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103.格上元修道女




 絶対に、怒る。

 そんな予感に身を竦める、私とオーレリアスさん。

 私達は特大の雷が落ちてくることに備え、二人揃って耳を押さえました。

 いや、だって。

 あんな惨状を生み出されたら、ヒステリーを起こされても仕方ないし。

 怒鳴るかどうかは人によると思うけど、絶対に雷は落ちると思います。

 

 だけど、ルシンダ嬢は私の予想しない行動に出ました。

 お付きの従者(実はいた)が激高し、武々しい様子でルシンダ嬢よりも前に出ます。

 おっと、このまま従者に折檻でもさせるつもりでしょうか…!?

 息を呑む、私。

 今後の展開を想像して、ちょっと怖くなります。


 だけど、そうはならなくて。


 従者が小柄なむぅちゃんに怒鳴ろうとするのを、ルシンダ嬢はすっと片腕で制して。

 そっと身を屈め、彼女はむぅちゃんに目線を合わせ…


「大丈夫ですか? 痛むところはありません…?」


 己の裳裾に刻まれた醜い泥汚れ。

 そんな物など目に入っていないんじゃないかと思うほど、気にしない素振りで。

 何よりもまず彼女がしたことは、ドレスの裾も気にせず地面に膝をつくこと。

 そして上体を起こしたっきり立ち上がらないむぅちゃんの、その体に触れることでした。

 汚れなど知らないような白く細い指先が、むぅちゃんの身体を撫で擦る。

 手に、足に触れて行く指。

 だけど厭らしさの全くない、それが当然の行動だと言わんばかりの動き。

 ただ触っているように見えます。

 ですが薬師として患者を診ることもある私には、わかります。


 あの(ひと)、触診してる…!

 それも、意外に手慣れた手つきで!


 板に付いていると言ってもいいくらい、彼女の手の動きは自然な物で。

 触れられている方も、専門知識がなければ何をされているか分からないでしょう。

 この嫋かな女性が、まさか自分を触診しているなんて思わないはずです。

 まあ、むぅちゃんは専門知識があるのでわかるでしょうけれど。


「転んだ時、どこか変な風に打ったということはないかしら?

打ち身には作った瞬間は自覚がなくても、後で痛むこともありますが」

「ええ、と…済みません、わかりません」

「そう。足も、裾に取られた瞬間、変に捻ったりはしていないかしら…」

「さあ…痛みは特にありません、が」

「…少し、よろしいかしら?」

 

 ルシンダ嬢の手が、むぅちゃんの足に滑ります。

 それから、慣れた動きで加圧して…


「…っ」

「ごめんなさい、痛かったようですわね」


 むぅちゃんの足首に患部を見出したのでしょう。

 申し訳なさそうに謝罪しながら、ルシンダ嬢は優しく微笑みます。

 安心させようと、心を解そうとするような笑みでした。

 

 やがてむぅちゃんの全身を確認し、怪我は足首だけと確かめて白い手は止まりました。

 そっと、神に祈る様に両手を組み合わせて目を閉じます。

 赤く小さな唇から、囁くような声が聞こえてきて…。


「豊穣の女神、生命を活性化させたまえ…」


 初めて見る、人間の回復魔法。

 優しく温かい、穏やかに患部を(くる)み込むような。

 深みのある光がルシンダ嬢の手から生み出され、むぅちゃんの足首に降り注ぐ。

 光を細かく砕いて作った、雨粒みたいに。


 国王との謁見前。

 身嗜みの不備が、不敬に繋がる時間の前。

 己のドレスを台無しにした相手を親身になって診察し、回復魔法をかける女性…。


 人間の少ない魔力では、魔法を使うこと自体が負担となるでしょうに。

 魔力無尽蔵の魔族さん達とは比較にならないほど、手順にも無駄が多いと聞きます。

 回復魔法を一度二度かけるだけでも、結構な疲労に繋がるでしょうに…。

 惜しみない労力を物ともせず、慈愛を自然と注げる人でなければ、見ず知らずの相手に…行きずりの相手にこんな真似は出来ないでしょうに。


 ぼ、菩薩がいる…

 いえ、女神でしょうか………

 存在しないと思ったイキモノが、そこにいるんですけど…。

 え、なにこれ。

 あの人、前科者の犯罪者ですよね?

 前評判から思い描いていた人物像は、凶悪なもので。

 それとあまりに掛け離れた言動を取られると、戸惑って仕方ないんですが…。


 そこには心洗われるような、そんな光景。

 私は予想もしていなかった光景に、唖然としてしまいました。


 ルシンダ嬢の手から放たれた、回復魔法。

 それを眺めながら、眉間に難しい皺を寄せたオーレリアスさんも何事か唸ります。

 オーレリアスさん、接触もしない内に唸らせられてどうするんですか。

「呪文の簡略化か…」

「オーレリアスさん、ルシンダ嬢って魔法が使える人だったんですか?」

「ルシンダ嬢の回復魔法を見るのは初めてだが…八年前は使えるなど聞いたことがない。おそらく、修道院で覚えたに違いない。あの手なれた動作といい、奉仕活動でもしていたんだろう」

「簡略化って言うのは?」

「………ルシンダ嬢の回復魔法は、呪文が短縮されている。余程の研鑽を積んだらしい」

「つまり、ルシンダ嬢は結構な手練…?」

「そうとは限らないが、回復魔法の使い手としては高い技量だな」

 そう言うオーレリアスさんの声音には、本気の感心と悔しがるような色が滲んでいます。

 思うところは、実際の事件を見聞きしているだけにきっと私よりも沢山あるはずで。

 そんな彼が声に潜ませた感情は複雑で、見たモノに素直な感心を寄せることのできない、捻くれた敵意が隠れている。


 勇者様を害するような人が、神に敬虔だなんて嘘みたい。

 だけど宗教系の回復魔法は、神への信仰心に寄るところが大きいということですし。

 しかも呪文から察するに、信奉するのは邪神とか魔神とか暗黒神ではありません。

 どうやら信仰の対象は豊穣の女神…結構メジャーな、慈愛溢れる女神様です。

 思いっきり真っ当な神に仕え、回復魔法を会得するほどの徳を積んだというの?

 もしやルシンダ嬢は本当に本心から悔い改め、神の忠実な信徒として心も清められた?

 俄かには信じがたい、その疑惑。

 でも、目の前の光景は心清められるような光景で。

 彼女が人格者だとは、思いません。

 だけどその可能性を信じてみたくなるような、そんな光景だったんです。

 彼女は一体、どんな人間なのでしょうか…?


 伝聞を耳にするばかりで、一つとして自分の目で情報を確かめた訳ではなかったから。

 だから、元から私の中の人物像はあやふやで。

 この反応実験で、印象も固まるかと思ったんですけど。

 しかしながら、目にしてしまったのは先程の光景。

 元修道女という肩書を穢すことのない、清らかなもので。

 固まらないまでも寄り集まっていた、彼女に対する印象はもっと曖昧になってしまいます。

 実際に目にした印象が、前情報への信憑性を薄めてしまう。

 そうして、私は気になったのです。

 私は、思ったのです。


 果たして実際のルシンダ嬢とは、一体どのような人物なのか…と。




 

 あの後も、やっぱりルシンダ嬢が怒りを見せることはありませんでした。

 頭を下げるむぅちゃんを責めることなく、なんでもないと許しを与え。

 お礼の言葉にも謙遜で返し。

 これ以上、人格者ぶりを見せるかと私は戦慄。

 オーレリアスさんは皮肉な笑いを唇に刻み込みました。

 思うところは、どうしても搔き消すことができないのでしょう。

 ルシンダ嬢が、どれだけ美しい姿を見せたとしても。


 むぅちゃんがぶちまけた書類は、依然道の上に広がっていて。

 頼まれるよりも先に、自然な動作でルシンダ嬢は拾い集めるのを手伝い、丁寧に束ねます。

 制されて控えていた従者の人も、これには渋々と協力していました。

 やがてすべて集め終えた書類を、むぅちゃんに手渡して。

 むぅちゃんがしっかりと受け取ったのを確認してから、淑女は微笑み交じりに言いました。


「どんなに急いでいたとしても、もう王城の廊下を走ってはいけませんよ。

足も怪我は治りましたが、無理はさせないでください。それでは気をつけて…」

 

 そんな言葉だけで、礼の言葉も金品も要求することなく。

 むぅちゃんの名前や所属すらも聞くことなく、解放しようというのです。

 ここで礼もなしに分かれては、王城の召使という肩書(偽)に面目が立ちませんけれど。

 むぅちゃんは不自然とならないよう、召使としての振舞いを終始徹底しました。

 ぎこちないながらも必要な言葉を付け足すように喋り、そしてお辞儀を一つ。

 そうしてから走り去る背中を見て、早速走っているむぅちゃんに、ルシンダ嬢は怒ることもなく穏やかな苦笑を浮かべていました。


 走って走って、姿を消して。

 角の向こうに消えたむぅちゃん。

 そのまま遠くへ消えたと見せかけ、私達の元へと合流しました。

 私達はルシンダ嬢の近くに潜んでいたので、見つからぬよう注意が必要ですね。

 召使のお仕着せのまま、忍びよってきたむぅちゃんは不可解そうな憮然顔。

「なんか、普通にいい人なんだけど」

「私もそれが不思議です」

 どういうこと?と言いたげなむぅちゃんに、私もどういうことでしょう?と返します。

 そんな私達の、物言いたげな視線。

 この場でかつてのルシンダ嬢を実際に知っている人物は、オーレリアスさんのみ。

 だから彼に、疑惑の視線が刺さります。ぐさっと。

 そんな私達の物言わぬ不満に、オーレリアスさんも不機嫌そうに溜息を吐きました。


「やはり、か…」

 

 いや、何がやはり…ですか?


「いや、一人で納得しないで下さいよ」

「情報の共有化ができないなら、引き摺りだすよ」

「………本当に、なんでこんなのが殿下の友人なんだ」

 オーレリアスさん? 頭を抱えている暇があるんですか?

 さあ、さっさと必要な情報を吐いちゃいなさい!

 私達にも、あの淑女の解説が必要なんですから!

 

 じりじりと、じりじりと。

 草木の影に屈みこんでいながら接近する私達。

 オーレリアスさんは口元を引き攣らせ…仕方がなさそうに口を開きます。

「……………元々、王子妃に選ばれるような娘だぞ?

それも女性関係でトラブルの多い、殿下の妃だ」

「つまり?」

「人格も慎重に吟味されるに決まっているだろうが…」

 そういうオーレリアスさんの口調は、本当に悲しげで。


 どうしましょう…。

 前科者の、犯罪者…なのに。

 勇者様を害した、過去最も性質(タチ)の悪い女性の筈なのに。


 まさかの、『ルシンダ嬢人格者説』が浮上してしまったんですが。


 ……………人格者さえも、恋に狂うと怖いんでしょうか。

 婚約者を拉致監禁し、心に傷を負わせたという情報にそぐわない姿に、不安が募ります。

 

 でも何よりも、誰よりも。

 人格者を恋に狂わせてしまう勇者様が怖いと感じたのは、気のせいでしょうか…?

 例えそれが、勇者様の意図せぬことだとしても。

 本人にとっては、不本意極りないことだとしても。


 本人にその気がないと確信が持てるだけに、私は思いました。

 不憫な勇者様………と。




ヤンデレの過去を持つ女性に、とんだ真っ当疑惑が浮上中!

しかしその心内を確かめたわけではなくて…?

実際はどうなのか、リアンカちゃんたちがまだまだ実験します。


 サルファの体当たりで。


というわけで、次回!

ルシンダ嬢の反応実験サルファ編を行いますw

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