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63 そして、訪れる


彼女の名前は、サーリャ・リルタ。

ほんの半年ほど前までは、ウェストエリアとイーストエリアのちょうど中間地点にある、グレーハウンド・ストリート一帯を縄張りにした靴磨きの少女だった。

今はロイセント家のメイドとして働いており、今日は奉仕後初めての長期休暇をいただいた。足取りも軽く、弟や妹たちと久しぶりの再会を喜ぶ。


「姉ちゃんおかえり!」

「ただいま、リオ、ミア、母さん!」


先輩メイドは面倒見も良く、主人のアリセレス・ロイセントはとても大らかだった。噂で聞くような高慢ちきさも、素行の悪さなど微塵もない。…ただ、非情に活動的でアグレッシブな令嬢ではあるが…小さなミスも怒らない、むしろフォローしてくれるとても良い主である。

そんなアリセレスをサーリャは慕っているし、何よりお給金をはずんでくれる。仕送りのおかげで病気がちの母には薬を買えるし、幼い兄弟たちも三食ありつけるようになったのだ。ある意味、サーリャなりに順風満帆な日々と言えよう。


「どう?最近は物騒だけど、大丈夫?」

「勿論!ご主人様もいい方だし、先輩メイドもすごくよくしてくれるの!」

「良かった…」

「お母さんこそ、身体は?…アリセレス様はね、薬草にとっても詳しいの。お母さんの症状を説明したら、色々アドバイスくれたんだよ!」


懐から取り出した紙には、びっしりと薬草や調合の仕方や酒類など事細かに記載されていた。


「あら、まあ…」

「なんて書いてあるの―?」

「えーと、これはねえ」


…サーリャは元々、文字が読める。と、言うのも、今は亡き父は学問を教える教師だったため、ある程度の知識は備わっている。更に、勤め先である邸では、サーリャを気にかけてくれている同僚たちが色々と勉強を教えてくれるので、今のところ不自由はない。


「そう…よかった」

「お土産もあるんだよ。はい、これはリオに。こっちはミアね」

「なになにーー?!」

「わあ、お人形だ!」


キャッキャとはしゃぐ弟達を見ていると、それだけで自然に笑顔になる。


「そうだ、おじさんにも挨拶してこなきゃ」

「…サーリャ、もう夜は遅いわ。最近は治安も良くないし、また明日にしたら?」

「うーん…でも、今の時間ならいつものとこいるだろうし。ちょっとだけ、だから。この黒い帽子、きっと似合うと思うんだよね」


持ってきた皮のトラベルバッグにはびっしりとお土産が押し込まれているが、その中の一つ、お邸でおさがりにもらった黒いハンチング・ハットを手に取った。


「すぐ、帰る事。いいね?」

「うん!だいじょうぶ!」


さて、靴磨きという仕事は、年齢や知識に関係なく、誰でもできる。

ただ、その分働き手も多く、それぞれ地域別に自身の縄張りのようなものが存在する。サーリャの領域はウェストセクト6エリアにある一体のメインストリートで、大衆向けのバーや小さな小物や、安アパルトマン、それに安価な宿が密集する場所。

そのすぐ隣…白い礼拝堂があるエリア『チャペル・ストリート』を縄張りにしている靴磨きと仲が良い。

彼は、名前を持たない。だが靴を磨く腕は確かで、どんな頑固な汚れもピカピカになる。全身黒づくめのコートという特殊な出で立ちだが、ひょんなことから、サーリャと知り合いとなる。サーリャは文字を彼に教え、彼からは靴磨きの技を教えてもらうようになる。今や、サーリャの師匠と言える存在だった。


「ええと…今日は雨も降ってないし、いつもの場所にいるよね」


彼の場所は、6番街の三番目の角を曲がった先にある教会。その傍でいつも客を待っていた。

この辺りは治安は比較的良い上に、部屋が小さく、家賃もそこまで高くないくらいのアパルトマンが多く、女性の一人歩きも多い。

何人かすれ違った後、目的の場所に到着するも…彼の姿はなかった。


「あれ?お出かけしてるのかな」


夕方も6時を過ぎると、教会の大門は閉ざされる。明るい昼間に見る教会は白くて綺麗で、居心地の良い場所なのに、どうして夜になるとこうも不気味なるんだろう、と思う。

何となくぶらぶらとその周辺を歩いていると、どこからか話し声が聞こえてきた。

最初はひそひそと何かを話している程度が…徐々に大きくなっていく。


「なんだろう…?」


誰か人を呼ぼうか?そう思い、ためらう。が…サーリャはそのままその話声の元をたどるべく近づいてゆく。

この時、サーリャは住み慣れた場所で、勝手知ったる路地だということで、全体的に緊張感を持っていなかった。最も、久しぶりの帰省に気が緩んでいたのだろう。迫りくる危機にも、新聞で騒がれているような世間の状況に対しても、緊張感も持っていなかったのだ。

…結果、それが最悪な事態を引き起こす。


「やめて!離して!!」

「罪を!罪をあがなえ!!お前は罪を犯している…その事実になぜ気づかない!!!」

「知らないわよ!そんな…」


この辺りではよくある些細な男女の痴話げんか。

その程度に思っていたサーリャは、角を曲がった先にいた二人の姿を見た。


(黒いコートの人にブロンズカラーのブロンドの女の人…)


「あの~…」

「きゃあああ!!!!」


ぴしゃり、とサーリャの頬に何か冷たいものがかすめる。


「え…?」

「ァあ…」


ゆっくりと、崩れ落ちる女性。

夜を照らす街灯の下で、紺色の外套をまとった女性の首は、ぶらんとあらぬ方向に傾き、カッと見開いた瞳がサーリャをとらえる。


「ひ‥ぁ う うそ」


ギラリと光る銀色の刃に自分の顔が映る。そして、その刃を持っているのは…


「おじさん…?」

「…なぜ、見た」

「や、ヤダ…」

「何を見た!!」

「いやぁあああ!!!」



**


「はあ、はあっ…みられた、見られた見られた見られた…!!!」


男は、焦っていた。

動揺し、自身が犯した行為に何とか正当性を持たせようと、その理由を探していた。いつもの通り、罪深いものに刑を執行した、これは間違いない、正しい行いだ、それが己の役割でもあり、存在意義だからである。

だが…その行動の一部始終を見ていたあの少女は、どう思うだろう?向こうもこちらを知っていたし、こちらも向こうを知っている。

驚いて勢いに任せて振り下ろした刃は、あの少女のどの部分に当たっただろうか?息は?鼓動は?…無事、始末できたろうか?それとも。


「まさか、仕損じた…そんな」


それはまずい。この神聖な行為が他人に露見する可能性が出てくるのでは?


(断じて、快楽で処刑しているのではない。やらなければ、こちらがやられるから…!)


「早く、早く早く早く、早くあの女を…!」


あの少女を、この手で葬らなければ、こちらに後はもうない。


「救済を…それが、使命」


ぶつぶつとつぶやきながら、男は霧の中に消えていった。


**


「……ん?」


夢を見ていたのだろうか?

わらわはベットからのそのそと身体を起こし、時計を見る。…午前2時半を回ったところか。


「ふああ…」


謹慎を食らってこちらの本邸で過ごすようになると、健康で文化的で規則正しい生活を送ることとなった。しかし、もともと夜の時間はわらわにとっては『副業タイム』。早めに床に就くと、どうも眠りが浅く感じてしまう。

大抵、まどろんでいるうちに朝になることが多いので、今日もぼんやりと窓の外を見てると、ふと、妙な違和感を感じる。

冷たくヒヤッとした空気が濃縮されたような、あの感覚。


「何…?」


こういう気配は、良くない。

十中八九目に見えない者たちがこちらを見ている場合が多い。じっと息をひそめていると、どこからか、馬の蹄のような音が聞こえた。


「…?」


カツン、カツン、とリズミカルなこの音は、徐々に近づいてきている。

やがて、馬のいななきのようなものが遠くに聞こえたかと思うと、窓の外に何かの気配を感じた。ベッドから起き上がると…窓の向こう、月明かりに照らされたその場所に、大きな影が見えた。

風もないのにカーテンが揺らめくと、その陰の輪郭が徐々にはっきりとしてくる。

それは、大きな馬にまたがった騎士の姿だった。


「…え?」


これは、生きているはずがない。ならば。

思い切ってカーテンを開くと…そこには、白い白馬と、白い鎧をまとった騎士の姿があった。どちらも、いわゆる肉体はなく…言ってしまえば、骸骨である。


「!!」


驚いて声を出しそうになるなるが、そこはこらえた。


「な…な…」


白い兜からギラリと赤い瞳がこちらを向く。


『ほお…我が見えるか、小娘』

「ああ……見える。あなたは」


まさか、こんなことがあるなんて。

その存在は、『魔女』でも『賢者』でも、『害ある住人』でも『善なる住人ではない』。我らと似て非なる、孤高な存在。


『我が名はグリム・リーパー。魂を刈り取る者』


わらわも過去、数えるほどしか遭遇したことがない、レア中のレア。いわゆる『死神』である。

しかし、なぜここに?彼らが出現する時は誰かの命の灯が消える時。それが、ここにいるなんて。最悪の事態が頭でかすめ、否が応でも緊張してしまう。


「死神が、なぜここに…?」

『ふむ、ひとでもない、目に見えない住人でもなく、魔女でもない。不思議な気配を感じたので来てみれば…』

「不思議な気配…?」

『そうだな、お前は二つの魂が重なって見える…いや、正確に言えば、一つと半分、か?』

「一つと半分…?」


そう言われて、どきりとした。

それは、もしかしなくてもわらわと、アリセレスの事だろうか。


『だが、いずれそれらはあるべき場所に戻るだろう。それも、遠くない、未来』

「!それは、どういう…」


突如、ひゅう、と風が吹く。

どうやら、骨の騎馬は何かをせかすように、棹立ちになった。


『ふむ、そろそろ時間か』

「時間って…誰を迎えに行くんだ?」

『知らぬ、我は死を迎える魂が待つ場所に行くまでの事…』


すると、テラスの手すりにしっかりと掴まないと立っていられないほどの強い風が舞い上がる。

目を開けた時に、もうその姿はなかった。


「死神のただの気まぐれか…それとも」

「お嬢様…起きてらっしゃいますか?」

「?!」


ひやりとした。あまりにも絶妙なタイミングで、もしやという思いが沸き起こる。


「何?」

「今、コンスタブルの方から連絡があって…サーリャが」

「え?」


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