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101.黒髪の淑女




 取り敢えず、ですけど。

 私達はありのままの事実ってやつを勇者様に伝えてみることにしました。

 遠まわしにじわじわ穏便に告げようと気遣う、オーレリアスさん。

「殿下…とある修道女がですね、淑女(レディ)となる為に、その…」

「何の話だ? オーレリアス」

 だけど遠まわしすぎて、一向に勇者様に伝えたい情報が伝わらない。

 こういう、まだるっこしいのは苦手です。


「勇者様の最悪最大の心の傷(トラウマ)の元凶が、出所してくるそうですよ。

具体例を挙げると、ルシンダってお嬢さんだそうですが」

「!!?」


 なので、ずばんと直球で攻めてみました。


 僅かなりとも勝算の見出せる、今だからこその勝負です。

 先程から、私から頑なに目を逸らして皆に不審がられていた勇者様。

 しかし流石に聞き捨てならないらしく、ぐりんっと私の方へ振り向いて。

 伝えた情報故か、その顔は土気色でしたが。

 でも、私と目があった途端に硬直し、頬にわずか赤みが差しました。


 ………よし。


 まだ、先程の衝撃(インパクト)は効力を有しているようですね。

 今の内です。

 気を逸らすネタが、気を取られるネタが他にあれば卒倒しようもないでしょう。

 この隙に畳みかけてあげましょう。


 私は先程の予期すらしていなかった事故…

 着替え乱入事件を最大限に有効活用しようと、勇者様に可哀想な決意をぐっと固めて。


 勇者様の気を逸らしながら情報を伝達できる機会は、今を置いてありません。

 闇の深淵に囚われずに、現実(こちら)に踏み止まっていただく為です。


 …という、免罪符を掲げて。

 内心で、勇者様に笑顔でごめんねと手を合わせながら。


 こういうのは、思い切りが大事なのです。

 度胸。

 そう、それこそが道を拓く…!


 具体的に何をしたかと言いますと、ただ近寄ってみただけです。

 取り敢えずぐぐっと勇者様の素敵顔面に顔を寄せてみました。

 適正距離? 何それ美味しいのと言わんばかりの至近距離。

 正しいとされる男女の真っ当な距離に、真っ向から喧嘩を売っています。

 我ながら近い。近すぎます。

 でも私以上に、この距離に心乱される人がいます。


「りっり、り、り、リアンカ…!?」


 私は、精々勇者様の動揺っぷりを眺めて冷静さを保つとしましょう。

 他人の動じる様って、精神の冷却効果がありますよね?

 それでも、うっすら眼元の辺りが熱くなるような気がしましたけど…

 うん、気のせい。気のせいだよ、気のせい。

 勇者様の端麗すぎるご尊顔。

 そんな芸術品に間近に迫るとか、色んな意味で勇気と度胸が要りましたけど。

 近くに迫って相手を見るということは、自分もまた見られるということで…

 勇者様に顔面偏差値で劣る身としては、色々と内心耐えがたいものもありましたけれど。

 今は勇者様の気を逸らせればいいのです。それ以外にないのです。

 そう、自分に言い聞かせて。

 私は、逸らして泳ぎたがる自分の目を、がしっと捕まえて固定するような心持ちで。

 じりじりと内心で消耗摩耗する精神力を最大動員全開です。

 頑張って何でもない顔で勇者様と真っ直ぐ視線を合わせました。

 勇者様が顔を逸らしたり逃げたりできないよう、握力全開で、勇者様の頭を固定。

 逃亡阻止を図りながら。

 私に両頬を固定されて、勇者様の顔がみるみる温度を上げていきます。

 そう、勇者様の顔は真っ赤です。

 何と言いましょうか…この、今にも頭突き(ヘッドバッド)でもかましそうな距離。

 勇者様は見るからにぐらっぐら。

 今にも湯気でも出てきそうで、頭から余計な物も必要な物もすこーんと抜けてそうです。

 あまりに近い距離は、相手がどれだけ動揺しているのか過たず伝えてきます。

 でも、やっぱり近すぎるかな?

 男女の適正距離って、何だっけ………本気でわからなくなってきました。


 あまりに近すぎる、距離。

 顔を赤く染める勇者様。

 間近に此方を怯えたように見下ろしてくる、深青の瞳。


 …あれ、私、何しようとしてたっけ?

 なんでこんな状況に陥っているんだか…自分でやったことだけど!

 うん、近い。

 思わず当初の目的を見失いそうになるくらい、近い、な…。

 本当に額と額がごっつんしそうな距離。

 その誤魔化しの効かない近さに、自分でしたことながら訳がわからなくなってきて。

 動転した勇者様と、やらかした私。

 二人揃って目がぐるぐる混乱しつつある訳ですが………


「――リアンカ?」


 背後から、絶対零度を纏った鬼神の声が聞こえたような…

 わあ! 今度は勇者様のお顔が、みるみる温度を下げて冷たくなってきましたよ!

 勇者様の顔が、真っ青です。

 流れる冷汗が、私の手を伝って滴り落ちました。

 こんなに短時間で顔を赤くしたり青くしたりと忙しい…

 ………というより、こんなに頻繁に温度の上げ下げをして大丈夫なんでしょうか?

 健康には確実に悪そうですね!

 血流に変な障害が出ないといいんですけど!

 

 ………ええ、わかっています。

 そんなこと、考えている段じゃないってことくらい。

 ちょっとした現実逃避ですよ、現実逃避。

 

 私の背後に何を見たのか、勇者様がカタカタと震え始めました。

 こういうの、何かに似てる…あれです、赤ちゃんをあやす木の玩具。

 左右に振ると、カタカタカタって音が鳴るやつ!

 ………うん、勇者様すっごい似てるー。


「リアンカ…? どういった料簡か、ちょっと勇者と二人でまぁちゃんに仔細説明してみ?

みっちり、しっかり、微に入り、細を穿って…な」


 うっとりするくらいに美麗な猫撫で声は、降臨した鬼神のサブウェポンです。

 振りむいちゃいけない!

 でも背後に超接近してきたまぁちゃんが、私の両肩に手をかけて…

 私の頭越しに、勇者様へどんな顔を向けたというのでしょう?

 勇者様の震動が、急にぴたりと止んだ…かと思えば、冷汗の量が増えたんですけど。

 勇者様のお顔は、人間とは思えないくらいに温度が下がっています。

 ちょっとこれ大丈夫なんですか、勇者様!?


 大丈夫ではなさそうだったので、私はひょいっと上を見上げて。

 私としっかり目のあったまぁちゃんに、念を押すように一言。

「疚しいことはないよ、まぁちゃん!」

「おー? よくぞ言いきったもんだが、どうだ? とてもそうは思えねぇんだけど?」

「まぁちゃん、私、何も恥じらう気持ちがない訳じゃないよ? 特に勇者様、お顔が綺麗だし。そんな顔面の持ち主に至近で誤魔化しようのない顔を見られる羞恥、まぁちゃんには分からないでしょ?」

「そりゃ、わかったら俺、自分を疑うわ…。

んで? そんな羞恥を押してまでこんな問題行動に出る真意は?」

「んー…こうして動揺させて気を逸らしている間に言ったら、精神損壊の危険性が下がんないかなあ、と」

「ほほう?」

 わあ、まぁちゃんの目が超☆剣呑!

 それはそれは眼光鋭く、そのまま綺麗に、にぃーっこりと笑って…


 次の瞬間。


 勇者様の顔面が、まぁちゃんの手にがっと鷲掴みにされて…


 間近に見る勇者様の瞳が、肉食獣に捕まって命を諦めたインパラの目に…

 目に映る錯覚。ふと見えた幻の背景はどこだ。大サバンナか。

 待ってストップ! 魂魄飛ばしちゃ駄目です、勇者様!

 死を待つばかりと言わんばかりの眼差しに、ちょっと胆が冷えちゃう。

 あわわと慌てる私を物ともせず、私の頭上越しにまぁちゃんが大・接・近!

 そのまま鷲掴みとした勇者様の頬に顔を寄せ…その耳に、何事かを囁きかけます。

 近い場所にいる私には、その囁きの内容が聞こえました。


「――今から一時間。一時間だ」

「い、いいい一時間?」

「その間に気を失ったら、てめぇの小腸を***して、十二指腸を××して●▽×……」


 囁きかけられた途端。

 勇者様の身体が、びくんと痙攣じみた震えを見せました。

 目一杯に見開かれたのは、恐怖の眼差し。

 まぁちゃん、その脅しはえげつない…よ。


  → 勇者様は大事な物(内臓)を失うかもしれない。

    勇者様は恐怖に竦み上がった!

    勇者様は身動きを封じられた!


 にたりと。

 妖気の滴るような笑みを口元に刷いて。

 喉を鳴らすような、まぁちゃんの笑い声。

「最初っからこうしてりゃ、話が早かったんじゃねーか…」

 その声は、あまりにも黒くて魔王っぽい。

 塵芥の如き人間を、虫けらの如く弄ぶ。

 そんな煽り文句をつけたらばっちり似合いそうな、まぁちゃんの態度。

 勇者様へと殊更に優しく囁くのは…

「このままルシンダとかいうどこの馬の骨とも知れねぇ小娘に食らった過去のあれやこれやで、心を闇に落とすか………それとも、今ここで物理的に体ブツ切り状態で全身丸ごと闇の底に沈むか…選ばせてやる俺は、優しいお兄さんだろう?」

 その声音は、心底自分をそう(・・)だと信じて疑っていないように聞こえて。

 勇者様の顔色は完全なる土気色。

 目も当てられないような、悲壮感漂う無表情…。

「死にたくなけりゃ、死ぬ気で正気を保ったまま、よぉぉっく拝聴しろ?」

 そう言って、妖艶なる魔王様は、

 心底楽しそうに、くすくすと笑いながら。

 目線だけで、勇者様を甚振(いたぶ)りながら。

 まるで生殺しにでもするように。

 たっぷりたっぷりと言葉や表情の端々で、勇者様を嬲りながら。

 可哀想なくらいに時間をかけて、勇者様に情報の伝達。

 そのまま、色々な意味で精神的にきつい状態を維持させたまま。

 そうやって、哀れな勇者様に現状把握を促したのでした。


 その全てにかけた時間、きっかり一時間。

 きっかり計ったように、気を失うなと警告した言葉通りの時間。

 それくらいの時間をかけて、まぁちゃんは勇者様を嬲r…

 ………優しく事情の説明を行ったのでした。


 

 そうして、自分を取り巻く状況の急変を全て知った勇者様は…

 そんなこと瑣末なこと、どうでもいいと言わんばかりに。

 過去の心の傷(トラウマ)ではなく、たった今、まぁちゃんから受けた形なき暴力によって。

 生きる術を見失った毎度の子犬のように、カタカタと小刻みに震えていて。

 その様は、まるで雨に打たれた野良犬のよう。


 ある意味、心の傷を克服した姿…などでは、全くなく。

 それはより恐ろしい魔に魅入られ、一時的に心を縛られた哀れな虜囚の姿。

 私は勇者様を見ていて、そんな風に感じたのでした。





   ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆


 その日、王城に。

 一人の淑女が足を踏み入れた。

 帰還といえるほど、王城に馴染んだ身ではない。

 追放される前、彼女はたった僅かの十歳。

 未だ、社交界に現れる前。

 

 しかし今の彼女は、どうだろう?

 八年の空白など、全く感じさせない。

 むしろ誰より、どんな貴婦人よりも洗練された身のこなし。

 身に纏うドレスは、いささか流行からは取り残されたものであったが…

 乗り遅れたとしか表現できない筈のそのドレス。

 だが、清楚にして物静かな印象に、白いドレスはよく似合った。

 流行など、物ともしない。

 そんな物に左右されるほど、彼女の洗練された振る舞いは安っぽくはない。

 むしろ真の淑女であれば、流行や外面の煌びやかさは関係しない。

 身の内から輝く品性と、洗練された動作、高潔な精神とでそれら全ての表面的な美を覆す。

 内面から光り輝いてこそ、淑女は真の淑女といえた。

 

 そして、彼女は。

 王城という国家の中心に出入りする人々の…

 商人の、使用人の、衛士の、官吏の、兵士の、騎士の、貴族の。

 それらに名を連ねる誰の目から見ても、彼女はそういった『真の淑女』の一人であった。

 身を飾るドレスが流行遅れであろうと、関係はない。

 むしろ淑女の身に纏わせたドレスは、彼女の輝きによって何倍も魅力的に見える。

 彼女は、完全にドレスを着こなし自分の物としていた。



 あの方は、誰だろう…?


 その正体を知らぬ誰もが、さざめき合い、語り合う。

 正体を知らぬ、女性の素情に思いを馳せて。

 この国にあれほどの女性がまだ隠れていたのかと、驚嘆も隠しきれずに。

 誰もが噂した。

 あの女性は何者だろう、と。

 この国の貴族か、他国の者か…それすらも、誰ひとり知る者なく。


 その正体が知れ渡る数時間後、今度はその顔を驚愕で凍りつかせるとも予想はせずに。

 思いがけぬ謎に高揚した脳は冷水を浴びせかけられ、恐怖にも似た感情で金縛りに遭う。

 素性を知っていたはずの者でさえ、それは例外でなく。

 現実として実体を伴って現れた淑女の姿に、凍りついている。

 頭の中で淑女の姿と、その素情。

 二つを重ね合わせて正体に思い至った誰もが、驚愕を露とするのだ。


 その光景が現実となるのは、数時間後。

 誰もが頭を悩ませて、阻止しようと躍起になって。

 全力で妨害を志していた、のに。


 それなのに。

 それら全てを、台無しにして。


 かつての因縁に縛られた二人。

 王子と淑女が顔を合わせてしまうまで、後たったの数時間しか残されていなかった。




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