私は常に学んでいる。墓石が私の卒業証書だ。
何かが自分を包み込む。―水だろうかいや、―空気だ。
義明は空気に包まれていた。まるで水の中に入れられたようにヒンヤリとしていて、それでいって柔らかい。
一瞬考えて、義明は今の自分の立場を思い出す。―自分は宿敵の宏太と戦い、敗れた。特大の岩を喰らって。ならここは、死後の世界なのだろうか。
嫌に気持ちのいい場所だな、と義明は苦笑する。現実の世界より、よほどいいじゃないか。
自分は空気になったのだ。元素に還ったのだ。完璧な元素なのだ。人間という外殻を捨て、真の自分へと還ったのだ。段々、記憶も薄れていくような気がする。
―その瞬間、目の前に光の塊が出現した。まるで水の中へダイブしたかのように、光の周りには気泡がたくさん付着している。それは気泡ではなく、空気の塊だということは一瞬後分かる。
「明・・・さん?」
薄れ行く記憶の中で、義明はその名を呼ぶ。
―違う。
「の・・・なか・・・?」
明であって、高亮である。その光は人間のような造形をしていた。どちらかというと中性的で、男でも女でもないような造形だ。なぜか義明は、その造形から高亮と明を彷彿させたのだ。
光が義明を包み込んだ。義明は抗うことなく、その光を受け入れる。心地よい感覚だ。
―しかしその瞬間、義明の頭に膨大な情報が流れ込んだ。
義明は叫んだ。あまりの情報の量に、脳が悲鳴を上げる。体中が痺れ出す。
「同期・・・せよ?」
この光はそう言った。―ならば。
自分は今、世界中の空気と同期したのだ。
その刹那、義明は光から投げ出された。成す術もなく、義明は奈落へと落ちていく。
―光が、遠ざかっていく。
「よしあきぃぃぃ!」
自分で自分の名を、読んでいた。
そのまま義明は、ゆっくりと意識を失っていった。
Ω
目を覚ますと、体中に激痛が走った。骨が所々折れていて、皮膚が所々が切れている。能力者であるにも関わらず、軽い脳震盪を起こしているようだ。
義明はゆっくりと起き上がった。周りを見渡してみると、自分を中心にして、放射するように攻撃の跡が残っている。すさまじい攻撃だったことが分かる。周辺のマンションは原型もとどめていない。道路のアスファルトは剥がされ、元の正常な大地を見せている。
家族団欒のところすみませんね―と、義明は心の中で詫びる。そろそろ自衛隊が来てもいい頃なのだが。
「・・・生きていたか」
宏太の残念な声が聞こえた。しかしその声には同時に、喜びの気持ちも含まれているように感じる。
「悪かったな・・・俺も・・・まだ・・・死ねないんだよ」
そう言って、義明は全力を出して立ち上がる。足の骨は幸いにも折れていないようだ。
最悪でも相討ち。
その目標が今や、最善策となっている。
「もう・・・最期にしよう。全部・・・これで」
「そうだな・・・」
義明は笑みを浮かべ、宏太を見た。宏太も笑みを浮かべる。二人の目は、静かに合った。
この笑みが何を意味するのか、それは二人にしか分からないだろう。友情か、諦めか、それとも憎しみか。
「最期だ・・・俺は全力を使う!」
「こっちもだ!」
義明は手の平を広げ、全神経を集中した。全ての空気を集め、渦を巻かせる。体中に激痛が走るが、今は構ってられない。血で目の前が真っ赤に染まり、赤色の死の世界になる。
―二人は雄たけびを上げた。
宏太の地柱、義明の空気の塊が、勢い良く衝突する。半径五百メートルのもの全てを巻き込んで破壊していく様はまるで、台風の襲撃のようだった。
やがて力は相殺された。二人はそれぞれの攻撃を辞め、互いに向かっていく。
叫び声が、綺麗に重なった。
義明の拳と、宏太の拳が衝突した。再び攻撃は相殺され、尚も二人は攻撃を続ける。
何回も成される能力を駆使した殴り合いは、まるで花火のように綺麗だった。―地理際の花の美しさ、とでもいうのだろうか。互いに死線を乗り越えた両戦士のメンタルは、格段にたくましくなっていた。
やがて、一本の尖った地柱が、義明の腹部を捉えた。貫通こそしなかったものの、痛々しく、深くめり込んだ。
義明は血を吐いて倒れた。恐らく、五臓六腑の一つが破裂したのだろう。口からはとめどなく真っ赤な液体が流れ出る。
「これで終わりだ・・・すまなかったな」
宏太が岩の塊を手の平の上に出現させた。目の前がボヤけるせいか、よく見えない。何よりも、痛みが酷かった。
「・・・じゃあな。また、どこかで会おう」
会えたらな、と義明は付け足す。宏太は悲しげな表情を見せた。これが、宏太が最期に見せた、人間らしい表情なのかもしれない。
宏太が手を振り下ろした。
巨大な岩の塊が、グングン近づいてくる。轟音を放ち、猛スピードで。
「じゃあな・・・宏太」
義明は目をつむり、安らかに言った。これが、最期の言葉だ。
―最期の鐘のように、その音は響いた。哀しげに。
宏太は倒れた。胸にはポッカリと穴が開き、そこからは大量の血を流している。心臓はもうそこに存在していなかった。
義明の放った空気の刃は、瞬時に宏太の胸を貫いた。
―宏太が攻撃をしようと振りかぶるその瞬間。それが、宏太の最大の隙だった。
宏太の放った岩が、義明のすぐ傍に落下する。まるで宏太が倒れるように。
義明はフラフラと、倒れている宏太に歩み寄った。
「良い・・・顔・・・してるじゃねぇか」
なんと清清しい顔だろうか。世に従い、世のために生き、世のために戦った男の―死相だ。
義明は宏太に最期の言葉を掛け、そのまま座り込んだ。立っていると、気絶してしまいそうだからだ。
―じゃあな、宏太。
義明は静かにピースサインを出した。
悠太と直人が甲府にたどり着いた時には、もう日の出が始まっていた。
―つまり、終末の当日である。
「小田・・・」
悠太は義明の満身創痍な体を見て、悲痛な声を漏らした。
「ゴメン・・・一緒に行けねぇわ」
傍に転がる宏太の死体。義明は、宏太に勝ったのだ。
しかしその体から、相当の死闘だったことが伺える。体中からはとめどなく血を流し、右手と左足はあらぬ方向に曲がっている。右目は潰れていた。
「小田・・・大丈夫か」
「見ての通り・・・駄目だよ。まさかここまで酷いとは、思わなんだ。気づいたら、体がこんなんになってるなんてな」
直人はすぐさま、アドレナリンのことを思い出した。恐らく、義明は戦闘中アドレナリンがとめどなく多大な量で発生したのだろう。アドレナリンには痛みを和らげたり、止血をする力がある。―常人の倍のアドレナリンが出たはずである。そうじゃないと、これほどの体で戦うことは不可能だ。
「ゴメン・・・濱田。お前とは一緒に行けない」
悠太はかぶりを振った。
「あぁ・・・ゆっくり休んでくれ」
そう声をかけた瞬間、義明はゆっくりと寝転がった。
「もう使いもんにならねぇな・・・多分、もう俺は死ぬ・・・目も開けられねぇよ」
「お・・・おだぁ・・・」
悠太の涙声が、義明に掛けられた。義明は、安らかな笑みを浮かべてそれを受け止める。
「早く先に行け・・・終末は・・・今日だろ?」
何かを言いかけた悠太を、直人は静かに立たせた。
「・・・行くぞ・・・小田、また会おう」
「ヘヘ・・・あっちでな」
濱田、行くぞ。そう直人は言い、悠太の肩を掴んだ。
悠太は義明に背中を向けた。
「必ず・・・世界を救えよ!」
頼もしい声を、背に浴びながら。
「どこに行ったんだ?野中は」
「さぁ、知らない。彼は放浪者だからねぇ。まぁ何処に行こうと、構わないよ」
全ての始まりの地。アンノと政貴は『アナザー』の発生を待ちわびていた。―同時に、『抵抗派』の襲来にも、備えていた。
「で?・・・小田が真っ先に来るって予想は、当たったのか?そろそろ能力を使ってくれよ」
「遠慮させてもらう。千里眼のような能力はあるけど、ギリギリまで何も知らない方が、楽しいってものだ」
アンノはもったいぶるように言った。
「あいつは・・・俺の大切な仲間だ」
「もちろんそれは周知の事実。でも、友達と身分ってのは違うからね。所詮彼は下っ端」
「・・・そうだな」
政貴は静かに町を見渡す。
『光が降り注いだ日』以降、この土地は政府によって外界から遮断された。名義上は『放射能汚染の確認』であるが、実際は『怪物の生態調査』である。この地は、自衛隊によって守られていた。
しかしそんな自衛隊は、先ほどすぐに政貴とアンノと翔馬によってすぐに壊滅させられた。強大な軍事力も、元素の前では無力であった。
町はすっかり変わり果てた。ほとんどが怪物によって蹂躙され、一ヶ月前の平和な田舎町の観光名所ではなくなっている。終末後の世界は、まさにこうなるのだろう。
「・・・政貴、君は自覚する必要がある。君は完全な覚醒を遂げて、四大元素の中で一番の力を手に入れたんだ。元々それが、火の役割なのだからね」
「―破壊と創造」
アンノは微笑を浮かべたままうなずく。
「自覚出来ているようだね」
「しなきゃ、生きていけん」
そうかぁ、とアンノは小さく笑う。本性を見せる前のあのあどけない顔は、何処へ消えたのか。
その時、まるで雪のように、光の塊が降り注いだ。小さな太陽のようだ。
「・・・それは・・・」
「元素だよ」
まさか、と政貴は顔を引きつらせる。
アンノは当然のようにうなずいた。
「・・・残念だったね―これは、宏太君の元素だ」
それは、『宏太が死んだ』ことを意味していた。
「・・・宏太」
「残念だったね・・・でも、仕方ないさ」
義明の元素は来ていないということは、義明は死んでいないということだ。―少なくとも、今は。
悲しむ政貴を横目に、アンノはその元素を飲み込んだ。空間の能力の恩恵である。
義明は悠太達の姿が見えなくなると、立ち上がった。
「ゴメン濱田・・・まだ俺には、やることがある」
満身創痍の体を引きずりながら、義明は呟く。飛べる力が残っているだろうか。
―死の淵へと宏太によって叩き込まれたとき、義明は世界中を繋がる空気と同期した。
―そして、信じられない事実を掴んだ。それは、恐らく『地面』の元素である宏太も、気付いていただろう。
義明は深呼吸をしてから、再び呟く。
「影め・・・」
野中高亮。
鍵はそれだった。




