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65 ブロック・ヘッド


一日中、教会の傍に座り、通りゆく人間をぼうっと眺めている。たまに汚れた靴を履いた紳士を見ては、端金で靴を磨き、その日の生活費を稼ぐ。

まるで生きた屍のようで、異常が普通の毎日で…あまりにもそれが続いた為、彼は自分の名前を忘れてしまった。

けれど、ある日髭の紳士が自分を見てこう吐き捨てた。


「ふん、まるで…ぼーっと突っ立てるだけの、木偶の棒(ブロックヘッド)。いやただの大木(ウッド・マン)か?畑にある案山子の方がよほど仕事をする」


(ブロック・ヘッド…自分が)


遠い昔にも、名前があった。彼にとっての普通の定義はわからない…が、父親と母親もいた。裕福とは決して言えない生活だったが、一時人間らしい生活を過ごすことができたのは、いい思い出だ。

父親はとある『血統と役割』を担う大切な仕事についており、少年はその後姿をずっと誇らしげに見ていた。けれど母はいつも悲しい顔をしていた。それを見たら、それが本当に正しい行いなのかわからなかった。

しかし、そんな日々は、突然水の泡のように消えてなくなった。

10歳になり、物心がついたある日の頃、家に帰ると…そこには、血を流した父と母の姿があった。

時すでに遅く、事切れていた。同じころ…レスカーラ王国では最後となる『公開処刑』が執行されたばかりだった。


「…これが、最後の生き残りか」

「!!」


今でも、自分の家族はなぜ命を落としたのか、理由を知らない。頼れるものもおらず、何も知らない少年は、両親を殺した黒い服の男たちの凶刃から逃れるように地下へと逃げ込む。

その時…ある老人と遭遇した。彼は、かつて遥か北の方にある魔鉱石の発掘場で働いていたらしいが、その頃の影響で片腕と片足が欠損していた。

仕事を亡くし、日々金を持っていそうな紳士の靴を磨いて路銀を得ているらしい。両親の死を見て言葉を失った少年は、それを見よう見真似で覚え、老人に教えを請うた。そして…少しの間、老人と共に過ごした。しかし、老人はある日突然、少年に依頼をした。


「なあ、お前。今ここにある全部の物をやるから、わしを殺してくれないか」

「?」

「生きている意味がない。…もう疲れた」

「…!」

「これは、解放だ。執着と生からの解放、そして決別。悪いことではない。わしは、新しい世界に旅立つのだ。それを手伝ってくれまいか」


その時、少年の心は()()()()()

父がしていた仕事は、苦しむ彼らを介抱するための導き手であると。…自分もそうであるべきだ、と。


「さあ、早く導いてくれ。わしの身体は健康で、不都合もない、満ち足りた綺麗な場所へ」


少年は小さく頷き、傍らにあった刃物を使って、老人に進められるがまま、生からの解放を導いた。そして、それから時がさらに過ぎ去る。

それから…彼は不可思議な夢を見るようになる。


この場所と似ているが、まったく異なる場所に自分がいる。今よりも裕福で、今よりも孤独でなく、今よりも胸に誇りを持っていた。その誇りは、今の自分にはまるで無縁に等しい『血統』からなる自尊心であり、『使命感』である。

彼の仕事は『靴磨き』などではない、罪を犯した下賤なる者達への『裁き』を執行する仕事。赤い手紙が届いた翌日行われる。出勤の際には赤い礼服をまとい、代々家系に伝わる大斧を持ち、公正な裁きに迷いが生じぬよう赤い司祭帽子(カロッタ)を被り、顔を隠す。

断頭台の番人とも呼ばれる、『執行人』を群衆は恐れ慄き、敬遠する。けれど、それさえも彼らにとっては賞賛となる。自分は特別な存在だ、と知らしめる。

それが心をとらえて離さずにいると、また再び『依頼』を受けた。その年配の女は、元娼婦で、特有の流行病で苦しんでいた。


「お願い、全財産を上げるから、私を」


今は使われていない旧地下水路には、以外にも多く生からの解放を願うものが多く、彼らが持っているすべての物を対価とし、導く。それを繰り返しているといつしか自らを神の遣いだと錯覚するようになり、それが使命だと認識するようになった。

そしてある日の事…夢で見た人間と同じ人物を偶然街で発見してしまった。夢の中の彼女は罪を犯し、その罪を生への決別であがなうこととなる。そして、それを導いたのは、紛れもなく自分自身だった。


(夢の中の自分は充実していた。心も今のようにさざ波がなく、粛々と与えられた役割を実行する。それが、使命。彼女はこの世界でも罪びとなのか、確認しなくては)


そうして日々陰ながら観察をしていると…彼女は、いつも男を連れては歩き、しなだれかかっては金をせびる、淫乱な女だった。やはり、この場所でも罪を犯すのだろうか?ならば、再びその罪から救い出さなければならない。

それが、一番初めの『遂行』だった。

神はなぜ、この場所に自分を遣わしたのか?何か目的があるはず。何か目的が!

そして…その日、見た夢に金色の髪の女性が現れた。

髪を振り乱し、舌を切られぼろきれを着た悪女。宣告の広場で沸き起こる『殺せ』のコール。異様な熱気は彼の使命を掻き立てる。それでもなお、諦めまいと抗議の光を宿した瞳を見た瞬間…彼は戦慄した。


(自分を否定、している?)


しかし、やがてその瞳は光を失い…彼女もまた、その死をもって罪をあがなうことができた。そのはずなのに…。

心が晴れぬまま、徐々に現実と夢の境界があいまいになってゆく。

夢で見た覚えている限りの罪びとを見つけては、執行する。何度も繰り返していでも、心は晴れない。


(そうだ、彼女を見つけて、その答えを聞かなくては)


そして再び相まみえる。一度目は運命と感じて、二度目は使命と感じた。

だが、準備が必要だ。彼女はこの世界では罪びとではないかもしれない。…罪びとではないものをさばく権利はない。


(ならば、待つしかない。自分の使命は終わらない。彼女が罪に目覚めるその日まで)


「おじさんは、いつも黒いコートを着ているね」


ある日、近所に住む少女が声をかけてきた。

少女は、賢く、自分を怖がらなかった。時折来ては、自分の靴磨きの術を教えてほしいというので、対応していた。


「…礼服のようで、いい」

「そっかぁ。まあ、おじさんて背も高いから、似合うから、いいか!そう言えばね、私、お仕事決まったんだよ!」

「…そうなのか?」

「うん!ちょっと、その…騙されたっていうか、何だけど」

「だまされた?」

「あ、でも…お嬢様は赦してくださったの。それで、そのまま侍女にならないかって!」

「よかった。な」

「うん!しばらく会えなくなるけど…次会うときはお土産買ってくるから、待っててね!」


あの子は、罪を犯していない。

愛着のようなものもあるし、幸せになればいい、と思っていた。それなのに…どうして?傷をつけてしまった、苦しいだろう、辛いだろう、痛いだろう。


「…どこに、いる」


ならば、早く解放してやらなければ。



**


「…信じられない。随分と雑なやり方だ…」


凄惨たる現場を前に、ヘルソンはため息をついた。

通報を受けて、やって来た場所は、7番街の白い教会のあるグレー・ストリートと呼ばれる場所。駆け付けた瞬間は…目を覆うありさまだった。


(もしかして…なにか手違いや、本人が思ってもいなかったイレギュラーの事態が起こったのか?としたら…今病院にいるお嬢ちゃんに何かあるかもしれないな)


赤い液体の海の中、雑に横たわるからだに、無造作に転がっている苦悶の表情をした首…髪の色はいつもと違い、どちらかというと金よりも銅の色に近い。そして、何よりも遺体から2メートルほど離れた場所で血を流していた少女の姿。少女の方は、不幸中の幸いというか…近所の人間に姿を認められていたという点と、傍の教会の神父が駆け付けたのが早かったおかげもあり、一命をとりとめたのだ。今は近くの病院に運ばれて治療を受けている。

それでも血を流しすぎたらしく、すぐに話を聞けるような状況ではない。


「窓をたまたま少し開けてて…何か男女の争う声が聞こえたから来てみれば…」

「犯人は?」

「わからないけど…この子、サーリャは手にハンチング・ハットを持っていた。もしかしたら、犯人を見てるかもしれない。応急処置はしたけれど…」

「ハンチング・ハットねえ…ん?」


よく見ると、帽子の仕立てがとても良い。自分が今持っている物よりも高級そうだ。とはいえ、貴族が好んで使うような逸品物ではなく、むしろ汎用性の高いデザインだった。裏を見ると…そこには、名門ロイセント家の紋章が刺繍されていた。

通常、名のある貴族に仕える者達は、家の名前を通して帽子屋に注文をすることが多い。となれば、これはその中の使用人の物だろう。


「もしかして…あ、そう言えば」


傷ついて倒れていた少女。…その姿は、見覚えがある。

そう、以前アリセレスを訪ねた時に、ロイセント家の屋敷で見かけた。


(偶然か、それとも)


その為一応、ロイセント家の方にも連絡をしておくことにしたのだ。ただ、()()にはあえて絶対に邸から出るな、と念を押して。


「今夜はもうさすがに何かするとも思えないが…街の見回りはなるべく二人一組で行動すること。あとは、付近の住民に聞き込みをするとしよう」




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