98 巡る悪意
「え…?!マリーが…?!」
白いティー・カップが、パリンとなすすべもなく床に落ち悲鳴を上げる。それを拾おうとするサリアの手を制して、リヴィエルトは大きな破片を一枚拾い上げる。
例の事件から丸一日が経過した。
「大丈夫ですか?」
「は、…はい。驚いてしまって…その、なんだか王宮全体がバタバタしているように思っていましたから」
「無理もないでしょう。…突然の出来事です」
「で、でも、あの子は自殺するような子では…!」
「……メドソン令嬢。これを機に一度公爵邸へお帰りになられては?」
「?!…い、いいえ。私までここを去るわけにはまりません。私は陛下の婚約者候補の一人として、責務を全うしますわ」
「………そこまでおっしゃるのなら」
言いながら、少し震えるサリアの手にグローブ越しに手を重ねる。
「でも、十二分に注意を払ってください。念のため、こちらの宮の守備を強化しようと思います…私の直属も部下も配置しておきますので…あなたは私の最期の候補者ですから」
「は、はい…」
真っ直ぐな視線を受け、まるで夢見る少女のようにほほ笑み、サリアは頷いた。
「必ず問題は解決します。それではごきげんよう。サリア・メドソン令嬢」
先を行くリヴィエルトの後ろを補佐のリキルが後を追う。
一礼して退室したのち、リキルはちらりと主の姿を見ようとした。が、その行為はかなわず、キリルはなぜか顔面にてグローブを投げつけられてしまったのだ。
「…ぶっ!?へ、陛下…私は善良な従者にございます。決闘はご勘弁を」
リヴィエルトは自身が嵌めていたグローブを無造作に外し、キリルに投げつけたのだ。
「バカを言うな。…それは始末しておいていい」
「は、はあ…え これを?!」
「汚れた」
「……ああ、なるほど」
よく見ると、それは先ほどサリアの手をしっかりと握った方のグローブである。その意味を察し、大きなため息をつく。
(うわぁ…露骨だな―…)
「さて、彼女は演技上手ではあるが、思った以上に隠し事が苦手なようだ」
「隠し事…ですか」
「ああ。悲しむふりに夢中でとんでもない発言をしているのに気づいてもいない」
「!陛下は、一度も…自殺した、などとは発言していませんものね」
「それに、いつの間にかどうやら愛称で呼ぶほど仲が良くなっていたらしい…メドソンとゴルトマンは水に油の関係だと有名なのに」
「しかし…陛下ともあろう方が女性を誘惑するのはどうかと…」
「何か言ったか?」
「いいえ。何も!」
(問題は…どういう手を使ったか、ということだが…)
マリーミア・ゴルトマンが死の直前どういう行動をしていたのか。
メイドの話では、酒を飲んだのち、腕を振り回し何度も「虫がいる」と叫んでいたという。だが、メイドの目にはその虫とやらの姿は見えなかったらしい。
「陛下。コンスタブルの者達が、例の件の調査にある程度の進捗が見えたようで、謁見を申し出ております」
「わかった。まだ調査中だろう?私も彼女の部屋に向かうとしようか」
「ですが、問題が…」
「ん?」
**
「だーから!勝手にべたべた触らないでくれますかね?!」
「仕方がないだろう!触らないと調べようがな…」
ゴルトマンの部屋に入ると…思った以上に大人数で、リヴィエルトは少し驚いた。
(白い制服…なるほど、彼らが)
「陛下の勅命によりコンスタブル所属、ヘルソン・ブラスタ―、調査に参りました…が」
「お初にお目にかかります。白騎士団アルヴィオレ所属、ジークフリド・オルセイ、キュアン・ノーヴェル、王妃様から今回の件についての調査を勅命として賜りました!」
「ってことなんですが、どういうことなんでしょうか…」
ヘルソンがややうんざりした表情で言うと、リヴィエルトは一歩前に進みでヘルソンに握手を求めた。
「ヘルソンと言ったな。例のブロック・ヘッドの事件で大いに活躍をしたようだ」
「!あ、有難きお言葉…いえ、その自分の力だけではございませんし…」
「今回の件、君たちの力には大いに期待している」
あからさまに自分たちを無視した様子に、ジークフリドの隣にいたキュアンが前に出る。
「リヴィエルト陛下…」
くるりと振り返ったリヴィエルトを見て、キュアンは思わず足がすくんでしまう。
(な、なんだ?威圧感が…)
「…ああ、見慣れない制服だったから気が付かなかった。君たちはまだ発足前の隊と聞いているが」
「……お、王妃殿下の勅命による特別措置です」
「私は認可していないが」
「そ、それは…」
「しかし…そうだな。対ファントム部隊なんだろう、君たちは。ならば、妃殿下はこの件をそれがらみの一件だと、確信しているということか?」
思いがけない言葉にジークフリドとキュアンは顔を見合わせる。
「お言葉ですが…我が国において、肥沃な大地と民を照らす太陽ならば陛下、それを支える月が王妃様であれば、我々はどんな命であろうと従わぬ術がございません」
「物は言いようだな」
氷点下のやり取りに、ヘルソンとその部下はハラハラしながら口を閉ざしていた。
(か、帰りたい…い いや!これも任務!)
「あの~…」
「何か?ブラスター」
「じ、直にお声をかけするのをお許しください」
「構わない。それで?」
「我々の見立てのところ、この部屋で…例えば毒のようなものや、外的要因による外傷というのは、令嬢からは見受けられなかったとの報告を受けております」
「うん」
「直接的な死因というのは、恐らくこの窓から落下した際、降り続いた雪の下にある凝固した古い雪の塊による頭部強打と、屋根からこの…」
ヘルソンは正面の大きな窓を開け放ち、テラスの足元にできた氷塊を指さした。
「恐らくこの塊に足元を滑らせ、そのまま後ろ向きの状態で落下したので…その時に屋根にあったつららが腹部を貫いたのが直接的な死因…だそうで」
それを聞いたキュアンは、思わず口元を抑えた。
「しかし…どう探しても、メイドさんの言う『虫』とやらの痕跡も、死骸もどこにも見当たらないんです。では、大量に酒を摂取していたとのことで…幻覚では?ということも可能性はないわけではないのですが。お嬢様は相当な酒豪の御様子。空いた瓶を見ても、それほど強い酒ではないようで…」
「つまり?」
「我々には計りかねますが…その、昨今の社会状況や、いわゆるオカルト的な呪術や呪いの類…という可能性も全面的に否定はできません」
「!!ならば!我々の…」
「いいや、君たちは、もし本当にファントムがらみの事実が明らかになってから、調査に参加をお願いしたい」
「え?」
相変わらず表情を崩さないリヴィエルトに威圧されながらも、ジークフリドはひるまず前に出た。
「で、ですが」
「……この場は一度、彼らに任せる。君たちはもう帰るといい」
「はい!」
尚も不服を述べようとしたジークフリドに対し、リヴィエルトは冷徹に告げる。
「月と太陽が同時に天空に昇るのは無理なこと…君たちは、どちらの意も否定することはできないのだろう?ならば、従え」
「…かしこまり、ました…」
そして、部屋から追い出した。
一部始終を目撃した一民衆のヘルソンの部下エリクはこっそり耳打ちする。
「はー…なんか、別世界ってかんじですね~…王様こっわ」
「…なんか、違和感があるような」
「違和感?」
そんなこともお構いなしといった様子で、ヘルソンはぐるりと部屋を見渡す。
「あの…陛下、この部屋の調度品は、全てこのアウローラ宮の所有ですか?」
「ああ。彼女たちはこちらに来る際、本当に一部の侍女と身の回りの物しか持ってきてはいないと思う」
「あの、絵画も?」
「絵画…?」
ヘルソンが指さしたのは、寝台の真横の棚に飾ってある、写真立て程の大きさの絵画だった。
素朴な一凛の花が描かれたもので、この部屋にそぐわないほど地味な物だった。しかしやたらと額縁の装飾が豪勢で、分厚く、重さもある。
ヘルソンはそれを手に取ってまじまじと見た。
「額縁にしては随分と分厚い」
そう言って裏側の留め金を外すと…一本の煙管が落ちてきた。
どうやら、額縁と絵画の間にちょうどパイプと煙草が挟まる空洞があり、隠しているかのようにも見えた。
「煙草…?まあ…令嬢が吸うものでもありませんね」
「それは偏見だ、エリク」
「そ、そうですか…?」
「ボウルに少し葉が残っているな…この香りは、ラベンダー…?」
「やはりか」
「え?…う げほげほ」
匂いが思ったよりもきつく、ヘルソンはむせてしまう。
「それを調べたら、恐らく幻覚剤の一種の薬草が見つかるだろうな」
「あ、じゃあ…令嬢はもしかしてこれを嗜んで…」
「と、そう思わせるための稚拙なトリックのようなものかな」
「…と、トリック」
「君は善人だね、ブラスター君。…王宮では生きながらえないタイプかな」
(ほ、ほっとけ…)
つまりは騙されやすい、ということかと理解し、ヘルソンはぐうの音も出ない。
「では、これは裏工作の一種、ということですか?」
「まあそうだな。自殺か事故ということにしておいてほしい人間がいるということだ。」
「もしかして陛下は…誰が犯人かもうご存じで?」
「うん」
「…!こ」
の野郎、と言いかけてヘルソンはぐっと飲み込んだ。
想いのまま口に出してしまえば、自分の積み上げたキャリアのみならず、社会的に抹殺されかねない。
「…事件が起きるためには、少なくとも三人、関わっている人間がいる」
「三人…ですか?」
「事を実行する人間、命令をする人間、計画をする人間。この三つの行為をたった一人で遂行するには、相当な精神力がないと無理だ。」
「それはまあ…」
(本当に誰が犯人かわかっているんだなあ)と、感心してしまう。
「彼らが犯人だという証拠と裏付けが欲しい」
「あのー…その絶対的な権力で命令すれば、犯人だって逃げようがないのでは」
「それでは意味がない。私は…これを実行した人間と、命令した人間…そして利用された人間全てを引きずり出すつもりだ」
(命令した人間と利用された人間はもうわかっている…あとは)
「そう言えば君は、ブロックヘッドの事件の他にも、青い家の呪い師の事件も解決しているね。そういうオカルト面には強いのか?」
「えっ?!」
ヘルソンはぎくりとなる。
…何を隠そう、その二件とも、ある令嬢のタレコミと協力があってこそなしえたものだから。
「い、いやあ!き、強力なアドバイザーのおかげ、ですかね!うん、はい!」
「そうか…青い家の時も、呪術的な儀式が関係していたみたいだし、よほど強力なアドバイザーがいるんだね」
「ああ…ええと、そう言えば…彼女が言っていたな。もし魔法を使ったというなら、何かしらの痕跡が残る、と」
「痕跡?」
「なんか、魔力を使う奴は個々に違うから、それぞれ特性が出るんだとか。…力の強い魔法使いがいればそれを辿れるらしいとか…」
「へえ…なるほど、それなら」
リヴィエルトは不敵に笑った。




