90 害ある者
「やっぱり…あの女を選んだのね、リヴィエルト」
ここは、王妃宮。
新設された白騎士団【アルヴィオレ・ノーツ】の本部が置かれている場所でもある。
本来ならば軍に従属する組織は騎士団が本部がある第1宮殿に置かれるはずが、白騎士団に関しては全ての待遇が別格で、王妃アルミーダの権限の私物化とも揶揄される所以でもある。
ここ数日、発足の正式発表式典が迫る1週間後ということもあり、メロウ・クライス自身の家には戻らず、こちらで寝泊まりすることが増えている。
しかし噂というのはまるで生き物のようにそこらじゅうを徘徊している。晩餐会の話もメロウの耳にも届いている。
「…君はいつも一人だね」
「何か問題でも?キュアンさん」
「いや、気になっただけさ」
いつものように、背中にべったりと張り付いたフイアネス、キュアン兄妹がメロウに声をかけてきた。
(あんた達とつるみたいなんて欠片も思わないだけよ)
「ふふ、お気遣いありがとう。…今、父が不眠症で悩んでいるの。それが少し心配なだけよ」
「…君は優しいね」
(…きた)
以前、アルミーダが言っていた【神様の子供たち】という言葉の通り、この組織に従属する者たちは、皆、やたらと容姿が整ったものが多い。一番リーダー格である、ジークは特にその力も能力も抜きんでており、まさに【傑作】という言葉に相応しい。
いつも陰鬱な視線を向けるフィアネスも、良く声をかけてくるジークには逆らえないらしく、メロウは穏やかな日々を過ごせている。
「どうだろう?みんなとは少しか馴染めてる?」
「ええ、大丈夫よ。…その、少しヴァネッサは距離が近すぎて驚いてしまうけど」
現在、この組織の所属は合計7人。
ノーヴェラ兄妹と、ジーク、ヴァネッサ。そのほかにも、スキンヘッドでやたらと体格のいいレイオンという男性と、同じく一度だけ顔を合わせた仮面を被った女性らしき人物と、そしてメロウである。
中でもヴァネッサは人懐っこく、やたらとくっついてくるので正直煩わしかった。
「あはは、…少しでも、仲良くなってくれたら嬉しいよ。みんな僕の兄弟のようなものだから」
「…みんな、絆が強いのね」
「うん、僕らは孤児院で育ったんだ。それを救ってくれたのが、マザー…あ、ええと、アルミーダ様なんだ」
「そう…」
(回帰前の世界に彼らはいなかった。…アルミーダがどこぞから連れて来たと考えるのが妥当だけど)
どんな手段を使っても、自身の望みはかなえるつもりではあるが、自らリスクを踏むつもりはない。メロウは彼らと一線を引いていた。
それがどうにももどかしいらしく、ジークはいつも声をかけてくる。呆れるくらい人がいいのか、それとも別の目的があるのか。
それを見極めない限り、メロウは親しくするつもりはないのである。
「それじゃあ、おやすみなさい。ジーク、また明日ね」
「あ…う、うん」
笑顔でくるりと踵を返し、用意された部屋に戻る。
その時ふと、妙な違和感を察し、立ち止まった。
(…何かしら?この気配)
目視で確認できない別の場所。
何処か離れた場所で、なじみのある気配が漂っている。それは、恐らくメロウにしか、感じられないであろう気配だった。それは、陽だまりに生きる者たちにとっては忌み嫌われる存在であり、影で潜む者たちの眷属特有のものだった。
「そう言えば…以前、けしかけたことがあったっけ…くす」
そう、自分はただ、ありのままを伝え、代弁しただけ。
彼女の想いに、彼女の心に潜む願望に。
(でも、自己責任よ?…ねえ、サリアさん)
**
(あの時の声は…幻?)
その後、数日たっても、例の声からの連絡はなかった。ただ、サリアの頭の中では様々な出来事がぐるぐると駆け巡り、部屋でぼうっとすることが増えた。
(でも…クライスも言っていた、消せばいいと。)
それはメロウ・クライスが、このアウラローラ宮を去るとき、最期の挨拶にやって来た時のことである。
「それでは、お元気で。サリアさん」
「ええ」
話をする気など毛頭ない。
椅子に座ったまま、爪の艶を気にしながら対応していると、突然メロウが笑い出した。
「ふふ…」
「…何?失礼じゃなくて、クライス令嬢」
「失礼なのはどちらかしら?こうして客人が目の前にいるというのに、その態度…未来の王妃様、なんてとてもじゃないけれど、無理じゃない?」
カッとなった。
こんな下賤な小娘に対応する時間すらもったいない、そう思っていたから。
「そう思うと可笑しくて…ふふふ、それじゃあ相手にされないわけよね?サリア・メドソン」
「なっ‥‥」
パッと衝動的に手をあげると、メロウはひるむことなく平手打ちを受け、ままほほ笑みながらこちらを睨みつける。
「ほら、そうやって…気に入らないことがあったら手を挙げて。とってもヒステリック」
「黙れ!!」
「知ってるのよ、私。あなたって実は、すごく攻撃的で、獣並みの理性しかない。…そんなじゃあ、アリセレスには一生敵わない。わかってるんでしょ?リヴィエルトにとって、候補者なんてあの男にとってはただの体裁。あんたに一ミリのかけらも興味がないんだってこと」
「この…っ!!」
力任せに振った腕は、軽やかによけられてしまう。
メロウはそのままくるりと回転すると、隙のないカーテシ―を見せた。
「一つだけアドバイス。アリセレスさえいなければ、順当にいけばあなたが正式な婚約者に繰り上がるんじゃないかしら」
「!」
「その前にゴルトマンがいるけど…敵じゃないでしょ?」
「……あんた、どういうつもり」
「別に。私、あの男が嫌いなだけ。積年の想いとやらも、叶わなければいいって心底思う。それだけ…じゃあ、ごきげんよう」
(アリセレスを…消す)
そんなことは可能だろうか?いや、不可能ではない。だが、自分の身も危うい。しかし、そんなサリアの疑問に答えるように、姿の見えない例の声はやって来た。
――ごきげんよう。サリア・メドソン
「…!待っていたわ!」
上から青い糸を伴った蜘蛛が一匹姿を現す。
「く、蜘蛛?」
――あら、待っていたんでしょう?
「…この間の続きが聞きたくて」
サリアの応答に、蜘蛛は姿を現し、サリアの手のひらに乗る。
――私たちは貴方たちの隣に住む【隣人】…何処にでもいて、いつも見ている
「隣人?それがどうか?…それより、聞かせて頂戴」
――くすくす…あなたみたいな激情的な女性、キライじゃない。でも、本当にいいの?
この国に伝わる本、伝承、様々な文献から、【隣人】という存在がどういうものか、知らないわけではない。生きている以上彼らと関わることは、全くないとは言い切れない程、彼らは常に我々を見ているという。
魅力的な姿と声を使って巧妙に誘い、誘惑し魂を食らう。この王国では、最も近くにいて、最も遠い住人達のことを指す。
(でも、どうせ私の魂が喰われるのは、死んだあとの事…なら、今の方が重要よ)
「取引するんでしょう?…報酬と内容を言っていただけるかしら?」
―あなたが望むのは、アリセレスの消滅?それとも、王妃の座?それとも…彼の心?
ここで、サリアは考える。
消滅を望んだとして、その先は?王妃の座を座るだけでは意味がない。リヴィエルトの心は、とても魅力的ではあるけれど。
(答えは慎重に選ばないと…)
「…リスクは負いたくない、確実な方法がいい」
―慎重ね。じゃあ、こういうのは?アリセレス・エル・ロイセントという一人の人間を、完全に消してしまうの。
「消す?…どういうこと」
――文字通り、存在を【抹消】させるの。私たちに不可能なことはない
「でも…そのあとは」
――あなたなら、できるでしょう。その誰にも負けない美しい容姿と、豊満な身体と…十分誘惑できるわ。
「誘惑…」
思わずつばを飲み込む。
一度だけ。チャンスさえあれば。
この世界には『毒』が数多くある。権力を使って、探せば…王家の人間の仲間入りを切に望む父に頼んでも、それは容易に入手できる。
――どお?
かさかさと蜘蛛は動き、サリアの手のひらに落ちてきた。
「…でも、」
――そうね、まずは…わたくしを信頼してもらわないと。まずは、邪魔者を一人、舞台から降ろしましょうか。
「邪魔者?」
――ええ、いるでしょう。マリーミア・ゴルトマン。彼女を候補者から辞退させてあげる
「ゴルトマン…」
――ふふ、待ってて。すぐに、結果を見せてあげる
「わかった…」
そう言葉にすると、ふっと周りの空気が和らいだ。
「あの、お嬢様…?」
「?!」
驚いて周囲を見渡すが、もうそこに蜘蛛の姿はなかった。
(夢…?いいえ)
「…もう、休む」
「はい。…その、あまり気を落とされませんよう」
長年仕えていたはずのメイドは、見た事のないような怯えた様子で退出していく。その様子を冷めた目で見ながら、なぜかサリアは笑っていた。
「ふふ…あははっ…ハハ… …消せるって?あいつを…そう、ふふ…」
ふと、自分の顔は今どんな顔しているんだろう、と思った。
ただとても気分がよく、何かから解き放たれたような、言葉に言い表せないほどの開放的な気分だった。
「そう…私に相応しいのは、美しい座と、あの方からいただく寵愛ときらびやかな日々…何かが間違っているから、それが、元に戻るだけの話…!!」
それでも、どこか後ろめたい迫りくる後悔が、その身を蝕んでいくのを実感していた。
不定期にかかわらず、読んでいただき、ありがとうございます!思うところがあって、色々と手直してしまいました。




