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色とりどりのワンピースが動く。馬車に交じって、鉄の塊が音と煙を撒きながら動く。また汽笛が聞こえてくる。道の両脇にある様々な看板が店の存在を知らせる。神様が与えた言語能力のおかげか全て読める。子供達の賑やかな声が聞こえる。その光景は中世ヨーロッパと呼ぶにはあまりに発達していた。だが文香はそれには気づかず瞳を輝かせキョロキョロしながら進む。道ゆくものが空間を開けてくれるおかげで歩きやすい。多くの店の中には本屋もあった。文香はガラス越しに古っぽい本達を眺める。ガラスの向こうからも半透明の少女が目をランランと光らせてこちらを見ているのに気がついた。ボサボサの黒髪で瞳は黒く幼い骸骨のような少女。誰がみてもアジア人とわかる容姿だった。
「明らかに栄養失調…加えてヨーロッパ風の世界なのにザ日本人って容姿。」
歩く道が空いていたのは気のせいでも偶然でもない。この容姿のせいだ。文香は輝きを失った目でもう一度街を見渡す。金金茶金茶…。どこをみても赤や青など異世界ファンタジー独特の髪色は見当たらない。思い直してみると異世界ファンタジーに汽笛なんて存在しない。車なんてもってのほか。看板の文字も英語に近かった。この世界はよくある異世界ファンタジーではない。現実のヨーロッパに近い世界だ。もう一度街をしっかりと見よう。浮かれすぎだった。勝手にファンタジー世界と決めつけていた。
歩くたび人が避け空間ができる。洋服屋の店主がこちらを嫌そうな顔で見ながら商品を奥に下げる。先ほどまで賑やかで楽しげだと思っていた子供の声と笑いは攻撃的でバカにしたものだった。文香はだんだんと俯き顔を隠すようにして歩く。それでも舌打ちや冷笑が聞こえ、冷たい視線が突き刺さる。
ドンッ!
ぶつかった拍子に後ろに転ぶ。見上げると軍人の格好をした人間が舌打ちと暴言を残し去っていった。文香はこのような行動をされることに慣れていない。いくら心が大学生といえども、いや大学生だからこそ怖くて痛いのだ。文香は膝を曲げ擦りむき血が滲んだ手のひらで頭を包む。道の真ん中でうずくまっているので邪魔だろうが容姿が幸いしてか誰も寄っては来なかった。それは同時に誰も助けてくれないことも意味していた。
「なんで…。」
泣きたくなるのを我慢し、無心になろうとした。
1人の男性が文香のそばに止まる。文香にはその足元しか見えていなかったがそれでも助けを求めていた彼女にとっては、縋りたくなるようだった。そう彼女はこの男性の顔を見ていなかったのだ。
「いっ!」
いきなりの痛みで声が漏れる。目を見開いた文香と男性の目が合う。
「店の前にいるんじゃねぇ!お前みたいなのがいると客が入ってこないだろ!どっか行け!」
その男性の顔は怒りに満ちていた。彼の行動と声の大きさに驚き、文香は目を逸らし男性の手から逃れようとする。
「わかった!わかったから離して…」
蚊の鳴くような声で許しを乞う。
「チッ!」
頭から手が離れる。文香は転びながらも急いでその場から離れた。
なんで?どうして?頭を抑えながらそればかりを考え歩く。
「なぁなぁ。的当て対決しようぜ!」
「動く的かぁ。負けないぞ!」
石が飛んでくる。
「あ!的が逃げるぞ!」
怖い。逃げないと。走って走る。石が頬を掠める。空間が開くので走りやすく逃げることができた。
周りの大人も子供も笑っていた。その楽しそうな笑いが文香の心を締め付ける。
痛い。手も頭も頬も、そして何より心が痛い…。
「そうか…私は人間じゃないんだ…」
ボソッとでた言葉が現実を知らせ、我慢していた涙が止まらなくなった。
無理だ。こんな世界で生きていけるわけがない。文香は目に入った路地裏に入り座り込む。大通りにしなかったのは先ほどの行動が怖かったからと、最初の路地裏では誰も攻撃してこなかったから。一歩入っただけなのに街の喧騒が遠い。冷たいレンガに体を預け溢れ出てくる涙拭う。手を擦りむいた時に出てきた血が頬につく。それも気にせず昼間にも関わらず暗い空を見上げていた。
どうしてこんな世界に来てしまったのか。これなら日本で死んだほうが幸せだったのではないか。ここからどうすればいいのか。色々なことが頭を駆け巡るが、文香は焦点の合っていない光を失った目で空を見ている。時たま、曇った空の中で光るものが動いていることにも気が付かず。
空が見える範囲が狭まる。代わりに骸骨のような男性の顔が見える。文香は反射的に逃げようとした。しかしその男性はカビだらけのパンを差し出してきた。
「え…?」
「お互い大変だよな。今日はいつもより多く手に入ったから一個やるよ。」
「あ、りがとうございます…」
「あぁ…。それ食べたら出てけよ。ここは俺らのナワバリだからな。」
「縄張り…?わかりました。」
男性は足を引きづりながら路地裏の奥の方に消えていった。手に残ったカビだらけのパンを見る。下手したら最初に食べたパンよりも酷い。しかし文香はそのパンを美味しそうに頬張る。胃に入っていくたびに心がほぐれる気がする。決して美味しくはないのだ。涙と血も相まって味もよく分からない。でも美味しい。もう少しだけ頑張ろう。どちらにせよここには居られないらしい。このまま終わってはいけない。文香はもう一度立ち上がり、喧騒にまた身を包む。
さっきぶつかったせいか、やたらと軍人が目に入る。見回りなのか知らないが銃を肩にかけて、街を見渡す。先ほどのように怒られるのが怖くて、目の前を通ることを避け後ろ側から通る。
「訓練だるいよな。ここは中立国なのにさ。どこも攻めてこないだろ。」
「お前…。流石にちゃんとやってるよな?」
「そりゃな。訓練だるいとか言ったら上官に殺されるだろ。」
「確かに笑」
怒鳴られるのが怖いからか人の動きに敏感になり、他人の話してる内容が耳に入る。
「最近パンが高いわよね。困っちゃうわ」
「元からよ。10年前くらいから?」
「まぁ確かにずっと高いわね。」
「ねぇ、見てあれ。こっち見てない?」
人々に気を遣いながら目を合わせないようにと歩いてるうちに高い壁の前についた。
「暇だなぁ…。」
「だなぁ…。あ、お前知ってるか?ベルツ帝国がチァコスロヴェニアに領土要求したんだってさ。」
「ミュルバン会談だっけ?」
「ミュルベン会談な?でも嫌だよなぁ。ここと近いもん」
「大丈夫じゃね?ここ中立だし。」
「だといいなぁ〜」
ベルツ帝国?チァコスロヴァニア?領土要求?ミュルベン会談?まるで第二次大戦みたいだ…。まさか、そんなはずはない。よね?
「…おい。何だ?お前。」
やばっ。見過ぎた。
「ほっとけ。どうせ孤児だろ。」
元いた路地裏へと向かいながら、今までの情報を整理する。まず私は今まで読んだ小説のどれかに転生している。異世界ファンタジーだとも思ったが、街並みから現実の近代に近い。そして人々の会話から聞こえてきた単語。認めたくない。認めたくないけど…。私は死ぬ直前にとある戦争小説を読んでいた。ここはきっと第二次大戦が始まる前の世界だ。




