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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第16章 余白の終点

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第474話 灯の消え際

挿絵(By みてみん)


窪地(くぼち)を抜けると、灯籠(とうろう)が並んでいた。


 石の台座に据えられた古い灯籠(とうろう)が、等間隔(かんかく)で通路の両脇に立っている。数えると十二基。そのすべてに灯(ひ)が入っていた。灯(ひ)は揺れず、風もないのに炎の形を保っている。ただし、色が薄い。橙(だいだい)ではなく、白に近い黄色。燃え尽きる寸前の蝋燭(ろうそく)のような、消えかけの色だった。


 久遠(くおん)が足を止めた。


 義眼(ぎがん)の焦点が灯籠(とうろう)の一基に固定される。蒼光(そうこう)が灯(ひ)の表面を舐(な)め、炎の奥に隠れた文字列を照らし出した。


 「記録(きろく)が灯(ひ)に封じられている」


 久遠(くおん)の声は低く、急いでいた。いつもの冷えた声ではない。焦りが混じっている。


 「灯(ひ)が消えれば、記録(きろく)も消える。一基ずつ消えていっている。最初は十二基あったはずだが、手前の二基はすでに芯(しん)が焼き切れている」


 こよいは入口側の灯籠(とうろう)を振り返った。確かに、最も手前の二基は台座だけが残り、灯(ひ)は消えていた。台座の上には黒い煤(すす)の痕(あと)があり、つい先ほどまで灯っていたことを示していた。


 残る十基は、手前から順に灯(ひ)が細くなっていた。


 あさひが呟(つぶや)いた。


 「時間がない」


 久遠(くおん)は目録(もくろく)を開いた。頁(ページ)を繰る手が速い。義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)が頁(ページ)と灯籠(とうろう)の間を往復し、灯(ひ)に封じられた記録(きろく)と目録(もくろく)の記述を照合している。


 「何が書いてあるんだ」


 あさひが横から覗き込んだ。


 「名前だ。消された名前の原本記録(きろく)。石板(せきばん)に書かれていた手続き〈てつづき〉の結果がここに保存されている。どの名前が、いつ、どのような手順で消されたか。その全記録(きろく)が灯(ひ)の中に封印(ふういん)されている」


 こよいは息を呑(の)んだ。


 「読めるの」


 「読める。だが時間がかかる。一基につき三十秒は必要だ。十基で五分。だが消えるまでの猶予(ゆうよ)は——」


 久遠(くおん)が言いかけた瞬間、手前から三番目の灯(ひ)が揺らいだ。炎が一度大きく膨らみ、ぱちりと音(おと)を立てて縮んだ。芯(しん)が半分まで焼け落ちている。


 「もたない」


 久遠(くおん)が歯を食いしばった。目録(もくろく)を膝(ひざ)に挟(はさ)み、灯籠(とうろう)に駆け寄った。義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)を最大に絞り、三番目の灯(ひ)に向ける。炎の奥に、文字が浮かぶ。


 名前。数字。日付のような記号(きごう)。消された順番。消した者の識別子。


 久遠(くおん)の唇(くちびる)が高速で動いた。声には出さず、読み取った内容を唇(くちびる)の形だけで反芻(はんすう)している。右手が目録(もくろく)の余白(よはく)を走り、鉛筆(えんぴつ)の先が紙を引っ掻(か)く音(おと)だけが通路に響いた。


 三番目の灯(ひ)が消えた。


 「こよい、写本(しゃほん)を出せ」


 久遠(くおん)が短く言った。


 こよいは写本(しゃほん)を広げた。久遠(くおん)が読み上げる代わりに、目録(もくろく)の走り書きを指で示す。こよいはそれを写本(しゃほん)に書き写した。二人の連携は無駄がなかった。久遠(くおん)が読み、こよいが写す。あさひは二人の背後に立ち、通路の両端を見張った。


 四番目、五番目。読む。写す。灯(ひ)が痩(や)せ、久遠(くおん)の呼吸が荒くなる。義眼の蒼光も震え始めた。


 「久遠(くおん)くん」


 こよいが手を伸ばしかけた。


 「止めるな」


 久遠(くおん)が払いのけた。声に怒りはない。ただ、止まる余裕がないだけだ。


 六番目、七番目。灯(ひ)が消えるたび通路は暗くなり、蒼い義眼(ぎがん)だけが闇で燃えた。


 八番目の灯(ひ)が消えた。久遠(くおん)の鉛筆(えんぴつ)が折れた。芯(しん)が飛び、石の床を転がる。こよいが自分の鉛筆(えんぴつ)を差し出した。久遠(くおん)は受け取り、九番目に向かった。


 残り二基。


 九番目の灯(ひ)は、もう炎とは呼べない状態だった。芯(しん)の先端に、青白い光の粒が一つだけ留まっている。風が吹けば消える。風がなくても、時間が来れば消える。


 久遠(くおん)は灯籠(とうろう)の前に膝をつき、義眼(ぎがん)を灯(ひ)の高さに合わせた。蒼光(そうこう)が震えながら、最後の文字列を照らす。


 名前が浮かんだ。


 一つだけ。他の灯籠(とうろう)には複数の記録(きろく)が封じられていたが、この灯(ひ)には名前が一つしかない。古い名前だった。文字の形が今の書体とは違う。千年以上前のものかもしれない。


 久遠(くおん)が写本(しゃほん)に書き写そうとした瞬間、灯(ひ)が消えた。


 煤(すす)の匂いが広がった。久遠(くおん)の手が止まった。鉛筆(えんぴつ)の先が紙に触れたまま動かない。


 「間に合わなかったか」


 あさひが低く聞いた。


 久遠(くおん)は黙っていた。数秒の沈黙(ちんもく)の後、鉛筆(えんぴつ)を動かし始めた。


 「名前は読めた。書き写す前に消えただけだ。頭には入っている」


 こよいはほっと息を吐いた。


 残り一基。


 最後の灯籠(とうろう)は通路の最奥に立ち、台座には名の知れない花が彫られていた。


 最後の灯(ひ)は、まだ色を持っていた。


 薄い橙色(だいだいいろ)。他の灯(ひ)が白に近かったのに対し、この灯(ひ)だけは温かい色を保っている。芯(しん)もまだ半分以上残っていた。


 久遠(くおん)が灯(ひ)に義眼(ぎがん)を向けた。


 文字が浮かぶ。大量の文字だった。他の灯籠(とうろう)の何倍もの情報が、この一基に詰め込まれている。


 「これは名前じゃない」


 久遠(くおん)の声が変わった。硬い声ではなく、揺れている。


 「記録(きろく)の索引(さくいん)だ。消された全ての名前の一覧。何百、何千という名前が、この灯(ひ)の中に目録(もくろく)として保存されている」


 こよいの手が震えた。


 写本(しゃほん)の紙面では足りない。何百もの名前を書き写すには、時間も紙も足りない。


 「全部写し取るのは、とても間に合わない」


 久遠(くおん)が言った。苦い声だった。


 「だが、構造は読める。索引(さくいん)の仕組みを理解すれば、名前そのものを写さなくても、後から復元(ふくげん)できる可能性がある」


 久遠(くおん)は灯(ひ)に顔を近づけた。蒼光(そうこう)が最後の灯(ひ)を包み込む。炎が揺れた。蒼い光と橙(だいだい)の灯(ひ)が混ざり合い、久遠(くおん)の顔を不思議な色に染めた。


 こよいは黙って見守った。


 久遠(くおん)の唇(くちびる)が動いている。読んでいる。目録(もくろく)に書き込んでいる。鉛筆(えんぴつ)の先が紙を走る音(おと)だけが、暗くなった通路に残っている。


 最後の灯(ひ)が、わずかに揺れた。


 まだ消えない。


 こよいは巾着(きんちゃく)を握りしめ、神々の温もりを灯(ひ)に向けた。届くはずがない。だが、祈らずにはいられなかった。もう少しだけ保ってほしい。久遠(くおん)が読み終えるまで。


 灯(ひ)は揺れながらも、消えなかった。


 久遠(くおん)が鉛筆(えんぴつ)を置いた。


 「読めた」


 その一言に、疲労(ひろう)と安堵(あんど)と怒りが混ざっていた。久遠(くおん)は灯籠(とうろう)から顔を離し、目録(もくろく)を閉じた。義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)が弱まり、通路は最後の灯(ひ)だけに照らされた。


 あさひが久遠(くおん)の腕を掴(つか)み、立ち上がらせた。


 「行くぞ。読んだなら、ここにいる理由はない」


 三人は最後の灯(ひ)を背にして歩き出した。


 通路の先に、冷たい風の匂いがした。潮(しお)の気配。海(うみ)が近い。


 背後で、最後の灯(ひ)がひとつ、小さく瞬(またた)いた。

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