第2話 不思議な力を持つ歌声
「神の歌姫」
彼の言葉が理解できないことに気づくのに、少し時間がかかった。異国の言葉なのだろうか。それとも幻聴?
私の手から溢れる青白い光は、彼の傷口を包み続けている。何が起きているのか理解できないまま、歌い続けた。幼い頃、祖父に教わった「風の渡り鳥」という古い演歌。故郷を離れた旅人の哀愁を歌ったものだ。
歌い終えると、光は消え、手の下にあった傷口も塞がっていた。
彼は驚いた表情で自分の胸に触れ、何か言葉を発した。もちろん意味はわからない。だが、その視線には感謝と困惑が入り混じっていた。
遠くからの足音は、着実に近づいてきている。彼は突然、私の手を掴み、引っ張り始めた。
「ちょっと、どこに——」
彼は首を横に振り、口に指を当てて静かにするよう促した。そして近くの岩陰へと私を引き寄せた。
岩の陰に身を潜め、私たちは息を殺した。彼の体温が、微かに私の肌に伝わる。この状況がどうして実感できないのだろう。事故で死んだはずなのに、見知らぬ世界で、竜から人へと変わる美しい男性と隠れている。現実感がなさすぎて、まるで夢を見ているようだった。
「もしかして、これは死後の世界なのかな」
私は小さく呟いた。
その瞬間、甲冑をまとった集団が現れた。彼らは私たちからわずか数メートルの場所を通り過ぎていった。人間のように見えるが、装備は中世ヨーロッパの騎士のようだ。
彼らが通り過ぎるのを確認すると、私の隣の男性は安堵の吐息を漏らした。それから私に向き直り、何かを言おうとして、また言葉が通じないことを思い出したように口を閉じた。
代わりに彼は、私の存在を初めて真剣に観察し始めた。現代日本の服装、化粧、全てが彼にとって奇妙なものに映るのだろう。彼の金色の瞳が、まるでパズルを解くように私を見つめていた。
しばらくして彼は決心したように立ち上がり、私の手を再び取った。今度はもっと丁寧に。そして、「カイルバーン」と胸に手を当てながら言った。
自分の名前だろうか。
「私は、鈴。佐伯鈴」
彼は微かに頷き、「リン」と繰り返した。
カイルバーンは周囲を警戒しながら、私を導いていく。どこに向かうのかわからないが、この異世界で唯一の頼りは彼しかいない。死にたかった私が、なぜこんな場所にいるのか。そして、なぜ彼の傷を癒やすことができたのか。疑問は膨らむばかり。
歩くうちに、荒野は次第に岩山へと変わっていった。カイルバーンは突然立ち止まり、周囲を見回してから、私の前に膝をつき、手のひらを広げた。
その手の中には小さな宝石のような石が載せられていた。彼は首に手をやり、何かを示すしぐさをした。
「これを...付けろってこと?」
試しに手を伸ばすと、彼は頷いた。石を取り、首に近づけた瞬間、それは光り始め、まるで生き物のように私の首に巻きついた。驚いて声を上げる暇もなく、一瞬で首飾りとなって落ち着いた。
突然、耳の中で何かが弾けるような感覚があった。
「これで言葉が理解できるはずだ」
彼の声が、はっきりと意味を持って聞こえた。
「え...わかる...言葉が、わかるの?」
カイルバーンは満足したように微笑んだ。その表情があまりにも美しくて、息を飲んだ。
「魔法の首飾りだ。翻訳の効果がある」
魔法。首飾り。翻訳。現実離れした言葉が続く。
「君は一体どこから来た? そしてどうして神の歌姫の力を持っている?」
彼の真剣な眼差しに、私は言葉に詰まった。
「日本...から。だけど、私は死んだはずなのに...」
カイルバーンの表情が硬くなる。
「死んだ?」
「事故で...車にひかれて...」私は混乱したまま言葉を絞り出した。
彼は真剣な表情で私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「リン、君は別の世界から来たのかもしれない。そして、この世界を救うために」
その瞬間、山の向こうから巨大な影が空を覆った。カイルバーンの表情が一変する。
「来るぞ!」
彼は私を抱き寄せ、岩の陰に押し込んだ。上空を何かが飛び過ぎた時の風圧で、髪が乱れる。
それは巨大な竜だった。しかもカイルバーンよりもはるかに大きく、漆黒の鱗に覆われている。
「あれは...」
「竜族の偵察隊だ」カイルバーンの声が暗く沈んだ。「彼らは私を裏切り者として探している」
その言葉に、私は凍りついた。
「裏切り者...?あなたは、一体...」
カイルバーンはゆっくりと私に向き直り、深い決意を湛えた瞳で言った。
「私は竜族の王子だ。そして今、人間と竜族の戦争を止めようとしている」
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