トナカイとクリスマス
街のイルミネーションが一年中で一番煌びやかに目に映る日。
今日は恋する男女が少しロマンチックに、少し情熱的に愛を確かめ会う日、クリスマスイブ。
とは言え、元来キリスト様の誕生日というだけで、キリスト教に縁のないほとんどの日本人にとってはどうでも良い日の筈だが、何かと西洋文化に乗りたがる国民性なのだろう。
しかし日本でのそれは厳粛なる祭典には程遠い、単なるラブゲーム大会に成り下がっている。
客観的に見れば踊らされている愚かな男女を鼻で笑い、さげずんだ目で見れば少し自分が上等な人間に思えて、得意気な気分に浸れるのかも知れない…
確かに去年の俺はそうだった。しかし今年は違う!
とあるマンションの一室。俺は妙にテンションを上げて、部屋の飾り付けやら料理の支度に余念がなかった。
今日は最近メールで知り合った年下の彼女、恵美と二人きりのクリスマスパーティーを予定している。
俺の部屋は1LDKのこじんまりした部屋だが小洒落たデザイン、新しくて白い壁も気に入っていた。
リビングに少し大きめのクリスマスツリー。
ちょっと値段は張ったがこれくらい。恵美が喜んでくれるなら痛くも痒くもない。
NHKの受信料の支払いが溜まっているが、痛くも痒くもないのだ。
テーブルの上には既に鳥腿やオードブルが並べてある。
三越の地下で売っていたフォアグラとキャビアを買い、カクテルグラスに注いだロワイヤルの上に盛り付けた。
ちょっと値段は張ったがこれくらい。恵美が喜んでくれるなら痛くも痒くもない。
携帯代を払えるかどうかの瀬戸際だが、痛くも痒くもないのだ。
そろそろ出来たかな?
キッチンで火にかけてある鍋をのぞき込むと、じっくり炒めた玉ねぎをコンソメで溶いて煮込んだオニオンスープが完成に近づいていた。
俺のオニオンスープは自分で言うのもなんだが、絶品の域にある。
これだけは店で出しても十分通用するだろう。
少し悦に浸りながら、フレンチシェフが味見をするように、スプーンでその濃い褐色のスープをすくうと口に入れた。
『うぉっ熱っつぃ!!』
一瞬で口の中がビリビリと痺れるような熱さが広がり、続いて激痛が舌を走る!
俺は勢いよくシンクの蛇口をひねり水をコップに注ぐと、慌てて口の中に流し込んだ。続いて氷をひとつ放り込むと、冷やされていく口内をむにゅむにゅさせながら安堵の息を鼻から放出した。
むう…素人には危険な技だな。恐るべしフレンチシェフ!
ヒリヒリする口を案じていると、なにやら香ばしい匂いが漂ってきた。
ん?
料理はあらかた作り終えている。他になにか作りかけのものがあっただろうか?後はメインディッシュの松坂牛のステーキを焼くだけの筈だが…
この肉は上等だ。ちょっと値は張ったがこのくらい。恵美が喜んでくれるなら痛くも痒くもないのだ。
有馬記念の馬券が買えるかどうかギリギリだが、痛くも…いや、これは少し痛いかも。
そうだ、その肉は今レンジで解凍中だったのだ。
ふと目をレンジに向けると
け…煙り出てますが!
とっさにメニューダイヤルに目をやると『解凍』にセットしたつもりが『あっため』にセットされたままだ。
『いかん!』
レンジのドアを開けると、肉を包むラップが黒く焦げ、ブスブスと音を立てて煙を立てている。受け皿はさすが松坂牛と思わせるだけの肉汁をなみなみと湛えている。
どこからどうみても生肉の様相とは思えない。
一品出来た?
そんなわけはない…
これはショックを隠せない。いや、一人でいるのだから特に隠す必要もないのだが。
すぐさま肉を買いに行くかとも考えを巡らせたのだが、約束の時間は6時。すでに5時半を回っている。もう恵美は駅を降りてこちらへ向かっているかもしれない。
諦めるよりないのだ。
改めて時間を確認すると、他にも準備しなければならないものがあることに気付いた。
リビングのソファーに放り出してある紙袋の中から二つの包みを取り出す。
えーと、こっちがそうだな。
豪華に包装してある包みは恵美へのプレゼントだ。中にはクリスマスにふさわしいサンタのコスチュームが入っている。もちろん普通のサンタと思ったら大間違いだ。なんとミニスカ仕様の超キュートなデザインなのだ。
そう、今日はクリスマスイブ。これを恵美に着せて、熱い熱い夜を過ごして、最後は俺のホワイトクリスマスでフィニッシュだ。我ながら素晴らしいアイデアである。
そしてもう一つの簡素な包装がしてある包みを手に取ると、無造作に包装紙を破り捨てる。果たしてそこにはトナカイの着ぐるみがあった。もちろんこれは俺のコスチュームだ。
これで純情サンタといたずらトナカイの舞台設定は完璧である。
少しストーリーを思い浮かべると思わず口元がほころび、やがて下半身に力がみなぎってくる。
おっと、まだまだ楽しみは先だ。
いつものクセでティッシュを取ろうとした体を引き止める。
女はギャップに弱い。
ふつうのクリスマスパーティーと思って玄関のドアを開けると、そこにはトナカイが居るのだ。この度肝を抜く設定で恵美の驚く顔を見てみたい。
ごていねいにツノまで付いたトナカイの着ぐるみ。しかしもっと厚手の生地かと思ったのだが意外と薄く、下半身だけ見て取ればラクダのモモヒキと何ら変わりはない。
やや不安を覚えながら頭まですっぽりと被る。
これは…
パッと見茶色の全身タイツ。
ユーモアさと可愛らしさを表現したかったのだが、これでは単なるマニアックな変態である。
思考すること約10分。
これでいくか。
微妙なラインだが、後は俺のユーモアで何とか切り抜けるしかない。
時間は迫っていた。あと5分。 少し緊張する心を抑え、寝室のベッドを確認。
おっと忘れるところだった。ベッド脇のローボードから小さなビニールに包まれ連なったコンドームを出すと、一つ引きちぎり枕の下へ忍ばせた。
いったん引き出しを閉めたのだが、少し思案するともう一つ枕の下へ。
よっしゃよっしゃ。
時間は6時。
今か今かと待ちわびる俺は、手持ちぶさたにテレビのリモコンをいじる。頭に入ってこないニュース番組を見るとも無しに観ていた。
二度目のCM。
ふっと時計に目をやるともう6時半。ちょっと遅れているようだ。
携帯を手にして着信履歴を確認するが、何の連絡もないようだ。メールも入っていない。
もしや事故にでも?
不安を覚えて恵美にメールを送る。
『何かあったの?遅れそうなの?』
しばらく待つと返事が返ってきた。
『ごめん、他に用事が出来たから今日行けなくなった。』
なにいー?!
ちょっと待ちなさい君。いいですか?今日この時のためにどんだけ金使って下準備してきたと思ってるんですか?今さらドタキャンはないでしょうよ。
いや、例えするにしてもだな、もう約束の時間は過ぎてるのよ?もっと早く連絡しなくちゃいけないんじゃないの?
少し頭に血が上った俺は、恵美の携帯に電話を掛けた。長い発信音の後、恵美の声が聞こえた。
『もしもし、ゴメンゴメン』
周りからはにぎやかな声とジングルベル。車の音も混じっている。どうやら繁華街にいるようだ。
『あのね、ちょっと友達が大変なことになってさ、うん、ちょっと行けそうにないのよ』
えらい所で大変なことになってるんだな、その友達は。
『今どこ?』
ちょっと怪しんだ俺がそう言うと
『えーとね…いま病院』
えらい賑やかな病院だなおい!患者大丈夫か?
『病院?どうしたの?』
しばらく返事がない。
『もしもし?恵美?』
『…あ、もしもし何?聞こえない。電波悪いみたい』
『もしもし?聞こえないの?』
『もしもし?もしもし?…モシモシ…』
少しづつ声がフェードアウトしてゆく。電波がだんだん弱くなってることを表現したいのだろうか?
おい、代わりに雑踏の音がフェードインしてきてますけど…
プッ…プーップーップーッ…
切れた。
なんて奴だ!どう考えてもおかしい。まさかこんな展開になるとは…。
しばらく地蔵のように固まっていたが、お腹も空いたので豪華に飾った料理の数々を食すことにした。
うまい!
これを食えない女は不幸だな。あいつはこんな幸せを逃しやがってザマーミロだ!
鳥腿を頬張り、とっておきのワインをがぶ飲みする。トナカイの鼻が赤く染まってきた。
時間はすでに8時になろうとしている。
と、そのとき…
ピンポーン
玄関のチャイムが鳴り響いた。
恵美!
やはり来てくれたのだ。信じてやれなかった自分を嫌悪する。なんて俺は愚かなのだろうかと…
飛びつくようにして玄関のドアノブを回し、勢いよく開けると外の冷気がむしろ心地良い。満面の笑みを浮かべて俺は迎えた…が
だれ、アンタ?
『宅配便…です』
なんですとー?!
そこにいるはずの恵美の代わりには、くたびれた中年の宅配人が唖然とした表情で立っている。強烈なカウンターパンチだ。
宅配便なら宅配便と先になぜ言わん!
俺はこの見ず知らずの男に名前、住所、電話番号という個人情報を握られ、その上でトナカイの全身タイツに身を包んだ姿を晒してるとは…
『柴崎さんですよね?』
正直他人のフリをしたい。
『あ、はい。そうです』
なんて気弱な俺。
『ハンコかサインお願いします』
顔ひきつってるぞ、おっさん。
『あ、サインでいいですか?』
笑いたいのか?
『じゃあ、こ…ここにお願いします』
なに噛んでんだおい?笑いたいなら笑えよ、サインしてるトナカイをよ!
そうだよ、トナカイなのに柴崎だよ。悪かったな!
部屋に戻り、箱の宛先を見ると実家のお袋からだった。
中を開けると、米、缶詰、その他もろもろの食料品が入っている。
そして箱の底には一通の手紙が…
そういえばもう二年も実家に帰ってなかったな。お袋、どうしてるんだろう?
手紙を開くと見慣れた、そして懐かしい母の文字。
『元気にしてますか?』
嫌味ですか?
『最近連絡ないけど何してますか?』
トナカイ…
『昔はやんちゃだったけど、今はまじめに働いてるようで安心してますが、もうバカなことはしてないですよね?』
えらくタイムリーな質問だな。
『大好物の鰯の缶詰入れときました』
鰯好きなのは兄貴だよ…
『彼女の絵里子さんは元気ですか?』
それも兄貴の彼女だろーが。
『正月には元気な顔を見せてください。』
……………
ちょっぴり切ないクリスマス。俺はお袋の温もりに感謝しながら、少しセンチな気持ちで孤独な一夜を過ごした。
そうだ、なにも彼女と過ごすだけがクリスマスじゃない。家族の愛を確かめるのもクリスマスなのだ。
少し残ったワインをかざして一人で乾杯。
メリークリスマス。
実はこの小説はほとんどノンフィクションという恐ろしい話です。いやあ、あのサンタの服、どこかにまだあるんですよね(^^;)最後まで読んで下さって、ありがとうございました。