102.物静かな悪魔
いよいよ、ルシンダ嬢と直接絡んでいきますよ!
勇者様との直接対決を前に、リアンカちゃん達が前哨戦を仕掛けます。
いや、ある意味、これが本戦?
さあ、彼女達は何をやらかすのか…?
一番手は、むぅちゃんがいきます!
さやさやと、さやさやと。
下ろし、靡く髪は涼しげな音を立てる。
真っ直ぐな黒い髪。
小さく白い、卵型の顔。
日焼けなどしたこともなさそうな顔の中、紅い唇がひどく目を惹いた。
黒い髪の、清楚な娘。
淑女の呼び名に相応しい、淑やかな振舞い。
物静かな空気は、静謐なものとして周囲に伝播する。
彼女の周囲だけ、空気が違った。
するすると、足音を立てずに歩く姿は自然体そのもので。
だけど時折、戸惑うように姿勢が僅か乱れる。
理由は気慣れない装いにあると、気付く者はいなかった。
何しろこのような華やかな装いは、彼女にとって八年ぶりだったので。
着慣れた黒い衣と違う。
それだけで、足捌きに僅かな乱れが時折現れた。
絵に描いたような、淑やかな令嬢。
誰からも忘れ去られ、時折恐怖とともに思い出される令嬢。
彼女の名は、ルシンダといった。
それは、この国の王子であるライオット・ベルツに空前絶後のトラウマを植え付けた、恐ろしい犯罪者の名前でもあった。
外見は、可憐な白い椿のようであったけど。
そんな彼女のことを、物陰から見ている者がいました。
私です。
「なんか、普通…」
「いやよく見ろ、普通なものか。あの立ち居振る舞いは並み以上だ」
私は現在、何故かオーレリアスさんと二人仲良くルシンダ嬢の偵察に来ていました。
何はともあれ、実際に見てみることが肝要だ、との言葉には頷けます。
そして勇者様が出てくるなど以ての外、離宮にて籠城すべしとの言葉にも頷けます。
まぁちゃんやせっちゃん、子竜達は目立つからお留守番というのも、まあいいでしょう。
しかしどうして私が、オーレリアスさんと、二人で偵察?
厳密に言うと二人きり、という訳じゃないんですけど…
現状、限りなく二人きりに近い状態です。
そんな状況がどうしてでしょう?
何故か納得できません…。
私の疑問が顔にでも出ていたんでしょうか。
オーレリアスさんは不機嫌そうに片眉をあげて。
それから言うことには。
「私だって不服だ。だけどどうした訳か、殿下が貴女を気にして動揺していたんだから仕方ないだろう。
――殿下があのように動揺されるような、何をしたんだ?」
「黙秘します」
「………何かしたことは、否定しない…と」
「黙秘します」
つまらないこと、気にしてるんじゃありませんよ。
叫びたいそんな気持ちも、ぐっと我慢です。
はあ、と。
オーレリアスさんの露骨な溜息。
「このような大事な時に、殿下の御心を無用に乱すのは止めていただきたい。
それがどんな命取りに繋がるか、知れぬのに」
そう言うオーレリアスさんの声は、疲れ果てていて。
勇者様を案じているんでしょうね。
ルシンダ嬢という脅威が迫りつつある今、不安要素は出来る限り減らしたいのでしょう。
心を弱らせるなど言語道断とのご意見が根底に窺えます。
勇者様はそこまで過保護にしないといけない、弱い人じゃないと思うんですけどね…?
まあ、勇者様の悲惨な女難の歴史を、その目で見てきた生き証人(爆)の皆さんですから、どうしたって過保護になっちゃうのかも知れませんけれど。
勇者様をお守りする、家臣という立場も関係しているんでしょうしね。
――でも。
魔境で遭遇した数々のびっくり事件(笑)の時の、あの逃避したり腰が引けたりしつつも立ち向かった素敵なお姿を、彼らにも見せてあげたい。
あんなに素晴らしく素敵なお姿(笑)はそうそう見られるものじゃありません。
私の脳裏にだって、ばっちり焼き付いています。
笑いの衝撃と、ともに。
うん、やっぱり私、彼とは相性が悪いかもしれません。
オーレリアスさん達も同じことを思っていそうだなぁと。
そう思いながら、私達は内心を見せることなく偵察を続行します。
「………しかし、大人っぽくなりましたね」
「私の一歳年上にはとても見えませんねー。八年前にもあんな感じ?」
「いえ、当然ですがもっと幼気ない…はにかみ屋の女の子でしたね」
「はにかみ屋の女の子が、婚約者を拉致監禁した上に鎖で縛った訳ですか」
「……………幼いとはいえ、女性の深淵は計り知れないものです」
「いや、同じ女性でも私にとっても計り知れないから」
大人しそうに見えて油断ならないという前評判は、流石です。
こうやって物陰からじっと観察していても、目に見えるのは淑やかそのものの姿。
とてもそんな執着まみれの犯罪を敢行したようには見えません。
あの、穏やかで優しそうな、大人っぽい姿。
あれで前科者とは…。
こうして見ていても、物静かな空気に騙されそうです。
騙されちゃいけない…奴は、一流の犯罪者か。
「羨ましいくらいに、ほっそりした首筋が綺麗ですねー…全体的に細見で」
「ふむ。器量は十分に美人の範疇で、振る舞いも優雅。
あれであれば、前科者でも欲する物好きはいるかもしれないな」
「伏し目がちな目が印象的ですね。真っ直ぐに見詰めてほしくなります」
互いに観察して思ったことを告げ合っていただけなのですが…
いつの間にか、私とオーレリアスさんの偵察は、『美人品評会』と化していました。
取り敢えず、ルシンダ嬢は鎖骨と首筋が綺麗でした。
そうして、どれだけ観察したでしょうか?
偵察という名目。
ただ見つめるだけがその範疇じゃないんですけど…
工作員の到着が遅れています。
そのことにちょっと焦りつつ。
もういっそのこと、私が突撃かまそうかしらと、物騒なことを考え始めた頃。
工作員が、到着しました。
「リアンカちゃ~ん! お待たせ☆」
「一発ビンタしていい?」
「なんで!?」
「はいはいはいはい、そのやり取りは今じゃなくて良いでしょう」
呆れたように肩を竦める、むぅちゃん。
最近定番化しつつやりとりに肩を落とす、サルファ。
指定工作員のお二人です。
現在の彼らはいつもの服ではありません。
二人は王城に仕える使用人のお仕着せを身に纏っていました。
むぅちゃんは召使見習いの格好です。
年齢的にも丁度奉公に来ている召使達と年代が近い為、普通に違和感がありません。
髪や目の色も元から無難な部類なので、紛れこむのも簡単そうですね。
一方サルファは庭師の扮装です。
目立つ蒼黒の髪を茶色に染め変えてタオルを巻いて、手には軍手。
何故でしょう、妙に違和感がありません。
なんだろう…むしろ似合う気がする………。
普通に善良そうな格好が似合うことに、物凄く違和感。
私が納得いかない気分でいても、それをオーレリアスさんは取り合いません。
「それでは、役者も来たところで反応実験に移るとしよう。
殿下の御為、ルシンダ嬢の人品を見定めるとしよう」
オーレリアスさんの宣言の下、私達は配置につきました。
八年間、世俗を離れて修道院に籠っていたルシンダ嬢。
十歳の頃ならともかく、今の彼女の品性や人格を知る者はあまりに少なく、残念ながら王城の方でもまともな調査報告は見つけられなかったそうです。
それもあって、本日は謁見の間にルシンダ嬢を召し上げ、国王様直々にその品性を言葉にて推し量る、とのことですが…
ぶっちゃけ、人間は嘘をつくイキモノです。
言葉による問答だけで、人間の全てが計れたら苦労はいりません。
そこで、私達はちょっとしたドッキリ…
……じゃなくて、反応実験を仕掛けてみることにしたのです。
そう、反応実験。
人間はきっと、咄嗟の状況下でこそ、その本性を垣間見せるものだから。
…どんな突発的状況でもチラとも本性を見せず覆い隠す類の人間も、勿論いますけど。
そういう人は、タチが悪すぎて凡人では手に負えませんが。
ルシンダ嬢がそんな希少な手に負えない魔物ではないことを、祈りましょう。
勇者様の為にも、皆で天に祈りましょう。
幸運の女神様辺りがそんな願いを叶えてくれること期待して。
お祈りも済めば、他に準備すべきこともなく。
さあいよいよ、実験開始です!
【その1 むぅちゃんの場合】
軽い、タッタッタという走る音。
体重の軽い少年ならではの、軽快な足取り。
手に書類(小道具)を抱えて走る召使の少年が、一人。
誰もが注目して動向を気にする黒髪の淑女の傍を駆け抜ける。
そのすれ違う瞬間。
少年は淑女のドレスの裾を思いっきり踏みつけ、足を取られて転倒した。
盛大に散らばり、乱れる書類の束。
全力で踏み躙られ、醜く黒い靴跡を無残残す、柔らかなドレスの白い裾。
顔面から派手に転倒した少年に、人々の視線は殺到した。
顔面からいく豪快さと言い、裾を踏みつけて転ぶタイミングと言い、完璧です!
しかし手段も方法も選ばなすぎじゃないかな…!?
誰もそこまでしろって言っていないよね!?
此方の出した指令は、二つ。
・ルシンダ嬢とすれ違いざまに接触し、転倒すること。
・その際の反応含め、ルシンダ嬢の対応から何かしら感情を引き出すこと。
この二つ、だったんですけど…
会話をするまでもなく、国王と謁見前の女性のドレスに盛大な靴跡付けるとか、それだけで世の女性の怒りを余裕で引き出しそうなんですけど!
むぅちゃん…前から知ってましたけど、思いきったことをする子です。
前から知ってましたけど。
はらはら、固唾をのんで見守る私達の前。
むぅちゃんは何食わぬ顔で、自然な振舞いで演技を続けます。
殺到する視線に気付いていないような素振りで、少年はむっくりと身を起こす。
それからわたわたと忙しない動作で書類をかき集め始め…
今気付いた、みたいな何食わぬ顔でドレスに視線を当て、ちょっと目を見張ってみます。
「あ、ごめんなさい」
むぅちゃんの第一声は、素敵な棒読みから始まりました。
むぅちゃん、むぅちゃん! 声、声演技して!
声からして、何たるローテンション…いや、いつものことなんですが。
しかし、失態を犯した(設定)直後の今この時に、その動じていないように聞こえる声音は思いっきり不自然ですよ?
悪びれないというか、太々しいというか…そんな印象を受けます。
いえ、受けずにはいられません。
むぅちゃん、わざとですか…?
計算してるの? それとも素………?
どう考えても、怒らせようとしているとしか思えない言動。
あれが素なら、いっそ大したものです。
神経の、逆撫で具合が。
一般的な女性であれば、確実に怒ります。
平民だろうと貴族だろうと誰だろうと関係なしに激怒しそうな腹立たしさ具合ですね。
確かに何か感情を引き出せとは言いました。
それにこのシチュエーションなら、確かに怒りが最も引き出しやすいでしょう。
しかしここまでやれって誰が言いましたかね…?
私達は、半ば確信に近い強さで予想していました。
次の瞬間には、ルシンダ嬢が般若の如く怒る瞬間を。
だって、謁見前です。
国王との謁見です。
それを直前にして、これですから…。
ここまでされて、誰が怒らずにいるんです?
怒りという感情に染まった本性を出さずにいられるのは女神か菩薩くらいです。
そしてルシンダ嬢は、そのどちらでもありません。
前科者の犯罪者です。
きっと、目も眉も吊り上げ、鬼の様な形相で怒るに違いありません。
それを見た瞬間、私達は仕掛けた側として申し訳なさで身を縮めるかもしれません。
だって、どう見てもあのドレス、手遅れです…。
わざわざ、むぅちゃんも靴の裏を汚して来ていたようで…
………やっぱり計算ですか?
あの靴汚れ、とうてい落ちそうにないくらい頑固な痕跡を刻んでいるんですけど。
どう贔屓目に見ても、明らかに。
ドレスは再起不能でした。
さてさて、国王(勇者様のぱぱん)との正式な謁見を前に。
ルシンダ嬢が家の跡目を告げるか否かを審問する、謁見を前に。
そのドレスに無残な泥汚れが刻まれた訳ですが…
(↑むぅちゃんは朝から薬草園に行き、畑からそのまま靴の泥汚れを落とさず現場に駆け付けた模様。靴の汚れは、実はうっかりの産物)
さあ、ここからルシンダ嬢の反応は…!?
a.悪鬼が降臨する
b.般若が降臨する
c.雷神が降臨する
d.祟り神が降臨する
e.女神が降臨する
f.菩薩が降臨する
g.モンスターが蹂躙する