74 伝染する不安
事件の犯人が捕まってから、約半月が過ぎた。
犯人が捕まった直後は、毎日毎日例の事件の報道ばかりでうんざりしたものだが、ここ数日でだいぶ落ち着きを取り戻したようだ。
その間に、わらわは自宅謹慎が解け、活動拠点を元のノーザン・クロスに戻した。
「やっぱり、こっちが一番落ち着く…」
自室の長椅子でくつろいでいると、絶妙なタイミングで執事のロメイがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
「良くお戻りになってくださいました」
「!ロメイ。ただいま!」
「はい。やはり、主不在のままでは、みんな暇を持て余してしまいます。ほら、ご覧の通り、すっかり壁もピカピカになってしまいまして」
確かに。
ロメイの言う通り、どの部屋を見ても、ぴかぴかで塵一つ落ちていないほど磨かれている。
「ありがとう!…あちらでは、下の弟妹ができたことで、右へ左へ大騒ぎだから」
やれ、子供たちの部屋は?遊び道具は?などてんやわんやである。更に、色々な友人や付き合いやらで、連日贈り物が届けられている。中身を検分するのだけでも使用人たちは大分時間を取られているらしい。
中には、これを期にぜひ令嬢とご縁を!みたいな輩も増え、弟妹の誕生よりも、皆長女の行く末に興味津々のようだ。
(全く、余計なお世話。あの事件のせいで、更に悪目立ちしてしまった)
あの一件は、被害者であるはずのわらわにも結構な影響を与えた。
例の犯人がアリセレス・ロイセントの名前を出したばっかりに、世間では「あ、やっぱり普通じゃないんだあの令嬢」みたいな認識が周知の事実となり、それに乗じて妙な噂がちらほら流れ出した。
アリセレスのあずかり知らぬところでどんどん妙なエピソードが増加し、いい噂も悪い噂も、根も葉もない噂も巷を駆け巡っている。
表に出ても批判されるだろうし、黙っていてもロクなことにはならなさそうで…もう、そのまま放置することにした。
…最も、このネタを使って誰かが何か企んでいるとなれば、それ相応の覚悟はしてもらうつもりだが。
「さ、お嬢様。お茶が入りました」
「あ、ありがと……はぁ、ヴェガ」
「はい!何なりと」
何処で習ったのか定かではないが、慣れた手つきでティーポットを持ち、わらわお気に入りのティーカップにとくとくとお茶を注いでいく。
「お茶、入れるの上手だね」
「そう。どう?」
どう?と得意げに笑って見せるこの男。
新しく雇った護衛と公式になっているが、彼は、生死不明とされ、国から戸籍が抹消された元・王子殿下である。
赤銅色の髪は染粉で色を変え、瞳はそのままだが、黒縁眼鏡を着用している。これだけで眩いオーラのようなものはくすむため、彼の正体に気が付くものは多くはないだろう。
「ヴェガは、一度教えたことはすぐに覚えてしまうんです!素晴らしい素質をお持ちですよ、お嬢様」
「素質ねえ…。うん、期待してるよ…」
「ふふん、ご期待に添えるよう尽力したしますよ、お嬢様」
お嬢様、と呼ぶのがそんなに楽しいのか?
とにかく、まるで昔からいたかのようにこのノーザン・クロスになじみまくっているので、彼の事は心配はしていない。人好きする性格なんだろうなあ。
「そう言えば、手紙が届いております」
そう言って、ヴェガが銀色のトレイに乗った、三通の手紙を恭しく差し出した。
「差出人はニカと、ヘルソン、それから…ドロレス?」
ヘルソンの内容は、恐らく、例の犯人の取り調べの進捗具合だろう。
どうやら、彼は独房の中で正気を失ってしまったらしく、この国で重度の高い犯罪を犯した者たちが収監される王立収監所に観察付きで入っているらしい。
「…あいつが犯した罪は、何だったんだろう」
「例の犯人?」
「うん。なんていうか…時代の流れに放り込まれた異物が相当強く、感染力の高い毒を持っていて…それが、あっという間に不特定多数に拡散した、みたいな印象」
事実、ヘルソンの話では、あの預言じみた文書のせいで最近小さな犯罪が増加傾向にあるらしい。完全に根も葉もない噂に惑わされている者が増えているのだ。
実はこっそり、ある輸入会社に投資しているのだが…小麦や農作物の値段がありえないほど高騰しており、最近面白いほどに売り上げが増加している。わらわの個人収入は右肩上がりとなっており、なんとも複雑である。
「ニカレア・ハーシュレイ。ハーシュレイって、あの?」
「ああ、うん。ハーシュレイ貿易会社の令嬢で、私の大切な親友だよ」
「へえ…アリスお嬢様にも同性の友人が居らっしゃったとは」
「…どういう意味」
「悪い意味ではないんだけど。で、このドロレスっていうのは?」
「その子は…私の弟子、だ」
「弟子?」
「そう、魔法のね」
そうだ、ドロレス。
あの子も少なからず未来を見る力がある。…今回のあの預言、どう思っているのだろう?
あの内容はわらわも目を通した。記憶に残っている、アリセレスが処刑されたあの場所と同じ時系列ではあるが、現在では色々と状況が異なっている。
それを指摘する新聞社も何社かありはするもの、誰もがまだ起きていないことを知ることは不可能だ。だから誰もが不安に思い、憂い、怯えている。
「そうだな…様子を見に行ってみようか」
「!お出かけですか、お嬢様」
「うん。サード・フィンクス…3番街に行く」
イースト・セクト、3番街の北側にある、山と緑に囲まれたサード・フィンクスタウン。
そこは、多くの貴族や金持ちが住む、いわゆる高級住宅街となっている。こじんまりとした敷地に立派な邸が所狭しと立ち並び、かくいうロイセント家のタウンハウスもある。今は父の活動拠点ともなっており、子供の頃何度か立ち寄ったことがある。
そんな中、最近最も注目されているのが、完成されたばかりの四階建ての高級アパルトマン。その最上階の一室に、キルケとドロレスは二人で住んでいる。
「ここで住むのも悪くないけど…まだ未成年だしなあ」
最上階となると…この辺りは少し高台になっており、きっと見晴らしがいいことだろう。一番街のロイヤル・パークにある王宮すら見下ろすことができるはず。
「何号室に用事ですか?」
「ええと…403」
「今確認しますね」
今回、ドロレスには使い魔で知らせを送った。届いていると思うのだが。
アパルトマンの入り口には、窓口があり、そこで何号室の誰に、何の用で会うのか伝えたうえ、受付をしなければならない。セレブにはセレブなりに用心すべきことがたくさんあるのだ。
「今、大扉の鍵を開けます。そのままお進みください」
「ありがとう」
どうやら、最上階に行くには階段を使わなければならないらしいが、さすがは高級アパルトマン。ハンドレールは、シンプルなデザインでかつ合理的な幾何学模様がモチーフが丁寧に飾られているし、各踊り場に窓が設置されており、景色を楽しむこともできる。
後ろをついてくるヴェガが、そっと耳打ちした。
「随分いいところに住んでいるんだな?」
「そう言えば…あなたも知ってるはずだよ、キルケのこと。」
「!ああ…あの灰色の坊主か?え…ドロレスって」
「彼の…まあ、妹(仮)というところかな」
「妹、かっこ仮?」
「……確信たる理由が見当たらないんだ」
「ああ、なるほど」
そう言えば、キルケの言っていた不思議な日記帳とやらはどうなっているんだろうか。
考えてみれば、キルケも不思議なやつである。彼と別れた後の数年、隣国レジュアンで何をしていたのかよくわからないし、養父との関係もどうなっているのやら。
時々思い悩んでいるふうでもあるし、何か力になれることがあればいいけれど。そんなことを考えていると、3階の踊り場に到達したあたりから妙な気配を感じた。
「…ん?」
「アリス?」
「いや……」
なんだろう。誰かに見られているような、妙な視線を感じる。すると、階段の上層部の方からひらり、と一枚のハンカチが落ちてきた。
「ああ、失礼」
「!上か…」
少し低めの、若い男の声。見れば、ちょうど4階の階段を上った先に肩まである銀色の髪をなびかせ、アイスブルーの瞳の男がこちらを見下ろしていた。
「そのハンカチ、僕のなんだ」
「……あなたの?」
美しく整った顔立ちで、口元だけを片方あげる独特な笑みは、恐らく普通の子女ならばときめきを覚えることだろう。だが、しかし。
わらわは、そのまま階段をつかつかと昇りきると、男の目の前に立つ。
「ん」
「…おっと」
そのまま、持っていたハンカチを胸元に押し当てた。
「すまないね、私は上から見下ろされるのが大嫌いなんだ」
その行動に一瞬男は面食らったようだが、すぐに楽しそうに笑った。
「これはこれは…うん、期待以上の反応だな」
「期待以上?」
(・・・なんだか値踏みされているようでとても不快だ)
思わず眉を顰めるが、男は気にする様子もなくそのまま流れるような動作で手をすくいあげようとした。すると、黒い革袋を嵌めた大きな手が後方から伸び、わらわの手を覆った。
「そこまで。…うちのお嬢様にむやみに触らないでいただきたい」
「ヴェガ」
「おっと、失礼。あまりにも美しいので、つい…もっと見つめてみたくなってしまって」
「ならば、鏡に映った自分の顔でも見ていればいい。行きましょう、お嬢様」
「ああ」
「アリセレス・ロイセント…」
去り際、耳元で聞こえた声にぴたりと足が止まる。
「あなたはとても美しい、心も、容姿も…そして魂も」
「……行こうか、ヴェガ」
「従者の君も」
「!」
「…まるで炎の揺らめきのようだ。隠すなど、何と勿体ない」
何かの比喩なのか、それとも独特のポエマーセンスなのか。
(よくわからない男だな)
「キュアン!待って」
すると、階段すぐの部屋のドアが開かれ、先ほどの男と同じような瞳の色と髪の色の、美少女が飛び出してき…そして、なぜかヴェガに体当たりしてきた。そこまで、狭い通路ではないのだが。
「あ、ゴメンなさい、急いでて…」顔にかかった髪をわざとらしく耳にかきあげ、じっとこちらを(というか、ヴェガを)潤んだ瞳で見つめた。え、何だこの娘??
「…気をつけて」
「!…ふぅん」
しかも、去り際になぜか、睨まれた。
「実は、ヴェガの知り合い、とか?」
「そんなわけないだろ。アリスは、ああいうのが好きか?」
「いいや。整いすぎた美しい容姿というのは、かえって不気味に感じる」
「‥同感だな。なんか、作り物みたいな奴だ」
「作り物?」
「まあ、個人の感想だな」
「ふうん」
「うん」
どうやら二人はどこかに行く途中だったらしく、足音は遠ざかっていく。
(しかし、変な二人だ。似たような風貌だし、兄妹か?)
しかし珍しい。ヴェガがあからさまに「不快」という表情をしている。
「どうした?」
「あの女、俺に魅惑の魔法を使いやがった」
「え?!」
「昔から、俺に向けられるモノには敏感でね」
そして、ぽつりとつぶやいた。
「…気に喰わない」




