59 過ぎた時間と、今の時間
『クイーン・レスカール』――
この国において、リヴィエルト陛下の次に権力を持つ。
美貌の王妃殿下、アルミーダ・ダイアン・パルティス。その美しさは、月よりも輝き、太陽の輝きさえかすんでしまうと言われている。
元はいわゆる没落貴族の出自で、街では魔法を使って病人を治療する治療師だったそうな。…彼女のことを、民衆は親しみを込めて愛称『ルミー』殿下と、呼んでいる。
そんな王妃様が開いた今回の茶会に招待されてしまったわらわ、こと、アリセレス・ロイセントは表情を変えないまま、心の中で盛大にため息をついた。
(早く終わらないかな…)
談笑…というには、どこかピリッとした空気が張り詰め、緊張感が漂う。かといって、殺伐と…しているかというと、そういうわけでもない。ただ、居心地が悪いというか、落ち着かないというか。その原因は恐らく、このレスカール王国で唯一女性で権力を持つ王妃様がこちらを見て微笑んでいるからだろう。円形のテーブルに、王妃様から始まり、時計回りにサリア・メドソン、エミリア・シドレン、わらわにニカレア、そしてゴルトマン令嬢、メロウ・クライス…と、なっている。
こうなると、位置的にわらわと王妃様が相対する席一となるわけだ。
ふと、大事な友人の顔を思い浮かべる。あいつの命を突け狙っていたのもこの方…となるので、油断はできない。
「ねえ。ロイセント令嬢…いいえ、私もアリス、と呼んでいいかしら?」
「え あ…勿論ですが、さすがに恐れ多いかと」
「あら?私は気にしなくってよ?」
「…光栄に思います、王妃殿下」
おお、周りの視線が痛い。
…中でも遠縁の親戚だか何だかのサリア・メドソンの視線が痛い。ちらりと他の候補者の様子を見ると、明らかにエミリアの顔色が良くない。いや、いつもの事だろうか?などと考えていると、妃殿下の一言で周囲の空気がまた変化した。
「皆さんは、オカルティズムという文化について、どうお考えかしら?」
「え?」
「オカルティズム、ですか?最近巷で有名な書物ですわよね」
淑女の茶会というよりも、紳士の集うコーヒー・サロンででも上がりそうな話題。
まあ、アフタヌーン・ティーの話題なんて、本来なら当たり障りのない雑談や流行のファッションやらが定番で、よりによってホストの王妃様がこんな小難しい話題を持ち出すなんて思いもよらなかったんだろう。
わらわと既にオカルト経験済みのニカレア以外の4人の王妃候補者たちは、それぞれ思案を巡らせているらしく、張り付いた笑みを崩さずとも動揺は隠せていない。
‥それにしても。『皆さん』とか言いつつ、視線はしっかりこちらをとらえている。ねっとりと、それでいて執拗に絡みつく視線は、まるで蛇のよう。
(敵意は…ないにしても、何だろう?)
「ねえ、魔法の知識が豊富で天才と言われている、アリスはどう思うかしら?」
「…天才などと、大げさですわ、王妃様」
その視線を真正面から受け取りながら、わらわは洗練されたアリスの持つ作法と仕草で、カップをソーサーに乗せ、ラベンダー・ティーを堪能する。
「魔法と、オカルト…どちらも可視化できない不確かな物に変わりありません。ですが…」
前置きをしつつ、丁寧に言葉を繋げる。
「魔法の技術の根幹たる魔鉱石のおかげで、この国の文化は数年前では考えられないほど飛躍的に文化が発展しました。その恩恵は後世に続くことでしょう。そんな不可思議なものが発掘される我が王国は、多くの方が目に見えないものに興味関心を抱くのも必然、ととらえておりますわ」
我ながら、無難な回答だと思う。‥しかし、どうやらそれはお気に召さなかったらしく、王妃様はすうっと目を細め、薄く笑った。
「あら、随分と面白みのない答えをなさるのね、ロイセント令嬢」
「…ご期待に添えず、申し訳ありません」
「うふふ、いいのよ」
年齢を全く感じさせない薄化粧なのに、やたらと存在感のある赤い口元が優雅に曲線を描いた。
「私はね、かねてから思っているの。魔法とオカルト、二つの歯車で進んでいくこの国は、これからどうあるべきか、どう進んでいくのか…リヴィはまだ未熟です。それをしっかりとサポートしていくうえでも、その伴侶という立場はとても重責を負うことになると思うわ」
「あら!…ならば、我がゴルトマン家は王国の盾とも呼ばれる屈強な精神と身体と心の持ち主ばかりです。必ずやこの王国の為に存分にお役に立てると思いますわ!」
とかなんとか言って、どや顔のゴルトマン令嬢。
…今の話の流れでは、魔法なんぞなくともうちは最強です、と宣言しているようなものなんだが。
「あら、頼もしいわね、ゴルトマン令嬢。では、クライス令嬢は?」
「…そうですね。王妃様、魔法と言えば、魔女という存在をご存じですか?」
魔女だと?しまった。…メロウの口から出た言葉に、つい反応してしまった。が…なぜか、王妃様から笑みが消えた。それに気が付いたのはわらわだけではない。メロウの表情にも少なからず焦りが見えた。
「魔女…」
「!…たとえ話です。以前見た本の題材になっていたもので」
「ああ、名も無き魔女の冒険、かしら。素敵なお話よね」
(うーん…目が笑っていないし、声も冷たい。というか)
メロウは、恐らく、前世の記憶を持っているはず…なのだが、この動揺はどうだろう。前世では一応溺愛する息子の婚約者、ということになるわけで。一応良好な関係を構築していたのではないのか?
王妃様の様子を見る限り、どちらかというと禁忌の話題のようにも思えるが。
「そうね。…あの存在は、正しい物なのかしら」
「正しい?」
「人間にとって必要なのかどうか?とても興味深いわね」
「……」
わらわにしてみれば、王妃様の言葉の真意の方が気になる。
「う…」
「!」
ふと、隣でうめき声が聞こえた。驚いて振り向くと、今まさに、エミリア・シドレンがぐらりと椅子から崩れ落ちる瞬間だった。
「シドレン令嬢!!」
「触らないで!!」
慌てて支えに行くが…あのギラリとした瞳でこちらをにらみつけてきた。
「…言ってる場合か?!」
「!!」
「ひどい顔色じゃない、どこか横にならないと!」
よろけて逃げようとする手をこちらに寄せて、肩を貸した。
「私、あなたが大嫌いよ…アリセレス・ロイセント」
「な…」
…すると、エミリアは耳元でそう囁いて、わらわを突き飛ばした。と、同時に、何か小さなガラスの瓶を投げつけた。
「ロイセント令嬢…私に、毒を盛ったのねっ?」
「!」
一瞬、言葉を失った。何を言われているのか、どうしてそうなったのか。
ただ、エミリアの渾身の叫び声は周囲に十分に伝わっただろう。…この時点で、もう少し対応しておけば、と悔やまれる。
「何を…」
すぐさま対処できずにいると、エミリアはわらわの目を見てにやりと笑った。そして、盛大にせき込み、苦しそうにもがく。
「エミリア!」
「シドレン令嬢!!」
その場にいた王妃様をはじめ、全員が駆け寄る。そして…その期を待っていたかのように、メロウは傍らにしゃがみ込むと、わらわの傍に転がっていたガラスの瓶を手に取る。
「まあ…!ロイセント令嬢の傍にこんなものが。そう言えば、ロイセント令嬢は薬学に通じているとか…」
「それは エミリアが… 」
ふと、脳裏に嫌な記憶が蘇る。
それは…恐らくアリセレス本人の記憶。今日みたいな冬になる前の秋の終わりごろに開催された優雅なるティー・タイム。
円形の大理石のテーブルに、アリセレス、メロウ、リヴィエルト、ロイセント公爵。そして…継母・アーティシア。
家族の茶会のはずなのに、所在のなさげなアリセレス。紅茶に映る自分の顔をじっとりと眺めていると…突然左となりの継母は喉を抑えて苦しみだした。
はっとなり、振り向く。車いすのメロウは動けないかい代わりに叫び声をあげる…そして、代わりにリヴィエルトが駆け寄る。
騒然とする状況の中、メロウはとんでもないことを口走った。
「お姉さま…まさか、お母様に毒を盛ったの?!」
身に覚えのない出来事、とんでもない濡れ衣だ。
私じゃない。勝手に苦しみだしたの。私は何も悪くない!何もしていない!!!
無実を訴えるアリセレスの声にだれも見向きもしない。妻を溺愛する夫である公爵は継母に寄り添い、こちらをにらみつける。
お前がやったのか?なぜだ!何が気に入らないんだ!と。
そうじゃない、そう言っても誰も信じない。…アリセレスは悪者で、継母を嫌い、義妹に嫉妬に狂った悪役だから。真実はどうあれ、全てアリセレスのせい。
これが発端で、アリセレスは断罪される運命が決定づけられてしまったのだろう。
改めて思うのは、既にアリセレスの周りには味方はおろか、彼女を否定しようとする敵しかいなかったのだろう。
メロウの妄言は全て肯定され、反対にアリセレスの真実こそが妄言とされてしまった。
そういう、世界だった。
(まるで、同じ状況…謀ったな、メロウ)
ふっと、自虐的な笑みが浮かぶ。
なんと、古典的で、かつくだらない手に引っかかってしまったものか。
「少し、平和のぬるま湯につかり過ぎたか」
けれども、そのおかげで頭は完全に冷えて、とても冷静でいられる。
「アリス…!」
メロウの後ろにいたニカレアは心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫よ、ニカ」
メロウごしにニカに笑顔を見せる。…メロウがとても面白くなさそうにしているのは、言うまでもない。
「……随分と余裕じゃない」
「ふふ、計画性がないというか…それと,馬鹿というのが正しいのか」
「…何?」
そう、今では状況は違うんだよ、メロウ。
それを見越してか、視界の端で、王妃様は楽しそうにこちらを見ていた。




