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97 過ぎた執着


「俺で試してみない?」

「…何を」

「恋愛」


あまりにも思いがけない言葉に、アリスは言葉を失った。その様子を少し得意げに見て、ヴェガはぐいと掴んだ手を伸ばすと、身体ごとふわりと持ち上げた。


「なんで」

「知りたいんなら、してみるのが一番じゃないか」

「え えぇえ?‥‥いや、だって、でも!」

「俺じゃダメ?」

「そ、そういうもんだい で」


その瞬間、色々な想像が巡る。

先ほど聞いた様々な愛のカタチのエトセトラ。そして、不意によぎったのは、リヴィエルトの顔だった。


(?!!なぜ?いや、こいつらやっぱ兄弟だな…ていうか、距離も近いし)


「アリス?!」

「うぅう…もう、訳が わからんっ!」


そして、頭にカーッと熱が昇り…がくりと倒れてしまったのだ。

そうして今に至り、この体たらくである。穴があったら入りたいとは、こういう時の気分を言うのだろう。


(信じ…られない…)


「へくしッ」

「大丈夫?アリスが寝込むなんて…何年ぶりかしら」

「だ いじょーぶ…ぅ」


ズシリ、と腹の上に何かがのっかて来た。…どうやら、双子の兄妹のようだ。


「あうーー!」

「ばうばう!」

「うぐ 叩くな、こら…くしゅん!」


生れたてだろうが何だろうが、子供というのは、何時でも全力だ…よって、容赦がない。


「これ、だめよ双子たち。アリスがつぶれちゃう」

「おかーさま…双子外に出して…うつっちゃう」

「?!ばーぶぅ!」

「あう!」


言葉を理解したのか、小さな双子はそれぞれ異論を唱えるようにアリスにしがみつく。その様子をため息をつきながらエスメラルダがはがすと、双子は諦めたように口を尖らせた。


「全く。好奇心が旺盛ねえ…ほーら!行くわよ!」

「奥様、奥様もお気を付けください」

「大丈夫よ、私は…それじゃ、あとは頼んだわね、レナ、ヴェガ君」

「はい」

「はい!!」


(うう…ヴェガもいるのか)

少し気まずさを感じながらいると、ふわりとおでこに冷たい物が置かれた。


「結構高いな」

「て、冷たい…」

「手が冷たい人間は心が豊かだっていうしな」

「軽口はやめろぃ…」


なぜかそのまま頭を撫でられる。


「何これ…」

「いつもしてるだろ、俺に。その仕返し」

「ふん 、だ」


そんな二人のやり取りをギンギンに見つめているのは…メイドのシンシアだった。


(従者と令嬢の恋!禁断!!秘密の恋!!…三角関係?!)


その表情を察して、レナはため息をつく。


「シンシア…見すぎ、見すぎよ。控えなさい」

「はい!…レナさんはぁ、どっち派ですか?」

「どっちって…」

「陛下とヴェガさんですよぉ~」

「あ、私はヴェガ君かな!」


はしゃぐシンシアに悪乗りしてか、恋愛議談になぜかエスメラルダまで参戦する。


「奥様まで…」

「うーーん、私は、やっぱり陛下ですかね?!積年の想い…キャー♪」

「お二人とも…全く、お嬢様がゆっくり休められません…あとはよろしくね、ヴェガさん」

「あ、はい」


そーっと退室していく三人をヴェガが見ていると、寝台の上でアリスがちょいちょいと手招きする。

顔を近づけると、少ししゃがれた声で耳を貸して、とつぶやいた。そして…


「…ゴメン、ヴェガ…ううん、ケン」

「!」


思いがけず耳元でささやく声に、身体が硬直してしまう。


「昨日は…悪かった。本当に…ケンを頼りにしてないわけでも、信用していないわけでないんだ。急すぎて、色々混乱してしまった」

「わかってるよ。…俺も、ゴメン、少し子供っぽかったな」


すると、フルフルと首を振る。


「違う…私の事情っていうのがあるんだけど、なんて言ったらいいかわからなくて。…少し、整理して、落ち着いたら…ちゃん と …」

「アリス?もしかして、知恵熱…とか?」


する、と手が落ちると、すやすやと穏やかな寝息を立てる。

その様子を頬杖を突いて見守り、ため息をつく。


(…事情、か。いったい何が出てくるのやら…ん?)


「……」


ふと、例えようのない違和感のようなものを感じた。耳を澄ませるとかすかに聞こえる物音。


(窓の方…か?)


腰に帯びてあるナイフを取り出し、ゆっくりと近づいていく。閉じていたカーテンを開くと、そこには思いがけない侵入者がいた。


「…何かをしようとか、そういうつもりは、ない」

「……おいおい、お見舞いはきちんとアポを取ってから花束持って、でしょう?」


呆れたように息を吐くと、喉元に当てていたナイフをすっと引いた。


「こんなところで何をしてらっしゃるんです、国王陛下殿?」


薄い月の光がリヴィエルトの顔をうっすらと照らす。

何処か困ったような表情を浮かべ、彼はほほ笑んだ。


「…少し、顔が見たくて」

「それで不法侵入ですか?危うくナイフで一突きにするところだった」


ケンはにやりと笑うと、くるくるとナイフを手で弄ぶ。敵意がないことを示すように、リヴィエルトが両手をあげる。


「この通りだ」

「……どうやってここまで?」

「王宮には色んな抜け道があるのは、君も知っているだろう?…そこを使ったまで」

「さて、何のことやら…」


(…?何だろう)


言いかけて、リヴィエルトから微かに異質な気配を感じ、首をかしげる。

リヴィエルトの表情はいたって変わらない。口元に笑みを浮かべた彫刻のように整った顔も、薄いアイスブルーの瞳も。ただ、どこか油断してはいけない、気を許してはいけないような、ネガティヴな感覚がケンの肌を滑る。


「…どうかした?」

「いいえ…お嬢様はたった今お休みなられたばかり。今日のことは口外いたしませんので、お見舞いは別の日に出直してはいかがでしょうか?」

「顔を見るだけでも。…正式に面会を求めたところで、彼女にとって煩わしい噂が広がるだけだろう」


何処か他人事のように感じる言葉に、ケンの心は逆立つ。


「煩わしい?…どの口が」

「…なに?」

「国王陛下殿、あなたは今後、アリセレス・ロイセントをどうするつもりだ?」

「……」

「先日、三人目の婚約脱退者が出たとか。にも拘らず、どう収拾つけるわけでもなく、国の公式行事に未来の王妃候補者である他家の令嬢を蹴っ飛ばしてロイセント家の令嬢を選んだ。…このままでは、アリセレスが全ての責を追うことになるし、問題が生じれば矢面に立たされるのは明白だろう」

「外交の要であるロイセント公爵の令嬢が晩餐会に参列するのは不思議ではないし、立場も能力も十二分に備わっている。政治的判断でも、彼女以外に適任はいない」

「それは、そうかもしれない。…でもその判断は、醜聞好きな民衆から見れば、ただの贔屓と映る」


ただでさえ、貴族が大好物のゴシップ誌はアリセレスを面白おかしく書いては民衆に届けている。

時には英雄のように、時には悪女のように…味を知らない若き国王陛下に甘美な夢を見せる不落の令嬢(アンノーブル・レディ)

噂だけが先走りし、実像とはかけ離れた偶像が世間を徘徊している。ケン自身も、この国に戻ってからアリセレス関連の滅茶苦茶な噂に驚いたものだった。


「それに、候補者の二人は、どちらも今水面下で対立している王后支持派の筆頭の二家。私がそのどちらかを選べば、こちらが不利になるだけ…彼らをいたずらに喜ばせる理由が何処に?」


(…王后との対立は、そこまで深いのか)


「クライス令嬢にも伝えたが…彼らは最初からそのつもりで、自身の娘たちを候補者に仕立て上げこちらに送り込んでいる。だが私が初めから望んでいるのは、ただ一人…あらゆる面を考慮しても、彼女以外考えられない。それは最初から伝えているつもりだし、態度で示しているつもりだ」


リヴィエルトの瞳は揺るがない。…むしろ、なぜそこまでこだわるのか疑問を感じるほどだった。


「…他の2人は、どう決着付けるつもりだ?」


その問いに、ただでさえ美しい顔立ちの国王陛下は不敵に笑って見せる。


「もうじき終わる。少なくとも、一人はもう」

「…なに?」

「じき、嫌でも耳に入るだろうが…恐らく今日の夜、ゴルトマン伯爵家には黒い半旗が翻るだろう」

「?!…まさか」

「王宮に携わるものたちにとっては…【よくあること】だろう?」

「……それで、誰に?」

「そこまで教える道理はない。…だが、彼らとの取引は期間がある。アウローラ宮にいる限り、表舞台には出ることはできないし、彼女たちを預かっている身としては、何不自由ない生活をさせる責任はある。けれど…()()()()()()()もあるということを忘れてはいけない、ということだ」

「……それは」

「彼女たちは、自身の親から私に気に入られることを強要されている。…派手に着飾り、愛想を振りまき。でも、見果てぬ夢の終わりが決められている。形はどうあれ、今がその時というだけ」


あまりに明快な回答に、ケンは少し寒気を感じた。


(高価な鳥籠に入れた観賞用の鳥、というわけか…)


この世界において、いまだ残っている貴族間の血統問題というのは、根深い。

過去の栄光を誉とする人間は少なくなく、それを後世に伝えたいという承認欲求じみた『怪物』といえるべき存在を、ケンは自身も間近で見てきた。

奴らは、人間の見た目をしているが、内面は悪魔そのもの。その欲望を満たすためにはどんな手をいとわない。それこそ、本物の害ある住人と結託したとしても…彼らはその功績を遺しただがるだろう。

だからこそ、万に一つの可能性でも、黄金の冠の系譜に己の血が混じるのであれば、諦めることはしない。

それが、血に縛られた貴族の娘として生まれた彼女たちの宿命なのだ。


「憎むべきは己の身に流れる血…だと」

「そういうことかな。君には分かるだろう?」


この数年、多くのことがあったのだろう。

国一つ背負うということは、そういうことだと思う。不要なものは切り捨て、時には利用しうまく操作する。大事なものは持ちすぎると自信を危険にさらす…たくさんの選択を強いられてきたのだろう。

リヴィエルトという存在も、ベルメリオという存在も…どちらも互いを見つめる鏡のようなもの。多くの選択の中で、流れついた先がこの場所。

何処かで何かが違って…二人の立場が真逆になったこともあったかもしれない。それは片方にとっては光で、闇で…その二つが同じところに並ぶことは決してない。


「もういいかな。本当に彼女の顔を見るだけだから」

「……変なことをしたら、容赦しない」


低く放ったケンの言葉は、リヴィエルトは軽い笑みで流した。


「君こそ。()()()()()()を有意義に使えるといいね」

「……全て、己の手の内と思っていると、足元を掬われますよ、国王陛下」

「ご忠告、痛み入る。従者のヴェガ君」


何せ、相手はアリセレス・ロイセントなのだから。

この時ばかりは、二人は思いが奇跡的に合致したのだった。


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