66 10年
「はぁ…」
ため息をついた。
「ふう…」
もう一度。そして…
「お嬢様」
「あ え?ごめん、レナ、何?」
「少しは落ち着いてくださいませ。今お嬢様が駆け出しても、全くの無意味です!」
「う…でも」
「でも、じゃありません!」
「…はい」
先ほど、届いた知らせ。
早馬を飛ばしてやってきたのは、ヘルソンの部下だった。彼は、メイドのサーリャが襲われたことを伝えると同時に、わらわがすぐ飛び出すことを警戒したんだろう。アリセレスのことを心配して人を寄越してくれたらしい。
まあ、確かに?すっ飛んで現場を確認したい衝動に駆られたが…それはわらわの仕事ではなし。それに、ヘルソンも気にしていたのがサーリャが襲われたのが偶然か、謀られたものか確認できていないから、ということだった。もし、サーリャがこのロイセント家の屋敷に仕えるメイドだと知っていたら…それはアリセレスを狙っての行動かもしれない、という可能性がぬぐい切れないからだ。
「いや、うん。もうわかったから、今夜は一歩も出ない」
「…本当に?」
「約束するから」
「……わかりました。言っておきますけど、窓から箒で飛び出そうとしても、庭には見張りがいますし、魔法陣で脱出しようとしたって、常駐の魔法使いが即座に停止魔法を繰り出しますからね?!」
「う、うん」
「ドアのすぐ外には私も待機してますし!」
「……」
全く、誰だ、そんな厳重な警備を計画したの。
「あ、ちなみにこの処置は公爵様が自ら練り上げた予防策です!公爵様のお気持ちを察してあげた下さいね」
「……はい」
父よ。何というか…7歳の頃から比べたら、随分と丸くなったものだ。あの頃はものすごく冷めた目で見ていたのに…あ、思い出すだけでも複雑な気持ちになってしまう。
なんていうか、すごいな。
母と父が仲良くなり、家族も笑顔も増えていくと、合わせてこの公爵家全体の雰囲気も明るくなった。すると不思議なことに、このロイセント家の本邸をうろついていた不浄な者たちは姿を見せなくなったのだ。たまに残留思念のような…それこそうっすら影のようなものを見えることもあるが、いずれ消えてなくなってしまう。
「本当、生きている人間の想いというのは…とてもすごい」
亡くなった者たちは、それぞれ個々に浄化できない念を持っているから、この現世に留まり続けるのだろう。でも、生きている者達の生命力や、暖かい想いを目の当たりにした瞬間、なんだか、どうでもよくなってしまうのかな?
ふと、鏡の向こうにいるもう一人のアリスに問いかける。
(…わらわは、お主の思い描いた通りに生きているか?)
実は、今わらわはある一つの「夢」を持っている。
…とても難解で、複雑で、まだまだ叶えるためにはわらわの力も知恵も足りないくらい。最も、『夢』の実現のためには、無事、処刑を免れるという前提があるが。
「契約、だからな」
ふと、こつん、と何かが窓に当たった。
通常なら気にも留めないが、やはり気が立っているのだろうか?用心しながらゆっくり窓に近づいていく。
先ほどの死神とは全く異なる気配。…禍々しさもない、むしろどこか懐かしいような。
「アリス?」
「!」
(…男の声。しかも、若い)
脳裏をよぎったのは、例の『連続殺人犯』、そして、昨日聞いたあちらの邸に侵入した泥棒の存在である。もし、後者であれば…軽い身のこなしに、相当な逃げ足の速さと聞いている。暗殺者や、その類の襲撃を最悪な想定と考える。
傍にあったペーパーナイフを手に取り、カーテン越しに外を窺う。
「…誰だ?」
「……」
あれ?今、ふっと笑ったような気が。
すると、突然ぐっと強い力で腕が引っ張られ、驚いてバランスを崩した瞬間、何か固い物にぶつかった。咄嗟に左手を返して、持っていたペーパーナイフを振り上げようとするが…。
「久しぶり。ご挨拶、じゃないか、アリス」
「……え?」
くい、と顎を持ち上げられ、見上げた視線の先には…赤銅色の髪と、懐かしい琥珀色の瞳。身長差からして頭二つ分程違うこの造形の美しい顔の青年は。
「………」
「え。ちょっと、本当にまさか忘れてるわけじゃないよな?」
いや、そうじゃない。えーと、えーと何だっけ。忘れているわけでもないが、こう、久しぶり過ぎて言葉にならないというか。あわあわと口を開いたり閉じたりしていると、青年はにやりと笑った。そのままゆっくりと顔が近づいてきて…
「…キスでもしたら、思い出す?」
なんてことを言い出したので、意識は覚醒し頭突きをかました。
「ふざけるな!このあんぽんたん!!」
「いてて!軽い冗談だって…」
そのままぐるりと回転して、真正面から向き合い、改めて懐かしい友人の顔を見る。
「…っケン!!良かった!生きていた!」
「え?!ちょ」
「屈んで、かがんで!!」
そのままマントと胸倉ごと掴んで屈ませると、頭をぐりぐりと撫でる。
「久しぶりだな―――!!会えてうれしい!!」
「なんだよ、この扱い!…ったく、色気のないなあ」
言いながらも、しっかりと互いにハグをしあう。
「会いたかった、アリス」
「うん!私も再会できて嬉しい!!」
ひとしきり感動した後、ふと、先ほどレナが言っていた警備を思い出す。
「そう言えば、なぜここに。というか、どうやって忍び込んだんだ?」
「そりゃー…まあ、勝手知ったる。ってやつかな。向こうの邸のロメイさんに教えてもらった」
「ロメイ?」
「聞いてない?…この間忍び込んだの、俺だから」
「そ、そうなのか。でも、なんでロメイ?」
執事のくせに。すると、ケンはにっと笑った。
「アリスに会いたいって言ったら、抜け道を教えてくれたんだ」
「……」
抜け道。そんなものがあるのか…まあ、確かに、既にケンの存在はこの国からは抹消されている。表立って行動しないのも理由があるだろうし、それについて咎めるのはやめておこうか。
「今、変な事件が起きてるだろ。…金髪の令嬢が狙われているっていう」
「知ってたのか?…うん、実は今日もあったみたいで。里帰りしていたうちの侍女がひとり巻き込まれたらしい」
「それって…」
「たまたま居合わせたのか…理由はともかく、命に別状はないっていうから、安心はしてるけど」
「そうじゃなくて…。まさか、狙われてるのは君、じゃないよな?」
あれ?いつになく真剣だ。
それにしても、随分と精悍な顔つきになった。身長も伸びたし、身体だってがっちりしている。一応、わらわだって身長が伸びたのに…どこまで縦に伸びるんだ、こいつ。
「もしかして、心配したの?」
「当然の事を聞くな」
「うーん…まあ、確かに、襲われている女性たちはどれもアリセレス・ロイセントを彷彿とさせる金髪に、貴族の令嬢という共通点はあるけど。別に私に直接危害があったわけでは」
「それは、今までの話。…これからはわからないだろ」
「まあ、それは」
そう、なんだかんだで近づいているような気がする。
実際に事件が起こっている範囲は変わらないけど…今まで襲われなかったのだって、状況や環境がそうさせなかっただけかもしれないのだ。もし、わらわの見立てが正しければ…犯人とは一度会っている。いや、もしかしたら、二度。
「…本当はまだ、戻ってくるつもりはなかったけど。旅先で噂を聞いて、いてもたってもいられなくなった」
「……そう言えば、今までどこに」
「あの、お嬢、様?」
「!」
なるべく声を潜めていたが、何か不信を感じたのか。ドアの向こうのレナが遠慮がちにノックした。
「大丈夫、もう寝るから」
「…わかりました。ゆっくりお休みください」
「うん、ありがとう。お休み」
「………」
「と、言うわけだ。もう夜も遅いし、積もる話は」
「うーん…戻るのは難しいかも」
「え?」
何言ってんだ、こいつ。
「いや、ほら、見て。窓の外」
「おぉ…」
いつの間にか降ったのやら。外は大粒の雪がちらついている。
「こっちじゃあ初雪か?道理で冷えると思った」
「…うん」
雪は、少し複雑だ。
「そう言えば、子供の頃、二人で初雪を見たことがあったっけ。覚えてる?」
「当たり前。…その時、もらったよな、コレ」
そう言って胸元から取り出したのは、楕円形のペンダントヘッドが付いたネックレスだった。かちん、と音を立ててふたが開くと、それはロケット状になっており、例のプロミスリングが大事そうにしまってあった。
「…それ、まだ持ってたの?」
呆れたようなわらわの声に、ケンは苦笑した。
「大事なお守りだから」
「物持ちがいいというかなんというか。…それで、今晩どうする気だ?」
「うーん。同じ寝台とは言わないから」
「当然だろ。…全く、警備が厳重な外に放り出すなんてできるわけがない。どうせなら、静かに二人で再会のグラスでもかわそうか?」
「…おいおい、未成年だろ」
「大丈夫!ただのリキュール程度だから!アルコール度数は低いし、寒い夜にはぴったりだから!」
「そ、そういう問題じゃない…まあ、でも」
ドアとはだいぶ離れた場所にあるソファーに向かい合わせになって座ると、そっとガラスのシェードランプに明かりをともす。
こっそり召喚魔法を使ってグラスを呼び出し、とくとくとグラスに赤いリキュールを注いでいく。
「これ、何のリキュールだ?」
「ああ、木苺。ちょとリヴィエルトに頼まれごとをしていて…その材料の一つを使ってアルコールに付け込んでおいたんだ」
「ふうん。リヴィエルト…あいつとは、どうなってるの?」
「ん?良き友人で、幼馴染かな」
「…へえ。幼馴染、ねえ」
くるくるとグラスをまわしていると、ランプを通して真っすぐ目があった。
「ちなみに頼まれごとって?」
「安眠剤、のようなものかな。悪夢を見るらしいから」
「じゃあ、俺のも作ってくれる?」
「…寝れないの?」
「まあ、ね」
「……」
不眠は、そこかしこから聞く。
悪夢を見る、とも。…何か理由があるんだろうか。すると、突然身体の内側からふつふつと妙な熱が込みあがる。
「…う」
「ん?」
吐きそうになりそうな、でもそこは耐える。あれ、アルコール度数低い…はずだよな?これ!分量が甘い、とか?いや、これくらい平気だったはずなのに。
ぐるぐると頭は回る。
「おい、アリス…?」
「…ダメだ、すまん。私は気絶する」
「え?!」
そして、そのままがくーっと意識を失った。
いつも読んでいただいてありがとうございます!そろそろ関係性を動かせないと!精進します!!




