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86 キルケと養父と


アリセレスが思いがけない縁で、ローランの要人と遭遇している時。

外交院など、主要の建物が並ぶ2番街から一駅ほど歩いた大きな公園では、キルケはドリーと二人で歩いていた。

はらはらとまるで花びらのように空から舞い落ちる雪を見て、ふっと息を吐く。


(そう言えば…あの日も、今みたいな雪が降っていたなぁ)


今日は休日。

昼間の公園は、雪の天候にも関わらず人が多く、友人同士ではしゃぎながら雪だるまの作成を勤しむ子供たちや、小さな子供を連れた家族などが雪遊びに興じている。

ひときわ大きな雪だるまをちらちらと横目で見ながら、ドリーはキルケの前を歩く。


「お兄ちゃん、見て!おっきい!」


白いポンポンのついたマフラーが、風に揺れる。空に両手をいっぱいに広げてはとことこと走りながらはしゃぐ姿は、普段の大人びた言動とは違って年相応に見える。


(やっぱり、まだ子供だなあ)


「ドリー、あまり外にいると風邪引いちゃうよ?」

「これくらい大丈夫!…ねえ、この丸いの、なんていうの?」

「雪だるまってやつ。あ、あれなんてかわいいな。マフラーしてる」

「ほんとだ!ふふ。顔もついてる!…あ、ねえあそこ!」


ドリーが指さす方角を見ると、飾りつけされたモミの木の根元に、大きな雪だるまを一つ作れるくらいのスペースを発見した。


「よし!俺たちもつくろっか」

「うん!ねえ、どうやって作るの?」

「えーと…こうやって丸めて‥‥」


しゃがみ込んで雪を集めていると、ふと、妙な視線を感じた。


「…?」


辺りを見渡すと、白いコートの男性がこちらをじっと見つめているのに気が付いた。


(白のコートに、白の外套…)


真っ白い雪の中では、白いコートよりも、肩から垂らした黒い髪が良く目立つ。一本に束ねた長い髪には、赤い紐が結ばれ、独特の雰囲気を演出している。

その姿を見た瞬間、キルケの表情が強張る。


「何で…ここに」

「お兄ちゃん?どうしたの?」

「あ…いや えっと」


この場から離れるべきか、それとも。

どちらにすべきか逡巡するも、思った方向に足が動かない。その間にも、男性はこちらにゆっくりと近づいてくる。

妙な空気に一抹の不安を感じたドロレスは、キルケの手をぎゅっと握る。その瞬間、金縛りがとけたようにはっと我に返る。


「だいじょうぶ?…具合、悪い?」

「いや…ごめん、心配させちゃったな」


(そうだ、逃げも隠れもする必要もないじゃないか…でも)

どんな表情をしたらいいかわからず、目を背ける。


「…セイフェス・クロム」


キルケが放った言葉に、セイフェスは一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐに静かに微笑んだ。


(‥そう、あの日も、こんなふうに少し雪が降っていた)


それは、随分と前の事。その旅はいつから始まったのか…記憶が曖昧で、もう覚えていない。養父であるセイフェスと、キルケはある目的のために、二人で旅をしていた。

その目的とは…『キルケの母親』に会いに行くこと。

キルケが今のドリーよりも幼く、何の力を持たなかった頃…キルケは、多くの子供と共に、古びた家に押し込まれて住んでいた時があった。

ある日突然セイフェスがやってきたその瞬間から…それは唐突に終焉を迎える。


「ねえ、父さん。オレの母さんてどんな人?」

「さあ、どうだったかな」


母について聞くと、いつもセイフェスは言葉を濁す。

自分の本当の父親は、セイフェスかもなどと考えてこともあったが、それも違うようで…二人がどういう関係だったのかなど、子供に想像する術はなかった。

しかし、旅の道中セイフェスはキルケに様々なことを教えていった。それが面白くて、終いにはそんなことは気にもしなくなった。

手を伸ばせば、それを掴んでくれる。

疑問を聞けば、教えてくれるし、寒い時は一緒に寄り添い、暑い時は水辺に連れて行ってくれる。

それで十分だったのだ。

ただ、旅をしながらセイフェスは何かを探しているようで…時々、キルケをおいて『仕事』に出かけて行った。それはほんの数日の事だったり、時にはその日のうちに還ってくることもある。

必ず戻ってきてくれるのはわかっていたし、それほど寂しさを感じたことはない。

だが、ある日気が付く。

いつみても、キルケの瞳に映るセイフェスの姿は変わらない。

確実に時間を重ねているはずなのに、出会ったときから、まるで変わらない。仮面のように張り付いた笑顔…何もかもいつも通りで、それが『おかしい』ということに。

一度思えば、疑問は徐々に膨らむ。それを見ないふりをして過ごし、アリセレスと出会い、ケンと出会い…別れてから数年の後の事。


キルケの生母は実はもう死んでいること、南にある郊外の農村に彼女が眠る墓があるということを教えてくれた。

その頃には、大体のことは理解できたし、希望のように思っていた母についても、どんな結果であろうと受け取めることができた。


一番の恐怖は…セイフェスと離れる事。それだけだった。

だが、ある日それが現実になる。

それは、例の『魔女キルケ』の日記が届いた時の事だった。


その本を見せてからというもの、明らかにセイフェスの様子はおかしくなった。険しい表情に、いつも何かを考え込んでいるような…イライラとした様子。


「キルケ、来月からレジュアンの学校に通うと良い」

「え?…学校??そりゃ、嬉しいけど…」

「そこは全寮制だし、食も住処も提供してくれるし、うまくいけば卒業してから働きに出ることも造作のないことだろう」


いつもの旅支度を整えたセイフェスは、キルケに大量の書類と、大金を渡した。


「ちょ、なにこれ。…オレ、行くなんて!セイフェスはどうするのさ!」

「私は一度レスカーラに行く」

「レ、レスカーラなら、オレも…」

「来るな」

「え?」

「しばらく、あそこには行かせない。‥‥邪魔だ」

「え」

()()()()()の事も、忘れなさい」


そう言って、セイフェスはキルケに向かって手をかざそうとした。けれど、一度ため息をつきそのまま背を向ける。


「ま、待ってよ!父さん!!オレも行くよ!!だから‥‥」


何度叫んでも、一度も振り返ることはなかった。

舞い落ちる雪に隠され…セイフェスの姿は忽然と消えた。そして二度と、キルケの元に姿を見せることはなかった。

再び、セイフェス・クロムという名前を知るのは、例の本が発売された時の事である。


(それが、今…)


「昔みたいに、父さんとは呼ばないのか?」

「…あんたは、オレを邪魔だと捨てた。もう赤の他人だろ」

「心外だなぁ。ちゃんと銀行に生活費も振り込んでるし、住処だって用意してるじゃないか」

「そんなの当然だよ。…あんたが教えてくれたんだ。利用できるものは、たとえ気に入らないやつからの()()でももらえる物は受け取っておけ、って」

「施し。ねえ…愛情と言ってくれないか?私だって赤の他人にそんなことしないっていうのに」


わざとらしく首を左右に振る様子を一度ねめつけ、くるりと背を向ける。


「行くよ、ドリー」

「う、うん?」

「その子…キルケの恋人?」

「んなわけあるか!!!」

「あ、じゃあ隠し子かな」

「大きすぎだろ?!…あ」


が、思いがけない言葉に突っこんでしまい…結局、真正面から対峙することとなった。


「ふむ、やっとこっち見たね」

「‥‥‥ぐ」


(久しぶりに見る…けれど、変わらない、やっぱり。セイフェスは)


あの頃から比べて、少し大人になった今なら。

…ファントム・ハンターとして、色々な人外の生き物を見てきた今だからこそ、セイフェス・クロムという存在に近づくことができたような気がする。


「少しか、大人になったようだ。背も伸びたし、もう私と並ぶくらいかな」

「…オレだって、もう20過ぎてるし」

「成人祝いくらいしてあげないとならないかな」

「‥‥‥いらないよ、そんなの」


こうしてセイフェスと話すのはおよそ6年ぶりくらいだろうか?

心の何処かで妙に胸がざわつくような、どこか嬉しいような気持ちになる自分に嫌気がさす。言葉を重ねれば重ねるほど、キルケは自分が子供になっていくような、そんな錯覚に陥りそうになる。


「お兄ちゃん、…この人、魔法使いなの?」

「え?!なんで…」

「だって、普通と違うもの」

「そ、それは、そうだけど」


長年言えなかった言葉を、ドリーはあっさりと言葉にしてしまった。それに否定はせず、ドリーに目線を合わせ、セイフェスはゆっくりと笑って見せる。


「いい子だ。君はキルケより大人だね」

「!!」


思わず反論を言おうと口を出そうとしたキルケだったが、構わず続ける。


「そう…私は魔法使い。人とは違う時間を生き、違う世界を見てる」

「どれくらい?」

「君が想像つかないくらい。…ルビーの瞳のお嬢さん」

「…おじさんは、悪い人?」

「おじ…」


おじさん、という言葉に少し傷ついたようなセイフェスを見て、キルケはつい吹き出してしまった。


「わ、悪い人ではない、よ。うん」

「そう。……だって、お兄ちゃん」

「え?!」

「なら、仲直りしないと」

「な、なんでそうなるの?」

「だって、悪い人かもしれないって怒ってたんでしょう?」

「ええと‥‥」

「なんだ…キルケより、本当にこの子の方が大人じゃないか」

「う、うるさい」


それでもぎこちない二人をみて、ドリーは首を傾げるが、そのまま二人の手を掴んで、合わせる。


「ほら、あくしゅ!お姉ちゃんが、ケンカの仲直りはあくしゅが一番!て言ってたもの」

「あはは、まあたしかにね」

「…ふんっ」


ドリーを見て、観念をしたのか…キルケは一度大きく息を吐いた。


「…いや、うん。そうだよな…」


微妙につないでいた手を一度離し、自分からセイフェスの手を握った。


「ごめん。勝手に拗ねるより、今のドリーみたいにわからないことを聞けばよかったんだ」

「……キルケ」

「今なら教えてくれるよな?…父さんは、何者で、何の目的で動いているんだ?」

「……」

「あんたが離れていったあと、オレなりに父さんを探して…過去一緒に行った場所を再度訪れてみたりもしたんだ。でも‥‥」


レジュアンの学校を卒業した後。

真っ先にキルケが起こした行動は、セイフェスと歩いた旅の軌跡をたどることだった。覚えている限りの場所を訪れては、手探りで記憶をたどる。

しかし、それを初めてから直ぐに、後悔することになる。


「不思議なことに、オレたちの事を覚えている人は誰もいなかったんだ。‥‥全員、まるで記憶事抜き取られているみたいに」


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