89 すれ違う思い
「まさか、こんな形でお嬢様のエスコートをお任せいただけるとは」
「確かに…でも、こういうのお手の物、でしょう?」
「ブランクがあるので、ご容赦を」
ヴェガは少し窮屈そうにタイの結び目を絞める。
いつものダークスーツだが、今日は少し違う。一応外交の一端ということで、なぜか周りが張り切り、タイにはロイセント家の紋章が刺繍されたロイセント家の騎士の正装を着用している。
きっちりとセットされた髪に、優雅な身のこなし。
うっかり年頃の令嬢の目に留まれば、瞬く間に夢見心地に落ちることだろう。
(うーん、さすが元・王子殿下…様になってるなんてものじゃない)
「こういう格好は久しぶりだ。変じゃないか?」
「いや、全然。すごく似合ってるし…うちの騎士の正装が霞みそう」
今日はローラン諸侯連合議長の夫人、セナ・バイズールが催した茶会である。
どうせなら、この国の法式にのっとってゆっくりと時間を取りたい!ということで現地のメイド達の力を借りて実現したいわゆるアフタヌーン・タイムとのことで、本日は愛娘チリと年の近い弟セイレムを同伴し、アリスは一客人としてやって来た。
「セイレム、大丈夫?緊張してない?」
「き、きんちょうするけど、だいじょう ぶ!」
「公式訪問は初めてですね。坊ちゃま」
「う うん。ヴェガは…平気なの?」
「まあ、俺は…こういうのあまり緊張しないので」
「いいなあ」
心細そうにセイレムが言うと、ガタン、と馬車は止まった。
「さ、ほらついた」
「アリスは僕がえすこーとする!」
「あ、セイレム様。俺の役目をとらないでくださいな」
そう言うと、ヴェガはセイレムを抱き上げ、二人で一緒に手を差し出した。その手を取り、思わずアリスは笑ってしまった。
「なんだか、贅沢だな」
「ようこそ!アリス!」
「お招きありがとうございます、バイズール夫人」
「いいのよ、私のことはセナ、と呼んでくださいな」
「こんにちはヴェガ!」
「俺までお招きくださりありがとうございます、ルキオ」
ニコニコと満面の笑みを浮かべた夫人は、ぎゅっとアリスに抱き着いた。
ここは、王宮より少し離れた場所にある邸の内の一つ。主に他国の賓客や、地方の高官が首都にやってくる際に使う王室管理の邸である。
シンプルでかつ精巧な細工の施された調度品が並ぶこの部屋には、テーブルいっぱいに数々のお菓子が並べられていた。
中には、見慣れたお菓子の他にアリスでさえ初めて見るお菓子もあった。
サクサクとした生地の上にカスタードクリームを固くしたものが乗っている…本で見たことがある。
「このお菓子は…?」
「それはね、我が国のお菓子で、エッグタルトというの。…こちらにある材料でも作れたから、久しぶりに作ってみたの!」
「へえええ…!」
「それとね…あ、あらチリ?」
すると、遥か後方で壁ごしにじっと見ているチリの姿があった。
壁から半分だけ顔を出してはパッと隠してしまう。
「ええと…あ、そうか。ほら、セイレム。ご挨拶」
「え?!う、うん」
カチコチのセイレムに、ヴェガがこそっとささやく。
「こういう時、男の子の方からエスコートしないと!ほら、胸張って」
「そ、そうなの?わかった!頑張る」
「!!」
彼なりに精一杯胸を張っているのだろうが、緊張のあまり右手足と左手足が全く同じ動きをしており、なんともほほえましい。
じり、じりと近づくと、チリの前に立ち、そっと手を差し伸べる。
「初めまして!セイレム・アイル・ロイセント、です!」
「は、はじめまして…ち、チリです」
真っ赤になったチリは、もじもじしながら、ぎゅっとセイレムの手を握る。それを見て、慌ててセナ夫人は駆け寄る。
「あ、ち、チリ…こういう時は、握るんじゃなくて、手をのせるの!」
「え?!あ あぅ えっと」
多少面食らったような表情のセイレムだったが、すぐにパッと笑顔になった。
「へへ、じゃあ、これで僕たち、お友達だね」
「!!うん」
(うっ…かわ くぁわいい…!)
「子供っていうのはすごい、すぐ仲良くなれるんだな」
感心しながらヴェガが言うと、うんうんとその場にいる全員が同意した。
「それにしてもすごいわね…この国では、魔法道具の技術が進化しているのね」
セナが腕にはめたブレスレットを見てしみじみと呟く。
それは、魔防技術開発研究所…いわゆる第4機関が発明した『言語変換機』である。開発中ではあるため、認識する言語は少ないもの、日常会話なら問題なくできる。
精度を挙げる『実験と研究』を兼ねて貸し出しているらしい。
「そう言えば…ローランでの魔法についてあまり聞いたことがありませんが…あちらにも『魔法』はあるのでしょうか?」
「ええ勿論。魔法…というよりは、あちらでは『呪術』や『魔術』に近いかしら?最も、使える人間は一握りではあるけれど」
ローラン諸侯連合は魔法技術よりは機械技術など、木工技術や石工技術…そういった例えばからくりのような、道具を作製する技術が盛んらしい。
たびたび噂に聞く、「鉄道」の建設などもローランの科学技術の叡智の賜物と言えよう。
「法より術式…つまり個人の持つ潜在能力と知識に左右されるということ?」
「そうなるわね。起源は同じだと思うけど、レスカーラは応用を、ローランはそのままの形を残したでのね」
「起源は同じ?」
「ええ。こちらの国では、元はレスカーラもローランも同じ一つの国だったと、そう伝わっているわ」
「へえ…?初めて聞きました」
ヴェガ…もとい、ベルメリオも、多少ではあるが魔法学の基礎知識は覚えていたはずだが、その情報は初めてだった。
「…ああ、そう言えば。遠い昔、レジュアンとローラン西側とレスカーラと…地続きの一つの国だと聞いたことがある」
何気なく発したアリスの言葉だが、セナ夫人は感心したように目を見開いた。同様に、ヴェガもまじまじとアリスを見た。
「え?」
「まあ…驚いたわ。あなたは本当に、歴史に詳しいのねえ」
「そ、そんな たまたまです。あー…何処で、読んだのだったか」
「……随分詳しいんだな。何の本を読んだんだ?」
「さあ?…忘れた」
「ふうん…?」
(また、か…)
こういう時、アリスの様子はどこかおかしい。
何かをはぐらかすような、そわそわしたような…妙な違和感を抱く。
「偉大な魔女が、この地に堕ちた神を打倒して世に魔法を広めた…そして、一人の英雄と結ばれ、三つの国を作ってそれぞれの国を与えた…素敵な話よね」
「え?」
「あら?違ったかしら…レスカーラではどんな風に伝わっているの?」
「魔女が 人間と結ばれて、子供を?」
「そうなの?ローランでは、魔女と呼ばれる存在はもうほとんどいないから…でも、ローラント王国の祖は魔女だと聞いているわ」
「…そんな、ありえない」
「そう言えば、こちらに伝わる魔女の話は、名も無き魔女の冒険譚がほとんどですね。その魔女と同じだったらおもしろ…」
ヴェガは思わず言葉を止めた。
「アリス…ええと、お嬢様?」
「えッ?…あ、ごめん、何だっけ」
「いや…」
(…?様子がおかしい。なんでこんなに顔色が悪い)
「アリ…」
「そ、そう言えば…!友人から聞きました。そちらでは、木材を使用した万年筆が人気あるとか!」
「万年筆?…ああ!これのことかしら」
そう言って侍女に持ってこさせたのは、繊細な装飾が彫られた木造のペンだった。
「おお…装飾が綺麗…!」
「そうなのー夫が私に贈ってくれた逸品なのよ。この世に二つとない品なの」
ニコニコと語る夫人を見て、アリスもまた目を細める。
「ふふ、実は私も、友人からもらった大切なペンシルがあるんです」
「まあ、どんな?」
「これです。…まだ、研究段階のようですけれど。ほら、インクを補充しなくても、中の綿にインクをしみこませて…」
その一言で、話題は切り替わった。
「……今は、騙されてやるけど」
ぽつりとつぶやいたヴェガの声は、誰にも聞こえずにぎやかな声にかき消された。
「あらら、眠ってしまったみたい」
「たくさん遊んでいましたものね」
時刻は夕暮れ。
子供たちはそれぞれ天使のような表情ですやすやと眠りについている。唯一年長のルキオもまた、眠たそうにごしごしと目をこすっていた。
「そろそろ帰らないと…ダンダモンテさんによろしくお伝えください」
「ええ。今度は、あなたが誘ってね、アリス!」
「はい!」
今日はセイレムがいるから、ということで馬車に乗り込む。
「お別れを言えなかったけど…また、逢えるか」
「チリと坊ちゃんはとても気が合ったみたいだな」
「同じ年代の子供と遊んだのは…セイレムも初めてかも。楽しそうでよかった」
「…アリスは楽しかった?」
「勿論!異国の方の話は面白いし」
「……なあ」
「ん?」
「顔色、良くない。…どこか悪いのか?」
ぴたり、とアリス表情が固まる。
「そう、見える?」
「魔女の話を聞いた時から、様子がおかしかった」
「……それで?」
「それで、って…」
「ヴェガには関係ないことだ」
ずきり、と胸が痛む。
(拒絶…されているのか、俺は)
「…リヴィエルトなら、話すのか?」
思わず出た言葉に、アリスは眉を顰める。
「なぜそこで、彼が出てくる」
「仲がいいだろう」
「別に…そんなつもりはない」
「また、それか」
「何?随分と今日は絡んでくるじゃないか」
「…隠すなら、もっとうまく隠せ」
「…え?」
「辛いなら、表情を見せるな。…気になってしょうがない」
「ヴェガ……?」
「言いたくないなら言わなくてもいい。隠したいなら、弱っているところを見せるな。昔から、すぐ表情に出るくせに、頼ろうともしない」
「昔からって…」
無茶苦茶なことを言っているのも、ヴェガは理解しているつもりだ。
ただの八つ当たり…ただの、不平不満だ。
「そんなの、見てるこっちが辛いだけだ」
「…ヴェガ!私は」
「け、ケンカはダメ!!!!」
突然、出た声に、二人は驚いてしまった。
「セ、セイレム」
「仲良くして、二人とも!」
「大丈夫ですよ、坊ちゃん…もう少し眠ってても大丈夫です」
「…う、うん…」
「ヴェガ…」
「…いい、さっきのは忘れて。ただの八つ当たりだから」
(ああ…僕、なんか悪いことしちゃったのかなあ…)
馬車の中は、どこか妙に冷たい空気が流れる。
さっきまで幸せだった気分は、今はすっかり冷え込んでしまった。こんな状況で眠れるはずもなく…セイレムは子供心に、この時間が早く終わればいいのに、と思ってしまった。




