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旅立ちの日に

作者: 彩夏


高校デビューってやつだろうか。

同じ中学出身の大原と田沼は、髪を染め、脚を見せ、「いかにも」な女子高生を演じている。

両耳を押さえたくなるような煩わしい声色で、どんぐりのように鏡映しな女子達と群れ、オチもつかない話を永延としゃべり続けている。

お気に入りの本を読んでいても、これだけの悪条件の中で主人公に感情移入できる人間がどれほどいるだろう。恋に悩む主人公もどこか霞んで見えるのは、けしてリピートの回数が増えたせいではないのだ。

そう、だから本当に奇跡だったのだ。

俺が彼女らの会話を耳にしたのも、苛立って席を立つ前であったのも。


「美紀さんじゃない?これ」

雑誌を手に、田沼が大原に声をかけ、「美紀」の名を口にした。

美紀さん。田沼は確実にそう言った。

「あ!本当だ、美紀さんだ!うそー本当ぉ?え、すごぉーい!」


来週から始まる月9ドラマ出演の人気若手俳優の爽やかな笑み、その隣のページにいた、作家「桐生美紀」の自信に満ちた笑み。


気がつけば俺は走っていた。

椅子が倒れるのも、人にぶつかりそうになるのも、微塵も気にせずに階段を駆け降りた。

渡り廊下の両脇に咲き誇る桜を横目で追い越して、靴も上履きのままに大地を踏みしめた。


「おじさん!」


平松書店の店内は客足が少なく、甥っ子の俺が大声を出した所で、いつもの常連さんが微笑するのみであった。

「なんだ修次郎?お前部活はぁ?」

「サボった!」

俺はすぐさま雑誌コーナーへ駆け、俳優やらアイドルの顔を一通り見て回った。

田沼が読んでいた雑誌のタイトルは見忘れたが、ドラマのタイトルさえ浮かべばと、必死に昨夜の記憶をたどる。

「おじさぁん!今度始まるドラマのやつ!月曜からの!タイトルわかる?」

相変わらず暇なおじさんは新聞を小脇に抱え、駆け寄ってきた。

久しぶりに正面から見たおじさんは、少しだけ白髪が増えていた。

「あぁ、あの、あれだろ?…確かぁ、[痛みを知った]だったか?あの、今話題の新人作家が原作だったよなぁ、桐生美紀だったっけか?」


―桐生美紀

やっぱり、美紀さんは夢を叶えたんだ。

手に取った雑誌の一面で、美紀さんは俺たちの最後の笑みを浮かべていた。



まだ美紀さんの事を美紀先輩と呼んでいた頃、俺は美紀さんから見て一個下の後輩の中の一人で、美紀さんもまた、俺の中で同じような存在であった。

美紀さんの存在を特別視するようになったのは、本当に小さな出来事からだった。


「先輩、美紀先輩」

当時新生徒会長だった俺は、プリント回収に各学年の役員のもとへ回っていた。

「あぁ、修次郎君ね。これ、私のクラスの分。統計とってあるから後は楽よ」

眼鏡をはずし、シャーペンを置く一連のしぐさがとても知的に見え、脈が少し早まったように感じた。

ふと、机の上に広げられたノートに目線を移すと、そこには小さな文字が長々と書き連なっていた。

その中にはボールペンで書かれたバツ印、付箋や書き込み、小さなイラストまであった。

「あ、これ?」

俺の視線の訳に気がついた美紀先輩は、はにかみながらノートを閉じた。

「小説ですか、…それって?」

「えぇ、そうだけど…笑う?」

表情が一変し、少し険しい表情を浮かべた美紀先輩の誤解を解くために、俺は必死で首を横に振った。

「そう、よかった」

またノートを開き、シャーペンを手に、美紀さんは少し書き足した後、振り返り微笑した。

「普段は隠してるんだけど、どうしてもラストが納得いかなくて。言っちゃダメだからね、修次郎君。約束ね」

そしてまた、必死に首を縦に振る俺を見て、美紀先輩は、どこか自信に満ちた表情で優しく笑っていたのだった。


そして、その四ヶ月後。美紀先輩は卒業の日を迎えた。

涙一つ流さない晴れやかな表情、凛とした立ち姿。俺はじくじくと焦げるような胸の痛みと歪む視界に疑問を抱いた。どうして今、俺はこんなにも苦しいのだろう。あの人が巣立っていくことが、どうして辛いのだろう。

特別仲がいいわけじゃなかった。会話だって、ほとんどなかった。それなのに、俺は好きになっていたんだ。

あの、自信に満ちた優しい笑みを。


式が終わり、生徒は次々と下校していった。

卒業生は泣き、在校生も泣き。「ありがとうございました」「おう、元気でな」と、声が飛び交う。

俺は美紀先輩を待っていた。

最後に一度、あの笑みを見るために。

だけど、どれだけ待っても美紀先輩は出てこなかった。日が西に傾き、周囲はオレンジ色に染まる。

俺は意を決し、美紀先輩の教室を訪れた。



それは絵であった。

桜の薄紅色は夕日に照らせれ、赤く燃えていた。

机の影が長く長く伸びて教室から流れ出し、ゆっくりと秒針だけが時を刻んでいた。

美紀先輩は教卓に一人、突っ伏していた。泣いてはいなかった。


「美紀先輩」


ゆっくりと絵が動き出す。そんな奇跡を俺は目に焼き付けた。


「約束、最後まで守ってくれたんだね」


透き通ったアルトボイスが鼓膜を揺らす。俺の頬に音もなく温かいものが伝った。


「私、これから夢を叶えに行くの。だから泣かないの」


四か月前、あの時のように俺は懸命に首を縦に振り、涙を拭った。


「みんな、別れの日だって言って泣くんだもの。今日は出発の日にしてほしいの、だから、修次郎君ぐらいは笑って見送って」




この笑みを、俺は忘れることはなかった。

この笑みを、俺はずっと胸に刻んで生きてきた。


「おじさん、この人の事、俺、好きだったんだ」


俺はまた駆け出したくなった。そして「おめでとうございます」と一言伝えたいと静かに思った。


END

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「どんぐりのように鏡映しな女子達」の表現が面白かったです。 「約束、最後まで守ってくれたんだね」が好きです。 [気になる点] 恐らく家を知らないだろう中、ラストの「一言伝えたいと静かに思っ…
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