82 ある世界の結末②
―――アリセレス・エル・ロイセントがいわれのない罪を着せられて、断頭台の露に消えてから、8年の後。
「メロウが、死んだ」
王妃訃報を聞いたのは、つい先ほどの事。国外逃亡を図り、馬車にて逃走中、暴徒に襲われたらしい。
だが、それを聞いた時、何の感情も思い浮かばなかった。リヴィエルトは、改めて、彼女に対して抱いていた自分の感情に失望してしまった。
「陛下…もう、お諦め下さい」
「……」
「この国は、もう……」
「停戦の申し出は?…こちらの権力をそのまま譲渡すれば、それでいいはずだろう?」
先日、停戦の為に送った使者は、次の日には変わり果てた姿で発見された。首は切断されており、着用していた鎧ははがされていたという。
「…ローランめ、全て略奪しつくさねば気が済まないのか!」
使者を送ったのは3回。そのどれも、凄惨な姿での帰還となっていた。侵略者たちは国境周辺の村々を襲っては、人間も物も略奪し跡形もなく燃やし尽くしていくという徹底ぶりで、足を止める気配はもう、ない。
既に先発隊がこの主都に到着し、白兵戦になっているという情報もあり、この王宮にまで入り込むのは時間の問題だろう。
(せめて、民だけでも…)
「離せ!!!離せぇええ!!」
「?!何事だ」
外から聞こえるこのしゃがれた声は、聞き覚えがある。リヴィエルトは深くため息をつき、立ち上がり扉を開けた。
「父上」
「リ、リヴィエルト…!国は!わしの国は!!どうなってる!!!」
「どうもこうも…打つ手なし、です。そのお身体では無理はできますまい。どうか、そのまま」
「あ、あぁ悪魔と!けい、やくした!!」
思わぬ言葉に、全員が言葉を失う。
「…は?」
「国をすくってくれと!先ほど、奴らと契約を交わしたんだ!!」
この王に、どれほどの正気が残っているだろう?既に目をはうつろで、ふらふらとリヴィエルトにしがみつく。
「はは、奴ら…この国に入り込む悪魔どもをせん滅してくれると…」
「呆れて言葉も出ません…」
強い口調でそうつぶやくと、その手を払う。
うう、とうめき声をあげて床に座り込むが、手を貸す者は誰もいなかった。
「もうお休みください、父上。…連れていけ」
「は、はい…」
「待て!リヴィエルト!!け、契約は成立した!!わしの命と引き換えにこの国は救われる…わしを敬え!救済者たるわしを崇めよ―――!!!」
「扉を閉めろ」
「は」
無情に、扉は閉ざされた。
やりきれない思いに、思わず顔を手で覆う。
(…もう、だめか。私の力では、これがもう)
何処で間違えたのか?
何の選択をしたら、こうなった?
「お前達も逃げるといい」
「し、しかし、陛下」
「もう、ここが落ちるのは時間の問題だ。私一人の命でいくらかの命が救われるのなら、十分王の務めは果たしたと言えよう」
静かな王の決意に、幾人か、顔を見合わせる。
だが、一人ぬけ、また一人と去っていき…最後には、その場に誰も残らなかった。一人になった時、ふとかつて目の前で首を惨殺された彼女の事を思い出す。
「君も、こんな気持ちだったんだろうか…だが」
リヴィエルトは剣を握り、身一つで玉座に居直る。
案の上、大広間を突き進んできた先発隊のなだれ込んできた。
「リヴィエルト陛下でいらっしゃるか?!」
「ああ。私の名はリヴィエルト・クオン・パルティス!!このレスカーラ王国最後の王だ!!さあ、誰が私を討つ?!…私の首は高いぞ!」
(君は、この私を見て、何を思うだろう?)
遅い来る敵を斬っては捨て、ながしを繰り返し…徐々に傷も増えてきた。
しかし、それにもかかわらず、リヴィエルトの体力は一向に衰えなかった。
「うわぁああ!!」
「こ、こいつ、傷が勝手にふさがって‥‥」
先発隊をほとんど撃退した後、自分の身体の様子がおかしいことに気が付く。
先ほど受けた腹の傷も、腕の傷も…見る見るうちに光を放ち、ふさがっていく。そんな自分にぞっとした。
「な、何だ?何がどうなって」
その時、耳元で誰かの声が聞こえた気がした。慌てて振り返ると、そこには母であるアルミーダがいた。しかし、身体はない、まるで煙のようにゆらゆらと漂っている。
「ひ…?!」
『私の、愛しい子…誰も、あなたを殺させやしない…!私の完成品!!私の全てをかけてあなたに魔法をかけてあげる!!!』
耳をふさぎたくなるほど甲高い笑い声をあげ、アルミーダは闇に飲まれていく。
「魔法…?何が、どうして…傷が塞がっていく」
「いたぞお!!殺せぇええ!!」
「!!」
その後、繰り返しやってくる侵入者と相対しては、切り伏せていく。
何度か波を超えたあたりで、自らの胸を剣で突き刺そうとしたのだが、どうしても死ぬことができなかった。度重なる斬撃と攻撃で、纏っていた鎧はボロボロになり、血で汚れたマントも引き裂かれても、なおリヴィエルトはその命を散らすことができなかった。
(あなたに魔法を…?違う、これは、まさか…)
一度聞いたことがある。かつて母が求めていたことがある物、それは…不死の魔法。
「そんな……」
その魔法をかけられた者は、ケガをすることもなく、病にもならず、誰も傷つけることができないという。
「私は…もう、死ぬことができないのか?」
これは、罰か?
取り返しのつかない罪を重ねた。それは消えることなく、いつでも記憶の片隅で炎のようにごうごうと燃えている。
「国王陛下だ!!討てええええ!!」
「!」
どすり、と衝撃を受けると、口の中に鉄の味がパッと広がり、耐え切れず吐き出した。激痛の中、眼を開くと、複数人の敵兵士が自分の胸とその周辺を突きさしていた。
一気に剣を抜く、とそのままうつぶせの状態で床に倒れ込む。
「…かはっ…」
「首を斬れ!」
(これで…私は)
終われる。そう、想い、安堵した。だが、そうはならなかった。
「はあ、はあ…!よし敵、を?」
突如、眼がくらむような眩い光に覆われ、その場にいた全員は目を閉じる。
しかし、次の瞬間、目にした光景は想像を絶するものだった。飛び散ったはずの血液はまるで生き物のようにうごめき、リヴィエルトの身体に戻っていく。
「ば、化け物…、みな、刺せ!!全員で刺せばきっと…」
あっという間に傷はふさがり、よろよろと立ち上がる。
「死ねないのか…私は…」
(永遠と続く苦しみの中で…ずっと、生きながらえて?嫌だ。絶対にそんなの嫌だ。)
消えない炎の中で、永遠に春を待つことなく、闇にとじ込まれたまま…ただ存在し続ける。尽きぬ命を見に宿したまま。
「あぁあ…うぁあああ!!!誰か、誰か私を殺してくれ!!!」
死ねない。生きなければならない。
全て失ったのに、取り戻すこともできず、ただただ、全ての殺意と憎悪を一身に受けたまま。向かってくる敵を切り伏せては、激走し、ただ闇雲にかけていく。
かつての壮麗さを誇っていた王宮は文字通り、リヴィエルトによって血の海に沈んだ。
「はあ、はあ…っ」
剣は血で汚れすぎてもう使えない。それでも何度も、たとえ無数の剣をこの身体に突き刺されても、激痛だけが残り、傷はいえていく。
夜が明ける頃には正気など保っておられず、追っ手を振り切り逃げ続けた。
雨が降ろうと、どんなに空腹に苛まれても…死ねない。たまりかねて、崖から落ちてみたり、自分の心臓をくりぬいたりもしてみたが、それでも死ぬことができない。
そうやって、さ迷い、果てもなく歩き続けた。
悪夢ならばどうか醒めてくれ。そう何度も願った。けれど、終わらない。
疲れては休み、二度と目覚めることがないように願い、眠った。
あてなどない。ただ、歩き続けていき…季節が何度か巡ったある冬の日。…彼女と出会った。
「…どうした、お前?生きてるか?」
「……きみ は」
白く、どこまでも白い世界で、ただ、彼女だけが色を持っていた。
美しい金色の髪に、赤い衣。そして…まるで血のような鮮やかな紅い瞳。静かにほほ笑むと、彼女は手を取った。
「すごいボロボロじゃないか。良く生きているな」
「……ろして くれ」
「ん?」
「死にたい 殺して、ほしい」
「……ふむ、そうしてやりたいが、それではわらわの後味が悪い」
ぐっと腕を引っ張ると、そのままずるずると引きずられていき…やがて、また醒めない眠りに落ちた。
**
「…っはあ、はあ…っ」
荒い息と、ひどい汗。何度かゆっくりと瞬きし、周りを見渡す。
「…自分の寝室」
心なしか、手が震えている。ぐっと握りしめ、そのまま額の汗をぬぐった。
(夢…夢か?アレが?)
いつもとは違う夢だった。雪でさ迷うのではなく、その前の出来事をなぞるかのような夢。
「夢で、良かった…というべきか」
以前、専属医に相談したとき、夢は紙に書いておくとよいと聞いた。リヴィエルトは、ため息をつきつつ、机に向かう。
そこに、アリセレスからもらったアミュレットが置いてあった。
「そうか…枕元に置いていなかったか」
(夢の内容。…また、思い出すのは苦痛だが)
書きながら、妙な符号を感じる。
「認めたくはないが…例の予言と似ている。王妃訃報…メロウ?そこでは…彼女と??」
どういう経緯でそうなったのか?だが、思った以上に何も感じていなかったところを見ると、その関係性は良くなかったのかもしれない。
「それよりも…不死の魔法、だと?初めて聞いた…そんな魔法があるのか?」
わからないことが多すぎる。
ただの夢かもしれないが、それにしては鮮明でリアルで…まるで本当に現実的に起こった追体験のような夢だ。
「…ダメだ。頭がおかしくなりそうだ…」
書き出すだけ書きだして、赤い装丁のノートを閉じた。
(こういう夜は、誰かの力を借りたくなる…けれど)
望めば、そういう人間を寝室に呼ぶことは可能だろう。だが、そんな一時しのぎの存在を求めているわけではない。
「そう言えば…最後に夢で見た女性。あれは、誰だろう」
眼を閉じれば思い浮かぶ…赤い衣に、金色の髪。そして、鮮やかかな紅玉のような瞳。
(君だったらいいのに)
アミュレットを握りしめると、いつの間にか眠っていた。




