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【3】

お嬢様があの男と出会ってしまったことは、幸運だったのか、不運だったのか。

わたくしなどがお嬢様の人生について物申すことなどできませんししたくもないですが、それでもなお、あの夜、お互いに恋に落ちてしまった人間の少女と吸血鬼の青年の運命を、ほんの少しだけ恨みたくなるときもあるのでございます。


あの夜以来、人目を忍んで、お嬢様はフィレンツ様と逢瀬を重ねるようになられました。

ついでにわたくしはお嬢様の護衛として、そしてあなた様はフィレンツ様の護衛兼監視としてたびたび陰ながら同席することになりましたが……思えばあなた様とのご縁も奇妙なものにございますね。

わたくし、あなた様に対し、つくづく無礼な態度しか取ってこなかったと思うのですが、よくぞ無礼討ちになさらなかったものだと、本当に感心しておりますの。

もちろん大人しく殺されてさしあげる気なんてさらさらございませんでしたが、わたくしの、フィレンツ様への警戒と敵意を知っていながらわたくしを見逃し続けたあなた様は……ああ、はい、気まぐれだとまたおっしゃるのですね。


もう構いませんとも。それでよいのでしょう。


フィレンツ様と親交を深めるようになってから、お嬢様は笑顔が増えました。

王太子殿下に奪われた笑顔が、フィレンツ様によって何倍にもなってもたらされていくのを、わたくしは複雑な気持ちで見ておりました。

あなた様も知っての通り、エイブラハム国は人間と吸血鬼は共存しておりますが、表立って接触することはなく、ましてや婚姻を結ぶなんてまずありえないお話だったのですから。


所詮、生きる世界が違う二種族でございます。

昼と夜、刹那と永遠、只人と人知を超えた魔物。

どうしてその手を重ね合うことができたというのでしょう?


お嬢様はフィレンツ様のお話をなさるとき、それは嬉しそうな、楽しそうなお顔をなさって、わたくしはそれが嬉しくて、けれど同時に心配でたまらなくて……そして、案の定、時が経つにつれて、お嬢様の表情には再びかげりが差すようになりました。


フィレンツ様にお会いしているときはあんなにも幸せそうなのに、いざ彼と離れると途端に孤独を身にまとわれるお嬢様の不安定なお姿は、あまりにも儚く、だからこそ美しすぎて、いつかお嬢様がそのまま消え失せてしまうのではないかと、わたくしはどれだけ気を揉んだことか。


お嬢様、ああ、お嬢様。世津がお側におりますよ。

どうかどうか、お嬢様、お気を確かに。

どうかお嬢様、そのお心のままに。


そう願い続けて、いよいよ、学園の卒業記念の夜会が開かれることになりました。

本来お嬢様をエスコートすべき王太子殿下は、閨事ばかりがお上手らしい男爵令嬢ごときにすっかり骨抜きにされ、お嬢様を放置して。


そして、そして、ああああああ、あろうことか……!


…………失礼いたしましたわ、ええ、大丈夫でございますとも、嫌ですわ、わたくしとてもう七十、青二才の若気の至りなどもう気にしてはございません。

生涯赦す気はございませんが。


ええ、そうですとも。

王太子殿下があの卒業記念の夜会において、公衆の面前でお嬢様に婚約破棄を宣言したことなど、これもまた、もはや過ぎたことであるとは理解しているのです。

感情ではまったく納得しておりませんが。


だってそうでしょう、何一つ非がないお嬢様に対してあらぬ罪状をでっち上げ、まるで見世物のようにお嬢様のことをつるし上げにしようとしたあの王太子殿下に対し、もはや言葉もございませぬ。

五十年も経つというのに、わたくしも随分執念深いこと。


お嬢様が冷静に粛々と婚約破棄を受け入れたことが、王太子殿下はなおさら気に入らなかったのでございましょう。

あろうことか修道院に入れ、だなんて、よくもまああの口でそんなふざけたことがほざけたものです。いっそ感心に値しますわ。


そして――――そして、夜会の会場である大広間の中心にただ立ち尽くされるしかなかったお嬢様を、いつぞやの夜と同じように抱き上げたのが、あの腹立たしいフィレンツ様であったことも、ええ、もちろんよく覚えておりますとも。

ついでに王太子殿下に対して暗器を放とうとしたわたくしを魔力で羽交い絞めにしたのがあなた様であったことも、よくよく覚えておりますわ。


卒業記念の夜会には、吸血種も招かれるとは聞いておりましたが、まさかあそこであんな風にお嬢様をそのままさらうだなんて、フィレンツ様ったら、あの優男の顔をして、随分と強引なお方でいらっしゃいましたねぇ……そのついでにわたくしのことも夜の国に連れ去ってくださったあなた様にも感謝しておりますよ。


わたくしの生きる場所は、お嬢様がいらっしゃる場所ですもの。


もしもあのままお嬢様と引き離されていたら、わたくし、単騎で夜の国に出陣していたところでございました。

あら、冗談に聞こえない? 当然でございますとも、本気と書いてマジと読むやつでございますから。


エイブラハム国とはまた別の次元に存在するのだという夜の国にさらわれたお嬢様。

それについてきたこのわたくし。


只人に過ぎないわたくし達が夜の国の皆様に受け入れられないことくらい、フィレンツ様もあなた様もご理解なさっていたでしょうに。

フィレンツ様はあれですかしら、恋は盲目、というものでございましょうか?

解りますわ、お嬢様にはそれだけの魅力がございますもの。そしてあなた様は、気まぐれで冷酷なふりをしていながら、とても親友思いでいらっしゃった。


だからこそ、フィレンツ様がお嬢様を吸血鬼に転化させて自らの花嫁に望まれることも、そしてその後押しをあなた様がなさるであろうことも、わたくしはとうに予想がついておりましたの。


ええ、さようにございます。

それこそが、わたくしが恐れた、お嬢様の恋の結果です。


吸血種の中でも希少種とされる始祖の血族には、伴侶となる人間に自らの血を流し入れることで自らと同じ尊き吸血種に転化させることができるとは、わたくしも存じ上げておりました。

そしてその転化には、人の身には耐えがたき苦痛を招き、ある者はその苦痛に耐えきれず命を落とし、ある者は命永らえても精神を病む、そんな絶望が伴う確率が極めて高いのだと。


わたくしのいとしいお嬢様に、どうしてそんな真似が許せましょうか。

許せません、許せるはずがございません。


こう素直に認めるのは実に癪に障りますが、これでもわたくし、フィレンツ様には感謝だってしておりましたの。

お嬢様を最初から救ってくださったこと。

ずっと寄り添ってくださったこと。

夜会でお嬢様をさらうついでに、王太子殿下と男爵令嬢の悪事を暴いてくださったこと。

ああそうですわね、あの一件で王太子殿下は廃嫡となり、男爵令嬢もご実家の爵位を返上する羽目になったばかりか、侯爵令嬢を貶めた罪で地方の鉱山へ慰労奴隷に落とされたとか……ああ、余計なことまで思い出してしまいましたわ。

年を取るとはこういうことなのかもしれませんね。

わたくしが執念深いから? さようでございますね、きっと、そうなのでしょう。


わたくしのすべてはお嬢様のためにあり、お嬢様の幸せが私の夢であり希望であり幸せにございます。


お嬢様、お嬢様。わたくしのいとしいお嬢様。


わたくしが年甲斐もなく泣きじゃくりながら「どうか思いとどまってくださいませ」と縋っても、お嬢様のご意志は強うございました。

もうお嬢様は、フィレンツ様と悠久を生きる決意を固め、そしてそのために払わなくてはならない対価を差し出すことを覚悟なさっていらっしゃった。


お嬢様のご意志が変わらないならばと、今度はフィレンツ様にわたくしが土下座したことは、覚えておいでですか? 忘れられるはずがない? お前があいつ相手にそんな真似をするとは思わなかった?

ふふ、ええ、ええ、さようでございますとも。何が悲しくてわたくしからお嬢様を奪った憎き男に頭を下げるどころか土下座までしなくてはならないのでしょうか。

頼まれたってごめんでございます。

ええ、でも、でも、それでも。それでも、わたくしの土下座ごときで、お嬢様を救えるのならば、安いものでしょう?


それなのに、ああ、それなのに、ああ、ああ、フィレンツ様、本当に憎たらしい男!

あの男ときたら、よりにもよって、「すまない」とわたくしに頭を下げられたのですよ?

常々わたくしのことをお嬢様にたかるうっとうしい羽虫程度にしか思っていなかったくせに!


興奮するな? 無理な話でございます。元王太子殿下以上に腹立たしい男!

そんなフィレンツ様によりそって、お嬢様までわたくしに頭を下げてくださって……そんな、そんな真似をお嬢様にされたら、もう、もう、認めるより他はないではございませんか。諦めるより他はないではございませんか。

ああ、悔しいったら。


お嬢様はおっしゃいました。

「長年仕えてくれたあなたの、初めてのお願いを聞いてあげられなくてごめんなさい」と。

「あたくしのわがままを、どうかゆるして」と。


思い返すだになお悔しさがこの胸を満たしますわ。

お嬢様にそんな台詞を言わせてしまうなんて、お嬢様に忠誠を誓った侍女失格にございます。

だから、わたくしは、諦めました。

諦めて、認めることにいたしました。


たとえお嬢様がどのような転化を遂げられても、わたくしの主人はお嬢様ただおひとり。唯一無二の、わたくしのお嬢様にございます。

そう頭を下げ、改めて忠誠を誓ったわたくしを抱き締めてくださったお嬢様の身体が震えていらしたことを、あなた様はもちろん、フィレンツ様だってご存知ないでしょう。

たった十八歳の少女が、命を懸けようとしている、その意味を、価値を、あなた様方は知りもしないで、わたくしとお嬢様が覚悟した未来を勝手に喜んで。

ああ、謝罪など不要にございます。過ぎたこと、にございますから。

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