62 エミリア・シドレン
先日の魔のお茶会から二日後の事。
アリセレスの身体になってから、毎日欠かさず行っているルーティンがある。それは、朝刊全てをずらりと並べて、一つ一つ見ることである。
本日も例のごとく、20以上ある新聞社の朝刊を並べてみる。
「婚約者候補、脱落…」
今日の見出しのほとんどは、エミリア・シドレン嬢の婚約者候補脱落を報道するものだった。
(王妃様が言っていたことは本当だったのか…)
元々身体が弱く、世継ぎを生むのが難しかった、など、本人からすれば余計なお世話な話のオンパレード。他人事と言えど…彼女の心境を想うと、あまりにやるせない。しかも、話題はこちらにも飛び火しており、陰ながら虐めていただの、嫌がらせをしていただの、散々な言われようである。…全く、不愉快極まりない。
結果、どの記事も同じような内容の物ばかりで、全てを閲覧するのをやめてしまった。
「あー…そう言えば、リヴィエルトに安眠の薬の調合を頼まれていたんだっけ」
そろそろ、薬草のストックがない。本当なら、あちらの館に行ってこもりきりになりたいくらいなのだが、そうもいかない。…未だ、こちらの謹慎処分の真っ最中なのだ。
いや、でも。昨日侵入者があったというくらいだし、様子を見に行くくらい許されるのでは?うん!きっと大丈夫!!
そうと決まれば、と身支度を整えていると…
「お嬢様、お客様がお見えです」
「え?客?」
今日は誰とも約束していない。と、言うかわらわにはニカレアくらいしか友達がいない。そんなわらわに会いに来るのは…一体?
首をかしげていても、答えは出てこない。とりあえず、顔を出すと…少し緊張しているような表情のレナがいた。
「ええと、誰?」
「それが…その、エミリア・シドレン様です」
「は!?」
我ながら間抜けな声を出してしまった。だって、サリアって、あのサリア?
「…わ、わかった。今下に行くわ」
「下の応接間にいらっしゃいます」
「うーん、お茶とお菓子も用意しておいてもらえる?」
何の用だろう?まさか、この間の一件の続き…とか?いや、そんな
ひとまず、覚悟を決めておこう。
応接間に向かうと…本当にサリアがいた、先日の蒼白な表情と打って変わって、今日は顔色が良い。あれから、悪化することなく復活できたみたいで、安堵した。
「ようこそいらっしゃいました。エミリア・シドレン令嬢。…今日は顔色もよろしいようでよか」
「私、あなたが大嫌い」
はい?開口一番それか…半ば呆れてしまうが、口元をきゅっと結び、つん、と目をそらしたエミリアの表情を見る限り、ただ文句を言いに来たわけではないらしい。
「でも…この間は、あなたが助けてくれたのだと、聞いたわ。…ありがとう」
「あ いいえ…具合の悪そうな方を放っておくわけにはいきませんから」
夢見も悪いしな。それに、直せるかもしれない力を使うのは当然の事だろう。
「………」
「?」
また黙りこくってしまった。本当に何をしに来たんだろう??
「あの…?」
「私、陛下の事を愛しておりました」
あ、はい。知ってます。
でも、過去形…なのが少し気になった。
「新聞、見てませんの?!」
「え、み みました」
「…なら、わかっているでしょう。私はもう、あの方と一緒に並ぶことが許されなくなったのよ…!」
よく見れば、薄化粧で誤魔化している者の、目が赤くはれている。もしかして、一晩中泣いていたのだろうか?
「…シドレン令嬢…」
「でもね、これは私が身体が弱いから…あの方の重荷になるもしれないから、と自ら辞退したんです…!!」
「……」
本当に大好きだったんだろうな。
今、わらわが何を言っても彼女にとって慰めにもならないし、不愉快にするだけだろう。
「…これから、どうなさるのですか?」
「……シドレン領にある、保養所でしばらくゆっくり過ごすつもりです。恐らく首都に還ってくることはもう二度と、ないかもしれないわ」
「……そう」
「だからこそ、あなたに伝えなければならないことがあるの」
「え?」
流しかけた涙を止めて、エミリアはきっとこちらを見た。
「…メロウ・クライスに気を付けて」
「メロウ?」
「この間の一件…私、その前後の記憶が曖昧で、よく覚えていないの」
「よく覚えていない…?」
「勿論、あなたに暴言を吐いたのも、自分が何をしたのかはわかっているつもり。でもね、なぜあんな行動に出て、どうしてあのような失態をさらしたのか…どう考えても、自分では理解できない」
「それは…確かに」
エミリアはいつも具合が悪そうだが、それをひけらかしたりはしない。先日のあの暴走も、『らしくない』と言えばそうだろう。
「私だって、幼少の頃、リヴィエルト様にお会いしてからずっとお慕いしてきた…相手にされてないってわかっていても。それでも、お慕いするお気持ちは変わらなかったの!だから、あの方と仲が良いと言われていたあなたに嫉妬もしたし、恨みもした!でも…あんな風に貶めよう、なんて思ったことは一度もないの」
「……エミリア」
「どうせなら正々堂々と、同じ舞台で同じ立場で競争したかったわ!!…だって、あなただって、陛下とお会いしたのは私と同じくらいじゃない!!私は家柄だって、身分だって、貴方に負けないもの!!」
「そ、そうですか…」
「なのに、あなたときたら…婚約者の候補に上がってこないし!ああ、忌々しいこと!!」
「……そ、それは」
おお、意外と好戦的な性格だったのだな、エミリア…
「だからこそ…昨日みたいなやり方は絶対にしない。…けれど、あんな失態をさらしてしまうなんて。しかも王妃様の目のまえで。…ありえないわ」
「それは…どういうことですか?」
自分の事なのに、どこか他人事のような、不思議な言い回しだ。
「確かに、前日王妃様とお話をして…このままでは陛下の妻に相応しくない、と言われたばかりで動揺していたかもしれません。動揺して…体調もすぐれなかったわ。その時、遭遇したクライスに気付け薬をもらってから…その後の記憶が曖昧なの」
「…薬?それはどんな?」
「気分が高揚して、不満とかそういう醜いものでいっぱいになって…自棄っていうのかしら?とにかく、衝動的に何かを壊したくなるような…そんな感じ」
「それは…」
(高揚感に、異常なまでの破壊衝動…まさか、魔薬?)
魔薬、とは…文字通り、魔法を扱う者の手によって人工的に作られた興奮剤の一種。トランス状態になる儀式などで使う魔女は多いが…普通の人間が飲むには危険すぎる。
前回のドロレスがいた青い館でも似たようなものが見たが、それとは全く異なる物のようだ
「あの時の私は、あなたをどうにかして貶めてやろうって、それしか考えていなかった。だから、出されたお茶にラベンダーの香油を入れて、自作自演の発作を思いついたの…でも、普段の私なら、絶対にそんなことしない」
それは、そうだろう。
先ほど、正々堂々と勝負したかったなんて言う芯の強い女性が、そんな姑息な手を命がけで使うなんて。
「そうなると…原因はあの薬だと思えてならない。確証はないわ…でも、普段通りの自分ではなかった、これだけは確実ですの」
「…メロウに関しては、私も思うところがあります。以前、ニカレア・ハーシュレイから似たような話を聞きました。彼女からもらった薬を使ってから、眠れなくなった、と」
「私はこれでも、ずっと魔物みたいな人間が潜んでいる社交界という世界にずっといた。だからわかる、メロウ・クライス。あの子ほど悪意を持った人間を私は見たことがない」
「悪意を持った人間…?」
「目的の為なら誰かを嵌めるのもいとわない。傷がつこうが、けがをしようが、一生消えない痛みを与えようが、あの子は気にも留めない。…そういう子」
「……」
知っていたつもりでも、改めてこう言われると、ああ、よほどヤバイ娘なんだろうな、と再認識する。
「メロウは、別にリヴィエルト様の妃になりたいわけでもないわ。むしろ、誰かを陥れることに悦を感じるタイプっていうの?趣味は他人の不幸、みたいな、そんな感じ」
「そ、そこまで…」
「だから…心配。その牙が、リヴィエルト様に及ぶんじゃないか、と」
「……エミリア」
「…シドレン令嬢」
「はい?」
「あなたに名前で呼ばれるほど親しいとは思ってませんことよ!」
「あ…すみません」
「でも…」
「ん?」
サリアはふいっとそっぽを見た。
「あ、ありがとう…」
「……うん」
「あなたのおかげで、助かったわ…あのまま誰も手を施さなければ、最悪死もありえたって…後から聞いたの。とても適切な処置だったって」
「…たまたま、回復魔法に心があるだけです」
「うん、でもそのおかげで、私は…尊厳を守ることができた」
(プライドが高いというか、何と言うか…)
少し笑いそうになるのをこらえつつ、少し頬が赤い令嬢の横顔を見る。
「なあに?!にやにやして!!!いいこと?!今から私の住所を教えるから、リヴィエルト様の近況をしっかりと手紙にしたためて送ること!!いいわね?!」
「は ハイ、…でも、それは別に私がやらずとも」
「あなたがやるの!!ついでにあなたの近況も聞いてあげないこともないわ!!」
え?!ここにきてこれは…俗にいうツンデレ,というやつか??
「シドレン令嬢も…近況を教える返事をくれますか?」
「…フン。エミリアでよろしくってよ!私も、アリス、と呼ぶから!!」
「アリス…」
「何よ、文句ある?!」
「な、ないです」
アリセレスではなく、アリス…だなんて。
素直じゃないなあ。
「…エミリアが好きなものは何ですか?」
「…甘い物は嫌いじゃないわ」
「私も。一緒ですね!…うちのパティシエの作るパイはサクサクで美味しいんです。ほら、特にこのミルフィーユなんて絶品で…」
「…中身のベリーは?イチゴも悪くないけど、ブルーベリーも悪くないの。知ってて?」
「あら、ブルーべり―ですか!それもいいけど…今度カランズとストロベリーのミックスも試してみてくださいな!これがまた甘酸っぱさと苦みと甘味が絶妙にマッチして…」
「ふうん、悪くないセンスね」
…こうして、わらわはもしかしたら、新たな友人を得た…のかもしれない。
まあ、そう言ったら、また怒るかなあ?
不定期更新にもかかわらず、読んで頂いてありがとうございます。精進します。そして、人物の名前を間違えるという致命的なミスをしました。修正します。




