表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

其の壱 路小佳

我が姓は路、名は路小佳。

この名は師匠が我を拾い上げた時に授けられしもの。

師匠の言によれば、この名を選びし理由は二つあり。

その一つは単純なこと。江湖にかつて絶世の武者がいたという。その者は荊無命に師事し、後者は飛剣客と並び天下第一の剣豪であった!名匠から出る名弟子、当然ながらその者もまた武功は高く、人を殺すに目もくれず、その身の上は波乱万丈であった…そしてその者の名もまた、路小佳と呼ばれていた。

その二つ目はやや複雑である。具体的に言えば、師匠は十九年前の元宵節に河北の水陸十三人の侠客たちと剣の勝負をし、大勝して帰路についた。その道中、路傍に生まれたばかりの捨て子を見つけた。その日、師匠は勝ち誇り、上機嫌だったため、慈悲心を起こして赤子を引き取り、門下に迎え、唯一の弟子とした。

その赤子こそが当時の我であった。その時の我には名もなく、物語に出てくるように生みの親が師匠に手がかりを残したわけでもなかった。師匠は喜んで本門の規に従い、自ら名を付けた。それが「路小佳」、「元宵の佳き節に、路傍で拾う」という意味である。

師匠のこの一門は、代々単伝にして、皆が引き取られた孤児である。いわゆる門規とは、次代を引き取る際、その場その状況に応じて弟子に名を付けるというもの。このように生涯付き添う名は通常その場の状況から取られるため、一般に記念すべき意味を持ち、弟子に師を敬い、師匠の恩を忘れぬよう常に思い出させる!

かくも孝と義に厚き門風は、理屈からすれば江湖中に広め、我らが一門の名を高らかに掲げるべきであろう!

しかし師匠は言った、これこそ我が派の最大の秘密、決して外に漏らすべからず!もし将来我が余計な口を開いてこれを他言すれば、たとえ天涯海角に逃げようとも、あの方自ら追って門戸を清め、大義によって親を滅ぼし、我を八つ裂きにせん、容赦はせぬと!

当時の我はまだ物心もつかず、なぜ師匠が祖師の位牌の前で我を門に入れ、この件を教え諭す時、あれほど歯ぎしりしていたのか全く理解していなかった。また、本来なら師を敬い孝を重んじるべき師匠が、なぜ祖師様の霊位をこれほど埃まみれにしておくのか?そしてこのような平凡な事柄がなぜ本門最大の秘密となるのか?

ある日、我が厠で用を足している時に、ようやくその理由が閃いた!

そう、師匠の姓は茅、江湖では茅大先生と呼ばれている!

……

茅、大…ああ、確かにその場その状況、場所も状況も揃っている…祖師様よ、なぜそんなことをなさったのか?師匠があなた様を拾った場所に位牌を祀らなかっただけでも、まだあなた様を敬っていると言えるでしょう!

(※漢語の「茅」は「厠」の意味を持ちます。)

……

師匠は酒好きで貧乏ゆえ、ツケや借金は日常茶飯事。長年ツケのある小さな酒場は、孤独な母娘が営んでいた。女将の名は誰も知らず、ただ女将の娘が翠花と呼ばれているため、彼女は「翠花の母」と呼ばれていた…

ある意味で、翠花は我の幼馴染であり、よく一緒に酔った師匠を支えて驢馬に乗せて家に帰った。普段、我が何か悪さをして師匠の折檻を恐れる時は、いつも彼女とおかみの酒場の裏にある小さな部屋に隠れていた…師匠が探しに来ても、おかみは微笑んで我に安心するよう手振りをし、翩翩と表の間へ向かい、その後の展開は基本的に我と翠花が師匠を驢馬に乗せる場面に戻るのだった。

かつての我は、このような日々がいつまでも繰り返され続けると思っていた。いつか翠花を娶り、女将の酒場を継ぐだろう。そうすれば師匠の前で立場が逆転し、この爺がまた我を叩こうものなら、酒を売らず、爺を焦らせてやる。方々十里の範囲で、どの酒場にも彼の借金があるのだから、二つ目のツケが利く店など絶対に見つからないだろう!そんな未来を想像すると、少し幸せな気分になれた。

しかし想像は幸せでも、現実は常に予想外のものだ…

ある日、我が翠花と密かに湖へ魚捕りに行こうとすると、彼女と母親が抱き合って泣いているところに出くわした。一目見て何かよくないことが起きたと察し、こっそり立ち去ろうとしたが、この娘は涙と鼻水まみれにも関わらず、目は実に鋭く、すぐに門外で覗き見る我を見つけてしまった。そのまま我の名を呼び、逃げられなくなった我は、仕方なく意を決して中に入った。

師匠はよく我に教えていた、「女など一人として良いものはない」と。その典型的な例が、箒や麺棒などの大量破壊兵器を持って師匠に酒代を要求する翠花の母親だった。この言葉を以前は気にも留めなかった。師匠の怒りを買う度に、翠花の母が我を守ってくれたからだ。しかしこの時、ついに我も罠に嵌り、師匠の言葉を身をもって証明することになった。

母娘は嗚咽しながら我に話した。水師提督の三公子が通りかかり、酒場で休んだ際、彼に盃を運ぶ翠花を見初め、すぐに州の役人に命じて翠花の家に縁談を持ってこさせた。彼女を何番目かの妾にしようというのだ。

当時の我はまだ血気盛んな若者で、この話を聞いて激怒した。二つ返事もせず家を飛び出し、道中で先日村を通った三公子が今どこにいるか探り当て、家に戻って師匠の驢馬を盗み、夜を徹して三百里を駆け、道中の肉屋から盗んだ豚刺しの包丁で、州の宿舎の外に控えていた水師提督の公子付きの十数人の従者を倒した!さらに塀を乗り越え宿舎に侵入し、言葉もなく一刀のもと、この民女を奪おうとした官家の息子を夜半に刺し殺した。

今考えれば、これが記録に残る我の初めての殺人だろう…

……

この事をやり遂げた後、初めて人を殺した我は奇妙な恐怖を感じ始めた。何も考えず全力で軽功を駆使し、宿舎から飛ぶように逃げ出した。また三百里を駆け、ようやく夜明け前に家に戻ったが、まだ心臓が落ち着かなかった!

しかし、人を殺す恐怖がどれほど大きくても、師匠への恐れにはかなわない。夜中に出かけて人を殺したこと、しかもそれが名高い金持ちの公子だったことを知られたら、この爺の性格からして本当に大義のために親を滅ぼし、門戸を清める可能性があった!そのため、自宅の正門からも入れず、気を集中させ、高く跳び、ゆっくりと降り、塀を乗り越えて帰り、そっと足音を忍ばせて師匠に知られず、神仏にも気づかれぬよう自分の寝床へ戻り、何事もなかったかのように装おうとした。

しかし、堂の戸を押すと、薄暗い灯りが中から漏れ、斜めに低く戸の隙間を通り抜けた。一目見ただけで我は不吉な予感を覚えた!

案の定、扉を開けると、師匠が堂の上座に正座し、厳粛な様子であった。

通常、師匠がこのような姿勢をとるのは二つの理由しかない。ひとつは我がどんな厄介ごとを起こしたか知ったとき、もうひとつは痔に悩まされて機嫌が悪い時だ。いずれにせよ、師匠の尻か我の尻、どちらかが災難に遭うことになる。

入ってすぐ、我はまだ平静を装って師匠に挨拶しようとした。「師匠、おはようございます。どうしてこんなに早く起きているのですか」などと社交辞令を言い、その場の状況に応じて誤魔化そうとした…しかし、この爺は完全に我を無視し、嘘をつく機会すら与えず、我が入るなり、何も言わずに手元にあるものを取り、いきなり殴りかかってきた。

師匠の手にしたものが我に向かって振り下ろされるのを見て、我は「しまった」と思った。長年殴られた経験から、反射的に両手で頭と顔、そして股間を守った。この二つの部位が傷ついては、将来の子孫繁栄に関わることだからだ!

……

しかし、師匠は我の誇りを理解できるはずもなかった。この爺は殴りながら罵った。「この小僧め!言え!なぜわしがお前を叩いているか分かっているか?言え!昨夜お前は何をした?」

我は運の尽きを悟り、正直に答えた。「弟子は昨夜、水師提督の三公子を殺しました。」

当時の我は、この言葉が堂々として、気概があり、若き英雄の悲壮さがあると自負していた。

しかし師匠の次の言葉で、この風蕭々として水寒しの悲壮な雰囲気は粉々になった!

「まだわしを誤魔化すか!まだ知らぬ顔か!亀の子一匹殺しただけのことでわしを騙そうとするとは!聞くぞ!わしの驢馬はどこだ!お前はどこへ連れて行った!」

我は呆然とし、一瞬何が起きているのか分からなくなった。

……

その後、我が再び埃まみれになりながら夜通し州の宿舎の外に戻ると、門は同じ門、柱は同じ柱だったが、柱に繋いでおいた白い驢馬はどこに消えたのだろうか?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ