84 それぞれの国の特性と個性について
季節が春であれば、閉じている窓が開いて庭が解放され、外に並んだ木々が花びらを散らし、美しい景観を作り出すのだろう。
人ごみをかき分け、やっとの思いでやって来たカフェでくつろぐと、ニカレアは満面の笑みを浮かべた。最近流行のソーダ水を飲みながら、ほう、とため息をつく。
「は―――生き返りますわぁ」
「これにアイスクリームでも乗っかったら最高なのに…」
「同感ですわ!…このお店のオーナーシェフに相談してみようかしら…」
「それにしても、ここはいつもは満員御礼の人気カフェなのに、今日はガラガラだ」
「ラッキーということにしておきましょう」
現在大きな窓は閉ざされているが、代わりに大きな雪だるまや氷のランタンが作られて、訪れる客の目を楽しませている。
「ヴェガも座る?」
「…護衛に席を進める主人がいますか」
「お二人は、仲がよろしいのね」
そんな二人のやり取りを見ながら、感心したようにニカレアが言う。
「そうかな?」
「…リヴィエルト陛下が見たら、穏やかじゃなさそう」
「な、なぜそこに陛下が」
「だって、あの方の婚約者候補の辞退が三人も続いたのよ?私もその一人だけれど…益々アリスの婚約が現実的になって来たでしょう」
「…それは」
「候補を推した家門は皆怒り心頭ですわ」
「ハーシュレイ家も?」
アリセレスの問いに、ニカレアは静かに首を振る。
「うちは、お父様とお母さまが自由恋愛で結婚したもの。元々王宮に行くの反対だったし…私は自分で記者会見でやらかしたから…すっかり有名になって、仕事がやりやすくなったわ」
「したたかだな…」
「あら、商売に携わるもの、ピンチをチャンスに変えるのは鉄則よ?」
ふふん、とどや顔で語るニカレア。それを見ながらつい、笑ってしまう。
「…では、商売上手のニカレアさん。ローランの商いと取引をしたことはある?」
「ローラン…あら、情報収集?」
「あの国についてはわからないことが多すぎて…噂話なら、貿易とか流通とか…そういう方面の方がまだ情報を得られるかなって」
(晩餐会で失敗はできない…気負ってもしょうがないけれど)
「あ、そこは心配しなくても大丈夫よ、アリスなら。なんてったって、あの国は実力至上主義だもの!」
「実力至上主義…?」
「ええ。だからこそ、やりがいは大きい…私も、私の商品を気に入ってくれた方がいて、取引もどんどん増えて、右肩上がりの売り上げですわよ?」
「そう…」
「でも、そうね…ある意味あの国は、とても難しい。」
「難しい?」
「そう。年齢も性別も身分も関係ない…やり手だけが生き残れる、競争社会、とても言うべきかしら」
見れば、ヴェガがうんうんと頷いている。
「そうなの?」
「複数の王国が領地にあるでしょう?国同士のヒエラルキーという奴です、お嬢様」
「その通り!…最近まで戦争だったでしょう。それもあって、基本最低関税率は決まっているけれど、各国での上限や下限が異なるの」
「あ、…そうか、ヴェガがいた南部の方はそこまで戦禍が広がってないとか」
「小競り合いの被害の大きさで関税が変わるから…通るだけで入国料を取るところもあるし…特に火種の中央部から西部にかけては大変だったでしょう」
「どこも資金不足で悩んでいたものねえ…」
なるほど、と二人の話に耳を傾けながら、アリセレスは思案した。
(確かに…鉄道の話もあるようだが、そこまで現実的なものではないのか)
以前、リヴィエルトから聞いた、グランヒルのある東部の事情を思い出す。
「物資を売るにしても、買うにしても、各個取引をしなくてはならないのよね…」
「ワインを一本売るにしても、それぞれの国によって金額と税率が異なる?」
「でもね。うまくすればはまるの!」
そう語るニカレアの目がギラリと光る。…商売人の目だ。
「変動率が大きい…そんなに違うの?」
貿易をするにあたり、品目には『相場』というものがある。
それをベースに、銘柄や中身の質、生産された場所でのプレミア価値が付加され、金額は変わる。輸出するにも輸入するにも基本の金額からのプレミア価値の上乗せで取引される金額は変わっていく。
しかし、このローランという国には、各地区でそれぞれで個々のルールがあり、南では高騰したものが、西ではその逆に陥ったりと、とにかく変動が大きいのだ。
「ええ。それぞれの品目によっても違うし、最近までお家騒動真っただ中だったから、しゅっちゅう変動してて…常設の監視をおかないととてもじゃないけれど、対応できなかったわ」
「でも、新しい君主が立った。何か影響があるのでは?」
そう!と言って、ニカレアは身を乗り出す。
「実は、新君主は税率を統一させようとしてるらしいのよ。…それがうまく転べば、外側の国とはやり取りが楽になるけれど…内部では反発が大きいでしょうね」
「ふうん…未だ混乱の最中、というわけか」
「そう!…そこで、うちはある秘策を考えたのよ!」
「秘策?」
「こ・れ、ですわ!」
そう言って鞄から取り出したのは…一本のペンだった。
「それは…ペン?」
「ローランでは、今万年筆がトレンドなのよね。しかも、これ。天然素材で作られたもの」
ニカレアがくるくるとまわして見せたのは、木製の万年筆。丈夫で壊れにくく、染料インクも自然由来の物にも関わらず種類や柄など、細部に個人のこだわりが出て人気なのだそうだ。
「あちらでは、印刷技術の発展が目まぐるしいし、紙の品目が一番値崩れしなくて安定しているの。だから、主産業の一つと言っても過言ではないわ」
「なるほど…あちらは領土が大きい上に、近隣は山に囲まれている。木材は豊富だよな」
「そう!だから、書くものに対して注目度はすごく高いのよ」
反対に、このレスカーラは大陸とは山によって切り離された島の先端部分、特殊な環境下にある。しかも、河と海とに挟まれており、鉱山以外で特別に生産量が高いものが少ない。魔法技術の向上でそれも変化は見えつつあるもの、まだ歴史が浅い。
酒やワイン、料理技術などの品質は最高級だが、これも近年成長が著しい市場であり、群雄割拠がしのぎを削る状態である。結果、他国からの輸入で物資を得、それを加工した嗜好品や装飾品などの取引貿易に頼らざるを得ず、ローランでも本国より離れた南部の地方では、商売の取引先として優良な関係を築いている。
「そう言えば、万年筆はハーシュレイ家印の物をよく見るね」
「ええ。流行らせたのはうちだもの。まあ、レスカーラでは好んでガラス製のペン使う人が多い…ファッションやアクセサリにこだわるうちの国らしいわね」
「へえ、いいことを聞いた」
「でもね…これはまだ試作段階なんだけど」
鞄から続々と色んな種類のペンが出てきて、最期にニカレアが見せれくれたのは、ガラスでもなく、例えば万年筆のような真鍮や、木造でもない…軽そうな素材のものだった。
「これは、少し素材が違うような」
「この国では、油性の硝子ペンが主流でしょう?でも、綺麗だけどガラスはすぐ割れてしまう」
「ま、まあ、確かに」
「そこで、簡単に持ち歩けて、壊れない素材はないかしら、と考えて…最近できた、化学合成樹脂をご存じ?」
アリセレスが日々読む新聞の中には、科学的な成果を並べた「サイエンス誌」というものが存在する。
その中で、どこかの会社が木片を加工したセルロースという成分を発見し、加工してできた合成樹脂なるものの作成したと読んだ気がする。
「ええと…木片と脂だっけ、それをアルカリで混ぜたもの‥だったか?」
「そう!さすがですわ。じつはね…その会社の7割の資本が実はうちがパトローネなの」
「そうなの?!」
(恐るべし、ハーシュレイ家。手広い…)
「それを加工して、ペンの部品ができないかってお願いしてみたの。ペン先の部分やインクもアクリルを使ってみたりして…ようやくできたのがこれよ!」
持ち上げてみても…万年櫃と変わらない大きさなのに、重さが断然違った。ただ、思ったよりも持ち手が太く、ごつごつしている。
「確かに…軽いけど、お洒落好きの内の国では敬遠されそうなデザインだ」
「そうなの。女性が持ち歩くには少し不格好でしょう?まあ、難点はデザイン性よね。そこは色々と試作中よ」
「ふむふむ」
「それ際クリアすれば、本格的にこのペンを主流にしていくつもり。ローランでも何社が興味を持ってくれているし、あの国は量よりもデザイン性よりも、質の方が重視されるから」
そう言ってキラキラと目を光らせて語るニカレアはとっても楽しそうだ。それに、アリセレスにとってもとても有益な情報を得ることができた。
「…ねえ、そのペン、一つもらっても?」
「勿論。今なら、試作段階につき出血大サービス!銅貨のワンコイン一枚で提供するわ!」
「銅貨一枚…そんなものでいいのか?」
「じょ、冗談です。お友達からお金は取りませんわ」
「いいや、それは本当にすごいと思うから、コレ」
アリセレスはピンと一枚の金貨をニカレアに放った。
「あら、そんなつもりじゃなかったのに…もう、義理堅いんだから」
戸惑う様子のニカレアを見て、ふっと笑った。
「先行投資、という奴だ」
「まあ…なら、完成した暁には、専属ブランドアンバサダーに任命しちゃおうかしら」
「喜んで、それ。完成したら私にも教えてほしいな」
「!わかったわ。一月後の晩餐会にそれなりに良い結果をもたらせるよう、頑張りますわ!」
完成したら見せてくれるよう確約を得、ニカレアと別れた。アリセレスとヴェガは雪降る中、馬車の待合所に向かって歩いていく。
「さすがアリスの友人だな…」
感心したように呟くヴェガを見て、アリセレスもまた苦笑いをする。
「いや、ニカが別格なんだと思う。女性の独立した思考回路というのは、この国では稀だし…そこは陛下の政策で緩和されつつあるけど、偏見は消えない」
「なんだかんだで、リヴィエルトはこの国にとってはいい王様だな」
そう言ったヴェガの表情はどことなく誇らしげだった。何となくそれが嬉しくて、アリセレスは手を伸ばし、ややくすんだ赤毛をぐりぐりと撫でる。
「…これは何。ご褒美ですか?それとも嫌がらせですか」
「褒めてる…から、ご褒美かな?」
「髪が崩れる…全く、しょうがないな」
「あ!こら、屈むな」
一時されるがままに頭を首ごと傾けていた忠臣だったが、主の不満の声を聴き、それをやめたのだった。




