1話。自己犠牲の羊
俺はいつだって自己犠牲の羊だ。
誰かが求めれば自分の毛皮を差し出し、必要とすれば肉をも差し出す。
そんな自己犠牲を繰り返していたら、無実の罪で、今、処刑されるところだ。
全く。最高の人生だったよ。
走馬灯は、誰かのために自分を犠牲にしてきた思い出ばかりだ。
借金の肩代わりから、罪を被ることまで。
ああ。これで良かったんだよな。
暗い闇の中に意識がある。
目を開けているはずなのに何も見えず。
手や足には全く力が入らない。
生きているのか?
闇の中から一筋の光が現れる。
柔らかい光が闇を明るく照らし形を変える。
光は女性の形となり、神々しく現れた。
「私は、運命の女神。あなたの名前はいい名前ですね。エリオス。太陽を意味し、人々を照らす温かい存在だったでしょう。」
そんなことは無い。日陰者だ。自己犠牲でしか、自分の価値を見いだせない。
反論しようとも口が動かない、声も出ない。
「あなたは、これから新しい身体を手に入れます。新しい身体では、新たな生き方ができます。」
新たな生き方だって?
そうか、もう命は終わったんだ。
これで終わりにしてくれ。
このまま静かに終わりたいんだ。
「あなたの新しい身体は、魔物を倒すたびに、魔物の持つ魔力を吸収し、強くなります。無限に。人智を超えた強さを手に入れることができるのです。」
魔物を倒す?そんなこと出来るのか?
人との喧嘩にも勝ったことないぞ。
「ただし、約束してください。人智を超えた強さは、人の命を簡単に奪うことさえできます。決して、人の命を奪ってはなりません。」
今更、復讐心なんてない。
人助けをしたかっただけ。
喜んで欲しかっただけ。
自分が悪かっただけ。
「あ!そうそう!新しい身体は、羊になるからよろしくね!エリオス!ガンバレ!」
え?!どういうこと?!
先程の厳かで優しい雰囲気と打って変わって、フランクな言い方をする運命の女神。
「これもまた運命(笑)」
ニヤリと笑い、運命の女神は光となり、闇の中へ溶けて消えた。
手足が動く気がする。
目を開けた時の視界がいつもと違う。
地面が近い。
目の前に草が生え、草原が広がっている。
草原の中に見慣れた村がある。
(さっきまで、首都バルディアで処刑されていたはず、ここは・・・)
そして、エリオスは異変に気付く。
「なんだこれは・・・?」
自分の身体をみて驚愕する。
白いモコモコとした毛に覆われた前足と身体。
いつの間に白い毛に覆われ、四つん這いになっている。
目の前にあるのは、自分の生まれ故郷のミドリ村。
懐かしい景色。
「俺、死んだはずだよな?」
混乱しながらも羊の身体で動こうとする。
手足を動かそうとすると、力強く地面を蹴れる。
目の前の草が異様に美味しそうに見えるから食べてみた。
「草、うめえ。」
はは。俺は本当に羊になったんだ。
魔物を倒すと魔力を吸収して無限に強くなれるって?
そりゃ、傑作だ。
羊の身体でどうやって、魔物を倒すんだ。
羊は弱い。生贄にされる生き物だぞ。
強くなる前に食べられて終わりだ。
魔物どころか、犬にすら勝てないはずだ。
いっそのこと、毛皮となり、肉となり、人々の役に立てればそれでいいかもしれないな。
感謝もされず、当たり前のように使われるかもしれないけどな。
草を食べ終わると、横になり目を閉じる。
柔らかな草原に囲まれ、温かな日差しを全身に浴びる。
外はこんなに希望で満ち溢れているのにな。
過去の我慢と辛い記憶が胸の中で渦巻く。
それを浄化するような心地の良い風に当たり、意識が薄らいでいく。
静かな昼下がりの空気を切り裂くような声がした。
「おい!あんなところに羊がいるぞ!」
「あれ、逃げた奴か?」
声が近付いてくる。
エリオスは目を開き、立ち上がる。
村人達の声と足音がどんどん近付いてくるのを背中で感じる。
(まずい…自由じゃなくなる。)
自分の運命が、また、決め付けられてしまうと感じたエリオスは、足に力を込め、走った。
蹄が地を削り、土をはね上げる。
(逃げろ、逃げろ…!)
無我夢中で草原を走り抜け、目の前に広がる鬱蒼とした森の中へ駆け込んだ。
「ここなら、流石に追いかけて来ないだろう。」
切れる息を整えるよう、ゆっくりと歩きながら、森を進む。
ほっと一息つこうとした瞬間、木々の中から何かの動きが視界に入った。
耳を澄ませると聞こえてくる足音と呼吸音。
「グ…ギ…」
エリオスは大きく目を見開いた。
緑色の肌、長く尖った耳と鼻。鋭く吊り上がる黄色い目、皺の深い顔。飛び出す牙。手には、木の棒に叩いて割った石を括り付けた斧を持っている。
「ゴブリンだ…」
身体が震える、恐怖で硬直して動けない。
人間の時から恐ろしかったのもそうだが、今は背丈が小さくなったため、自分よりもゴブリンの方が大きいのだ。
ゴブリンがこちらに気付き、向かってくる。
「喰われる…逃げろ、逃げろ!!!」
動かない身体に言い聞かせ、ゴブリンに背中を向ける。
ゴブリンが、斧を振り下ろそうとした時、硬直した身体に力が入り動くようになる。
思い切り踏み込み、突き上げた後ろ足が、勢いよくゴブリンの顎に当たる。
硬い蹄がゴブリンの顎を砕き、ゴブリンは仰け反りながら、宙を浮き、地面に叩きつけられる。
手に持っていた石斧は、地面に落ち、ピクピクと痙攣しながら、ゴブリンが倒れている。
「これが、野生の力…?」
ゴブリンが絶命するのを見届けると、エリオスはその場をすぐに離れた。
後ろ足で蹴り倒すことが出来たのは、まさに、運命の皮肉だった。
行くあてもなく、森を歩いていると
「お前、ただの羊じゃないな。」
バサバサと音を立て、黒いカラスが近くの木の枝に止まった。
カラスの声は低く、鋭いものだった。
「ゴブリンを倒しているところを見ていたぞ。お前はまだ気づいていないようだが、微弱に存在するゴブリンの魔力を吸収し、成長しているようだ。」
カラスは不意に羽ばたきながら、近付いてきた。
細長い爪が枝にしっかりと引っかかり、軽やかにその身を安定させる。
「安心しな。今のお前を食べたりしない。」
カラスは皮肉めいた笑みを浮かべながら、エリオスに向かってくる。
「俺は、カーヴァ。面白そうだから、お前について回りたい。」
その言葉の背後に冷たさを感じるが、カーヴァの目は何か興味深いものを見つけたように輝いている。
「俺の名前は、エリオス。元人間だが、羊になっていた。しゃべるカラスなんて初めて見たぞ。」
「カッカッカッ。それもそうかもな。人間の大半は俺の言葉が分からないからな。」
カーヴァが笑う。
「それはそうと、お前、もっと強くなってみないか?不思議な力を持っていると見た。俺と一緒なら、もっと強くなってお前の持つ野望も叶えられるかもしれないぞ。」
カーヴァは首を傾げながら、エリオスの目を見る。
「俺に、野望は無い。散々な人生だった。終わりにしたかったんだ。自由にやらせてもらうよ。」
「おー、そうか。それは残念だったな。とはいえ、俺はお前についてまわるけどな。知識ならいくらでもあるぜ。出し惜しみはしない。」
「別にいらないな。」
エリオスは、歩き出す。
カーヴァは、周りを飛びながら話す。
「それはそうと、ゴブリンの群れが結託して、今夜、ミドリ村を襲うみたいだぞ。」
「ミドリ村の連中は、今夜はお祭りで、羊の肉でも焼いて踊っているかもなあ。カッカッカッ。」
カーヴァは分かっているかのように、笑いながら話す。
「なんだと?」
エリオスは怒り半分で答えた。
腐っても自分の故郷。
自分の生まれ育った地に魔の手が侵攻することは、許せない事だ。
「知らせないと!」
エリオスは走り出した。
羊の脚力で森を抜け、草原に出た。
「おいおい、人間の言葉も喋れないのに、何ができるってんだ。」
傾き始めた日を背にエリオスは草原を駆け抜けた。




