95 愛という真理
(夢か…?なんか、長い夢を見た…)
ぼーっとした瞳をぐるりと巡らせ、ついでに頭も動かしてみる。…どうやら自室のようで、少し離れたところでレナやシンシア、ヴェガが談笑しているのが見えた。
(昨日…どうしたっけ、そうだ、あの眼鏡男がやってきて…)
あの後、思いがけない告白じみたことをセイフェスは言い逃げて、去っていった。渡された本を半信半疑見て…驚愕した。
自分が知っていたはずの内容とは全く異なることが書いてあったのだ。
――「愛」とは何か?
そう聞いた時、ある人は「それは喜び」と答えた。
ある人は「悲しみでしかない」と答えた。
またある人は…「全てを捧げる事」、そう答えた。
愛というものを前に、自分などないも等しいのだと、そう答える者もいた。
(わからない。愛する、ということはどういうことなのか)
もしこれを全うな賢者と魔女に問うた時、彼らはきっとこういうだろう。
「言葉にするには難しく、長い時間を続くうえでの障害でしかない」
では、そうじゃない賢者と魔女はなんというだろうか?
「愛とは…全てを意のままに操り、束縛し支配することである」と。
それが、『我々』である。
『魔女と賢者』筆者 セイフェス・クロム
「魔女と賢者」という本は、この前置きから始まる。
パラパラとページをめくりながら進めていくと、…かつて、名も無き魔女が『父』より聞いたこととは全く異なる『賢者』と『魔女』について書かれていたのだ。
(何がどうして…何処で変わった。わからん)
アリセレスの身体に変わってから、魔女にとっては『愛』などというものは相変わらず理解ができず、『宇宙の真理』程意味が分からない。
人は皆、日々選択をしていく。
選ばなかった未来と、選んだ未来の道が二つあったとしたら、選ばなかった方が『平行世界』と呼ばれることになる。
今現在進行形で進んでいる世界がそうである。
アリセレスの記憶を頼りに、彼女が選ばなかった方を進み、非業の運命にならない未来を探すこと。そして、彼女の思い残したことを代行すること…そうして進んできた場所が、ここ。
さまざまな影響を受け、全く違う世界へと変化したこの場所では、魔女の理論すら変わるのだろうか。
「普通の人間から【魔女】,【賢者】に変化すること…つまり善なる者の眷属となることを【神上がり】という。そして、その代価として差し出すのは生きるための力、つまり【欲】である。それは、変わっていない…なのに」
(人を愛することが罪…とは書かれていなかった)
「固定概念…そう思い込んでいた?そんなバカな」
かつて、『名も無き魔女』は『あの男』に思いを寄せ、力と共にその命をも失った。今日みたいな雪が降る日に…そこまでは覚えている。
それ以前は、『あの男』を介抱し共に過ごした時間が確かにある。
「ダメだ…思い出せない。なぜだ?」
そこにあるのは『結果』だけで、『経緯』がまるで失っている。
何を考え過ごしたのか?何を想い、何をしていたのか?
生きる者がその命を失うとき、衝撃で直前の出来事を忘却することがある。それに似た現象だと思っていた。
しかし、セイフェスの口ぶりでは、名も無き魔女は何か重大な部分の記憶を失っているという。
想像してみてほしい。
自分がすっかり忘れていることを、思い出せと言われて思い出せるんだろうか?
記憶喪失とは、思い出せないからなるのだろう。
「逆行催眠…??いや、それとも違うような…あぁーーーーッ!!もお!!」
「あの…お、お嬢様?」
「はっ!!うぉ?眩しっ」
ちゅんちゅんと聞こえる小鳥のさえずり。
気が付いた時には、既に日が昇り、全壊した窓から白い光が注いでいる。昨日散々降った雪のせいか、白い雪に反射して、3割増しに眩しいことに気が付く。
「あさ…嘘、もう、朝…?」
「何度もノックをしましたが応答がなかったもので…」
「レナ…」
「あ…本を読んでらして え?まさか寝てない?!」
「……ハハ」
「お嬢様!!肌の具合は?!目の下のクマは?!!まずは湯あみをしませんと!!」
「いや、うん…あの」
「本日は、晩餐会に向けてのドレスを調達するため、デザイナーさんが会いに」
「あい?!」
「え?」
「いや…ええと、きょ、今日は、ちょっと、やめて おこう かな?!」
「…一応理由をお伺いしても?」
「あ、ううん。ごめん…よ 予定通りで」
こういう時、レナは普段見せないような笑顔を見せる。
それこそ、何かぞっとするような。アリセレスは観念した。
「お嬢様…様子がおかしいですわ。何かありました?」
「何かあったわけではないけども?!!」
(明らかに様子がおかしい…)
「はあ…ひとまず落ち着くように、カモミールティーでもご用意いたしますわ。湯あみと朝食はそれからにしましょう。デザイナーさんが来るのは午後になってからということでしたし」
そう言って退室しようとすると、がし、と腕が強い力で掴まれた。
「お嬢様…??」
「あの…レナ。一つ聞いても?」
「なんでしょうか?」
「…愛って、何?」
「え?」
その一言で、その場が一瞬に凍りつく。この時のいたたまれなさは、想像しがたいものだと、レナは後に語っている。
**
ケース1:公爵と公爵夫人。
「まあ、今日もステキですわ、リカルド」
「ああ、君もだ、エマ」
朝、誰にも邪魔されずに過ごす、平日の大事な二人きりの時間。
夫婦の寝室では、二人が呼ぶまでメイドは来てはいけない、という暗黙のルールがある。それを、いとも簡単に破ったのは、紛れもなく、彼ら自身の娘だった。
「お父様!お母さま!!」
バタァン!と激しい音とともに登場したのは…アリセレス。丁度、エスメラルダの腕が公爵の肩に回った瞬間だった。
「え?!」
「まあ、アリス」
慌てふためく公爵とは対照的に、エスメラルダは落ち着き払って対応した。
「え、エマ…」
「あの、朝早くお二人の邪魔をしてしまってすみません…どうしても聞きたいことがあって」
「なあに?」
「愛とはなん…」
と、言いかけて、一瞬で状況を把握したアリセレスは回れ右をした。
「あ、そ そういうことか…はあ、でもそうじゃなくて…」
「アリス~?一体どうしたっていう」
「失礼しました…」
なぜかしょんぼりと肩を落として帰る娘を見送るエスメラルダは、首をかしげる。
「何かあったのかしら…?ん?あなたまでどうしたの?」
なぜか、隣で公爵がため息をついている。
「いや…マンネリ、というのか、君は動じないんだな…」
「あらあら。真面目なんだから…まあ、そういうところがかわいいけれど。ねえあなた…まだ時間、あるでしょう?」
「あ、ああ…うん」
「さっきの続き、しましょう?」
ケース2:執事・ゼルメル
「お嬢様…いけません、今のお時間は」
朝っぱらから、アリセレスが夫婦の寝室に突撃したと聞いて、執事のゼルメルは慌ててやって来た。ずっと何やら思案している令嬢は、微動だにしない。
「あの…何があったのです?ゆく先々で使用人達が皆、困っておりましたが」
「…ゼルメルには、妻子がいたな。うちの近くに家があると聞いている」
開口一番聞いた言葉を聞き、ゼルメルは「これか」と思った。
実は、ここに来るまでにすれ違った使用人が皆口をそろえて「お嬢様がご乱心された」と訴えられた。
「ええ、まあ。旦那様のご厚意で、小さな家を敷地内に持っていますが…」
「どういう経緯で婚姻したんだ?」
「恥ずかしながら、妻ははかつて先々代の奥様に仕えていましたメイドでございます」
「やはり、愛し合ったから、こう、一緒になったんだろう?」
年頃の娘が聞くような言葉であるが、この端正な容姿の令嬢から聞くと、あまりにギャップがあり、つい口元が緩みそうになったが、積年の執事経験で耐えた。
「今、笑ったなっ?」
「い、いいえ、そ、そんな ことはっ。ええと、こほん、はい。本来なら使用人同士の結婚はご法度。ですが時代でしょうか、先代の公爵様が笑って許してくださいました」
「先代…ああ、ダーチェス」
「焦ることはありませんよ。それに、お嬢さま。『愛』の前に通るべき道がございます」
「そ、それは?!」
「恋をすること、です」
顔に似合わない言葉に、思わずすっこけた。
「お嬢様にもいずれ、わかります」
「……」
その言葉を聞き、アリセレスは変な表情を見せる。
「わかった…うん」
どこか落胆して去っていく姿に、ゼルメルは首をかしげてしまう。
「うーん、お気に召さない回答でしたか…」
こうして…また一つ『恋とは何か?』という問題がふってわいたのである。
ケース2:メイド・シンシア
「愛とはですね!!この耽美小説のように甘く、美しく、煌めいていてですね!!!」
「いや…うん、シンシア、落ち着いて」
「いいぇえ!!お嬢様のお役に立てばと、愛を知りたがるお嬢様のためにご用意したんですよぉおお!!」
そうしてずらりと並べられたのは、どれもピンク色の表紙で…中には卑猥な言葉を使ったタイトルのものもあった。
「探しているのは…これじゃない」
「ええ?んー、じゃあこれなんていかがでしょうっ?」
そう言って高く掲げたのは…『赤ちゃんはどこから来るの?』というタイトルだった。
「……もぅ、いい。下がって、シンシア、下がって。」
「えーー?まだ語りたいないのにぃ」
そう言って残念がるシンシアを置き去りにして、その場を去った。
ケース:3 元王子殿下、もといヴェガ
「…わからない」
「お嬢様」
「!!…ヴェガ」
(そう言えば…こいつとは)
そう、些細なことで言い合いをしたばかり。
しかし、それすら忘れるほど、アリスの頭の中は他のことでいっぱいだった。そんな自分を反省しつつ、どう答えよう固まっていると、ヴェガはぽつりと呟いた。
「…この間は悪かったよ」
「え?」
「誰だって、言いたくないこと、あるよな」
「……私も」
「ん?」
「ヴェガには、何時も助けてもらって…信頼しないわけがない。感謝してる、本当に」
「じゃあ、仲直り、でよろしいですか?お嬢様」
すっと差し出した手をぎゅっと握ると、ぎこちなく微笑んだ。
(そう言えば…親愛という言葉がある。これも、愛か?)
「勿論、ヴェガ」
「さて…それで、一体どうしたっていうんです。邸の使用人全員に『愛って何?』って聞きまわっていたみたいじゃないですか。何のクイズです」
「クイズ…いや、パズルの間違いだろ?」
「……」
頬杖をついて、どこか不貞腐れているような表情。
この表情を見る限り、彼女にとっては真剣そのものなのだろう。
それを踏まえたうえでため息をつく。
「どっちも違うでしょ…人によっては、答えなけば罰を受けるかも、と邪推してしまう者もいるんです。ご自分の身分を考えて下さい?」
「…どうしても、わからないんだ」
「愛だの恋だの、ですか?」
「ヴェガは?」
「えっ?」
「好きな人はいる?」
「それ…本気で俺に聞いてます?」
(人の気も知らないで…)
この時ヴェガとしては、むっとした。
だからと言って、不快に感じるほどではなかった。
「じゃあ、こういうのはどうです」
「ん?」
そっと手を取ると、手のひらに口づける。
「俺で試してみませんか?お嬢様が言う『恋と愛』とやらを」




