93 ある世界の結末④ 白いカラス
長い冬を超え、雪で覆われていた窓から白い光が差したころ、彼の傷もすっかりと癒えた。
「雪が融けた…」
「ああ、ようやく外に行ける!」
魔女はそう言うと、嬉しそうにドアの外へ向かう。
思い切り蹴飛ばし、ドアと外にできた隙間に杖をねじ込む。
「な 何をしているの?」
「まあ、見てろって」
魔女はにやりと笑うと、同時に杖が光を放ち、ドン!と派手な音が響く。
「!!!‥‥え?」
「こうでもしないと、外に出れないからな」
二度、三度と派手な音が響くと、きぃ、と情けない音を立ててドアの外に空間が開けた。
恐るおそる歩くと、抜けるような青空に、自分の身長ほどの雪の壁が眼前に飛び込んでくる。
「すごい…」
「あとは人力だなー、この辺は庭だから、雪下に作物が眠っている、慎重にな。ほら!」
「あ、ああ」
何処からか出したのか、大ぶりなスコップを手渡される。
「さあ、そのたくましい筋力を存分に発揮してくれ!エル!!」
「…あ は、はい…」
半ば勢いに押されながらも、スコップで雪山を崩し、道を開いていく。
放った雪は、魔女がそのまま魔法で水に変え、今後のたくわえの飲料水に変えていくらしい。
(こ、効率がいいというべきか…)
ずっと魔法を使い続けるのは疲れないのだろうか?と思いつつも、真剣な表情の魔女を見て、自分が役立てていることに、僅かな喜びを感じた。
「…よし、やるか」
結局、自分が何者なのか、それを告げないまま二人は春を迎える。
彼女の薬草集めを手伝い、その種類を教えてもらう。今まで知識として不要だと思っていたものを新しく学んでいくことが楽しく、もしかしたら自分には一生縁がなかったかもしれない、畑作業もじょじょに覚えていった。
時には、内側に宿る魔力を鍛える術を教えてもらい、小規模な魔法であればこなせるようになると、魔女はとても喜んでくれた。
「おお!!やるじゃないか!」
「じ、自分でも驚いてる」
「じゃあ次は…これを勉強するとしようか?」
「勉強…」
「エルは私の弟子のようなものだ。覚えられることはどんどん覚えていくといい」
「……」
(傍にいて、変わらずに笑ってくれている…)
そんな日々は彼にとって、何よりも嬉しく、どこか自分が許されているような、そんな気分にしてくれる。魔女という存在はあまりにも眩しくて、彼が魔女に対し抱く感情が大きくなるのに、時間はかからなかった。
そして、夏のある日の事。
「今日も暑いな」
元々得意だった弓の技術で狩りをしているときの事。
その男はやって来た。
「こんにちは」
「…?!」
ふわりと温い風が流れ、どこからか一枚の羽根が舞い下りる。見上げると、そこには白いカラスが一羽、じっとこちらを見ていた
「白いカラス‥‥?」
いぶかし気に見詰めていると、カラスは一度、かあと鳴き、彼の前に降り立つ。
しかし瞬きをした僅かの間に、カラスは人の姿に変化していた。
「!!!?」
「お前、彼女の弟子か?」
「そ、そうだ」
「ふうん、それは、本当か?彼女がそんなものを取るとは思えんが…」
その人間は、白いロングコートに身を包んだ銀色の眼鏡をした男性だった。長く黒い髪をゆらゆらとたなびかせ、こちらを値踏みするようにじろりとにらみつける。
(何者だ?…それに、こいつから感じる気配は、魔女と似ている)
こちらをじっと見る視線を合わせると、男の表情が徐々に曇っていく。
「君…害ある連中と似た気配を感じる。とても、不快だ」
「害ある…?」
心の奥を覗かれたような、不遜な視線を不快に感じ、身構える。
男は何処か見下すように見、笑った。
「過去に誰かを消しただろう」
「え…」
「図星か」
どきり、と鼓動が跳ねる。
「害ある連中との契約したな…消したのは身近な人間か、それとも、友人か?」
「!‥‥それは」
彼には、今まで暴かれたこともない、誰にも言ったことがない秘密がある。
「‥‥‥っ」
ふと、幼い頃の苦い思いが蘇る。
かつて【自分の影】のような存在がいた。でも、それは彼が光で、自分は陰で…小さな子供が抱いた【嫉妬と妬み】は凄烈な炎と共に、その光を呑み込んで消えた。
「なのに、なぜ貴様は生きている?」
「生きて…?」
「いや。違うな…お前の魂は既に堕ちている。そうして今ここにいる事、それが罰ということか?…なんと憐れな」
「お前の…言っていることは、意味が分からない…!」
歯を食いしばり、そう答えるのが精いっぱいだった。
震える手を握りしめ、渾身の力をこめてにらみつけるが、その視線すらあざ笑うように男はくるりと背を向ける。
「まあいい…それで、彼女は?」
「彼女?魔女の事か?」
「そう」
「…何の用だ?」
「私は彼女の友人のセイフェス。友人が会いに来て、何が悪いのか?何もお前の許可を取る必要もないだろうに」
「友人…」
ひょうひょうと語るこの男に、少なからず嫉妬のような感情を抱いた。それがどこかばかばかしく、ためいきをついてしまう。
「……今は、いない」
「ふーん…ならば、しょうがない」
「用があったのでは?」
セイフェスはしばしリヴィエルトをじっと見つめ、にやりと笑った。
「とある王国が滅亡したらしい」
「!」
「あの国を気にかけていたから…詳細な情報を手土産に、と思ったんだけど」
「情報?」
「…まあ、いい。もっと面白そうなネタが近くにいるみたいだからね。また、くるよ」
「あんたが来たということは、伝えておく」
(さっさと帰ればいい)
くるりと背を向けると、「ねえ」とセイフェスの声が引き止める。
「お前の名前を聞いていない」
「…エル」
「それは、本当の名ではないだろう?」
「どうしてあなたにそんなことがわかる?」
「別に、そんな気がしただけさ。ああ一つ、警告をしよう」
「警告?」
「彼女に愛を求めるな。…欲望に正直にならぬように」
「……欲…紡 だと?」
「もし、彼女に手を出したら‥‥私がお前を殺すとしよう」
それだけ言い捨てると、再びセイフェスはカラスの姿に代え、飛び立った。空を舞い上がり、二度、上空を旋回する。
(まあ、彼女に限って…ないとは思うが)
結局その日、セイフェスが来たということを、彼は魔女に話すことはなかった。ただ悶々と、指摘された過去を思い出しては頭を抱え、眠れない夜を過ごした。
何度かうたた寝と悪夢を繰り返し、目が覚めた時、微かな物音で目が覚めた。
「…?」
(扉が開いた…魔女か?)
この小さな家では、部屋が一つしかない。魔女の部屋は寝台と共に別にあり、エルは居間の隅を間借りして眠っている。何となく起き上がり、玄関の方へ赴くと、扉が僅かに開いていた。
「まだ、夜明け前だ…何をしに?」
朝焼けを見るのも悪くない。そう思い、外へ出ていく。
家の前の庭園には、数々の植物や野菜や果物が大きな実りを見せ、うっすら挿し込む朝日を照らし、キラキラと輝いていた。
どれも自分が手をかけたものだと思うと、いとおしく、思わず笑みを浮かべてしまう。
「魔女は…?」
くるりとあたりを見渡すも、姿は見えない。
川のせせらぎに誘われて歩いていくと、水辺で物音がした。そして、言葉を失う。
「…っ?!!」
思わず口元を抑え、慌てて大きな木の陰に身を隠す。
(幻か?いいや、違う…あれは)
朝焼けの光が逆行でよく見えなかったが、そこにいたのは、紛れもなく水浴びをしている魔女の姿だった。確認しようにもできず、かといってそれを無視することなどできるはずもなく。
ゆっくりと首だけ動かそうとする。
(ちょ、ちょっと待て。これじゃただの覗きで…!いや、違う、何者か確認しとかないと)
訳も分からず混乱する頭に浮かんだ少なからずの理性は、結局のところ好奇心に負けてすべて吹っ飛んだ。恐るおそる振り返ると、雪のように白い肌が視界に飛び込む。
「……!」
そおっと首を動かすと…水辺に立つ姿が見えた。
水分を含んだ金色の髪は光を透けて背中にぴったりと張り付き、水がしたたり落ちる。魔女が鬱陶し気に髪を払うと、背中一面に赤い紋章のようなものが見えた。
(紋章…あれは?)
思わずぐっと体を前にかがめると…木の上にいたリスが声をあげて驚いて飛び上がった。同時にまるでここに不審者がいる!と、教えるようにリスたちががさがさと木々を揺らす。
「っ?!しま…」
「?!…おい、そこにいるのは…」
「うわ!」
ばしゃ、とまるで鉄砲玉のような水が飛んできて顔面に直撃する。
「このあんぽんたん!!ヘンタイ!!!」
「ち、ちが!ごめ」
「さっさとむこうへいけぇええ!!!」
‥‥結果、その日一日中魔女は一度も口をきいてはくれなかったのだった。
そうして、また季節は巡る。
夏に大きく育った植物たちの恵みに感謝し、余ったものは残さず乾燥させて今後のたくわえとした。夏の終わりには、川辺に行っては二人で涼み、薬草を採取しては、秋は狩をしながら冬の備えをする。春先に植えた野菜は全て収穫し、雪が積もる前までに加工し、ストックをしていく。
穏やかにゆっくりと…変わらずに時間は過ぎていく。ただ一つ、魔女を想う心が疑いようもなく『親愛』以上の感情を持つことを自覚したが、その感情は彼女が最も嫌いなものだと知るのに、時間はかからなかった。
あの日以来、白いカラスはこちらにやってこなかった。それに安堵している間もなく、秋を超え、二度目の冬を告げる初雪が降った。




