虹
政貴の左肩を、氷のツララがかすめる。政貴は身を翻して炎を身にまとうと、襲い掛かる無数のツララを防いだ。
「何が目的だ!答えろ!」
「・・・お前が俺たちの仲間になることだ」
大量のツララと、巨大な炎が入り乱れた。その光景はまさにハリウッド映画のCGを超えるものであり、幻想的だった。
政貴は地面に降り立つと、前を見たまま叫んだ。
「川口!大丈夫か!」
翔馬は現在、大量のマーベリックと交戦中である。ランダムに聞こえてくる激しい戦闘音から、苦戦であることが分かる。
「大丈夫だ!ただ・・・」
政貴は振り返った。
「なんだ!」
―その瞬間、耳をつんざくような轟音が響いた。
高亮と明の紅茶は二杯目だ。しかし、悠太と直人の紅茶は、減ることを知らない。
「・・・あの男はいったいなんなんだ?」
まだ更なる真実を教えられたショックが和らがないまま、悠太は別の質問をした。それは苦難ともいえるものだった。
「あの男の名は、鬼塚陽。マーベリックの集い、『見放された愛国者達』のリーダー。私と同い年の、冷酷非道な男よ・・・」
「あいつが?・・・何の能力を・・・」
「闇。まさに私と対極の元素。全てを照らす私と違って、アイツは全てを不明確にする」
明はカップを覗き込んだ。
「・・・鬼塚陽の目的は、マーベリックを利用した世界の統治・・・まあ、平たく言えば世界を支配しようとしているのよ」
直人はため息をついた。
「かなりの大人が・・・なんて考えを。くだらなすぎる」
「ええ。くだらないわ。でも、陽はそのくだらなさを、自らの終着点と定めたの。マーベリックと自分の存在を利用すれば、世界を支配できる―そう思ったの」
突然一般人が多大な力を手に入れたら、どうなるのか?それは人それぞれのはずである。怯えて引きこもるか、世界の平和に利用するか―それとも、心の悪を開放するか。
イレギュラーな存在になり、イレギュラーな事態が起きれば、事態は様々なものに変化する―。
「でも、陽はマーベリックじゃない。彼は、意思を持っている」
「意思を持って・・・世界の統治を?」
「ええ。かなりの危険思想だわ。でも、それが容易に出来てしまうことは事実」
直人のメガネのレンズが、キラリと光る。
「・・・それで、陽―いや、『見放された愛国者達』は何をする気なんだ?」
「分かるはずよ。世界の統治を理想として掲げたのに、今、世界は終末へと向かっている―。だから、まずは終末を防がなければならない」
「・・・そのために、悠太の力が?」
悠太の持つ能力―元素『水』は、この世の創造を成し遂げた四大元素の一つである。
明は静かにうなずいた。
「ええ。恐らく陽の狙いは四大元素の集結―そして、終末の阻止よ」
悠太は静かに笑った。
「それは・・・無理だな。政貴がいる」
新海政貴は、世界の終末を受け入れ、世界に従うと決めた『保守派』である。その新海政貴が、陽の言う事を容易く受け入れる訳がない。―いや、受け入れないだろう。確実に。
「いえ。簡単よ。肝心なのは力・・・」
「四大元素の力を、『闇』が超えるのか?」
「ええ。あなた達は覚醒したばかり。まだ、完璧に力を解放していない。そうね・・・喩えるなら、機能が多すぎるパソコンね。力があるために、起動が遅い」
悠太は机を叩いた。
「じゃあ、どうしたらいいんだ!」
義明が捕らえられ、四大元素はねじ伏せられる可能性があり・・・悠太達の進退は八方ふさがりだった。
そんな状況下であるのも関わらず、明は笑っていた。クスミのないキレイな歯を煌かせながら、紅茶を飲み干し、残って底に溜まる葉を覗き込む。悠太と直人は、ただただ不信感を感じるしかなかった。
「面白いわね・・・人間って。言ってみれば、陽はあなたの仲間なのに・・・」
「仲間なんかじゃ―」
「言い方が悪かったわね。あなた達と陽は、同志よ」
直人がうなりを上げた。悠太も力なくため息をつく。
「同志・・・」
どうしよう、と言っている場合はない。
―世界を守る、終末を阻止するという志においては、悠太と陽は同じ『抵抗派』としてカテゴライズされる。違いといえば、危険思想の持ち主か、ただの純粋な心か―ということだけだ。
「面白いわね・・・あなたと同志のはずなのに、あなたは陽に敵意を抱いた・・・」
「俺は悪に染まるつもりはない!」
悠太は叫び、机を勢いよく叩いた。紅茶のカップが一瞬宙に浮き、液体を飛び散らす。
女性は、結果論を言っている。結果的に世界を救おうという気持ちが一緒なのに、何故あなたは敵意を表すの?―そういうことだ。
しかし、悠太は方法論を見ていた。どんなに目指すものが一緒だとしても、その目標の達成に使う手段は気にくわない。
二人の着眼点の違いだ。
「・・・悪に染まるつもりはない・・・か」
高亮が静かに笑い出した。ようやく口を開いたと思えば、これである。
「自覚しろ・・・濱田達がやろうとしているのは、立派な反逆だ。罪だ。暴虐だ・・・お前は、この世から見れば、立派な悪なんだよ。何処を見ているんだ?」
「それはこの世の視点だ!俺は・・・人間の視点から見ている」
「あくまでお前はそこに居続ける気か・・・神がお嘆きになるだろうな」
高亮はそう言い放つと、席を立ってそそくさと何処かへ行ってしまった。
明はそんな高亮の後ろ姿一瞥し、めんどくさそうに首を振った。
「もう今日は遅いわ・・・寝なさい。ベッド貸すから」
「小田の救出の方が先―」
わめく悠太の口を、明は押さえた。
「すぐに行動しても、小田君が助かるとでも思ってるの?ガムシャラに動くのは危険だわ・・・ちゃんと計画をしてから、動くのよ」
「何が計画的だよ!今にも―」
「早く寝なさい!」
光の球が、悠太に投げつけられた。
悠太はその日、失意の念に襲われながら、床に就いた。
Ω
水滴が垂れる音、扉がキシむ音、重苦しい足音、笑い声、衝撃音、発生音、―そして、自分の悲痛な叫び―。
義明は叫び声を共に目を覚ました。体中が激痛に襲われる。
義明は上半身裸体で、イスにくくり付けられていた。―縄ではなく、謎の黒い物体で。そして義明とイスは、白に覆われた無機質な閉鎖空間の中に置かれている。狭い小部屋だ。義明の勉強部屋の方が、まだ広い気がする。
「起きたか」
顔を上げると、あの男が立っていた。男は笑みを浮かべたまま、首を回してコキコキと音を鳴らす。
「起きたんじゃねぇよ、起こされたんだ・・・カスが」
男の手の平から、漆黒の球体が発生した。
「へらず口を叩く余裕が・・・よくお前にあるな」
「どうも。こう見えてしぶといんだ」
球体が義明の体に押しつけられた。その焼けるような痛みに、義明は悲鳴を上げる。
男の口が、義明の耳元に寄せられる。
「面白い・・・なら、いたぶりがいがあるというものだ」
義明は再び叫び声を上げた。
閉鎖された空間に、叫び声と笑い声だけが響く―。
「お前はただの生贄のようなものだ。目的が来るまで、お前はただ、使い捨てのように雑に扱われる・・・お前らのリーダーならやりそうなことだ」
「うるせえ!・・・よく言うぜ」
「悲しいものだな。お前は、簡単に差し出されるんだ。重要な者のために、簡単にその命は、弄ばれる」
「そんなじゃない!」
そうは叫ぶが、段々義明の心は見えない恐怖に襲われた。
これは相手の心理作戦だ―そう考えていても、やはり心は揺らぐ。
濱田・・・お前は、助けに来てくれるのか?
義明は心の中で、力なく呟いた。
「十分いたぶってやる・・・死なない程度にな。死を超える苦痛を、味あわせてやる」
そして男は、何度も義明を謎の球体で打ち付けた。激しく、何度も、義明が泣き叫ぼうが、男は絶え間なく打ち続けた。
やがて気が済んだのか、男は打ち付ける手を止めた。
「・・・これ以上やったら、死ぬかもな」
そう言い放ち、義明の顔面を蹴り飛ばす。
義明は声も出なかった。顔はあまり傷つけられていないものの、体中はアザだらけだ。もう、痛覚も残っていないかもしれない。
「アンノ、面倒みとけ」
男は振り返りながら言うと、閉鎖空間の扉が放たれた。
男とすれ違いざまに入ってきたのは、十二、三歳ほどの幼い子供だった。
「アンノ、飯を与えてやれ。そこらへんのカビの生えたようなパンで十分だ」
アンノと呼ばれる小さな男の子は、静かにうなずき、ポケットからパンを取り出した。小さく、食べかけのようなパンだ。恐らく、無味。
「おい、アンノ・・・それは・・・」
「・・・だって、可愛そうなんですもん・・・だから・・・」
「好きにしろ」
男は片手で空を払い、部屋から出て行った。
アンノは小さいパンを小さい手で握り締め、義明の口元に近づけた。
「これ・・・僕の食べかけですけど・・・良かったら、どうぞ・・・」
義明の視界はボヤけていたが、目の前にいるのは子供な事は分かった。
「・・・アンノ・・・くん?」
どうみても日本人だ。それなのに、アンノとは変わった名前だ。ハーフなのか。
「・・・お兄さん、大丈夫ですか?」
義明は力なく微笑んだ。
「これを見て、大丈夫だと・・・思う?」
「・・・ごめんなさい」
いいよ、君は謝んなくて。
義明の声に生気はこもってなかった。
それを見て心配に思ったのか、アンノはパンを小さくちぎり始めた。
「・・・口、開けてください」
空腹が最高潮に達し、疲労と絶望が頂点に達していた義明は、口を開かないはずがなかった。
「あいよ・・・」
義明が口を開くと、アンノは次々とパンを口の中に放り込んでいった。小さい手が小さくちぎったパンは、考えられないほど小さい。パンを無くなるまで食べるのには、時間がかかった。
「アンノくん・・・だっけ?なんでこんなところに、君みたいな子が?」
アンノは義明と目を合わせた。
「・・・あんまり言っちゃいけないかもしれないですけど・・・陽さんがいないので、言います」
アンノは声を潜めた。
「僕、捨て子だったんです。それを、陽さんが拾ってくれた・・・僕は、あの人に恩があるんです・・・アンノ、って名前は、陽さんが付けてくれました。アンノーンから来ているらしいです」
アンノーン―未知、という意味だ。略して、アンノ。
「そうか・・・じゃあ、この縄は、解いてくれなさそうだね」
義明が縄を見ながら言った。―正確には、縄ではない。何かのエネルギーの帯だ。
「そ、それは僕にも外せません。陽さんの能力で創られたものなので・・・」
能力で空間に発生させたものをここまで持続させるのは、至難の業である。それを簡単にやっている陽は、かなりの実力者だ。
「・・・君、可愛いな・・・」
「え?・・・何を言ってるんですか」
義明は笑みを浮かべてため息をついた。
もう、まぶたが重い。視界のボヤけも、最大だ。何も見えない。脳が、もうだめだ、と義明自身を諭している。
「俺の弟も・・・君と同じくらいの・・・歳だった・・・んだ・・・」
もう、息も絶え絶えである。
それを察したのか、アンノは慌てながら言い出す。
「えっと、飲み物取って来ます!待っててください!」
アンノは部屋を飛び出していった。義明はその後姿を見ながら、再び小さく微笑む。
―くそっ、背中が弟に見える。
義明はゆっくりと目を閉じた。
「くそぉぉぉぉぉ!」
川口は地面を拳で殴りつけた。その叫び声は、どこまでも響き渡る。
政貴もそんな川口の背中を見て、ため息を漏らした。
―ここまで暴れても、阻止は出来ない。政貴の破壊を、アイスの破壊は超えたのだ。
辺り一面火の海だ。政貴はその中で、雄たけびを上げた。
悲痛な叫びを。
地面に突き刺さる氷のツララが、政貴の炎によってプリズム現象を起こし、綺麗に煌く。
皮肉にも虹色の光が、地面に表されたのだった。