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88 花が毒に変わるとき


「どうしてよ!!!」


パリン、と派手な音が響く。

王妃候補者たるサリアに相応しく、このアウローラ宮に来た時賜った陶器のティーカップは、理不尽に壁にたたきつけられ、抗議の悲鳴を上げて砕け散る。

銀色の淵で描かれた白きカサブランカの花は無残に粉々になり、サリアはその破片を何度も何度も踏みつぶした。


「あの女!!あの女!!!…っ赦せない!!!」

「お、お嬢様…け、けがを」

「うるさい!!!」

「あっ…」


激昂した主人を抑えようと傍仕えのメイドの一人が飛び出す。それを容赦なく跳ね飛ばすと、拍子にメイドからちらりと金色の髪がひと房落ちる。


「…あんたも、金色なんだ」

「え?…ひぃっ」


荒々しい感情は、徐々に大きくなり、苛々と体の中を駆け巡る不快感は消えない。

運悪く金髪だったという理不尽な理由で、一人のメイドの髪は思い切り引っ張られる。許しを懇願する間もなく、散らばった破片の上に頭を押し付けられると、バキバキと耳をふさぎたくなるような異音が聞こえ、メイドの叫び声が響く。


「あ―――…イライラするっ!!!」

「ぎゃあぁッ…!お、お許しくださっ 痛 い!!いやああああ…」

「あいつが…あの女が晩餐会のパートナーですって…?!許せない…!!」



――それは先日のこと。


「今日も陛下はいらっしゃらないのね…」


以前なら週に一度はリヴィエルトとのティータイムが催されていた。しかし、最近は音沙汰もなく、使いの者を送っても多忙という理由で突き返されてしまう。


(最近、陛下はお忙しいみたい…無理もないわよね)


遠き異国、ローラン諸侯連合の話はサリアも知っている。王宮の諜報のそれほどではないにしても、それなりの戦況と情況は独自の情報網と高官である父から窺い聞いていた。

しかしこの度晩餐会が催されることとなり、王宮内外でそのパートナー選びに注目が集まっていた。新しい君主の来訪に、誰が若き国王陛下の隣に立つのか。

リヴィエルトが即位してから2年程。国を挙げての外交的な公式的行事がこれが初めての出来事となるが、これにリヴィエルトのパートナーとして共に参加するのは、大きな意味を持つ。


「大丈夫ですよ、お嬢様!旦那様も尽力されていらっしゃいますし…あのゴルトマン令嬢なんかに外交が務まるわけないですもの」

「そうですわ!」


微妙な空気を察してか、メイド達はどこか気遣うようにサリアに接していることも気づいていた。だが、その場にいる全員が心の何処かである可能性に気づいていた。


「……」


王妃候補してのニカレア・ハーシュレイの辞退から始まり、エミリア・シドレンの療養のための辞退、そしてつい先日、メロウ・クライスの辞退が報道されたばかり。

残された候補者は、サリア・メドソンとマリーミア・ゴルトマン二人となった。しかしあるいは…と。


「お嬢様、お茶のお代わりはいかがですか?」

「ええ、戴こうかしら」

「サリア…」

「あ、お父様!…枢密院での会議は終わったのですね?」

「ああ、すまない、実は…陛下が選んだのは」

「…?あの」

「   」


その言葉を聞いた瞬間、サリアの心の中で保っていた何かが打ち砕かれた。


「サリア…あっ」


いてもたってもいられなく、いつもはキチンと身なりを整えて、半日かけて準備をしていくにも関わらず、部屋着の質素なドレスのまま、気が付いたら駆け出していた。


「リヴィエルト様!!!」


(私の名前は『サリア・メドソン』…アルミーダ王妃の縁戚でもあり、内閣枢密院の長の一人であるメドソン公爵家の一人娘よ…!!なのに)


開け放った執務室の扉の先に、集まった高官の中にロイセント公爵の姿を見つける。それを一度ねめつけると道を阻める者たちを押しのけ、前に出る。


「今は、審議の報告中です。メドソン令嬢と言えど、時と場合を」

「なぜ…今度の晩餐会に、私達候補者達ではなく、あの女をお選びにならなかったのですかっ?!」


いつもは絵にかいたような模倣的な令嬢の取り乱した姿に、一同唖然となる。

それを軽く一瞥すると、リヴィエルトはため息をついた。


「クライス令嬢と言い、あなたと言い…私の執務室に入る際はきちんと礼節を持ってほしいものだ」

「どうして…?!私は名門メドソン家の令嬢です!!未来の后であり、知識だって礼儀だって…」

「今の姿を見ても、礼儀がどうこう仰るつもりか?」


ようやくサリアは自分の様相を顧み、さっと下を向く。

リヴィエルトは再びため息をつくと、自身の上着を脱ぎ、白い肌があらわとなった肩の上にかける。


「も、もうしわけ…」

「理由はいろいろとある。家柄、身分、知識もそうだが…あなたやゴルトマン令嬢には荷が重い、と判断したまで」

「荷が重い…ですって?」


その言葉に絶句する。

慌ててサリアの後を追ってきたメドソン公爵もまた、その光景を見て言葉を失う。


「……社交界にもロクに出ない彼女にはそれに見合う能力があると?」

「社交界…ね。私はあまり()()()()でのやり取りを重要視していない。どんな交渉事にも動じない対応力と度胸、洞察力が必要だと感じている。彼女は自身で事業もしているし、見聞も広くローランの言語も嗜んでいる。問題ないと思うが」


真っ直ぐ曇りなき強い視線にサリアは思わずひるんだ。


「…そ あ… っ」

「確かに君と彼女は、爵位の序列も身分も同等だろう。ならば、今度の外交の要となるリカルド・ロイセント公爵のお墨付きである人物を起用するのは当然だ」

「…っ」

「…ああ、メドソン公爵、令嬢は疲れているようだ。数日自宅に戻って療養しては?」

「サリア…」


鋭利な言葉に見かねたロイセント公爵は、彼らの退出を見送ると、嗜めるようにリヴィエルトに声をかける。


「恐れながら…陛下は、候補者達を…」

「ないがしろにしている、か?」

「…言葉が過ぎます、が…」

「仕方がないだろう?事実を言ったまでのこと」

「陛下……」

「王妃派の人間を妻に迎えるわけにはいかない。…この晩餐会では、母上に主導を握られては困る」


何事もなかったようにリヴィエルトは休めた手を戻した。

ハラハラと様子を窺っていた補佐のキリルも大きくため息をつく。


(陛下は焦っておられるのか…それとも)


新たに発足される白騎士団、それが公式に発表となってからというもの、王妃派と国王派の緊張が高まってきている。噂では、以前候補に挙がっていたメロウ・クライスも籍を置いたということで、内閣で力をつけてき始めていたクライス家の動向も注視が必要な状況である。

中立を保ってきた貴族たちの間でも、この晩餐会の結果を重視している。静観の姿勢が多く、どちらにつくべきか吟味している節があり、王宮内は異様に静かだった。


(嵐の前の静けさでなければいいが…)



**


「はあ…はあ…っ」


ここは、アウローラ宮の一室…ではあるが、各部屋とも防音に秀でた造りであるため、外部にその音が漏れることはない。

ひとしきり殴り終わった後、何度か荒く息を吐く。

糸が切れたように呆然と立ち尽くするサリアを見て、赤く染まった絨毯の上でうめくメイドを一番年配のメイドが救出すると、他のメイド達に退出を促した。


「お嬢様…」

「…わたしは、…っ」


幼いころから蝶よ花よと育てられ、欲しい物は全て与えられてきた。母親譲りのプラチナブロンドは風になびくとキラキラ光り、父譲りの青い瞳はサファイヤみたいでとても綺麗。

そう言われてきた彼女は父と母の寵愛を一身に受け、自信に満ち溢れた令嬢へと成長していく。

10歳の頃、初めてリヴィエルトと初めて出逢うのだが…その美しさに衝撃を受けた。


「初めまして、君が…サリア?」

「…は、はい!!王子様!!」


自分と年の近い、まるで絵本の中にしかいないと思っていた王子様。軽く微笑みかけられるだけで胸はときめき、顔は紅潮していく。


(私…いつか、この方のお嫁さんになりたい…!いいえ、きっとなれるわ!)


しかし、その思いは一瞬にして砕け散る。


「綺麗な金色の髪だ。…あの子と似ている」

「…え?」


(あの子?あの子って…)


その時気が付いた、この王子様は自分など見ていない。宝石みたいな瞳は、彼の言う『あの子』しかないということを。


「あの子‥とはどなたですの?わ、私も仲良くなりたいですわ!」


震える手をぎゅっと握り、表情は取り繕ったまま。

そんなことはつゆとも知らず、彼はふっと笑ってこういった。


「…アリス、アリセレス・ロイセント」

「!!!」

「年齢も近いし、いずれ会うこともあるだろう」

「そ、そうですか…」


そのとき、初めて感じた敗北感。

せっかく咲いた花は、咲き切る前に見えない力で花びらごと散らされてしまった。


(クライスも、ハーシュレイも、シドレンも…いなくなって、あとはゴルトマンだけが残った…)


チャンスだと、ライバルが減ったと。

心の何処かで喜んでいた自分がいた。

でも、まるで見えない壁に向かってあがくような、足元が砂で自由が奪われていくような…あの時感じた敗北感が消えない傷となり、じくじくと痛む。

それは、なぜ?


あんな女、死ねばいいのに―――


「?!」


耳元ではっきりと…サリアの心の内を代弁するように誰かが話しかけた。

振り返ると、いつの間にか部屋には誰もいない。豪華な絨毯の上には無残な姿に変わった血まみれのカサブランカの破片だけが残っていた。


―――ハーシュレイはもともと結婚自体に興味がなかったし、シドレンは身体が弱いもの、無理無理。


「だ。誰?!」


―――ゴルトマンは、単細胞だし、敵じゃない。


「何よ…だれかいるの?!」


―――クライスも言っていた…邪魔なら消せばいいって。


その言葉に、ドクンと心臓が飛び跳ねた。


「邪魔なら…消す?あの、女を」


言葉にしてみて、気が付いた。

いつの間にか、口元に笑みが浮かんでいたことを。


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