69 執行人
「どうする?…この状況でアリスが姿を現したら」
「別に、情報に餓えたあんな連中に餌をやる必要もない。…少し離れた場所に降りるとしようか」
そのまま、病院より離れた空き地らしき場所に降り立つ。昼間のこの時間なら、ある程度通行人もいるだろうと予想したのだが…例の新聞の記事のせいだろうか?人影はほとんど見あたらない。
「むしろ、好都合ではあるが…」
「少し、情報を集めてくるか。…ここで待ってろ、アリス」
「でも…うん、わかった」
軽く手を振り、走り去るケンの姿を見送った。
ひとまず壁側に身を寄せると、ふと、妙な違和感のようなものを覚えた。
「…?」
この辺りの道は、基本的に全て石畳で覆われている。と言っても、例えば一番街と呼ばれるような場所は表面が平面的で、全体的に大きさのそろった敷石が綺麗に並べられている。だが、この6番街エリアに至っては、並べられた敷石も大きさもバラバラ、凹凸がある不揃いの石畳となっている。
にもかかわらず、ある一点だけ妙に綺麗に整列された個所があった。よく見ると、マンホールのふたがあり、それも随分真新しい。
「あ…そうか。この辺りまで新しい下水道が通っているのか?」
このレスカーラの地下坑はとても入り組んでいる。
歴史が古く、旧時代の下水路を使って新設、増設を繰り返した結果、まるで迷路のような作りになってしまったのだ。恐らく多くの人間はこの全体像を把握しきれていないだろう。
「ヘルソンも、下水で色々見つけたようだったが…」
一瞬、ためらいはしたものの、意を決して突起に手をかける。相当な重さを想定していて半ばあきらめていたのだが…どうやら、日々の訓練のせいか。多少苦労はしたものの、人一人張り込める隙間を造ることができた。
「ケンがまだ来てないけど…開けてたら、気づくよな」
慎重に梯子を下る。
下にくだるにつれて徐々に鼻が曲がりそうなほどの匂いがまとわりつていくる。…中々に強烈だ。
「うぅ…酸っぱいような、ゴミみたいな…臭っ」
下に降りると、人一人が歩けるほどのスペースがあった。しかし少しでも足を踏み外してしまえば、重くゆったりとした汚水の流れにドボン、である。慎重に歩きながら行かなければ。
川下に行くべきか川上に行くべきか。悩んだ末、事件が多く起きているイーストエリアの方…川上を目指す。
(銃もあるし、あまり得意ではないが、ナイフもある)
本当に危険になったら、攻撃魔法を使うことにする。
…最も、下手に大暴れて多くの民衆を危険にさらすことはできない。使わないで済むならそれに越したことはない。
そうして、アリセレスは闇に向かって歩き出した。
**
その頃、病院の方では。
「死傷者多数、ブロック・ヘッドがやって来た!」
で、大騒ぎだった。
やれ何人がやられたか、や犯人像、コンスタブルの防衛を突破しての侵入で、コンスタブルの責任を早くも問いただす声もあるようだ。
「すごいな…まるでお祭りだ」
よくよく見れば、ハンチング帽に安物のジャケットといういかにも、な記者風の若者から、野次馬で来たのだろう近所のおばさん、これに乗じて今の社会を問う反社会運動に精を出す自称活動家、のような者たちの姿も見受けられた。
(暇な連中だ‥しかし、この様子だと、既にこの病院に例の殺人犯とやらは一度来たみたいだ)
きょろきょろと辺りを見渡し、先ほどの近所のおばさん…もとい、年配のご婦人に声をかける。
「マダム」
「あん?…っあぁら、まあ」
「随分騒がしいようですが、一体何が?」
最初は警戒心むき出しの表情だったが、ひとたびケンがほほ笑むと、まるで夢見る乙女のようなうっとりとした表情に変わった。
「な、なんでもぉ、例の殺人犯?がどっかからやって来たみたいでぇ」
「ふむふむ」
「何人かおそわれてぇ…」
「それで、犯人は?」
「うーん、姿は見せてないみたいだけど」
「……そうですか」
その後、何人か無難な連中に声をかけた。…結果、犯人がどこからか急襲し、まるで煙のように消え去った。だが、病院からコンスタブルが出てきた形跡はなく、まだ病院内に犯人が潜んでるのでは?ということらしい。
(一度、戻るか?あまり待たせたら、何をしだすかわからないしな)
こちらに来る道中おおよそ事件の概要は聞いていたが…やたらとアリセレスが内情に詳しかったのが気がかりだった。
恐らく何かしらトラブルがあろうと、誰の手も借りずおおよそは彼女が自分で解決できるのだろう。しかし、例の『ブロック・ヘッド』とやらはどう考えても普通ではない。
例えば戦場以外で、人間が人間をその手で殺める、というのは非常に精神力を使う。戦場のような死が常に隣り合わせのような空間にいれば、命を守るためにやむを得ない場面も数多く、その行為に大義名分をつけることができるだろう。
しかし、そうじゃない場所でこんな短期間に複数やってのけ、しかもそれぞれまるで何か示す暗号のように現場を飾る、などという行為は正常な人間ならまず無理だろうと思う。
そして、その足取りを誰もつかめていない。…そんなもの、亡霊やら悪魔よりも厄介だ。
「アリス、待たせた…って、嘘だろ……」
先ほどの場所に戻るが当然ながら、アリセレスの姿はなかった。代わりに、マンホールのふたがまるでここから行きましたとばかりに開いていた。
思わず頭を抱えてしまう。
「あンの、じゃじゃ馬娘め…」
そうして、意を決して、ケンも地下坑へと潜り込んだ。
「…ふむ、鼻がマヒしてきた」
ひたひたと慎重に歩みを進めていく。時間としてはどれくらいだろう?こう、同じものが続いていると感覚がマヒしてしまい、最終的には、下水の匂いも気にならなくなってきた。
ただ、やはり下水道としての機能は果たしているのか、頭上にはところどころ開いているマンホールの穴から光が漏れており、完全な暗闇ではないのが幸いか。
だが、途中で真新しい血が付いたコンスタブルらしき青いマントが転がり落ちていたのを発見して以来、手掛かりはない。
(下水に逃げたの間違いないが…それで、奴はどこに行くつもりだ?)
途中、自分の身長よりも低い横穴のような水路や、手のひらがやっと入るかそうでないかくらいの隙間の穴は見受けられたが、曲がり角や行き止まりなどはなかった。数か所程、はめ込まれた柵の向こうに別の通路のようなものを発見したが、こちら側からはどうやっていくこともできない。
つまり、いま歩いている道は、ブロック・ヘッドに続いているということになるのだろう。気持ちを新たにして進んでいくと、ふと、遠くの方で微かな物音を聞いたような気がした。
「…?」
瞬間、背筋が凍るほど、ゾッとした。
「?!」
危機を察し、手に持っていた銃を構え、壁に背中をつけた。
(何?今、気配がしたような)
ピリピリと肌に突き刺すような不快な感覚…目が慣れるまでじっと息を殺していると、やがて生ぬるい風が吹き始め、眼前まで迫った。
『…我らの使命の時間だ』
驚くほど近くで聞こえた声は、低い男性のもの。何かを引きずるような音共にまるでそこから霧がが晴れるように姿を現し、やがてすぐに消えた。
それを見て、めまいを感じる。
(顔を隠した黒い頭巾に、赤い矢じりの紋章が刺繍されたローブ…処刑執行人)
魔女がなり変わった後ですら、消えることはない。『アリセレス』の最期の記憶に鮮明に残っている、その姿。
(気配は、薄い…残留思念やその類?だとしたら)
思わず、上を見上げる。よく目を凝らすと、うっすらと小さな穴から光が漏れている。しかし、その光はあまりに薄いため、下まで届かない。
「まさか…ここは 宣告の広場の真下…?!」
言葉に出した瞬間、奥の方から、ざり、と何かを引きずるような音が聞こえた。
「その穴は、罪びとたちが、犯した罪を贖うときに流れた血を吸う穴」
「!!」
「我々は君たちを苦しみから、解放した後…君たちの肉体は土に還り、血は海に還る」
処刑を行う際、この国では断頭台を使う。
木造でできた簡素な台は、処刑が行われるたびに分解され、新たに組みなおされる。設置場所も決まっており、大量に血痕が流れることから、宣告の広場の中心部には、流れた血を下水に流す穴が開いている。
「誘い込まれた、ということか…」
「ふふ…ああ、やはり、私の答えは間違っていなかった…罪びとが、この地にやって来た」
うっすらと挿し込んだ光を覆うように、黒いコートの大男が姿を現した。
「やはり、お前か…」
「ああ…やっとあえた!その金色の髪、白い肌…知っている!私はお前を知っている!!」
まるで、愛を告白するように、恍惚の表情で大男は語る。
この男の中では、全てがつながり、自己で完結し、一つの結果が出ているのかもしれない。…こちらのことなど、まるで無関係のまま。
「罪を認めよ、悔い改めよ…罪状はロイセント公爵家の親族に対する殺人未遂。既婚者との不貞行為に脅迫行為、それに」
「ふざけるなっ!!」
「……罪を認めぬ、のか」
「『私が何をしたというの?既婚者との不貞行為?脅迫行為?そんなの、身に覚えがないし、心当たりもない』罪を認める?『私』は、何も罪など犯していない」
これは、あの日、アリセレスが言いたくても口に出せなかった言葉だ。
「なぜだ…お前が罪を犯してぬなら、なぜ神は私をこの世界に遣わした!!!」
「…お前の言う世界は、どれの事だ?」
「なに を」
「お前はどこにいる?」
「どこに?だと…」
「ここは、お前が裁いていい罪びとは存在しない世界。…むしろ罪なき人々を葬った。裁かれるべきはお前だろう?」
「私が?嘘だ!!!…私は知っている…!お前の死から世界は歪んだ!世界は変わった!!滅びたんだ!!!」
「は?…戦争、滅亡…?」
思ってもみなかった言葉の羅列に、足がすくんだ。
言っていることがおかしいはずなのに、まともに聞く必要もないたわ言のはずなのに、心がざわつく。それは、名も無き魔女が見たこの国の歴史と、あまりにもよく似ていたから。




