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91 煩う病


「あんな風に思っていたなんて…」


部屋に戻り、虚しくつぶやいた独り言に応えるものはいない。

ふと、月明かりに照らされた影を落とす雪を窓ごしにぼんやりと見つめていると、一羽のカラスが舞い降りた。


「?」

「何かお悩み事でも?」


こんこん、とくちばしで窓をたたくと、そのまま窓が開け放たれ、白いマントがはためく。その姿を一度唖然と見つめ、アリセレスはため息をつく。


「こんばんは」

「…セイフェス・クロム…何でここに」

「お久しぶりです。…ああ、やはり、とても美しくなられた」


すっと流れるような仕草で取った手を、バシンと叩く。


「…これは、手厳しい」

「そりゃあ、レディーの寝室にこっそり潜んでいる変質者に、優しくする道理はない」


きっ、とにらみつけるが、にこにこと笑顔で誤魔化す。


(相変わらず…何を考えているのやら)


「それで。何をしにこの国へ?と、言うかなぜここにいるのか、先ほどの答えを聞かせてもらおうか」

「いえ、ただ、あなたに会いに来たのですよ、名も無き魔女」

「………それは、嘘だ」

「おや、なぜ」

「その、手に持ってる本」

「ああ、見つかってしまいましたか」


分厚い白い本。…タイトルは『魔女と賢者』。


「宣伝か!」

「アハハ…でもどうでしょう。この本は意外とあなたの役に立つと思うんですよねー」

「あ…そう」

「それで?何をお悩みだったんですか?」

「何をって」

「ため息をついて頭を抱えていましたけど」


(こいつ、どこから見ていたんだか)


「別に…ちょっとしたスレチガイ、というものだ」

「ふむ、妬けますね。あなたをそこまで悩ませる者とは」

「…お前は賢者だろう?私の記憶が間違ってなければ、賢者は魔女と同様、一人の他人を思いやる心が欠如しているはずだ。私に近づく目的はなんだ?」

「その認識が…確実に正しい、と証明できますか?」

「…質問に質問を返すのは気に入らないが」


不満そうな魔女を見て、セイフェスは薄く微笑む。


「この世界は歪んでいる。…元々あった場所と何もかも似ているが、どれも違う。あなたの感覚は、果たして本当に正しいのでしょうか」

「それは…だって」


そう言えば、と思う。

7歳のアリセレスになってからというもの、魔女らしき人物(確信はない)と遭遇はしたが、確実な魔女とは一度も遭遇していない。

無論、魔女は人とのかかわりを避けるし、自分は魔女だ、などと公言する人間は恐らくいない。いたとしても、『自称』や『詐称』と非難され、ひっそりと生きていることだろう。

つまりは、生きた現役魔女と出逢うなど、奇跡に等しい。


「固定概念…だと?」

「その可能性を考えたことがありますか?」


(あちらはそう、でも、こちらは違う?)


「確かめようがない…でも、まさか」


名も無き魔女は、なぜ死んだのか?

それは、刺されたからだろう。けれど、本当にそれだけ?もう遥か昔のことで、その時の記憶はもはや曖昧になっている。その変化もまた、魔女にとっては不可解だった。


(だめだ…これ以上考えても、らちが明かない)


「それにしても、なぜそんなに私に構う。白き賢者よ」

「言ったでしょ?私はずっとあなたのファンなんですよ」

「ファンねえ…なら、わかるだろう?今の私は、お前が思うような魔女でも何でもない」

「…?これは…どういうことです」


先ほどとは打って変わり、急にセイフェスの瞳に冷たい光が宿る。


「何が?」

「あなたが持っていた強力な魔力は、どこに置いてきたんです?」

「……」

「今はほとんど残っていない。ごっそりと抜け落ちている!」


(ああ、やはりこいつは…本当の意味で『賢者』と呼べるだろうな)


「…前に見えていたものは、ほとんど視えなくなったし、声も聞こえない。今の私は、本当にただの人間だ」

「それで、最近()()に手を出していなかったのですね…」


ぽつりとつぶやいた言葉に、思わず目を見張る。


「知ってたのか」

「ジェンド・ウィッチの噂は、どこでも聞きましたから」

「そう。見えないのであれば、戦うことも、浄化も…何もできない」


この認めたくない『変化』が起きたのは、あの日。

内側から、自分の半分が消えてしまった…契約を破棄したときのこと。はじめは気のせいかと思っていたのだが、次の日、左の赤い瞳の光は失っていた。


「今まで煩わしかったものが消えると、世界はこんなにも静かなんだな」

「…契約を、破棄されたのですか」

「!どこまで知っている?」

「あなたが忘れているところまで」

「…?」


(忘れている…?何を?)


「もう、いいのでは」

「え?」

「なぜ、いまだこの地に留まっているのです」

「それは」

「あなたを、縛る者はもういない…違う?」

「私を…縛る、もの」


ふと、入れ替わってからの出来事を振り返る。

たくさんの時間を過ごした者がいる。自分を慕ってくれるものも、友人までできた。


「…私は、そうするにはあまりにも多くの者と出逢ってしまった」

「それは、仮のものでしょう。名も無き魔女…あなたのものではない」

「……」

「アリセレス・ロイセントという人間が作った縁。そこに、あなたはいない」

「…わからない、だが、それを完全に断ち切るには…ここに長くいすぎた」


本当に、彼女との契約が続行していたのなら、処刑の運命を乗り越えた先の時間はアリセレスに返してやるつもりだった。多くの知識を得て、力を得て…土台はもうできていたはずなのに。


「私は…人間が好きだ。本当、未練がましいな…」

「…魔女よ。あなたが望むなら、失った力を取り戻すすべを私は知っている」


開いた窓から、雪がはらはらと入り込む。

しばし呆然と、セイフェスの顔を見つめていた。


「なぜ」

「言ったでしょう。あなたが忘れていることを、私は知っている、と」

「セイフェス…」


ふと、あることを思い出した。


(時を操る賢者…こいつは、何を知っているんだ?)


「私と共に参りませんか?」

「…は?」

「私は貴方を知っている。本来の強く、奔放で…アベロンの地で、ここににはない物に囲まれ、悠久の時を生きていたあなたを」

「!!」

「…あなたはもっと、自由であるべきだ。私ならば、貴方が何も心惑うことない世界を用意できます」


まるで、友人のような素振り。

誰にも話していない、あの地で過ごしていたことを知っているのなら、どうして自分は彼のことを知らないのだろうか。

真っ直ぐに見つめるアイスブルーの瞳に曇りはない。彼が言っているのは恐らく『本当のこと』なのだろう。

全身から汗が出る。考えれば考えるほど、おかしなことが増えていく。


(どういうことだ?私とアリセレスの入れ替わりは‥‥偶然ではなかったのか?)


「めまいがする…もうやめてくれ」

「……わかりました、でも、最後に一つだけ」

「……なんだ」

「貴方が望むなら、そのすべてを与えられる。自由を望むなら、自由を。力を望むなら、力を。あなたを傷つけるものがいれば、私は赦さない。あなたが傷ついている姿は見たくない…ただ、笑っていてほしい」


セイフェスは魔女の手を取り、その甲に口づけを落とす。


「それを、『愛』と言わずして、何と言えようか」


それだけ言うと、セイフェスの姿は白い羽を持った鳥に変化し、雪と共に消えた。


「言い逃げ、だと?…ついに、トチ狂ったか…あの馬鹿」


はらはらと舞い落ちる羽根と白い雪が、風に舞い上がる。


「私は…何を『忘れて』いるんだろう…?」


その光景を茫然と見つめていた魔女は、そのまま床に座り込んだ。



***


「はーぁあ…ふぅ」

「マリーミア様、少し飲み過ぎですわ」


ここは、マリーミア・ゴルトマンの部屋。

床には空になったワインの瓶が数本、転がっている。更に一本をラッパ飲みで開けると、長椅子に腰かける。


「べーつに。いいじゃない。今日はお休みだし~」


すっかり出来上がったマリーミアは、令嬢らしからぬ仕草でだらん、と足を組んだ。


「どぉせ、名ばかりの婚約者こーほだし」

「それは…そうかもしれませんが」


ここ最近、マリーミアが酒を飲む回数が増えている。年配のメイドはため息をついた。


(確かに…ここ最近は前にもまして、陛下のお声がけも王妃様からのお声がけもない。)


以前ならば、それぞれこまめな対応もあったし、待遇も良かった。だが、婚約者候補が次々と辞退をして去っていき、当初はマリーミアを推していた貴族たちも手のひらを返したように冷遇し始めている。

相変わらず王妃教育なるものを受けてはいるものの、マリーミア自身がそこまでの意欲を持ち合わせていないのか、最近はやれ病気だの、何だの理由をつけては断っている。

このままでは、本当にアウローラ宮からいつ追い出されてもおかしくない状況だ。


「ハーシュレイが辞めて、シドレンが辞めて、今度はクライスか~…次はワタシかしらねえ」

「お嬢様は…それでいいのですか?」

「いいも何も。こんな軟禁状態の環境じゃストレスも溜まる一方だし…そもそも向いてないのよ。こんな大層なお役目」


むしろ、父の権力でよくぞここまで来れたものだ、とさえ思う。


「それに…なんか変じゃない?最近の王宮…みんな辛気臭い顔してさ、ピリピリしてるっていうか、とにかく居心地が悪いわ」


マリーミアなりに、初めのうちは努力を惜しまなかった。

苦手な勉強も取り組んだし、父に隠れてこっそりふかしていた煙管も隠していた。しかし、徐々にそれは薄れていき…最近では隠したはずの煙管も堂々とふかしている始末だ。


「?何よ…虫?」


ふと、肌の上に何か違和感を感じ、腕を振り回す。…漆黒の蜘蛛だった。


「気持ち悪…なにこれ」


すると、徐々に肌の違和感は広がっていき、全身をはえずりまわる不快感が徐々に増していく。見れば、数えきれない程の蜘蛛が白い肌を埋めていく。


「いや、いやぁあ!!」


ガウンを脱ぎ、両手をばたばたと振るいながら髪を振り乱す姿を見て、メイドは唖然とする。


「お、お嬢様?!」

「いやぁああ!!! ぎゃああ!!来ないでぇええっ!!!」


そして…マリーミアは何かに怯えるように窓の外へ飛び出していく。やがて、ゆっくりとその身体は冷たい雪の上に落ちていった。


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