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78 冬のある日

「荒れているな」


この季節らしく、外は深々と雪が降り続いている。

風が強いのだろう、時折窓がガタガタとゆれ、冷たい空気を運んでくる。

ノーザン・クロスの邸の外は森でおおわれている。あまり雪が長引くと、冬場は雪に閉ざされてしまうこともあるほど、この国の雪は深い。


(お嬢様、元気がないわ)


メイドのレナは、いつも以上に大人しい主を想い、ため息をつく。

机の上には、冬になる前にストックしていた薬草をずらりと並べられているが、どれも手を付けた様子もない。お気に入りのコーヒーは放置され、すっかり冷えてしまっている。


「なんだか、元気がありませんね、お嬢様」

「そう?まあ、ちょっと考え事を、ね」

「あの、何かありましたらすぐに鈴でお呼びください」

「ありがとう、レナも休んで」

「……」


パタン、と扉を閉じて、再びため息をつく。

(何かあったのかしら…)

先日、友人と会うと告げ新入り従者のヴェガと出かけて以降、アリセレスは見るからにふさぎ込んでいる。


「お力になりたいけれど…わたしでは」

「レナさん?」

「!あ、ヴェガ…」

「元気ないですね、どうしたんです?」


最近アリセレスの専属従者になったこのヴェガという青年は、すらりと背が高くそれだけで威圧感のようなものがあり、思わず身構えてしまう。


「!ああ、失礼。」


すると彼は何かを察した様子で、腰を落とし屈んで視線を合わせてくれた。


「お嬢様が元気がなくて…先日お出かけになられたでしょう?何かあったの?」

「…それは俺も気になっているんだけど、理由がわからないんです」

「そう…あら、手に持っているのは手紙?」

「ええ。お嬢様あてに何通かと、あと、コレ」


そう言って見せてくれた一枚には、差出人に『サーリャ・リダル』


「まあ!サーリャ?!」

「レナさんあてにもあります。…どうぞ」

「ありがとう。…部屋で見させてもらいます。」


ちらりとヴェガを見る。

アリセレスも気兼ねなく話しているところを見ると、年齢も近いせいか、二人は仲が良い。


「私は下がるよう言われてしまったので、あとはよろしくお願いします、ヴェガ」

「わかりました」

「私より、あなたの方がお嬢様も気が晴れるかもしれないわ」

「レナさん…」


軽く会釈をし、レナの後姿を見送る。


(ふーん…)


ヴェガが手に取った手紙には、リヴィエルトの名前があり、パルティス家の封蝋が押されてあった。


(…実際のところ、二人の関係はどうなんだろう)


こちらに戻ってきて、一番最初に聞いたのは、例の『アンノーブル・レディ』の称号だ。悪女だの、国王陛下を振った女だの、そんなものばかり。

その後、リヴィエルトと遭遇した時の反応を見る限り、あちらもいまだ諦めていないというのは理解した。


(しかも、俺の正体に一目で気づいたみたいだけど…まあ、それはいいか)


ただ、『ケン』が離れていた数年分二人は多くの時間を過ごしているはずなのに、どうやらアリセレスの方は自分同様『幼いころからの気心が知れた友人』カテゴリから外れていないような気がしてならない。…ついでに言うなら、キルケも同様だ。

などと扉の前で思案していると、向こうから執事のロメイ・ジェルダンがやって来た。


「おや、ヴェガ」

「ロメイさん。あ、お嬢様ですか?中に…それは、お菓子?」


ロメイが手に持っているのは、黒い塊のお菓子だった。


「それ…チョコレート、でしたっけ」

「あ、知っているのかい?」

「ええ。東部にいる時に見ました、この辺では珍しい物ですよね」

「ああ、そうなんだ。お元気があまりないと聞いてみたので…オンディ(シェフ)が、お嬢様の為にお菓子を作ってくれたんだ。召し上がってくれればいいんだけど…」

「きっと好きでしょう。甘い物に目はありませんから」

「そうだね…では、これを」

「え?でも…」

「ふふ、よろしく頼んだよ」

「はあ…」


(…ふむ、余計なおせっかいだったか。だが、若い者を見ると、つい…)


先月の事、主が不在のこの邸に侵入者がやって来た。…それが、彼である。

顔を布で覆われていたが、一目見た時にロメイにはすぐわかった。彼の正体を。


「あなたは…アルキオ殿下」

「!…ああ、あなたにはばれてしまったか」

「も、勿論でございます…!」


独特の赤銅色の髪、それに王家特有の金色の瞳。忘れるはずもない。


「ロメイさん!!どろぼーは!!」

「!」

「早くクローゼットへ」

「え、あ、ああ」


ケンをクローゼットに押し込み、ロメイはカーテンを閉めた。


「…残念ながら、逃げられてしまったようです」

「そ、そうですかあ…も、戻ってきますかね」

「警戒を怠らない方がいいでしょう。とりあえず、主不在の時人何かあっては大ごとだ。邸の戸締りを再度確認しよう」

「はい!!」


言いながら、窓を閉め、鍵をしっかりとかける。


「この部屋は私が見よう、君たちは他の部屋を」

「わかりました」


バタバタと遠ざかっていく足音を聞き、ケンが顔を表した。


「…いいのか?」

「ええ。お嬢様に会いに来られたのでしょうが…残念ながら今はご不在でございます」

「う、そうだな。ありがとう」

「いいえ」


(最後に見たのは、まだどこか幼さが残る印象だった…ですが、今は)

つい、じっと顔を見てしまう。すると、ケンは不思議に思ったのか、こちらを不審そうに見つめた。


「ああ、申し訳ありません。…ごりっぱになられましたな、殿下」

「…そ、そう言われるとは」

「百合の館にお仕えしておりました、乳母のマルセルを覚えてらっしゃいますか?後、執事のスメルフ」

「それは…勿論」


すっと、表情に影が帯びる。


「実を言いますと…あれは私の妹なのでございます」

「え?!…そんな、彼女は…いや、彼らは俺が」


かつて、元王妃のリリーアンが自らの命を絶った時の事。

王妃アルミーダと、王陛下の執拗な暗殺に危機を抱いたケンは、その時百合の邸に仕えていた使用人を全員解雇した。かつての先王派(アルキオ派)と呼ばれる者たちの伝手を最大限利用し、彼らひとり、ひとり持てるだけの金銀を持たせ、二度とこの地に足を踏み入れぬようにと頼んだ。


「我がジェルダン家は、かつてのシュレット・アルキオ陛下に仕えていた一族でございました」

「…そう、だったのか…」

「もっとも、私は、それよりも前にこちらのお邸に奉仕になっており、アルキオ陛下にお仕えすることはなかったのですが…あなたをお嬢様がこちらにお連れしたとき、何か宿命のような不思議な縁を感じました。そして、また再びこうしてお会いできました」

「……彼らは、今」


それ以上の言葉を告げず、ぐっとこらえる。

本当は、あの後の混乱の最中全員の無事だけでも確認したかった。だが、自由の身となった時でも、彼らとそれにかかわる者達とは接触するわけにもいかず、行方も分からずじまいだった。


「元気にしてます。マルセルもスメルフも、年老いた夫婦です。今は親のいない子供たちのために、孤児院をやっているようですよ。他の者達の近況は定かではございませんが、皆、無事のようです」

「そうか…よかった」

「なぜ、危険を冒してまで、もう一度こちらに?」

「…それは」


(おっと、野暮なことを聞いてしまいましたな)


「殿下。実を言うと、かつて、マルセルとスメルフの間に、一人息子がおりました」

「そうなのか?…二人が夫婦とは知っていたが、そんな話は初めて聞いた」

「ヴェガ、という名前です」

「ヴェガ?」

「元は、夜空に浮かぶ星の名前の一つのようで、北極星と並ぶ美しさを持つと言われているそうです」


それを聞いて、ついケンは笑ってしまった。


「ふ、自分の息子に星の名前を付けるとは…スメルフらしい。彼は今?」

「…生まれて間もなく、命を落としてしまいました」

「!それは…もしかして、あの、混乱の時…か?」


シュレット・アルキオ陛下の処刑の際、その混乱により多くの人間が命を落とした。ジェルダン家の人間も同様に散り散りになり、ある者はそのまま帰らぬものとなった。実際、ロメイもその一人となるところを、ロイセント家の公爵によって救われたのだった。

ロメイは静かに首を振る。


「いいえ。…元々、生まれた時から長くは生きられないと言われていた命です。なので…もしよければ、その名前を受け取っては下さいませんか?」


思いがけない申し出に、ケンは言葉を失う。


「受け取る…とは」

「我が主…アリセレス様はとても行動的です。普段は魔法の研究や魔法道具の設計、薬学などを独自で学んでおり、空いた時間には拳銃と鞭の鍛錬を欠かしません。…確かにお強くいらっしゃいますが」

「ああ…うん。無茶ばかりするんだな」

「…はい。ですので、どうか陰ながらお嬢様のお力になっては下さいませんか?…『ヴェガ・シオン』として」

「ヴェガ…シオン?」

「今の妹夫婦が名乗っている姓でございます」

「……そうか、ありがとう」


そう言って、彼はどこかほっとしたような笑みを浮かべていた。


「ああ、そうだ、手紙を書かないと。…ふふ、喜ぶだろう」


雪が降ったら、妹夫婦に手紙を出そう。

彼の近況と、名前の件を添えて。



「失礼します」

「うん?…ヴェガ。ああ、手紙?」

「はい。ご友人からです。あと、これ」

「ん?チョコレート…か?!うわあ」


さすがに甘い物には目がないらしく、さっきの憂いを帯びた横顔はどこへやら。

その様子を見て、ヴェガは苦笑してしまう。


「みんな、心配してますよ、お嬢様」

「ああ…はは。手紙はニカと、…あ、そうだ。陛下にはよく眠れる薬をあげるって約束したんだっけ」

「…まあ、この雪じゃあ完成したとして、すぐは届けられないでしょう」

「それもそうなんだけど」


そう言って、封を開けて、その手がぴたりと止まった。


「……」

「何か、悪い知らせ?」

「いや。…コレ」


すっと出した手紙から、一枚の招待状らしきものを取り出した。


「ローラン連合諸侯王国との…交流会?」

「王宮晩餐会。しかも、陛下のパートナーだと」

「…見目麗しき陛下には、3人ほど既に婚約者候補がいるように思えますが」

「あの温室育ちの三人に、他国との外交は難しいだろう」

「温室…お嬢様の場合は野育ち、ですか?」

「どういう意味。国賓として、ローラン新君主が来国するらしい、けど…はぁ~」


そう言って大きくため息をつき、アリセレスはぼそっと呟いた。

イヤだなぁ、と。


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