終末はまるで汽車のように
今にも崩れ落ちそうな悠太を見て、女性は微笑みを浮かべた。天使のような笑みだが、直人にとってそれは、悪魔の笑みにしか見えなかった。
「大丈夫。安心しなさい」
その言葉が悠太の耳に届いた瞬間、悠太の顔が歪んだ。
「安心なんて出来るかよ!小田は―」
「彼は死なない。いや、死ねないのよ」
女性は冷たく言った。その澄んだ瞳は、全てを見透かす光のように、悠太を捉える。
「・・・どういうことだよ」
悠太はうめき声と共に言った。声帯が今にも破壊されそうだ。
「あの男の狙いは、あなた。恐らくその小田君とやらを人質に捕るはずよ」
「・・・大体そんなことだろうと思ったよ」
直人が小さく呟いた。いくら能のないマーベリックとはいえ、目的が濱田なのだから、快楽を得る殺しより目的の達成を選ぶだろう。
「だから、安心しなさい。死にはしないのよ・・・その代わり、地獄のような苦痛を受けるけどね。あの男は極度のサディズム。他人の苦しみを何よりも喜ぶ」
人質なのだから、それは当たり前だった。恐らく義明は死を超える苦痛を与えられるだろう。
「死ぬことよりも辛い拷問・・・彼に耐えられるかしら。舌を噛み切って死ぬことだって出来る。追い詰められた人間にとって、それは容易なこと。あなたが小田君の仲間なら、どっちが良いと考えるの?死を最上級と考えるの?それとも、『死を超える拷問』を最上級と考えるの?」
それはまるで、医者が親族に対して言っているかのようだった。
―癌が末期になった時、あなたはどうしますか?このまま薬を投与して、延命させますか?それとも、薬の服用をやめて、残りの短い人生を過ごさせますか?
答えに親族は悩むだろう。医者も患者の治療を選択する権利がない。―どちらにしろ、患者は死ぬ。問題は、その最期の過ごし方だ。
死ぬまで病院のベッドの上、薬の副作用も死ぬまで受け続け、それでも残りの余命を少しでも伸ばすか。それとも、閉鎖されないアウトサイドの世界へ飛び出して、残りの短い余命を家族や友人と過ごすか。
―もちろん、悠太には選択できない。
「・・・こうなったのは、あなたのせいじゃない。あの男のせいよ。あの男は、最初からあなたが手に入るとは思ってない。これは、あなたを手に入れるための前段階よ」
「前段階・・・」
「彼は強い。私はそう思う。悠太の身代わりになる、って申し出た時のあの顔は、もう覚悟をしていた」
―そして、それを知っていた直人や高亮の表情も、覚悟をしていた。
「あなたは私から真実を聞かなければならない。そのために、小田君は身代わりになったのだから」
さあ、と女性は手招きをする。
「着いておいで」
女性の家は、ビルの三階に存在していた。一階と二階にはそれぞれ金融子会社が存在しており、正に裏社会の片隅のようだ。しかし、ここなら誰からも目立つことなく生活することができるだろう。何せ、女性はかなりの美人だった。
「私の名前は、高崎明。『光』の能力者、そして、あなた達に『教授する』役目がある」
白を基調とした簡素なリビングに招待され、来訪した能力者達は木製のイスに座らされた。
そして今、明は自己紹介をしながら紅茶を来訪者の前に差し出した。
「ウェルガモットの紅茶よ。熱いから気をつけて」
明の出した紅茶のカップを、悠太はしげしげと見つめた。
高崎明。三十二歳。紅茶好きの紅茶コレクターで、普段はゴーストライターで生計を立てている。かなりの美人であるが、本人は男性に興味がないらしく、『私の恋人は光』と豪語する。とにかく浮世離れしたような感覚を持っており、まるで妖精のようだ。
「・・・悪いが、俺は飲む気になれない」
直人は紅茶のカップを遠ざけた。そして、悠太に目で合図をする。
「・・・俺も。怪しすぎるよ、アンタ」
女性は目を瞬かせた。そのはずである。先ほどまで得体の知れない者達と死闘を繰り広げたのだ。目の前にいるこの高崎明と名乗る女性も、その一味であったとするならば、この紅茶でさえも信用できない。
「まぁ・・・そうなるわよね・・・いいわ。身元なら、この子が保証してくれる」
明は高亮に目線を移した。高亮は習性なのか、静かにうなずく。
「あぁ・・・俺が保障する。この人は俺達の敵ではない・・・味方でもないけど」
「その通り。私はこの世のことに興味はないの。どうせイレギュラーな存在だし・・・楽しむなら、来世を楽しみにしておくわ」
高亮は紅茶のカップを再び直人に寄せた。直人は思わず、顔をしかめて高亮を見る。
「飲めよ。何にも悪いものは入ってない」
悠太が直人より早くカップを掴んだ。素早くカップを掴み、口元に引き寄せる。
―味に問題はない。
「・・・で?教えてくださいよ」
悠太は腕を組みながら呟いた。
「何を?」
明が悪戯な笑みを浮かべる。
「あなたが知っている全てを」
悠太もつられて微笑んだ。
Ω
マグロの刺身に、生クリームを付けて食べることはない。食べ物には、合うものと合わないものがある。
―政貴達が刺身ならば、それはまさに、生クリームだった。
「何のようだ・・・こんなところで」
政貴は立ち上がり、目の前の謎の軍団に向かって大声で言った。
目の前には、三十人ほどの人間―いや、マーベリックだ。目の輝きが、明らかに理性を持っている人間のものではない。そして、明らかに別のオーラを放っている男が一人。恐らくそいつがリーダーだ。
「用?・・・まぁ、用はあるな。しかし・・・お前だけだ」
男の顔は驚くほど白かった。まるで色素がない。
「何だ・・・お前」
男は笑みを浮かべた。顔は白い割りに、歯は黄色くクスミがかかっている。
「俺の名は・・・ルナー。『氷』の能力者だ」
「じゃあ、聞く。ルナー、何のようだ?」
ルナーはただ笑みを浮かべるだけだった。まるで氷の微笑だ。
ルナーは空を見上げ、笑みを浮かべた。
「お前に用がある。まぁ、すぐにお前を手に入れることは・・・難しそうだがな。向こうも苦労してるはずだ」
「向こう?なんのことだ?」
「俺の仲間さ。まぁ、お前には関係ないことだ」
そう言って、ルナーは片手を挙げる。
するとその瞬間、背後のマーベリック達が一斉に動き出した。
「さぁ・・・反撃してみるんだな!」
政貴の瞳に、獰猛なるマーベリック達の姿が映った。
明がキャンドルに火を付けた。良い香りがするのは、アロマキャンドルだからだろう。
「・・・まず、私と高亮の関係について、教えるわね。私と高亮は、『元素の親子関係』なの。『光』から生まれるのが、『影』だもの。―天は私達親子に、ある使命を与えた」
直人は眉を寄せた。
「―野中は導き、あなたは『教え与える』?」
「そう、理由は分からない。でも、私達親子はそのために・・・生かされている」
悠太率いる『抵抗派』をここまで連れて来たのが、高亮だ。高亮は小淵沢脱出後、先頭に立って無知の三人を引率した。
高亮は紅茶をすすりながら、目を細めた。
「・・・懐かしい。確か、出会いは東京だったな。俺が電気店に入る時、アンタが炊飯器を買っていた」
「あら、珍しく懐かしい話をするのね」
「目が合った瞬間、アンタがイソイソと近寄ってきた。その当時は驚いた・・・美人だったし」
「お世辞?フフ、嬉しいわ。でも、あの時近寄ったのは、体になんか・・・電撃が走ったからよ」
「俺もそうだった」
明も紅茶をすすった。
「・・・その電撃で、私はいつの間にか動いていた。恐らく、私達はそういう運命だったのね」
「やめろ。まるで恋人同士だ」
「照れちゃだめよ」
「照れてねぇよ!」
まるで本物の親子の会話だ。悠太は思わず笑みを浮かべ、直人も引きつっていた表情を元に戻した。
「さて・・・話を元に戻しましょうか」
明は紅茶のカップを机に置いた。
「高亮に教えていなかった・・・真実の更なる真実・・・それを、あなたに教える」
真実の更なる真実。
野中から教えられた真実だけで、もう悠太は腹が一杯だった。もうこれ以上、自分のいる世界の視点を変えたくない―それが、悠太の本当の気持ちだった。
「・・・止めないから、手短に頼む」
悠太は紅茶を飲み干し、机に勢いよく置いた。今に割りそうな勢いだ。
明はため息をつくと、悠太の目を覗き込んだ。黒く輝く瞳が、まるで悠太の全てを見透かそうとするかのように、悠太の中に入り込んでいく。
まるでそれは、光だ。
「終末はもう始まっている。世界中で元素達が真の姿に戻され、次々と覚醒していっている。
マーベリックの存在は、世さえも予期していなかった事態。でも、そのマーベリックの存在も、終末への手助けを創めている。
宇宙年表から見れば、終末はもう一瞬後よ。次期に、世界は怪物の爆発的な出現で終わる。
―ええ。そうよ。爆発的な出現。宇宙が誕生する時に行われたあのビック・バンが、今度は地球の大地の上で行われる。もう一つの世界と、この世界が・・・一つになる。
―怪物の世界よ。終末のために用意されたもう一つの世界。天変地異を起こせないと知った世は、怪物の世界も創造したの・・・その世界に時間は存在しない・・・ただ、血と破壊の快楽に飢えた怪物がのさばる世界―ええ、そう。生命の爆発よ。怪物の世界と、この世界が結合すれば、起きるのは『無』という状態だけよ。
―今、確実にビック・バンの用意は進んでいる。あなたは見たでしょうねあの『降り注ぐ光』をあれが、ビック・バンの種のようなもの。
―私はそのビック・バンを、『アナザー』と呼んでいる。
―そう、アナザーはあの場所・・・小淵沢で行われる。
―見積もって二十日。あと二十日で、アナザーは行われる」
Ω
あと二十日。
その言葉を聞いた時、悠太は愕然とした。思わず脱力して首をもたげる。
「あと・・・あと二十日で・・・」
悠太は直人に視線を移した。
「世界が救えるか?」
直人はうめき声を上げた。
策が浮かばない。決められたストーリーは、変えられないのかもしれない。
―無に還る。
もし無に還ったら、どうなるのだろうか。
悠太は絶望に頭を下げながら、うるむ右目をこすった。