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76 アリセレス


「お姉ちゃんの後ろには…いつも、もうひとり、いるから」

「……」

「話してみる?ちょっとだけなら、私もお役に立てるよ」


ドリーの問いに、静かに首を振る。

他人の魂の色は見ることができても、自分の魂の色はわからない。


「私では、見ることができなかった…だから、ドリーにお願いしたの」

「お姉ちゃんでも、見えないものがあるの?」

「存在を微かに感じていても、確信がなかったんだ。でも、これで、ずっとやりたかった夢を実現できるかも」

「夢?」


(もし、まだそこにいるのなら)


『私は、まるで水の泡のように消えてなくなったんだと思っていた』

「!」


あまりに聞きなれた声に、驚いて顔を上げた。


『ゆらゆらと、あなたの中でただゆっくりと浮かんでいて…意思はないし、言葉もない。だけど、あなたの感じたもの、見たもの、全部情報として私の中に入ってくるから、寂しくないわ』


どこか大人びた口調。…これは、ドロレスじゃない。


「アリセレス?」

『ずっと、あなたにお礼を言わなくちゃ、って思ってたの、魔女さん』

「…礼?」

『私は、あの日、全てを憎んだ。悔しくて、苦しくて、それをどうにかして彼らにも味わってほしかった。でも…』

「今は?」


その問いに、ゆっくりと瞳を閉じる。


『もう、そんなものはどこかに消えてしまったわ』

「よかった。復讐なんて、することない。アリセレス、お前が幸せになればそれで」

『私は…もっと、素直になったらよかったのね』

「…まあ、あの父あっての娘だから。不器用で頑固、なんだろう?だから、エスメラルダみたいな暖かい心の人が傍にいるんだよ、きっと」

『それもそうね』


ふっと笑った仕草は、姿がドリーのせいか、とても幼く見える。


『…私では、会うことができなかった、かわいい弟妹達。友人、家族、使用人、決して手繰り寄せるのことのできなかった人たちとの縁…どれも私がずっと心に描いていた世界なの。だから、私の持っていた哀しい記憶は全部塗り替えられていくことができたわ』

「アリセレス…」

『ありがとう。だから…これからは魔女さん、あなたの番』

「え…?」

『魔女の契約とは、互いの何かを対価に、当事者同士が利害の元に一致したとき締結できる鎖のようなもの。その利害が不一致となれば、契約は反故にされ、なかったことになる…でしょ?』

「それは…」


名も無き魔女と、アリセレス・エル・ロイセント、二人の契約。

それは、名も無き魔女の魔力と身体を対価に、二つの魂を合わせる事。ただ、その対価となる身体はすでになく、あるのは魔女が宿るアリセレスの身体のみ。

それはつまり、身体のないアリセレスはそのまま消滅してしまう恐れがある。


『…私は貴方との契約を破棄します』

「…ダメ!アリセレス…!!」


その言葉が告げられた瞬間。どこかで何かが割れるような音がした。そして…魔女が我に返った瞬間、ドロレスがばたり、と倒れた。


「ドリー!」

「う ん… あ、お姉ちゃん。無事、話せたみたいね。…なのに」

「あ…」

「どうして、お姉ちゃんは泣いてるの?」

「…私の後ろに、彼女はいる?」

「ううん、…消えちゃった」

「そっか」


(……本当は、わらわが消えるつもりだった)

 

時間をかけて、アリセレスが亡くなる年齢を超えて、今目の前にある問題を全部片づけて。まっさらな状態で、この身体ごと返すつもりだった。それが、『夢』だった。


「もう、伝えられない…んだ」

「お姉ちゃん、泣いてるの?どこか痛いの?大丈夫?」

「大丈夫…うん」


ドリーはおろおろしながら、棚の中から何かを見つけ、こちらに差し出した。


「ハンカチ?」

「なみだ、ふいて」

「ふふ、ありがと」


今は、幼いドリーの言葉に、救われた。




さて、その頃。

女性二人にリビングに追いやられた二人は、そのままなぜか流れで酒を酌み交わすことになった。

グラスが二つ、カチンとなる。


「ケン、お前酒は?」

「まあ、嗜み程度かな…へえ、いい酒飲んでやがるな」

「オレんち、金だけはあるんだよな…」


何処かうわごとのように呟くキルケを見て、ケンは思わず首をかしげる。


「いいことじゃないか。なんだっけ、養父が作家なんだったか?」

「作家というか…まあ、多才な人だ。魔法だって、何だって、どれも超弩級。一時期は先代レスカーラ国王の専属の医者もしていた」

「へえ…あのキチガイのねぇ」


その頃を思い出すと、なんだか苦い物が口の中に広がっていくような感覚になる。あまりいい思い出がない時代だ。どうやら、それはキルケも同様のようで、養父の話をした途端わかりやすく沈んだ。


「何か確執でも?」

「…いや、暗い話はなし」


突然パン、と手をたたくと、声を潜めた。


「それよりお前、アリスの事、どう思ってる?」

「え?…そういうお前は?」

「質問に質問で返す奴は、後ろめたいことがある奴だ、と教わった」


(どういう教育だ…)


「ふむ。俺にしたら、アリスは恩人、だな」

「…恩人?恋人じゃなくて?」

「そうなれたらいいけど、まだ、無理だろう」

「無理ってことはないだろ?!もう年頃だしさ!…その、例の王様との縁談だってあるんだろ?!ア、アリスは振ってるらしいけど…」

「それな。…あいつもあいつで執念深いし重たいぞ~。一目ぼれの初恋ってのは厄介で…」

「こら 何、はぐらかしてるんだよ!」

「…いや、そういうつもりはないけど。…ただ、アリスは…そういうもの(恋愛感情)から、無理やり目を背けているように思えるから、無理はさせたくない」


ケンの言葉にキルケは頷き、残っていたグラスの酒をぐっと飲みほした。


「それは、わかる…アリスって、時々心の内を綺麗に隠して見えなくさせる時があるんだ」

「……うん、そうだな。うちのお嬢様は頑なだから」


先日の事件の際。アリセレスは、ケンに何も言わずに、身体一つで地下にもぐりこみ、犯人を追い詰めた。結果的にそれで犯人は捕まったのだが…彼女を追った先で爆発音が聞こえた瞬間は、死地に慣れたはずのケンでも、生きた心地がしなかった。


(もう少し、当てにしてくれてもいいのに。いつも全部ひとりで終わらせようとする)


「じゃあ、オレ達宿命のライバルだな!」

「宿命って…キルケお前、酔ってるのか?よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるなあ」

「まけない、からな!!…ヒック」

「…あ、やっぱりか」


羨ましい位楽し気に飲んでいるキルケを呆れつつ見ていると、ふと、何か強烈な視線を感じた。


「!…窓の外?」

「はりゃ?」


立ち上がり、窓を思いきり開くと、さあっと強めの風が吹き、ケンの髪を舞い上げた。

正面を見ると、遠くではあるが、メインストリートから、ロイヤル・パークまで見渡すことができ、その奥に王宮も見え、景観が抜群だった。

そのままベランダから身を乗り出し、注意深くあたりを確認する。すると、どこからかやって来た白いカラスが、すぐ目の前の木の枝に舞い降りた。


「カァーーっ」

「珍しい…白いカラス?」


まるでこちらをじっと観察するように見つめるていたが、やがて、ふっと目をそらし、虚空を見た。

何となくその視線を追うと…冬らしく少し白が混じった空に、きらりと光る何かを見つけた。

ただ見ただけでは絶対に気が付かないだろう。よく目を凝らしてみると…それは、透明の細い糸のようなものだった。


「…おい、キルケ」

「んあ?なーにぃ?…うぉ、寒!窓開けんなよ~」

「ほら。しっかりしろ!…アレが見えるか?」

「ん?アレ??」


ケンが指さす方向には、白いカラスがこちらを見ている。キルケは言われるがままその場所をじっと見つめるが、首を傾げた。


「どれ?…何も、いないけど」

「白いカラスも?」

「何それ??」

「…なるほど、つまり、()()の住人ってことか」


そして、この糸も。

細い糸を愛で辿っていくと…それはどうやらあちらこちらに張り巡らされている。そして、どの糸の先も、この部屋から三つほど向こうの部屋に集中しているようだった。


「なあ、ケン。さっきからどうしたんだ?」

「…俺はどうやら昔から『目』がいいらしい。ここから三つ向こうの部屋の住人はわかるか?」

「ああ、それこそ、さっき話したノーヴェラ兄妹がいる部屋だ」

「…へえ、やっぱり」


あまりにも予想通りの言葉に思わず笑ってしまいそうになる。


(うさん臭そうだよな…狙いは、キルケか?それとも)


「キルケ、お前魔道具を作るのが専門だと言っていたな。魔鉱石でできたナイフとか今すぐ用意できるか?」

「あ、ああ。ちょっと待ってて…ええと色々あるんだけど、どんなのがいい?」

「そうだな…広い空間を飛ばせるような…ブーメランみたいなものはあるか?」

「ブーメラン…じゃあ、これかな。まだ試作段階だし、ちょうどいい。…コレ、チャクラムっていうんだけど」

「チャクラム?」

「そう、円盤方の投げナイフ、みたいな奴。ちょっと飛行が不規則で難しくてさ。でも、ちゃんと自分の手元に戻ってくる軌道にしてある。使い方はこう」

「なるほど」


キルケから教わった通り、少し歪んだ円盤の中央に空いた穴に指を入れ、回しながら空に放つ。放たれたチャクラムは、ちゃんとこちらに戻っては来るもの、指で挟んで受け取る技が必要だった。慣れてくると、狙いを定めて投擲することができ、くるくると円を描きながら舞い、張り巡らされた糸を一つ、また一つと切り刻んでゆく。

何度か繰り返して行き、確認できるすべての糸を断ち切ってゆく。やがて落ちた糸くずはそのまま塵になって消えていった。


「おお!すげー!!オレ何度も指切ったのに!」

「うーん…実用的では、ないかもなあ」


全ての糸が切れると、それをしっかりと見届けたように白いカラスは一声鳴き、飛び去って行った。


「あのカラス…一体」




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