一途。
誰もが恐れて目を逸らすレベルです。
だけどこんな環境下で。
この場に集った人の中。
たった一人だけ、軽レベルの魔眼など物ともしない…
それを乗り越えてあまりある、気力胆力を有している人がいました。
「お前らは阿呆か―――っ!!」
勇者様です。
すぱかたーんっと。
悪ノリして調子に乗った私達の後頭部に。
勇者様の渾身のツッコミが炸裂しました。
痛くはないけど、吃驚した!
勇者様が立ち上がれるとは思ってなかったので、完全に油断していました。
流石に、我慢できなかったのでしょう。
勇者様もあまりの酷さにとうとう黙っていられなくなったようで。
ルシンダ嬢への恐怖はどこへ行ったの、という感じですが。
ただただ一人怯えて震えてはいられず、居ても立ってもいられないという感じでしょうか。
恐怖を押して、限界を超えて今の勇者様があります。
それまで距離を置いて絶対に近寄ってこようとはしなかったのに。
控え目に見ても悪役全開怪しさ抜群の私達に対するツッコミ魂が、勇者様の胸に抱える暗黒に打ち勝ちました!
一時的なことかもしれませんが、それでも凄いことですよね? 充分、快挙です!
今日はもう何度も、こうして恐怖を抑え込んで行動しています。
今日という日は、きっと勇者様にとって大きな一歩。
胸の内の痛みを乗り越える、大きな第一歩です! 多分!
「………お前達は、何がしたいんだ? あまりにも酷い。酷過ぎるだろう、その行動。君らの身柄は、俺の預かりなんだぞ…? その行動の一つ一つが、俺の評判に跳ね返ってくるんだぞ」
「「ごめんなさい」」
そうして、今、私達は。
すっかり逞しく、普段の調子を完全復活させた勇者様によって。
二人仲良く並んで正座させられています。
魔王を正座させる勇者様………新しいな。
私は顔出しを控えたいという主張を考慮していただいて、上着を被ったまま。
そのまま、勇者様には分かりにくいだろう状況を利用して視線を走らせます。
目で測ったのは、勇者様やルシンダ嬢、私達の位置関係。
配置的には、現在の勇者様は私達とルシンダ嬢の間。
…中間地点よりは、私達の場所よりの場所で。
庇うように、というか。
立ちはだかる様に、というか。
悪さした子供達にお説教するように、というか。←これが一番しっくり!
でもやっぱり、あまり長く近くにいるのは御免だったのでしょうか。
勇者様は私達に向けていた厳しい顔のまま、ぎっとぎこちなく、若干背後に振り返って。
その角度じゃ、満足に目も合わないでしょうに。
口元を心なしか引き攣らせながら、有無を言わせぬその一声。
「ルシンダ嬢、久しぶりだ…」
「あ…殿下………お久しゅう、ござ…」
「挨拶も、積もる話も置いておこう。この場は酷く混乱している。
貴女は国王陛下に呼ばれたのだろう。ここは良いから、早く行くんだ」
その声音に、「逃げろ」と暗に含まれていたように感じるのは気のせいですか?
でもそれよりも、もっと強く。
勇者様の「お願いですから、早く行ってください…!」という本音が透けて見えました。
紳士の勇者様が、女性の言葉を食い気味に発言したあたりで既に余裕が皆無ですしね?
勇者様の、否やを許さぬ様子に。
これ以上留まることは許されないと、そう悟ったのでしょうか。
酷く悲しそうな顔で、目を潤ませながら。
ルシンダ嬢はぺこりと一つ、頭を下げて。
それから従者に急かされるように、この場を立ち去りました。
従者の厳しい眼差しを、私やまぁちゃんの上に残して。
その一連の様子を。
密やかに息を潜め、じっと静かに。
俯瞰するような位置から、物も言わずサルファがじぃっと傍観していました。
さて、こうなりましては後に残されるのは混沌と混乱の元凶ばかり。
私達を前に、深々と溜息をつく勇者様が残されました。
その眼差しの奥に、隠せない温かな光。
しょうがないなとなんだかんだで結局は私達を許してしまう、勇者様。
その生来の温かな甘さを、そっと垣間見せながら。
そして内心、都合よくルシンダ嬢を追い払えて助かったという、安堵を滲ませながら。
それでもけじめはけじめ。
勇者様は、きちっとする方です。
勇者様は正座する私達の眼前に、腕を組んだ仁王立ちで立塞がっていました。
「謝るなら、もう少し後先を考えて行動してくれ…周囲の目が厳しくなったら、その分だけリアンカもまぁ殿も息苦しい思いをすることになるんじゃないのか? 違うのか」
「「本当に申し訳ない」」
「二人が窮屈な思いを少しでもしないようにと、俺はそのことを一番に考えているのに………終いには、俺だって考えがあるんだからな」
「勇者の考え…ねえ? それで本当に俺らの動きが抑制できるか?」
「ふふふ…余程頑張らないと、ね。無理ですよ勇者様!」
「開き直るな、悪戯っ子達が! 年甲斐もないだろう?
もう少し、自分の年齢を弁えた行動を取ってもいいだろう!?」
「俺、永遠の若人☆なんだ…」
「くっ…まぁ殿は、強ち間違っていなさそうな点が腹立つな」
「私は、こんな女ですから……っ」
「リアンカは、もうちょっと反省しような。そう、わざとらしく悲壮感を滲ませて言っても、全く心が籠ってないじゃないか」
「それは、つい………勇者様をからかうのが、楽しくて」
「隠せ。その本音は隠せ、頼むから!」
そう言って嘆く勇者様は、完全にいつもの調子で。
ルシンダ嬢も見えない位置に去った今。
彼の懸念や不安は、綺麗にさっぱりと消えうせたようでした。
「勇者の兄さん」
「…ん?」
サルファが、勇者様に話しかけて。
「これ、俺の主観も入ってるし、全部が全部考察できたとも、そこまで深くあのヒトのことわかった訳でもないけどさ? でも嫌な予感するし、勇者の兄さんには必要だろうから言っとくわ」
サルファが、こう言うまでは。
「ルシンダ嬢。あの姉さんに、勇者の兄さんだけは近寄らない方が良いと思うよ?」
意味深な、その言葉に。
勇者様の顔から、全ての表情が抜け落ちました。




