83 ピンチをチャンスに
それは、雪が降りだし、本格的な冬を迎えている最中のこと。
久しく、例の『ブロック・ヘッド事件』で新聞の一面が賑わいを見せていたものの、民衆の観衆が別のことに向き始めた頃。
とある新聞社が、一枚の広告を出した。
そこに書かれていたのは『ディーヴァ誕生』と、『27日PM3:00、王宮公園』の二文字だけ。ただ白いドレスをまとい、純白のヴェールを被った一人の少女の後姿だけのイラストが、大手の出版社が出している新聞の一面をでかでかと飾った。
「ん、なんだこれ…」
誰もが血なまぐさい記事に飽きを感じ始めており、その出版社には問い合わせが殺到したという。
「へえ何かのイベントかな?」
「これって今日の日付よね、行ってみようか?」
噂は噂を呼び、多くの人間がこの目的の場所へと足を運び始めている時と頃合いを同じくして、アリセレスの邸に一頭の高速馬車が到着した。
「ねえ、一緒に見に行きませんこと?!」
「…は?」
寒さのせいだろうか?
頬を真っ赤に紅潮したニカレア・ハーシュレイは、扉を開くと同時に開口一番、にこにこと満面の笑顔でそう誘った。
「に、ニカ…?」
「さあさあ、参りましょう!」
「え?え えっと、どこに?」
「これですわ!!!」
バーンと両手いっぱいに広げて見せたのは…例の「ディーヴァ」の記事が書かれた新聞だった。
「…例の、歌姫の記事…?」
「そう!!お誘いするために朝一番から馬車を走らせてきたんですの!」
ぐっと握りこぶしを見せるニカレアを見て、アリセレスは思わず苦笑する。
(流行情報大好きだからなぁ)
「いいよ、行こうか?」
「まあ!嬉しいで…」
パン、と両手をたたいたのち、ニカレアの動きははたと止まる。
「…あら。初めまして、ですわよね?」
「!これは、ご挨拶が遅れました」
さっと流れるような仕草に隙は無い。
あまりに隙がなさ過ぎて、ニカレアは少しだけ警戒した。
「あ、こちらヴェガ。私の護衛なんだ。…ええと、手紙に書いたよね…?」
「ええ、まあ」
アリセレスの言葉にこくん、と頷くも、ニカレアの視線はヴェガにくぎ付けだった。
「ダークスーツの腰に剣…あなた、騎士ですの?」
「はい、ヴェガと申します」
「ふうん…そう、私はニカレア・ハーシュレイと申しますわ」
決して、ニカレアの視線が痛いわけではない。が、ヴェガはニカレアと視線を合わすようにやや後方に下がった。
「お嬢様から良くお話を伺っております」
「あら、どんなお話しかしら?とても興味深いわ。…ところで」
更にじーっとニカレアはヴェガを見つめる。それは、まさに穴が開くほど。
そして、思いもよらない発言をした。
「…ねえ、あなた、どこかで見たことある気がいたします」
「え?」
「?!ぶはッ」
思わず、アリセレスは呑みかけたお茶を吐き出しそうになった。
せき込む主にさっとハンカチを差し出し、ヴェガはにっこりとほほ笑んだ。
「それは…どうでしょう?私はしばらく他国を漫遊していたので…」
「……そう、ですの……」
「な、なに!突然!?」
「うーん、気のせいかしら?…でも」
(ニカは…実は結構鋭いんだよな)
あまりにも心臓に悪い為アリセレスは急遽話題を変えた。
「そ、それより…このディーヴァって何者なんだろう?わ、私は歌姫、と言えば、ミスティーラ・ネーナかな?!ニカも好きだったよね?」
「!そうそう!!一ファンとしては、新たな歌姫、と聞けば、気になってしまって…」
「あ…そろそろ時間!もう行こう?」
「ええ!楽しみ!うちの高速馬車は車輪も構造も最高峰…快適な旅をお約束しますわ!」
「あ…う、うん」
・・・と、こうして、やって来たのがこの王宮公園である。
王宮公園とは、王宮のすぐそばにある一般公開されている庭園。だが、広告の宣伝効果か、公園に近づくにつれ、同じ目的であろう人々が格段に増えていく。すると、公園の中心の広場に、白いドーム型の建物が立っているのが見えた。中は広く、整理券のようなものが配られているわけでもなく…すぐに入ることができた。
「あら、特設舞台」
「まるでサーカスだな…出し物もある。あとで少し…」
「あ、もう時間ですわ」
すると…王宮の大時計が午後三時の鐘を鳴らす。ドームの中心にパッとスポットライトがともされると…広告の通り、白いドレスを着、ヴェールを被った少女が現れた。
(思ったよりも若い?)
ぐぐっと、背伸びをしていると…壇上に白いバイオリンを持った白い燕尾服の男性が姿を現した。
背は高く、遠目から見ても美しい容姿だということは間違いないだろう。…案の定、周りの女性たちは色めきだっている。
しかし、その姿には見覚えがあった。
「アリス、あいつ」
すると、背後にいたヴェガがそっと耳打ちをする。
それは…以前、キルケの住むアパルトマンで遭遇した兄妹のうちの一人だった。
「ああ、…あいつ、キュアンだったか」
「バイオリンとか…どこまでもスカした奴…」
ヴェガがため息をつきながらつぶやくと、隣にいたニカレアはうんうんと何度も力強く頷いた。
「同感ですわ」
「ニカ?」
「なんだか…あの人を見ると、むずむずしますっ」
「む、むずむず?」
「なんていうの…こお、湧き上がる不快な感情というか」
「ふ、ふうん?」
(相性の問題か…?)
ふと、風魔法のような微量な魔力の気配を感じると、凛とした声があたりに響き渡る。
「皆様、今日は貴重なお時間を割いて、私の舞台に来てくれてありがとう!」
バッとヴェールを空に放つ。
現れたのは…まるで美しい夏の草原を思わせる緑色の瞳に、綿あめのような灰色の髪を二つに束ねたの少女だった。
「私の名前はヴァネッサ…みんなの心に優しさを届けるわ!!」
(あれ…?キルケに似ている…まさか、いやでも)
バイオリンの美しい旋律が流れ始める。と、同時に少女とは思えないほど美しい歌声が温室いっぱいに広がっていく。どうやら、この国に伝わる子守歌の一つで、この国で知らぬ者はいない。そこから始まり、動揺からミュージカルソングまで、色々な歌を披露する。
多くの女性をうっとりとさせる養子の青年が奏でるバイオリンと、白いドレスの少女の笑顔に男性たちは魅了させる。この二人は、会場にいる全ての観衆瞬く間に虜にした。
勿論、例外もある。
(ふうん…まあ、歌はうまいんだろうけど、こう、心にぐっとくるものはないなあ)
アリセレスが飽きを感じ始めた頃、ふと隣にいるヴェガを見て‥‥驚いた。
「え」
「‥‥」
眉間にしわを寄せ、明らかに「不快」と顔に書いた嫌そうな表情で壇上の少女を見つめている。
「ヴェガ、表情筋、表情筋」
「ん?ああ…」
ぐりぐりと眉間の皺を指で押して、彼は耳をふさぐ。
「そ、そんなに嫌か?」
「この歌…精神感応魔法の気配がする」
「え?!」
「まあ!やっぱり!この耳障りな感じは、そういうことなのね」
「ニカまで…?」
どうやら、ニカレアは例のドロレスの事件以来、俗にいう魔法力が開花したらしい。見えないものを見、声なきを聞こえる。どうやらそういうものとなじみやすい体質になってしまったようだ。
「きりきりと頭に響く感じ…すごくいやですわ」
「…ヴェガ、何の精神魔法か、種類はわかる?」
「俺もそこまで詳しいわけじゃないけど…例えばあいつ、キュアンの妹の魅了と違う、何と言うか。催眠、みたいな。中毒性がありそうだ」
「催眠…?」
残念ながら、アリセレスは、精神系の魔法を看破する能力には長けていない。と、言うのも精神感応魔法が成功するかどうか…それは、その人間の持つ魔力保有量に左右される。
元もと、魔力のキャパシティが多い魔女のスペックを上回るほどの術者はそう多くはない。だからこそ、万が一その魔力を上回る術者が現れた時の対処方として、アミュレットを造ったり、それに伴う薬草を煎じたりと、しっかりとした準備を魔女は心得ている。
「歌声に風魔法を乗せているのはわかったけれど…」
しかし、ヴェガの言う通り催眠魔法を込めた歌声だとしたら。
「…ここから離れようか、二人とも」
「ああ」
「賛成ですわ!」
「目的がわからない以上、長居は必要ない」
***
同じ頃…華やかな舞台の裏――
「ふう…こんな感じで、大丈夫かしら」
「うん!さすがですね、メロウさん」
メロウは、手に持っているステッキを床におろし、大きく息を吐いた。すると、横にいた燃えるような赤い髪のジークフリド・オルセイがにっこりと笑う。
「ありがとう、ジーク。…でも、ほんとすごいわ…この杖」
そう言って掲げたのは、先日王妃アルミーダから賜った一振りの杖。
どうやら特殊な鉱石で作られており、所有者の魔力を増幅する力があるという。白騎士団入団の記念にもらったのだ。
「それは君の持つ力が元々強いから、とても貴重な力だ」
「…そうかしら」
(…私の力。周囲のものの波動を高め、増幅させる魔力)
メロウとしては不満だった。
確かに稀有な力かもしれないが、この力は誰かに依存してこそ発揮されるものであり、自分の目的を達成するに役に立つとも思えない。
「もっと別の…」
「贅沢ね」
すると、横にいた銀色のみつあみの少女はあざけるように笑った。
「こら、フィアネス」
「はーい…いいじゃない。魔法、使えるだけでも喜ばしいことじゃない」
「…そうね」
「そうだよ、今回の計画に君たちは不可欠だ。ヴァネッサの歌で民衆の心に再び輝きを取り戻すには、多くの人たちにわかってもらわなければならないんだから」
「…ねえ、あの子の歌にはどんな力があるの?」
「みんなを祝福する力だよ」
ジークフリドは曇りのない瞳でそれだけ言った。
「‥‥そう」
「ああ―――!楽しかったあ!」
やって来たのは、ディーヴァ…歌姫ヴァネッサが、ぴょんぴょん飛び跳ねながらやって来た。
「おかえり!どうだい?初の舞台は」
「うん!とっても楽しかったよ!!!…えへへ、みんな笑顔で、楽しそうだった!キュアンもありがとね?」
「ああ」
「お兄様。どうだった?」
「まあ、上乗じゃない?…当然だけど。フィアネスもお疲れ様」
それぞれまるで家族のようねぎらいの言葉をかけあう。その様子を一歩引いたところでメロウは見つめていた。
(みんな…昔からの付き合い、のようね。リーダーはジークのようだけど…)
その視線に気づいたのか、ジークはメロウの元にやってきた。
「君も、僕たちの大切な同胞さ。…いずれ、君も分かる」
「…ええ、そうね」
その言葉を素直に受け止めるふりをして、メロウはにっこりと笑う。
そして、心の奥底にくすぶる嫌悪感をかき消した。




