旅立ちの日に
爆発音がして、悠太は目を覚ました。かけていた羽毛布団を払い捨て、そのまま立ち上がって状況を確認する。
「濱田、気をつけろ!」
隣で直人も立ち上がり、キョロキョロと辺りを見回していた。
謎の爆発音だった。何か遠くで爆発したような音―。
「新海・・・外だよ、多分」
悠太は窓の外に目を向けた。窓の外に映るビル街の中心から、炎が上がっている。
「もう知ってる」
「行くぞ!」
走り出した悠太の右腕を、直人はつかんだ。
「駄目だ!あれは、罠だ!お前をおびき寄せてるんだよ!」
「上等だ!あいつらの所には、次期に行くつもりだったからな!」
悠太は直人の手を振り払い、一目散に駆け出した。
「待てよ!・・・くそっ」
直人も追うように走り出した。
ビル街の中心の大手電気店からは、ドス黒い煙が出ていた。逃げ惑う人々は半狂乱の状態で、我先にと走っている。
「マーベリックだ!」
何処かで男性の悲鳴が聞こえた。この惨状から見ると、覚醒したマーベリックであることは確かだった。―そして、罠である可能性も否定できない。
「新海、行くぞ!」
「もちろんだ」
不気味に立ち込める黒煙の中に、二人は身を投じた。
視界が一瞬にして失われる。悠太はそれを能力を使ってどうにか防ぐが、煙の量が多すぎて間に合わない。
「辺りに意識を集中しろ。何処から襲ってくるか分からない」
新海の声が、背後でした。どうやら悠太と直人は背中合わせになって、三百六十度どの襲撃でも対応できるようになっているようだ。
これほどの黒煙の中だ。生存者は居ないかもしれない。第一、爆発の原因も分かっていない。
―その時、ノドを潰したような叫びが、悠太の耳を襲った。
「濱田!気を―」
直人の声が一瞬にしてかき消された。悠太は目を見開いて振り返り、直人を手探りで探した。
「新海!」
そう叫んでも返事は来ず、悠太はますます不安になった。
一瞬だ。直人は、連れ去られたのか?それとも自ら何処か行ったのか?それさえも分からない。
悠太が思わず舌打ちをした瞬間、黒煙の中から突然、拳が襲ってきた。大きな拳だ。
拳は悠太の顔面にヒットした。悠太は衝撃で仰け反り、うめき声を上げる。
「濱田ぁ!」
直人の声がどこからか聞こえた。その声には、苦痛が混じっている。
「新海!お前―」
悠太は必死に声を絞り出すが、直人の返事はない。
そして、煙の中から、その巨体は現れた。
体中は傷だらけだ。内出血が酷く、所々が紫色に変色している。それでも、義明が痛みを感じることはない。痛覚など当の昔に忘れたようだ。
朦朧とした意識。無音に包まれながら、精神を壊すこともできない。
そんな静寂を破ったのは、ドアが開く音だった。
「早く入れ」
陽は縄を引っ張り、その体を部屋に押し込んだ。
アンノンが陽の背後からヌッと現れたかと思うと、手際よくイスを義明の背後に置いた。そして陽がそのイスに、縄で縛られた男をくくりつける。男は衰弱していた。義明と同じように、虐待を受けたのだろう。
「おとなしくしてな。そのうち、助かるからよ」
義明は目を見開いた。
義明と背中合わせにイスにくくり付けられたその男は、義明が忘れもしない人物だった。
―中込宏太。
何故こんなところに。
そんな疑念しか浮かんでこなかった。
二メートルは超えるであろうその巨体は、肩幅も桁違いだった。
薄れつつある煙の中で、悠太はその巨体を凝視した。
「・・・くそ、お前か」
昨晩、悠太達の前に立ちはだかった『見放された愛国者達』のメンバーの一人だ。確か、リーダーの陽からは『ブロック』と呼ばれていた。
「俺を誘拐しようってか?」
悠太はブロックを軽蔑の眼差しで見つめた。そうでもしなければ、巨体から流れ出るオーラに屈しそうだからだ。
ブロックは首を振った。
「・・・別に、お前を連れて行く気は・・・ない・・・」
巨体から想像通りの口調だった。スローリーで、声はくぐもっている。
「伝えに・・・来たのだ」
ブロックのじれったい口調が、悠太に頭に響く。
「何をだ?」
「・・・空気の能力者の、居る場所だ」
義明の居場所だ。
悠太は目を見開いた。
「早く教えろ!出なきゃ―」
「浅草の港に、廃工場が・・・一つある」
廃工場。いかにも悪人が隠しそうな、ポピュラーな場所だ。廃工場じゃなければ、地価基地というのも有り得る。恐らく不況の波に襲われて閉鎖された廃工場だ。
その時、一筋の電撃が現れ、ブロックを直撃した。
直人だ。
「濱田!油断するな!敵が何をするか分からない!」
直人が悠太の隣に降り立った。その眼光は、いつもより数段鋭い。
悠太はブロックに向き直った。
ブロックは体を仰け反らせている。しかし、目立った外傷はない。
「・・・お前・・・許さない」
ブロックのくぐもった声が怒りに染まった。悠太と直人は急いで臨戦態勢に突入するが、もう遅い。
その巨体からは想像もつかないような早さで、大きな拳が二人を襲った。
二人は叫び声と共に弾き飛ばされた。ブロックに比べて軽々しい体が、宙を舞う。
悠太はパソコン売り場に突っ込んだ。日ごろできないような事が出来る清々しさがあるが、それを今思う時ではない。痛みがそれを超える。
「濱田ぁ!逃げ―」
直人の声が途中で遮られ、入れ替わるように殴打音が響く。怒りの原因である直人が、対象であるようだ。
「新海!」
悠太は叫び、ブロックに髪を掴まれる直人に向かっていった。
悠太はブロックの腕に向かって、水の閃光を放った。
閃光はブロックに直撃し、切り裂くような音を放つ。まるでウォーターカッターだ。
ブロックの悲鳴が響く。ブロックは痛みに耐えられずに直人の体を落とし、両腕を抱え込んだ。
「新海!逃げるぞ!」
立場が逆転した。今度は、悠太が直人をかばっている。
直人の顔は見事に腫れ上がっていた。目の下には痛々しい傷もある。
悠太は直人を抱え込み、最期にブロックに向かって最期の一発を放つと、そのままその場を後にした。
無音の部屋で、義明の声だけが響いた。
「宏太・・・まさかお前も、捕まるなんてな」
義明の背後で、宏太の背中が震えた。背中合わせに繋がれているため、嫌でもお互いの鼓動が聞こえる。
「あぁ・・・俺には意味がわかんねぇ」
「・・・俺も最初はそうだった。でも、今では薄っすらと分かる」
義明は自分の太ももを見ながら呟いた。ズボンが所々に破け、オマケに皮膚も破かれ、真っ赤なモノが見え隠れしている。
「何だ?」
「・・・人質だ。あの男・・・陽と言ったけか。陽は、四大元素をこの場に集結させようとしている」
中込宏太の属する『保守派』のリーダー、火の元素・新海政貴。
小田義明の属する『抵抗派』のリーダー、水の元素・浜田悠太。
この二人のリーダーは、共に正義感が強く、仲間思いだと踏んだのだろう。―都合の良いことに、二大の元素がこれで集結することになる。
「・・・でも・・・あとの二つは・・・」
「そこら辺は知らない。知りたくもないね」
残された、四大元素のうちの二つ。
『空間』
『時間』
その二つの元素は、この場に集結するのだろうか。
「・・・小田、俺らは捨て駒ってわけか。手段を適えるための、一つの捨て駒」
「そう。頂点を適えるために、俺らは土台にならなければならない。そのために、痛みにも耐えなければならない」
少しでも動かせば激痛が走る体だ。この痛みは、今後生涯で経験することはないだろう。―生きていたら、の話だが。
「損な役回り・・・俺」
宏太が自らを嘲笑する。そんな宏太に義明はフォローも出来ない。
「そうだな・・・でも、いつかいい夢見れるさ」
「夢・・・か」
「あぁ」
宏太の涙ぐむ声が聞こえた。やはり、宏太も辛いのだ。軍隊を持たない平和な国である日本に住む以上、こんな拷問を受けることはないかもしれないのに、義明と宏太はそれを受けている。
二人の溜まっていたものが噴出したのだろう。家族を失い、故郷を離れ、自らの肉体は死をも超える苦痛を受けている。
何よりも、悲しみだ。悠太や政貴は使命を胸に秘めることで悲しみを免れ、直人や川口は未来を見据えることで紛らわせたが、義明と宏太は直面するしかなかった。一人で大号泣した夜もあった。
静かにすすり泣く声が、二重にも重なって部屋に響いた。お互い、手を動かせないため、涙や鼻水はそのままの状態だ。
「・・・小田ぁ・・・」
「何だ?」
二人とも、もう声が聞きぐるしい。
宏太は、やがて口を小さく開いた。
「早くピーセウォーカー返せ」
Ω
政貴は地面に拳を叩き付けた。
「クソォ!・・・宏太」
「してやられた、って感じだな。まっさんと俺が戦っている間、宏太は誰よりも苦戦を強いられていた」
翔馬はため息を着いて空を見上げた。
「案ずることはないさ」
二人の背後から、聞きなれた声がした。二人が一斉に振り向くと、そこには―スキアーが立っていた。
「スキアー・・・どういうことだ・・・お前がやったのか?」
政貴の目が怒りの色に染まるが、スキアーはそれを笑いながら否定する。
「それはない。だが、分かることは分かる・・・奴らの目的は、宏太じゃない」
「俺か?」
スキアーは小さく頷いた。
「奴らの目的は、四大元素の集結だ。その裏づけに、小田も捕まった」
「小田も・・・か。今回ばかりは、『派』関係なく戦ったほうがよさそうだな」
政貴は拳を固めた。
「奴らは何処だ?」
スキアーは目を細め、遠くを見た。
「・・・浅草の港の、廃工場だ」
その言葉を聞くなり、政貴と翔馬は動き出していた。
直人の治療をしながら、明はため息を着いた。
「随分過激派になったのね、『見放された愛国者達』は。大手電気店を襲撃するなんて・・・」
「明さん、俺達、行こうと思います。やつらの目的がどうであれ、義明の救出は絶対です」
悠太が言うと、明は小さく笑みを浮かべた。
「・・・自ら敵の陣地へと向かうのね・・・あなたらしいわ。止めはしない。でも・・・戦いに確実なものって、無いのよ。どうなるか分からない。あなたが勝つかもしれないし、陽が勝つかもしれない。『極端な意外性』・・・それを忘れないで」
明の曇った瞳を、悠太は一瞥すると、そのまま視線を外に投げた。
「・・・新海、行けそうか」
直人は頬に張られたシップをさすりながら、グーのサインを出す。
「バッチリだ」
水と雷が今、戦いを決意した。
「襲撃は今日の深夜十一時・・・頼むぞ」
義明奪還をかけた戦いはやがて、世界を変える戦いに変貌していく。