表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/17

エピローグ「生きる理由」

**6ヶ月後**


「歌う谷」は季節の移り変わりと共に、以前とは違う表情を見せていた。冬の霜が溶け、春の息吹が谷全体に満ちている。かつては神秘的な力が渦巻くだけだった谷に、今は子供たちの笑い声が響いていた。


人間の子供と竜族の子供が一緒に遊ぶ姿。数ヶ月前までは想像もできなかった光景だ。


私は小高い丘の上から、その様子を穏やかな気持ちで見守っていた。銀色の髪が風に揺れる。カイルバーンが私の傍らに立ち、その手が優しく私の肩に触れた。


「まだ信じられないよ」彼は静かに言った。「これほど早く変わるとは」


「人々は変われるのよ」私は微笑んだ。「特に子供たちは」


千年の呪いが解かれてから、世界は急速に変化していた。もちろん、全てが一夜にして変わったわけではない。長年の敵対関係は簡単には消えない。しかし、一歩ずつ、確実に前進していた。


アルデミア王国とドラゴニス王国の間で和平交渉が始まったのは、呪いが解かれてから一週間後のことだった。アルフォンス教皇は権力を失い、代わりにエマが人間側の代表として交渉の席に着いた。


竜族側からはドラン大王自ら出席し、カイルバーンとリューンも同席した。そして私も「神の歌姫」として両国の架け橋となった。


「今日の会議はどうだった?」私はカイルバーンに尋ねた。


「順調だ」彼は微笑んだ。「国境の共同管理区域が拡大することになった。人間と竜族の共同集落も増える予定だ」


「素晴らしいわ」


私たちは丘を下り、谷の中央にある祠へと歩いた。かつて儀式が行われた場所だ。今では両種族の子供たちに歴史を教える学びの場になっていた。


セレナが子供たちを前に、古い伝説を語っている。彼女は私に気づくと微笑み、子供たちに私たちの方を指し示した。


「ほら、本物の神の歌姫とドラゴニスの王子様だよ」


子供たちが歓声を上げ、私たちの周りに集まってきた。人間の子も竜族の子も、区別なく。


「歌って!歌って!」

「竜の姿を見せて!」


私とカイルバーンは笑いながら、彼らの願いに応えた。カイルバーンが一部だけ竜化して翼を見せると、子供たちは目を輝かせた。私が短い歌を歌うと、空気が淡く光り、子供たちの周りに小さな光の粒が舞い始めた。


彼らの喜ぶ姿を見ていると、胸が温かくなる。これが私の見つけた「生きる理由」だ。この世界の未来のために。


***


炎翼城も変わっていた。かつては威厳と孤高さを感じさせた城が、今では開放的な雰囲気に包まれている。人間の使節団が常駐し、文化や技術の交流が盛んに行われていた。


私の部屋——今ではカイルバーンとの共同の部屋——のバルコニーからは、城下町の様子が一望できる。人間と竜族が行き交い、市場では両国の物産が取引されている。


「準備はいい?」


振り返ると、カイルバーンが正装姿で立っていた。彼は以前よりも落ち着いた雰囲気を纏っていた。王子としての責任を全うしながらも、温かさを失わない姿は、多くの人々から敬愛されていた。


「ええ」私は頷いた。「少し緊張するけど」


今日は特別な日だった。両国の代表が集まる「統合祭」の初回が行われる日。そして、私とカイルバーンの婚約が正式に発表される日でもあった。


「美しい」カイルバーンが私の姿を見つめた。


私は儀式用の衣装を纏っていた。白と青を基調としたドレスに、銀の装飾が施されている。髪には小さな宝石が編み込まれ、首には青い水晶のペンダントがかかっていた。


「あなたもとても素敵よ」私は微笑んだ。


彼は短い距離を詰め、私にキスをした。優しく、愛情に満ちたキス。


「信じられないよ」彼は私の額に自分の額をつけた。「あの日、灰色荒野であなたに出会って、こんな未来が待っているなんて」


「私も」私は彼の手を握った。「死のうとしていた私が、今は生きていることがこんなに嬉しいなんて」


扉がノックされ、ヴェインが顔を覗かせた。彼は半年で一回り大きくなったように見えた。今では正式にカイルバーンの近衛兵に任命され、誇らしげに任務に就いていた。


「時間です」彼は言った。「皆さんがお待ちです」


私たちは頷き、部屋を出た。


大広間は人々で溢れかえっていた。竜族の貴族たち、人間の使節団、両国の市民代表など。私たちが入ると、歓声が沸き起こった。


壇上にはドラン大王が立っていた。彼の隣にはリューンと、人間側の代表としてエマが立っている。


私たちが壇上に上がると、ドラン大王が声を上げた。


「今日、私たちは新しい始まりを祝うために集まった」彼の声は力強かった。「千年続いた対立を終わらせ、共に歩む未来のために」


彼の言葉に、会場から拍手が起こった。


「そして今日は、もう一つの特別な出来事を祝う日でもある」大王は私とカイルバーンを見た。「我が息子カイルバーンと、神の歌姫リンの婚約を正式に発表する」


歓声と拍手が響き渡った。


リューンが前に出て、小さな箱を開いた。中には二つの指輪が収められていた。青い光を帯びた銀の指輪だ。


「かつて、サリオンとエレナリアが交わした約束の証」彼は説明した。「今、再び二人の間で」


カイルバーンが一つの指輪を取り、私の左手に滑らせた。私も同じように、もう一つの指輪を彼の指に。


指輪が光を放ち、二人の間に淡い光の糸が浮かび上がった。それは次第に消えていったが、二人の心がより強く結ばれたことを感じた。


「未来に向かって」カイルバーンが言った。


「共に」私は答えた。


***


祝宴の後、私は静かな時間を求めて、城の裏庭に足を運んだ。日が傾き始め、空が橙色に染まっていた。


ふと、日本での最後の夕暮れを思い出す。婚約破棄をされ、仕事も失い、雨の中を歩いていた時。死を願っていた時。


「リン」


エマが近づいてきた。彼女は人間側の代表として、今では重要な地位に就いていた。彼女の態度は以前ほど厳しくなく、柔らかさが増していた。


「素晴らしい祝宴だったわ」彼は言った。「姉が見ていたら、きっと喜んでいるでしょうね」


「ええ」私は静かに頷いた。「エレイナの記憶の中で、あなたはいつも大切な存在だった」


「今でも時々、不思議な気分になるわ」彼女は空を見上げた。「あなたの中に姉がいるなんて」


「私は佐伯鈴よ」私は優しく言った。「でも、エレイナもエレナリアも私の一部。三人が一つになった存在なの」


彼女は理解したように頷いた。


「アルフォンス教皇はどうなったの?」私は尋ねた。


「修道院に隠居している」エマは答えた。「力は失ったが、まだ懺悔の道は長いでしょう」


私たちは少しの間、沈黙の中で夕日を眺めていた。


「これからどうするの?」エマが尋ねた。「あなたの力は...」


「人々を結びつけるために使うわ」私は答えた。「二つの種族が真の和解に至るまで、そして、その先も」


彼女は微笑んだ。


「姉も、きっと同じ選択をしたでしょうね」


***


夜、カイルバーンと私は城の塔の上から星空を眺めていた。「歌姫の冠」の星座が、いつもより明るく輝いているように見えた。


「王妃になる準備はできてる?」彼は優しく尋ねた。


「まだ実感がわかないわ」私は正直に答えた。「日本の演歌歌手から、竜族の王妃になるなんて」


彼は笑った。


「でも、どちらも歌い手だ」彼は私の髪に触れた。「心を動かす歌を歌う」


「そうね」私は彼の胸に頭を預けた。「異世界で見つけた、私の生きる場所」


「後悔はない?」彼が静かに尋ねた。「日本に戻れないことを」


「ないわ」私は迷わず答えた。「日本での私は...空っぽだった。誰にも届かない歌を歌い、誰にも愛されず」


「ここでは違う」


「ええ、ここでは私の歌に意味がある。あなたがいる。大切な人たちがいる」


彼の腕が私を優しく包み込む。


「あのとき、死のうとした私を、この世界は生かそうとした」私は星空を見上げた。「きっと、ここに来るべき運命だったのね」


「運命か」彼は微笑んだ。「それとも、二人の魂が再び引き合っただけかもしれない」


「どちらにしても、今ここにいるのは間違いじゃないわ」


私は深呼吸をして、星空に向かって歌い始めた。新しい歌。希望と未来の歌。私の声が夜空に響き渡り、星々が応えるように瞬いた。


かつて「死にたがり」だった私は、今は「生きる喜び」を感じていた。カイルバーンとの愛、この世界での役割、そして明日への希望。


これが私の見つけた「生きる理由」。


カイルバーンが私の手を取り、私は彼をまっすぐ見つめた。


「愛しているわ」


「僕も」彼は微笑んだ。「永遠に」


星空の下、私たちは新しい時代の証人として、そして創造者として、静かに寄り添っていた。


死にたがりの歌姫は、こうして竜族の王子から溺愛されて、生きる理由を見つけたのだった。


—— 終 ——

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

どう思われたか↓の★~★★★★★の段階で評価していただけると、励みにも参考にもなるので、

ぜひよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ