5 枯れ魔女さんの持論。身分なんてクソくらえ!じゃ
「好きにしろ」
「はい、では勝手にいたします」
母に会いたい、というと、公爵はあっさりとそれを許可した。
(こんなに簡単に許可を出すなら、最初から禁止にしなければいいのに)
北の別荘は、馬車で40分ほどの場所にある。
本邸から馬車で40分…なんて、どれだけ離れているのやら。馬車はゆっくり、森の中を突き進んでいく。
「綺麗…」
小さな窓から見る景色はとても穏やかで美しい。
背の高い木々の葉の隙間から見える木漏れ日は、太陽の光を通してうっすら緑色に見える。ここは本当に邸の敷地内かと疑うほど、見渡す限り、木、花、草、森…まあ、わらわからすればこういう環境の方が馴染みやすいのだが。
「…ねえ、レナ。あなたは北の別邸に行ったことある?」
「えっ?!」
びくり、と肩を震わせるメイドのレナ。
そんなに怯えなくてもいいのだが…うーん、少しか距離が縮まったような気がしたのだが。
「あ…その、私は一度も…あちらには専属のメイドがいるはずですし」
「ふうん…そう」
「あ、あの…お嬢様」
「何?」
「は、ハンカチを!こんな立派なものは…」
「別にいいわ。まあ、長く働いてくれた方が私も嬉しいから…その、賄賂よ、賄賂」
「わいろ…?」
「あ、えーと、これからもよろしくって意味の贈り物ってことで…」
「…はい!!!一生お仕えします…!!」
いや、そんな大げさな。しかしこの娘、本当にいい奴じゃ。
やはり、人と関わらないと…できないことが増える一方だからな。よし、しばらくは自分の厳しく、他人に優しくするようにしよう、そうしよう!
「あ、見えてきました、お嬢様!」
「…本当に、ここか?」
やがて…馬車が停まった場所は…想像をはるかに超えるほど、ぼろい邸だった。
入り口の扉の前は辛うじて綺麗にされてはいるが、他の場所の雑草は伸び放題。外見だけはとても立派な邸のようだけど、よくよく見れば壁の塗装ははがれ、庭園と思しきものは謎の草木が幅を利かせており、まるで小さなジャングルのようになっている。
(わらわの元家かと思ったぞ?!)
こんな場所に、病気がちの公爵夫人がいるなんて…。これじゃあ治るものも治らないに決まっている。
「なんだってこんな…うっ」
来たな。この間と同じような左目の違和感と…激しい頭痛。
(…どこを指している?)
顔を上げ、じっと目を凝らして襤褸邸を見る。
すると、二階にある正面側の部屋の窓が黒く染まっているように見えた。…それこそ、底知れぬ闇のように。
「あそこは…まさか?」
「お嬢様?…顔色が悪いです。大丈夫ですか?」
「…あ、ああ…」
瞬きをして再び見ると…もう、異常はなくなっていた。そして左目の痛みも、頭痛も消えている。
なるほど…やはりな。
奴らがいるとき、その異常をアリセレスの身体は左目の激痛と頭痛で感じ取っているようだ。
「だとすれば…まさか、あの部屋」
「あ、お嬢様!」
いてもたってもいられず駆け出し、思い切り玄関の扉を開いて…バシャッという水の音と共に何かと激突した。
「あ…っ」
「?!!わわ…」
子どもの声?
灰色の髪の少年は…頭にお水桶がのっかている。…これは、わらわのせいだな、
「す、すまん」
「!!あ、えっと」
しかし、わらわを見るなり、少年はその場に跪いた。この状況はなんだ?
「…何で、跪いているんだ?」
「え…だって、お嬢様、なんだろ…じゃない、えっと、お嬢様なんでしょう?」
少年が恐るおそる顔を上げると、鬱陶しそうな前髪から覗く緑色の瞳とぶつかった。
「お嬢様だからと言って、どうしてお主が跪く?」
「いや、だって…ほら、オレは平民だし」
「平民、って…」
だめだ、元一般庶民出のババアからすれば、この時代に浸透しているオキゾクサマの振る舞いはどうにもついていけぬ。
「…不愉快だ」
「ええ?」
「同じ人間だろう?身分がそんなに大事かっ!」
「そ、そんな。オレ、しょ、ショケイされるの?!」
処刑、だなんて。
何でこんな子供がそんな言葉を知ってるんだ。…それとも、この少年を取り囲む環境はそう、なのか?
「…はあ、しない。と、いうか意味が分かっていってるのか?」
「え?平民が貴族様にオジギをしないとそうなるって…」
「それはデマ、嘘っぱち。…ほら、立て!」
「わ わわ!」
渾身の力をこめて、少年の腕を引っ張り、立ち上がらせた。ついでに濡れた前髪を掴んで、後頭部の方におしあげた。おお、よく顔が見える。
「ちょ、なにすんだ!!」
「いい瞳の色じゃないか、隠すなんてもったいない!」
「えっ」
「この色は良い。真夏に青々と茂った草原の色だ」
大きな緑色の瞳がぱちぱちと瞬いて…みるみる顔が赤くなる。
「あ…は はな」
「キルケ!!」
「!」
キルケ…?その名前、どこかで聞いたような。
バタン、と激しく扉が開いたと思うと、青い顔してやってきたのは…白衣の男。思ったよりも若く見えるが…いくつだ?
首には聴診器、そして手には茶色の大きなトランク。黒く長い髪を後ろでひとまとめにし、四角い眼鏡をかけている。もしや、医者か?
「あ、あなたは、お嬢様…!すみません、うちの息子が何かご無礼を…」
「……」
この親あって、この子あり。か?キルケ少年の頭を掴んで何度も頭を下げる。
そんなにぺこぺこと頭を下げるなんて…本当、気に入らない。
「顔を上げろ」
「…え?!」
「そうやって何度も頭を下げられるのは、とても不愉快だ。…お主は医者か?」
「は、はい…」
「ならばとっとと、お母様のところに案内せ…あ、案内してくださりまする?!!」
しまった、油断するといつもの口調に戻ってしまう。
「…こっちだよ!」
「!」
するりと父親の腕から逃げ出したキルケがこちらを見てにっと笑って見せる。
ふうん、笑うと中々に男前じゃないか。
「頭、濡れてる」
「え?」
「これを使いなさい」
淑女というのはいつも白いレースのハンカチーフを持ち歩くものだろう。
そう思って意気揚々と差し出したのだが。
「しわくちゃ…」
「!!!」
「ぶっ?!顔に押し付けるなよ!!」
「黙ってそれで拭け!!」
ああもう、なんでくしゃくしゃに変形している?!
保管の仕方にコツでもあるのか?!うぬう、恥じゃ!!!
「さっさと案内しなさい!!」
「…しょうがないなあ」
楽しそうに去っていく後姿を、ぽかん、と見送るメイドと医者。
「…貴族にも、あんなお嬢様はいらっしゃるんだ」
「うちのお嬢様、やっぱり少し変わられたみたい…?」
「お母さまはどこにいるの?」
「…こっちの部屋」
そう言って、キルケが案内してくれた部屋は…予想通りというか、なんというか。位置的には、二階のあの部屋。そう、あの真っ黒だった窓の場所だ。
「ここか…」
取っ手を握ると、思った以上に重く感じた。
妙な重圧のようなものを感じ、少しためらいながらも思い切り扉を開く。
「…?!」
…まず驚いたのは、異常な暗さだ。
昼にも関わらず、窓にしっかりと遮光カーテンがかけられ、部屋は暗闇に包まれている。そして…鼻をかすめる不快な香り。
(なんだ…この匂い?甘ったるいような…酸っぱいような)
「まあ、あなたは…お嬢様?」
「!!」
暗い部屋の隅から現れたのは、母君付きのメイドだろうか?
部屋が暗すぎて顔が見えない。背が高く、髪型はよくわからないが…先ほど見た、目の潰されたメイドを彷彿とさせ、思わず身構えてしまう。
(…しっかりと呼吸をして…意識を、集中させないと)
「奥様、お嬢様がいらっしゃいましたよ」
「?!お嬢様…ってまさか」
ごほごほ、とせき込みながらゆっくりと身体を起こす影。
その姿を見て、わらわは言葉を失った。…人とは思えないほど、あまりにやつれている。それを見た瞬間、頭の中によぎったのは『死』という一文字だった。
「おかあ…さま」
「近づかないで!!…何しに来たの?!早く帰りなさい!!!」
「!!」
あまりにも大きな声に、びく、と肩がすくんでしまう。
でも、ここで怯むわけにはいかない。このままではこの人は確実に死んでしまう。この暗い部屋には複数の気配を感じる。…それも、悪意のあるものばかり。
「でも、お母様…」
「出ていきなさいったら!!」
「あ、おじょー様!」
バシン!
飛んできた枕をキルケがかばってくれた。
「…さあさあ、出て行かれませ、お嬢様!!」
「ちょ」
しかし、ほどなくして背の高いメイドが、尋常ならざる腕力でわらわとキルケを掴み上げ、扉の外へと押しやる。
「おかあさま!!…待って、おはなしだけでも!!」
「帰りなさい」
追い打ちをかけるように冷たい声が突き刺さる。
「…お母さま…っ」
「おじょー様…」
「奥様、ずっとこんな調子なんだ」
「キルケ…」
いつの間にか、隣に立つキルケがぼやいた。
「いつからか、カーテンで真っ暗にしちゃってさ…」
「…闇は光がきらいだから」
「え?」
「……ううん」
これで確信した。
どうやら、アリセレスは『害ある住人』達の姿を左目でとらえらえることができるようだ。今は頭痛も消え、頭もすっきりしている。
だからこそ、かもしれないが。…あの部屋、闇を一つの塊にしたような、黒い物体が床を這っているのが見えた。それも複数。
(それに、あのメイドも)
もしかしたら、わらわと魂を共有したから起きた弊害…いいや、『奇跡』かもしれないな。
「…キルケも、良くここに来るの?」
「さっき会ったろ、オレの父さん。オレ。助手だもん」
「子供なのに偉いね」
「…おじょーさまもだろ?」
「私は中身は大人だもの」
いや、嘘は言っていない。言っていないのだが。
「あはは!!そりゃ、しつれー!!」
「むう。本当なのに…お母さまの容体は…どうなの?」
聞くまでもないだろう。だが、キルケは歯を見せて笑顔で応えた。
「父さん…すげーんだ!だから、だいじょうぶだって!」
「…そうね」
でも、あの様子…母君は本当に病気なのか?何か、別の要因が絡んでいるような気がする。
「…ん?あれは」
ふと、視界の端にうつむく一人の老婆…のような人影が見えた。
しかし、その老婆を取り巻く気配に禍々しさは感じない。むしろ、清らかで澄んだ気配だった。