不可思議な世界で
どうぞ
校庭を囲むフェンスやネットを、怪物達は軽々と乗り越えた。
推定約五百匹。この学校の全校生徒数を遥かに超える数だ。
この数には、さすがの悠太もたじろいだ。
「・・・まじかよ、多すぎるだろ・・・」
直人は拳を握り締めた。
「・・・大丈夫だ」
そんな直人も、声が震えている。
その時、背後で声が上がった。喜々とした、やや浮ついたような声だ。
二人が振り返ると、そこには小田義明が―浮いていた。
「加勢するよ」
義明はそう呟くと、ゆっくりと地面に降り立った。制服の所々が破けているのを見ると、かなり激戦を強いられたようだ。
直人はすかさず首をふる。
「駄目だ、小田は駐輪所担当だろ」
「だって駐輪所の方、全然来ないんだぞ。暇すぎるんだ。・・・・・・ハハッ、そんな顔すんなよ、大丈夫だって。駐輪所の方に来たら、そちらの迎撃に専念するからさ。ほらそんな顔するから、メガネになっちゃった」
「元々だゴルァァァァァァァァァァァ!」
直人は危うく電撃を放ちそうになったが、何とか自制した。
場を理解できない悠太は首をかしげた。
「・・・え、小田は何なの?何で飛べんの?」
義明は悠太と目線を合わせた。義明は、小さく笑みを浮かべる。
「俺の能力は空気。だから飛べる」
悠太も思わず笑みを浮かべた。
「空気って・・・」
「まさに存在そのものだな」
そこに、直人が加勢する。
「うるさいよアンタら!」
今度は義明がツッコミにポジションを移動する。
そんな明るいムードだったが、敵の接近によってその幕は強制的に閉じられた。
「濱田、小田。来るぞ」
日常会話の時より低い声が唸る。
直人の声で、悠太と義明は顔を上げた。
「・・・話してる暇、なさそうだな」
義明が呟く。
「今さっき話してたとこだよ」
そう言いながら、直人は一歩踏み出した。
怪物達は、群れの統率を保ちながら、ジワジワと近づいて来ている。
三人は完全に囲まれた。右に行こうと左に行こうと、怪物達がそこにはいる。後ろに逃げることはできるが、花壇があるし、第一に逃げることは考えられない。校舎には一般人がいるのだ。
怪物達が動きを止めた。小さく鳴き声を上げながら、互いに見合わせ始める。
「・・・ここから喋っちゃいけないゲームね」
悠太がひっそりと言う。
「・・・言われなくても」
義明は右手の手の平を大きく広げた。
その時、一体の怪物が咆哮を上げた。恐らくリーダー格の怪物だ。
高く鳴り響く咆哮を合図に、三人を囲む怪物達は動き出した。
数十体の怪物が三メートルほど跳躍し、跳びかかって来た。義明は、すかさず大きく右手を振る。
ピューという風の音が鳴り響き、怪物達は空中で制止した。
「新海!」
早速ゲームのルールを破った義明。しかし、罰ゲームをするほどの余裕はないので、そのままこの場は展開していく。
空中でもがく怪物に向かって、直人は電撃を放った。電撃は瞬時に怪物を襲い、怪物を死の淵へと叩き落す。
「ナイス!新海!」
義明がガッツポーズし、
「小田!周りを見ろ!」
直人がそれを叱った。
おっと、と義明は再び跳びかかって来る怪物を目視すると、今度は左手を振った。
左手から強い衝撃波が流れ出た。もちろん目には見えないが、その衝撃波は怪物の腹部を痛々しく切り裂いた。
怪物の悲鳴と共に、怪物の体液が宙を舞う。そしてその緑色の体液は、激しい戦闘を繰り広げる悠太の頭に―
ベチャッ。
まるでお約束かのごとく、頭に降りかかった。
当然、悠太の悲鳴が轟くが、構ってやる余裕もない。
―あとでスペティオに連れてってやる。
義明はそう思った。
粘着性の意味不明な液体をかけられ、悠太は不満の声を漏らしたが、責めようとは思わなかった―思えなかった。それだけ、悠太と怪物達の戦闘は激化していたのだ。
悠太は怪物の頭を掴むと、至近距離で水を放った。
怪物の頭が破裂する。悠太は怪物の返り血をものともせず、そのまま怪物の死体をなぎ払った。
「次!」
そう叫び、悠太は自分の体を取り巻くように水を放った。
水が円形に、空間に出現する。まるでフラフープのようだ。
悠太の一声で、その水は向かってくる怪物を襲った。怪物達は悲鳴によって抵抗するが、成す術なく命を落としていく。
悠太の全身は緑色に染まっていた。怪物の返り血だ。真っ黒な制服であるのにも関わらず、綺麗な緑色に染まっている。まるで迷彩服だ。
悠太はため息をつき、三百六十度辺りを見回した。
ここは戦場だ。日常生活では発揮されない生存本能が、存分に発揮される場だ。ここには善悪と呼ばれる道徳的思考は存在せず、生きるか死ぬかの厳格な二択しか存在しない。
すぐ近くで、義明と直人が戦っている。二人の表情には恐怖が宿っていた。―同時に、狂気も。
ここでゆっくりと休めるはずなどなかった。怪物達の襲撃はとどまる事を知らない。悠太は悪態を付きながら、再び戦いに臨んでいった。
最後の一体の怪物は、義明によって殺められた。空気の能力で、切り裂いたのだ。
地面に横たわる怪物の頭を、義明は掴み、掲げた。
「・・・まだ、弟の分は残ってるからな」
義明は憎憎しげに言うと、能力を使い、怪物の頭を胴体から切り離した。そして、その頭を空中へと放り投げる。
―一瞬だった。
怪物の頭が原型を留めなくなるほど、切り裂かれたのは。
「・・・小田、もういいだろ」
直人がくぐもった声を発す。
「・・・分かった」
義明はそう呟くと、体液で緑色に染まった右手を見た。
「・・・お前の弟は、偉大な人間だと思う。人を庇うなんて、俺は物語でしかないと思ってた。お前の弟はすごいよ。感謝してる」
―ありがとう。
直人はそう言うと、深く頭を下げた。
そんな直人を見て、義明は首を振った。
「俺に言わないでくれ。礼なら、弟に言ってくれ」
「・・・そうする」
新海の低い声が悠太の身に染みる。
「なぁ、お前らこの後、どうするんだ?」
義明は上手く話を方向転換した。
直人はメガネを中指で押し上げ、答える。
「・・・とりあえず生存者の確認と、今後の方針だな。能力のことを説明する必要もある」
「あぁ、それと、野中のこともな」
悠太が割り込んで入った。
「そうだな。野中のことも、色々と聞いておく必要がある・・・今の時間は?」
「四時」
直人は小さく頷いた。
「サッさと行動を開始しよう。日が暮れる」
そこに、義明が緑色の手をスッと挙げる。
「ゴメン。俺は、別行動にしてくれ」
何かを察したのか、直人は了承した。
しかし悠太は分からないので、何で?と疑問の声を上げる。
義明は、かすかにうつむいた。
「・・・弟を弔わせてくれ」
少し、声がかすれていた。
悠太は直人と共に教室へ向かう途中、酷い不安に心を襲われた。
まるで、今までの不安を貯めたダムが崩壊したかのように。悲しみも混じっている。
思わず悠太は、壁に手を付いた。まるで運動の後のように息が苦しくなり、自然と嗚咽がこみ上げる。
「・・・悠太、お前もか」
直人が悠太の肩に手を置く。直人の呼吸も、荒れていた。
「意味わかんねぇ・・・何でいきなり・・・」
「戦闘中、俺達は不気味なほど、テンションが高かった。そうは思わないか?」
悠太は小さく頷いた。
「・・・うん。なんか俺も、自分で自分が怖かった」
直人は悠太の肩から手を離すと、苦悶の表情で腕を組んだ。
「あの時の俺達は、何かがおかしかった。何かが、頭の中に流れ込んだとしか考えられない。麻薬やアドレナリンも考えたが、ここまでなはずがないしな。とにかく、俺達の体に何かが起こっていた」
「・・・だからかなぁ、上機嫌だった小田がいきなり、あそこまで落ち込むなんて」
「そうとしか考えられない」
直人はそう呟くと、頭を抑えた。
その時、悠太の頭に記憶が襲い掛かった。
あまりに膨大な記憶で、悠太は思わず、その場にへたり込んでしまった。
戦闘の記憶だ。
―自分は教室を出て、いくつもの屍を乗り越えて、校庭に出た。
―そして、あのグロデスクで不気味な怪物達を相手に、自分でも信じられないほどの戦いを展開して見せた。
怪物の腕を(も)ぎ、足を引き裂き、頭部を破裂させる―。なんと恐ろしい世界だろう。自分はそれを、―それを、楽しんでいた。まるでそれが、一種のゲームかのように。
悠太は思わず、吐いた。直人はそれを、咎めなかった。
悠太に起きた現象は、戦場から帰還した兵士特有の症状と一致していた。
第二次世界大戦後。最前線で奮戦した兵士達は母国に戻り、その後遺症に苦しんだという。人が人を殺めるのは、それほどのことなのだ。そのために、戦場の最前線の発砲率でさえも、一桁のパーセンテージだった。イラク戦争においてもそうである。戦地から帰還した兵士達も、その後遺症によって苦しめられたのだ。その影響で、ニューヨークにはホームレスが爆発的に増加した。
そこから言えば、濱田悠太や新海直人、小田義明はもう、『戦士』になってしまったのだ。
―もう二度と戻れない世界に、足を踏み入れてしまったのだ。
Ω
―『戦士』は三人だけではなかった。
二人はやっとのことで教室に戻った。
「・・・お疲れさん。うわ、すごいな」
そう言って、高亮は小さく笑う。無理も無いだろう。二人とも、全身を緑色に染めていたのだから。
悠太は教室を見渡した。床には悠太が殺めた三体の他に、五体の怪物が倒れていた。
「・・・これ全部、野中が」
「あぁ。そうだよ」
怪物の死体が増えていることから考えると、高亮も戦ったのだろう。しかし、高亮の体は全く緑色に染まっていなかった。怪物の体もそうである。床に倒れる怪物は、全くの無傷で床に倒れていたのだ。
直人は野中と目を見合わせた。
「野中、お前は何を知っているんだ?教えてくれ」
高亮はいやらしい笑みを浮かべると、
「すぐに教えてやる。でもその前に、やるべきことがあるんじゃないのか?」
両手を上げて見せた。
「・・・その通りだな」
直人は渋々頷くしかなかった。
生存者数、六十三人。内、三十五人が軽傷、五人が重傷、錯乱状態の者が三人。―一人が意識不明の重体。
「あの襲撃で、よくここまで生き残ったよ」
悠太のおかげで、三年A組の生徒は全員無傷だった。
直人は軽傷者の腕を包帯で巻いた。包帯は、保健室から拝借したものだ。
「先輩・・・怪物に引っ掻かれたんですけど、感染とかは・・・しませんよね?」
一年生の後輩が小さな声で聞いた。
「分からない。あの怪物事態が謎だからな」
そう言って、直人は立ち上がった。
ゾンビに襲われた者はゾンビになる―という設定はもはやありきたりな設定だ。この後輩は、それを心配しているのだろう。「問題ない」と直人は言いたかったが、なにぶん意味不明の生命体だ。何が起きるか分からない。
―もし感染したら、殺すしかない。
直人はその後輩を見下ろし、ため息をついた。
「・・・新海、これからどうするんだ?処置も一通り済んだだろう?」
高亮も処置を終えたらしく、直人と同じ動作をしていた。
「どうすんだよ。電話も繋がらねぇし、警察も一向にこない」
口を挟んだ悠太の声には、あきらめが混じっていた。
そうだな、と腕を組む直人。
「・・・とりあえず、小田を招集して、町を一通り見て回ってもらおう。空を飛べるのはアイツだけだし。俺達は、町に出て生存者の捜索と食料の調達だ」
さすが新海、と悠太は呟いた。直人は素晴らしいほどのリーダーシップを発揮する。
「新海、生存者の捜索は俺がしてやるよ。俺も割りと移動が自由だ。お前らは食料の調達と、この町の現状を見てこい」
高亮が挙手をしながら言った。
「分かった。そのお前の能力については、あとでゆっくりと聞かせてもらうからな」
もちろんだ、とOKサインを出す高亮。依然、野中高亮の能力については、謎のままだ。
悠太が外に出ると、義明が花壇の前に立っていた。
花壇には深く穴が掘ってあり、義明は―遺体を抱えている。
義明の名を呼びかけた悠太は、思わず口を閉じた。そして、沈黙をそのまま保つ。
義明は大きな遺体を穴の中に優しく置いた。遺体には―片腕がなかった。
義明は能力によって、その穴を少しずつ埋めていった。どこか名残惜しそうに。
その背中には、悲哀が滲み出ていた。この雰囲気に、さすがの悠太も声が出ない。
大きな穴が埋まるまで、悠太は何よりも長い時間を過ごすこととなった。人間が死と向き合う、混沌とした時間を。
次は・・・どうしようかな