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77 密約


「ねえ、さっきの彼、とっても素敵と思わない?」

「彼?」

「そう!あの眼鏡の彼。こちらに見向きもしないのがいいわぁ」

「相変わらず、君は自分に興味を示さないやつに食指を動かせる。それより、僕は彼女の方が気になるな」


ため息交じりにキュアンが言うと、フィアネスはツン、と唇を尖らせた。


「お兄様こそ、ああいう高慢ちきな女が好みだなんて、頭おかしいんじゃない?」

「お前に言われたくない」


肩を並べて歩く二人の姿は、まるでその空間だけ切り取った絵画のように美しい。道行く人が振り返るを見ながら、キュアンは満足げにほほ笑む。


「ふふ、やっぱり僕たちはどこに行っても()()だね」


フィアネスはじっとりと見つめる。


「キュアンってば、ほんとナルシスト。でも、私達が美しいのは当然じゃない?私たちは神様に選ばれた子供たち、だも…っう、 な‥に?」

「…フィアネス!!」


突如、口元を抑えその場に座り込んでしまった妹の元へ駆け寄る。


「…顔が真っ青だ…一体、どうしたんだ?!」

「う…くっ 誰か 私の魔法を」

「魔法…?まさか、監視魔法…」

「おやおや、大丈夫かい?」

「!」


ふわり、と冷たい風が吹くと、視界の端に白いコートが見えた。

いつの間にか、目の前には黒く長い髪を束ねた眼鏡の男が立っていた。


(…?いつから、さっきまで誰もいなかったのに)


観察するように凝視しすぎてしまったのか。男は目が合うと、不敵に笑い、呟いた。


「ふふ、見つけた」

「え?」

「…そこのお嬢さん、顔色がよくないね。君の妹かい?」

「!触るな。……いつもの発作のようなものだ。放っておいてほしい」

「そう?ならいいが、私はこう見えても医者でね。彼女の体調も診ることができるが…」


伸ばした手を、フィアネスはキッ、とにらみつけて跳ねのけた。


「…触んないでよ!下等なゴミのくせに…!」

「ゴミねえ」


男は動じない。ただ張り付いた笑みを浮かべているだけだった。


「こら!…フィアネス!すまない。構わないでもいい…いつもの事だから」


フィアネスを嗜めながら、ゆっくりと立たせる。何度か深呼吸をして、やっと落ち着きを取り戻した。


「なら、ご勝手に。…ああ、ひとつだけ、いいかな」

「……まだ、何か?」

「広範囲の監視魔法なんて、熟練度が低い未熟な魔法使いが使うものじゃない」

「なっ…!!」

「簡単に、術者の場所が特定されてしまうし、あまりお勧めしないかな」


ひゅうっと風が吹くと、白いコートの男の姿はもうそこにはなかった。


「なんだよ、あいつ…」

「キュアン…さっきの男から、一瞬、すごい魔力を感じた…」

「え?」

「何よ、あの人…気持ち悪いわ…!この場所では、私達以外に強い魔法使いはいないんじゃなかったの…?!」

「……今日は、帰ろう、立てるか?」

「……うん」


寄り添いながら歩く二人を離れたところで見ながら、セイフェスはため息をついた。


「やれやれ…子供というのは、だから面倒くさい」


握った手のひらには、青い糸の端切れが握られていた。


**


「二人とも!…今、何か変な気配を感じたけど」

「アリス。話は終わっ…」


見れば、アリセレスの目は少しだけ赤くなっている。ケンが手を伸ばそうとすると、パッと払いのけた。


「……泣いたのか?」

「え?あ…いや。つい、大あくびを」

「ふうん…、それなら、いいけど」

「それより、何かあったのか?」

「ああ…そうか、魔法使いにはわかるもんな、そーいう気配」

「?キルケ」

「お姉ちゃん」

「!…ドリー?」


ドロレスはギュッと手を握りしめ、きょろきょろと辺りを見渡す。


「”目”がある」

「目‥‥って、瞳の目?」

「うん。大きい目。…窓の向こう。でも、すぐに消えた」


その場面を想像し、キルケは寒気を感じた。対照的に、ケンは何かを考え込んでいる様子だった。


「え?!何それ、怖いっ」

「さっきの糸と、関係あるのかな…?」

「糸?」

「いや、このアパルトマン一帯・・・だと思うけど、に 妙な魔法の糸?が張り巡らされていたんだ」


(糸…?なんだか、胸騒ぎがする)


「…魔法の、糸と言ったな?何色だった?」

「何色って…透明だな、うん」

「透明?…青じゃなく」

「何か知っているのか?」

「あ、うん…いや、でも確証はないから。それで、糸は」

「ああ、コレ(魔法道具)で大体切れたと思う」

「そう…」


その後、口を閉ざして押し黙ったアリセレスを見て、ケンはため息をつく。


(また、か……まだ俺は信頼されてないってことかな)


その後、四人で夕食を囲み、しばしの楽しい時間を過ごした。

しかし、終始アリセレスの表情は冴えなかった。



「そう言えば、アリス。ファントム・ハンターをしているんだろ?」

「ん?そうだね。まあ…今は例の事件のせいであまり外を出歩けないから、少し…退屈かな」


夜の時間も遅い。馬車をよんではどうか、と提案したもの、あっさり拒否されてしまった。実際、この1番街~2番街までは王宮に近いこともあり、そこかしこに有名な家門の家が多く並ぶ。その分どの家も警備は厳重で、恐らくレスカーラ王国では一番安全な夜道と言えるだろう。


「そう言えば、け・・・ヴェガは子供の頃から目がよかったな。初めて会ったとき、私は『ファントム』という存在を知ったものだ」

「ああ、俺の場合は母はそういう力を持っていた、からだな。何となく、そういう奴らはどこにでもいて、見える人間とそうじゃない人間もいて……存在は認識していたから」


(そうか…母リリーアンは、魔女になる素質を持っていた。その力をケンも受け継いでいるのか?)


「……なあ、アリス」

「ん?」

「俺は、お前にとってそんなに頼りない奴か?」

「え?なんだ、突然??」

「ドロレスと話した時、何があったんだ?」


ぴたりと足が止まる。


「……何でもないよ」

「なんでもなくないだろ?泣いてたくせに。」

「それは…」


どう話したらいいのだろう、とアリセレスは悩む。


「あまりにも…長い話で、言葉にできない、かな」

「…俺にも言えない?」

「言えないんじゃない、言わない、だ」

「……わかった、やめておく」

「うん、…ゴメン」

「……」


先日、ケンはリカルド公爵に内密の話がある、と呼ばれ、二人きりで話したことがある。


「ご用は何でしょうか、公爵閣下」

「あー…、そこに、お座り…いや、す、座りたまえ」


部屋に入った途端、リカルドは難しそうな表情をしていた。

(ふむ、着任早々首、という話ではなさそうだ)

言われるがまま、長椅子に座る。リカルドはカーテンを閉め、部屋のドアに鍵をかけた。


「…?」

「こほん。…ヴェガ・シオン君」

「はい」


真向いにリカルドが座り、声を潜めた。


「あなたのご正体は…把握していているつもりです。…ベルメリオ様」

「……」


(うーん、ばれたか。そりゃあそうか)


幼少の、まだ『ベルメリオ』だったころ、サー・リカルド・ロイセントとは何度か顔を合わせたことがある。父亡き後、後見人の候補にも挙がっていたほど王宮の中でも、特にロイセント家は王家に対しての忠誠心が高い。一時は斜陽と言われた時期もあったが、このリカルドの手腕のおかげで家門はかつての信頼を取り戻した。


(昔は尊大で、家門再興の為、損得勘定で物事を計るような一面も多かったと聞く)


肯定もせず、否定もせずに沈黙していると、リカルドは大きく息を吐いた。


「だからと言って、あなたをどうにかしようとは考えておりません。ベルメリオ・ケン・アルキオ殿下は10年前の火事でその命を落とされた…それが公式での見解です」

「…心遣い痛み入ります。彼の方も、それを聞いて安堵していることでしょう」

「私は、今後もあなたをヴェガ・シオンとして、受け入れるつもりです。もし、いぶかしく思うものが居たとしても…あなた様の自由を保障すべく、家門総出で陰ながらお守りする次第でございます」

「公爵閣下…どうしてそこまで?」

「私はかつて多くを忖度し、全ての選択肢をただただこのロイセント家の名誉と名声の為だけに選んでまいりました」

「!」

「幼い娘の意思を踏みにじり、王家と縁を結ばせて家門の為だけに利用しようとさえ考えていた。そして、父を亡くしたばかりの幼きベルメリオ殿下を、いかにうまく利用するか。そんなことばかり考えていた一人の人間でした」


先々代の王が、父殺しの罪で公開処刑をされた時。

王宮では、残された遺児をどう扱うべきか、その血統をどのようにして手に入れるか、多くの貴族は暗躍しており、ロイセント家もまたその一つだった。

結局、決定を降せなかったパルティス1世の代わりに王妃アルミーダが遺児の保護を命じたことで、ベルメリオは貴族が思い描く権力としての価値を失う。

そして…その先にその少年を待っていたのは、貴族たちの冷ややかな視線と、王の侮蔑、そして、保護を命じたはずの王妃の執拗なまでの牽制、である。


「その殿下と、私の息子が同じ年齢になった時…過去の自分の振る舞いを顧み、己の愚かさを思い知りました」

「公爵閣下…」

「この場を借りて、あなたに謝罪をしたい」

「…閣下にそのように頭を下げて頂く理由はわかりません。私は、『ヴェガ・シオン』。執事ロメイ・ジェルダンが懇意にしていた親戚の一人ですから」


やや大げさに礼をすると、リカルドは笑った。


「…そうでしたね。なれば、私の独り言として、胸に留めておいてください。」

「わかりました。…でも、きっと届いていると思いますよ」


一通り話し終えると、公爵は安堵したように椅子に座り込み…おもむろに、語りだした。


「ところで…私は、娘が心配です」

「それは、そうでしょうねえ」

「あの子は魔法の天才かもしれませんが、めちゃくちゃだし、突っ走ったら止まらない弾丸と同じです…!幸せを願ってはいるもの、私の願う幸せとあの子の思う幸せは全く異なる!!」


(止まらない弾丸…は、なんとも正しい表現だ)

ケンがやや苦笑気味に聞いているが、構わず続けた。


「ならばこそ…あの子が好きな道を行くのに、信頼できる人間を傍に置きたい」

「…!」

「だから、どうか」



(言われなくても…オレだって、アリスを守りたい、けれど)


再会してから、ケンの知っている彼女は()()()()()()()。たくさんの秘密を抱えていて、どこか大人びた少女のまま。

分かったつもりでいても、また一つ、知らないところが増えていく。


「そりゃあそうか。…俺はまだ、アリスの力になっていない…」

「?何か言ったか?」

「いや、お嬢様。このヴェガ・シオン。どこまでもお供いたします!」

「…何、突然」

「いいえ、ただの決意表明です」

「決意…??」



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