第11話 心に宿る声
「時が来た...」
耳元で囁くその声は、私のものではなかった。しかし、どこか懐かしく、心の奥底から呼びかけているようだった。
「リン、大丈夫か?」カイルバーンが心配そうに私を見つめていた。
「え...ああ、うん」私は我に返った。「ちょっと、めまいがしただけ」
急いで緊急会議の間へと向かう途中、頭の中で声が続いた。
「彼らは私たちの力を恐れている...だから封印しようとするの...」
誰の声だろう。まるで私の中に別の誰かがいるかのようだ。
大広間に着くと、すでにリューン、セレナ、そして多くの竜族の長老たちが集まっていた。私たちが入ると、緊張した空気が一層強まった。
「48時間以内に神の歌姫を引き渡せというのが、人間どもの最後通告だ」リューンが声高に言った。「拒否すれば戦争と」
「脅しに屈するわけにはいかない」ある長老が言った。「歌姫の力は我らのものだ」
「私は物ではない」思わず口にしていた。
広間が静まり返り、全員の視線が私に集中した。カイルバーンが私の肩に手を置いた。
「その通りだ」彼は強く同意した。「リンは自ら選ぶ権利がある」
リューンが冷静に言った。
「だがアルフォンス教皇の言う『封印』とは何か、気にならないか?なぜ彼らは歌姫の力を恐れる?」
「彼らが恐れているのは、歌姫の力ではなく、その可能性だ」セレナが静かに言った。「両国を結び付ける力」
議論が続く中、再び頭の中で声が響いた。
「彼らは昔も同じことをした...私の力を恐れて...」
私は頭を抱えた。混乱する思考。記憶ではないのに、まるで自分が経験したかのような鮮明なイメージが浮かぶ。
「リン?」カイルバーンが心配そうな声で呼びかけた。
「私の中に...誰かがいる」私は震える声で言った。「何か...思い出しかけているの」
「二つの魂の同調が始まっている」セレナが急いで私の側に来た。「まだ早い、準備ができていないのに...」
広間が再び騒然となった。
「同調?」
「もう始まってしまったのか?」
「歌姫の転生が完了すれば...」
「黙れ!」カイルバーンが怒鳴った。「リンを混乱させるな」
彼は私を支え、席に座らせた。リューンが近づいてきた。
「もし同調が始まっているなら、時間がない」彼は低い声で言った。「人間どもとの交渉の前に、儀式を」
「儀式などさせん!」カイルバーンが怒りを露わにした。「彼女を危険にさらすつもりか」
私は二人の間で揺れる思いを抱えながら、声を上げた。
「交渉に行きます」
広間が再び静まり返った。
「アルフォンス教皇に会い、人間側の言い分も聞きます」私は決意を固めて言った。「それが戦争を避ける唯一の方法であれば」
「危険すぎる」カイルバーンが反対した。
「だが、それが彼女の意思なら」リューンが言った。「我々は尊重すべきだろう」
彼の言葉に、カイルバーンは反論できなかった。
「条件はある」私は続けた。「カイルバーンと共に行くこと。そして、儀式について...もう少し考える時間がほしい」
リューンは不満そうだったが、最終的に同意した。
「明日の夜明けに出発する」彼は宣言した。「中立地帯で人間どもと会おう」
***
部屋に戻った私は、鏡の前に立ち、自分の顔を見つめた。以前より顔つきが変わっているような気がする。目に宿る銀の筋はより鮮明になり、髪にも銀色の筋が混じり始めていた。
「私はまだ...私なの?」
「ああ、君は君だ」
振り返ると、カイルバーンが部屋に入ってきていた。
「怖い?」彼は静かに尋ねた。
「ええ」正直に答えた。「自分の中に誰かがいるみたい。でも、敵ではないような...むしろ、私を守ろうとしているような」
「セレナの言う『二つの魂』のことか」カイルバーンは窓際に歩み寄った。「伝説によれば、神の歌姫は過去の記憶を持って転生するという」
「転生...」
その言葉に、胸の奥が疼いた。
「でも、私はただの演歌歌手よ」私は弱々しく笑った。「神なんかじゃない」
カイルバーンが近づき、私の頬に触れた。
「あなたが何者であろうと、僕にとっては大切な人だ」彼の瞳には深い感情が宿っていた。「明日からは、一瞬たりともあなたから離れない」
「カイルバーン...」
「封印だとか、儀式だとか、どちらも認めない」彼は決意を固めたように言った。「あなたの意思を尊重する。でも、危険にさらすことだけは...」
彼の言葉は途切れ、代わりに彼は私を静かに抱きしめた。突然の行動に、息が止まるかと思った。彼の体温、香り、鼓動が直に伝わってくる。
「失いたくない」彼の声は低く、しかし切実だった。「もう誰も失いたくない...特にあなたを」
その言葉に、目から涙がこぼれた。死にたかった私が、今は生きることを、この人と共にいることを、こんなにも強く望んでいる。
「私も...あなたのそばにいたい」
彼の腕の中で、安らぎを感じた。どんな運命が待ち受けていようと、今はこの瞬間だけが真実のように思えた。
抱擁が解けたとき、カイルバーンの表情には決意が満ちていた。
「明日の交渉、何があっても守る」
「教皇は何を望んでいるのかしら」私は不安を口にした。「封印というのは...」
「わからない」彼は首を振った。「だが、危険を感じたらすぐに引き返す。それだけは約束してほしい」
頷いたが、心のどこかで、そう簡単ではないことがわかっていた。
***
翌朝、夜明け前に出発の準備をしていると、ノックの音がした。扉を開けると、ヴェインが立っていた。
「リン様、これを」彼は小さな刃を差し出した。
「これは...?」
「護身用です」彼は真剣な表情で言った。「カイルバーン様が見張っていても、万が一のために」
その心遣いに感謝しながらも、刃を持つことに違和感があった。私が人を傷つけることができるだろうか。
「ありがとう、ヴェイン。でも、私には歌があるわ」
彼は少し考えた後、頷いた。
「そうですね。リン様の歌は最強の武器かもしれません」
出発の時間になり、中庭に向かうと、カイルバーン、リューン、そして少数の護衛が待っていた。驚いたことに、セレナも同行するようだった。
「用心のため」彼女は静かに言った。「あなたの中の変化を見守るために」
私たちは竜の背に乗って飛び立った。私はカイルバーンの竜の姿に乗り、彼の鱗に手を添えると、安心感が広がった。
空から見下ろす景色は壮大だった。炎翼城から離れるにつれ、竜族の領土から次第に荒れた「灰色荒野」へと風景が変わっていく。そして遠くに、小さな緑の島のような場所が見えた。
「あれが中立地帯」カイルバーンの声が風に乗って届いた。「神域と呼ばれる場所だ」
降り立ったのは、奇妙に美しい場所だった。両国の境界でありながら、豊かな緑に覆われた小さな谷。中央には古代の神殿のような建物があり、そこで交渉が行われるらしい。
すでに人間側の一行が到着していた。エマ・グレイスを中心に、十数名の騎士たち。彼らは警戒の目で私たちを見つめていた。
エマが前に進み出た。
「予定通り来られましたね」彼女の視線が私に注がれた。「歌姫様、ご無事で何よりです」
「私は自分の意思でここに来ました」はっきりと答えた。
「わかっています」彼女はカイルバーンを警戒しながらも、私に近づいた。「だからこそ、あなたに真実を伝えなければなりません」
「真実?」
「あなたの力は...竜族にとっても、人間にとっても危険なものです」彼女は低い声で言った。「それは世界の均衡を崩す力...だからこそ封印が必要なのです」
カイルバーンが一歩前に出た。
「恐れているのは、変化だろう?現状を維持したいがために、歌姫の力を抑え込もうとしている」
エマは冷静に返した。
「変化が必ずしも良いとは限らない。特に...彼女の中で何かが目覚めつつあるなら」
その言葉に、私は震えた。彼女も知っているのか、私の中の変化を。
「教皇様は歌姫を悪者にしようとしているわけではありません」エマは続けた。「彼女を保護し、力を制御するために...」
「制御?」カイルバーンが声を荒げた。「彼女を道具として扱うつもりか」
緊張が高まる中、突然、頭の中で声が響いた。今度は前より強く、明確に。
「彼らを信じてはいけない...彼らは私たちを分断しようとしている...」
目の前がぼやけ、体がふらついた。カイルバーンがすぐに支えてくれた。
「リン!」
「大丈夫...」私は弱々しく言った。「声が...また...」
「もう始まっている」セレナが緊急に言った。「同調が加速している」
エマの表情が変わった。
「それなら尚更、急がなければ」彼女は後ろの騎士たちに合図した。「歌姫様、どうかお願いです。私たちと共に来てください」
「彼女を渡すつもりはない」カイルバーンが私を庇った。
私は混乱していた。どちらを信じればいいのか。頭の中の声は人間を警戒するよう言う。でも、エマの目には真摯さがある。
「教皇様は...どこ?」私は尋ねた。
「こちらです」
神殿の扉が開き、白い衣装を纏った高齢の男性が現れた。威厳のある姿だが、目には冷たい計算高さが浮かんでいた。
「神の歌姫よ」彼の声は低く響いた。「我々と共に来るがいい。汝の力を適切に導くために」
その声を聞いた瞬間、私の中から怒りが爆発した。自分のものとは思えない感情。憎しみと恐怖が混ざり合った強烈な感情。そして頭の中の声が叫んだ。
「彼は裏切り者!私を殺そうとした男!」
突然、私の体から青白い光が溢れ出し、制御不能な力が迸った。
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