崩落日和
主人公の能力がついに、覚醒します。
直人と義明はどうなるのでしょうか。
謎の光の筋の騒動も一段落し、授業は終わりに近づいた。濱田悠太の心臓は未だに激しい鼓動を見せていたが、クラスに何ら支障はなかった。それどころか、静かになって大いに結構。
そんな静かな教室に、電話の音が鳴り響いた。
「はい、三年A組です・・・はい・・・え?」
受話器を取った教師は困惑の声を上げた。受話器越しに思わず首を傾げる。
「は・・・はい・・・なぜですか?え・・・いや・・・その・・・はい・・・わか・・・あれ?」
教師は疑問の声を上げ、受話器を戻した。
そして、苦笑しながら言う。
「なんか切れたんだけど」
そこに、野中高亮が突っ込んだ。
「何の電話でしたか?寿司の出前ですか?」
「んなわけねぇだろう!どんな電話回線のコンジェスチョンだよ!」
定例である新海直人のオーバーツッコミである。無駄にいい声なので、クラス中に響き渡る。
「今お前噛んだの?コンジェスチョンって」
「ちげぇよ!混雑を英語で言うとそうなるの!」
へぇ~と一同。
「うぜ~」
と高亮。
「なんでだよ!」
と返す直人。
「今時ゴーグル翻訳に頼りやがって」
「お前だけは言われたかねぇよ・・・」
高亮はクルリと教師に姿勢を向けると、尋ねた。
「で、先生。本当になんの電話でしたか?」
無視かよ!という直人のツッコミは無視された。
教師は腕を組むと、ウ~ン、と唸った。
「なんだろうな、あれは。教頭先生、すごい慌ててやんの。それで、下に来るなって、叫んで、切れた」
教師のフレンドリーな口調はもう生徒に定着している。しかし、あまり調子に乗ると怖いので、生徒はフレンドリーには接しない。
悠太は密かに前の席に座る小田義明の背中を突付いた。
「なぁ小田。下で何やってんだろ?」
義明は「知らんと」と投げやりに答えた。しかし、悠太は尚も続ける。
「ビデオの撮影でもしてんだよ。絶対」
義明は経験と感覚で、何のビデオか分かったので、深くは詮索せずに無視した。
教師はどうしようもないので、電話を掛け返すこともなく、また平常授業へと戻った。
その時だった。
轟音とも言える悲鳴が、三年生の教室のある三階に響いた。これには、さすがにヘラヘラしていた連中も体を強張らせる。
悲鳴は徐々に大きくなっていく。近づいてきているのだ。
「え?なに?」
さすがの悠太も声が震えた。
次の瞬間、大勢の生徒が教室に流れ込んできた。全員、下級生である。教師も何人か含まれている。
教団に立つ教師は困惑の顔を見せた。
「へ?なんですか?」
そんな言葉も、悲鳴によってか掻き消された。その間にも、生徒は次々となだれ込んで来る。
やがて最後尾の生徒が入場し、教室のドアにカギが掛けられた。
「何ですか?」
教師が改めて聞く。
下級生達は震えていた。何人かは泣き叫び、失禁し、ヒステリーを起こしていた。
「怪物が!かいぶつがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
下級生の一人はヒステリックに叫ぶと、気を失った。
喧騒の中、悠太は一番近くで泣いている下級生に声を掛けた。
「どうしたの?怪物ってなんのこと?」
メガネを掛けた小さな男の子だった。男の子は涙で真っ赤に腫れた目を向け、震えた声で答えた。
「突然変な怪物が・・・教室に入ってきたんです・・・それで・・・何人も・・・・何人も・・・喰って・・・喰って・・・」
男の子はそう言いかけたが、途中で泣き叫んでヒステリーを起こしてしまった。
悲鳴とヒステリーと恐怖によって、まさに教室は地獄絵図と化した。何も知らない悠太は、ただ困惑するしかない。
「・・・おい、弟はどうした」
前方の義明がゆっくりと立ち上がり、近くの下級生に聞いた。
義明には中学一年の弟がいる。仲は悪いが、それは時期が成せるものであって、本当は互いに長所と短所を認め合ったりしている。
「H君は・・・トイレに行きました・・・お腹が痛いとかで・・・T君を引っ張ってって」
「くそっ、つくづくアイツらしい!」
義明は叫ぶと、直人を一瞥した。
T君とは、直人の弟である。声以外はそっくりの、可愛いあどけなさの残る子である。
「新海、お前も行くか?・・・実際、俺一人で行くの怖い」
直人は髪をクシャクシャと掻いた。本人は気づいてはいないが、本人の癖である。
「・・・俺も怖いが・・・」
じゃあ行くぞ!と、義明は意を決して直人の腕を引っ張った。
少なくとも義明と直人は、この騒ぎから何が起こっているのかを導き出していた。悠太はまだ分からない。この喧騒が一体何なのか。
カギを開け、義明と直人は教室を飛び出した。
「待て!」
教師の指示も聞かず、二人は走っていった。しかし、教師は追おうとしない。
教師も何が起こっているが、大体は気付いていたのだ。
「おい!何が起こってんだよ!」
悠太は我慢できずに立ち上がった。恐怖と困惑で声が震えている。
「怪物ってなんなんだよ!なんで一年とか二年がここに来てんだよ!」
すると高亮が立ち上がり、悠太を見た。
「・・・濱田。分かるだろ?怪物に襲われてんだよ」
「そんなチュウニモウソウみたいなの有り得るわけが・・・」
「俺もここまでとは予想してなかった!さっきの光の筋も、まさかとは思っていたが・・・」
「だからなんなんだよ!おまえ、何言ってんだよ!」
そう叫んだ瞬間、すぐ近くで別の悲鳴が上がった。
「・・・三年B組から・・・まさか・・・」
高亮が、教室のスライドドアに取り付けられたガラスの向こうを見た。悠太も、それに習って見る。
その時、真っ赤な液体がガラスに吹き掛けられた。
―血。
悠太は改めて状況を知った。これは襲撃だ。怪物の。
「なぁ、野中・・・」
何でお前、と言いかけた時、悠太は高亮が消えていることに気付いた。
「クソッ!野中・・・」
訳が分からない。なんでこんなことが。でも、なんだろうか。この胸の鼓動は。
悠太はそっと、胸に手を置いた。今にも心臓は破裂しそうだった。
義明と新海は無我夢中で走った。悲鳴が鳴り止まない中を、ただひたすら走った。
二階の廊下は、爪痕や血痕が所々に刻まれていた。壁に走る流線形の爪痕が、その場で起きたことの生なましさを感じさせる。
二人が向かう場所は、二階にある生徒用トイレである。
「頼むから、頼むから・・・」
直人はしきりに呟いていた。
義明もそう思っていたのだが、声に出せなかった。それほどの恐怖と不安で一杯だったのだ。そこから考えれば、直人は心が強かった。
男子トイレまで残り五メートルを切った時だった。
―それは肉片を口元から垂らし、全身を血の赤に染めて現れた。
二人はピタリと立ち止まり、恐怖の声を上げた。
「・・・クソッ」
「小田、逃げるな。逃げれば追いかけてくる」
「あれは獣じゃない。バケモノだぞ!」
「だからこそ、早まった判断をするな」
直人の声は限りなく低く、義明の声はいつも以上に高かった。
新海直人と小田義明は一歩後ずさり、怪物を凝視した。
Ω
教室のドアが破壊された。耳を劈く(つんざ)ような破壊音が鳴り響き、教室中の悲鳴は最高潮へ達した。
悠太は悟った。もう俺は死ぬ、と。
一体。たった一体の怪物が、教室に侵入した。シュー、シューと毒々しい音を立てながら、背後で先端の尖った尾を振り回している。
それはまるで、エイリアンのようだった。目がない顔と、二本の長い手と、カブトムシを引っくり返した時のような胴体が目につく。その体は光沢を見せており、粘着性の存在を促していた
怪物は獲物の大群に歓喜の声を上げた。耳を塞ぎたくなるような重低音だ。
「にげろぉ!」
教師がやっとの声を上げる。
全ての生徒が、本能のままに窓側へと駆け寄る。なかには立ち上がることすら不可能な者や、踏み倒される者もいるが、誰も気に留めない。この場の全員が人間味を捨て、生存本能を露わにしている。
怪物は嬉しそうに頭を振りながら、ジワジワと近づいてきた。
誰も声が出ない。教室は、一気に静寂に包まれた。ほぼ半数以上の者が気絶している。
怪物は頭をしばらく左右に振っていたが、やがて、悠太に顔を向けた。目は無いが、明らかに悠太を捉えていることが分かる。
悠太の周りから、人々が遠退いていく。悠太は一人、狭いスペースに孤立することとなった。
悠太は恐怖に顔を歪めた。怪物は尚も、悠太にジワジワと近づいてくる。
『水の継承者』の物語は、この小さな国の、小さな校舎で始まった。
悠太の中で、何かが起きていた。鼓動は遂に耳の中を占領し、外界の音をシャットアウトする。
悠太は手の平を堅く握り締める。なぜだろうか、それほどの恐怖が湧いてこない。いつもの自分ならば、気絶しても相違ないはずなのに。
そう思った刹那だった。
怪物が口を大きく開き、醜い声で叫びながら向かって来た。透明の毒々しい液体を辺りに撒き散らしながら。
―悠太の目が一瞬にして鋭くなる。それは、恐怖と闘志を同時に表していた。
「ウワァァァァァ!」
悠太の叫び声と、怪物の歓喜の叫びが重なり合うその時、
悠太は覚醒した。
右手に力を感じる。
―『水』だ。
悠太は瞬時に、右手の手の平で浮遊する球体が、水であることに気付いた。
「濱田ぁ!放てぇ!」
高亮がいつの間にか、隣にいる。しかし、そんなことに構っている余裕はない。
悠太は怪物に球体を向け、雄叫びを上げた。
悠太と怪物の間に、青色の閃光が走る。しかしそれは光ではなく、水だ。
悠太はひっそりと笑みを浮かべ、動きが止まった怪物を見た。
次回に続くよ!
題名の「崩落日和」は、「行楽日和」とかけて、皮肉っています。