58 王妃の茶会へ
「まあまあ、候補者でもないのに…とても陛下と親しくしてらっしゃるのね?」
「ええ…まあ」
ううむ。親しくしているのは、わらわでなくてそのリヴィエルト本人なのだが。すると、横にいたニカが一歩前に出る。
「まあ、お久しぶりです、サリア・メドソン令嬢」
「あら…」
ニカの姿を見た瞬間、サリアの顔にどこか嘲笑じみた笑みが浮かぶ。…そう、ニカの事情はどうあれ、彼女たちからすれば、ニカレアは陛下の婚約者候補から抜けた脱落者であるのだ。
…ほんと、感じの悪い奴。王妃候補は碌なやつがいないな。
「これはこれは…ハーシュレイ令嬢、あら。ここは一般の令嬢が気軽に立ち入っていい場所ではありませんわ、もしかして、迷子かしら?」
「王宮は広いですものね」
ずらずらと後方に引き連れている侍女の群れからも、ニカに対して無礼な視線を感じる。その視線にムッとし、睨み返してやると、そそくさと明後日の方向へ視線をずらした。
フン、他愛もない。
「いいえ、今回私は王妃様から直々に招待状をいただいておりますわ、メドソン令嬢。光栄なことに、先だって皆さまにお力添えをお願いした、西部地区への改革の同調してくださいましたの」
「西部地区の…?まさか!」
恐らく、ニカがやろうとしていることは、恐らく今までどの貴族も本腰を入れなかった領域。無論、表面的なパフォーマンスは多くの貴族が手掛けているもの、長続きがしないのが現状だ。
「そう、難しからこそ…女性として初めて取り組む姿勢を評価くださり、今日この場にご招待いただいたのです」
「そ、そうでしたの…それはそれは」
「それにしても…」
ちら、とニカはこちらを見て軽く微笑んだ…が、すぐさまメドソン令嬢に何かをつぶやいたようだった。するとどうだろう?みるみる表情を真っ赤にした令嬢は怒りをあらわに去ってゆくではないか。
「…何を言ったの?」
「別に。鳥籠の鳥さんは、綺麗なだけでは観賞用にもなりませんのね、とお伝えしただけですわ」
「そ、そう…辛辣というかなんというか」
「うふふ、誉め言葉として頂いておきますわ、アリス」
…ニカレアって意外と容赦がない。
すると、恐らく50メートル先?位に色白の令嬢がこちらを見ている。…もう一人の候補者、エルミア・シドレンだ。
いつものごとく吹けば飛びそうだな、と思っていると…本当にふらふらとその場に座り込んでしまった。
「!!シドレン令嬢!!」
慌てて駆け寄ると…本当に顔色が良くない。支えながら、近くの椅子に座らせると、青白い顔でこちらをにらみつけてきた。とても、ギラギラと燃える程強烈な瞳で。
「…あなたのせいよ…!」
「…え?」
「離して!!」
「あ」
ばし、と手を払いのけると、その反動で少しだけよろける。そして、それを受け止めたのは…
「あら、大丈夫ですの?」
「!…メロウ・クライス…痛ッ」
ぎり、と腕を握る手に力がこもる。そのままぱっと手を離すと、軽く押しのけた。
「大丈夫?エルミア!」
「平気…ですわ」
「もう、だめじゃない。無理しちゃって」
ぜえぜえと息を切らすシドレン令嬢に親し気に手を貸すメロウ。…その姿に、なんだか寒気を感じた。思わずニカと顔を見合わせるが、彼女も困惑した様子で首を左右に振った。
それにしても…『あなたのせい』とは?
「…あの二人、随分と仲がよろしそうに見えますわ」
「…うん、いつの間に」
「でも、あの方が近づくとなると、なんだか嫌な予感がしますわね…」
「そうだね。ニカの時と同じ‥」
「ええ…」
弱っている心をついて、それに寄り添う。
そして…利用する。
「…いや、もう行かないと」
なんだか不穏な感じだ、
…言葉に言い現わせない、どこかで何かが蠢いているような、そんな印象だった。
この国の王宮は、普段から謁見や執務を行う施設がそろう国王陛下直轄の宮殿「へスティア宮」と、后たちの宮殿「アウローラ宮」と、王妃殿下の住まう直轄の宮殿「ヘカーティア宮」とある。そのほか、軍部、政務部、文化部などそれぞれ異なる場所に設けており、王宮内はとにかく広い。
他の宮殿を行き来するには、馬車を活用したりするわけだが…とりわけ妃殿下の「ヘカーティア宮」は一番王宮の奥にある。
小さな森を抜けた更に馬車は走り、ようやく到着した場所は…広々とした湖のほとりに立つ、思った以上にこじんまりとした小さな宮殿だった。馬車から降りると、嗅ぎなれない香りが鼻をかすむ。
(これは…ラベンダー?)
宮殿の周囲を取り囲むように咲いているのは、秋の終わりに咲く薄紫色のラベンダーセージ。そろそろも冬も近づく頃合いのせいか、ところどころ色はくすみどこか哀愁を感じさせる。
「美しいでしょう?…盛りが終わってもなお、香りが残るのよ」
「!」
「あ、王妃様。お久しぶりです」
「あら、ニカレアさん。よくいらしてくださったわ」
ゆっくりと少し低いトーンの声。振り返り、その姿に驚いた。
(…嘘、だろう?これが、王妃様?)
王妃様ときちんと正面から顔を合わせるのは、これが初めてかもしれない。一度見たのは、先代の国王陛下の葬式の折。黒いベールで顔を隠していたので、遠目にしか確認できなかった。
ゆったりとしたドレスにラベンダーと同じ紫色の髪が白い肌に良く映える。瞳の色は…リヴィエルトと同じ金色。しかし、驚くべきはこの女性の姿だ。
確か、年齢的にも齢35を超えているはずだが…まだ20代半ばと言っても遜色ない位若く、肌艶も良く、まるで年齢を感じさせない。
「ま、魔性…」
「なあに?」
「あ、申し訳ありません…王妃様。ご機嫌麗しゅう…本日はお招きいただき、ありがとうございます」
マズイ、つい本音が。
いや、そうでなくて。…本当にこれが成人した男性の子供を持つ母親なのか?それに、どこか不思議な感じがするのは、気のせいじゃない。
アリセレスの身体になってからというもの、わらわは普段から魔力の鍛錬をかかさない。そのおかげか、今や現役ほどではないにしても、それなりの魔力を持っている。
しかし、この王妃殿下から感じる微量な魔力の流れは一体?…例えるなら、小さな穴の開いた袋からこぼれる水のような。
そう、まるで。
「どうしたの?アリセレス。…私はね、実はあなたに会うのをとても楽しみしていたの」
「私に…ですか?」
「ええ、だって、未来の私の娘になるかもしれない女性ですもの」
「…えっ」
この場には、わらわとニカレアしかいない、他の候補者はいない。それでも、その言葉をつぶやく真意はどこにあるのか。思った通り、ニカレアは気まずそうに視線を落とした。
「…ですが、候補者は」
「あら、わかっているでしょう?そんなの、ただの建前、でしょう」
そう言って、ぱちりと持っていた扇子を閉じる。
「…忘れないで。今は自由にしてあげているけれど、ね」
「………王妃様、私は」
「ふふ、私が一言命じれば、あなたの運命はすぐに動き出す。幼い子供じみた言い訳など皆無に等しいのよ、アリセレス・ロイセント」
そう言って優しく微笑む王妃様から放たれる言葉は、ロイセント家の令嬢たるアリセレスにとっては脅迫に等しい。本当、言葉と表情が真逆というのは、底知れない恐怖を感じさせるものだ。
この女性は、あの錯乱した国王の傍に仕え、かつてのもう一人の王子を追い詰めて殺そうとした人物だということを、忘れていた。
「理解、しているつもりですわ」
「今はそう…仮初の自由を謳歌なさい。それはきっと、私の後に座った椅子で、きっと役に立つことでしょう」
「お言葉、有難く」
「うふふ、さあ、他の子たちも到着するまで、ラベンダーティーでもいかが?…リラックス効果抜群よ?」
「……」
リラックス効果、ねえ。
「アリス…」
「?ニカ?」
「王妃様がお出しになるお茶とお菓子以外、口にしない方がいいわ」
「…え?どういうこと」
「ここは、そういうところよ」
「……わかった。ありがと、ニカ」
なるほど、伏魔殿というのは、意外と身近にもあるものだなあ。
同じころ。
アリセレスたちが到着した頃、その後方にもう一台の馬車がこちらに向かっていた。
「…はあ、はあ…」
「大丈夫?」
エミリアが窓に寄り掛かっていると、メロウが心配そうに顔を覗き込んだ。
「あ、ありがとう…ただの、体調不良、だから…」
「…そう、無理しないで。あ、良かったらこれどうぞ!」
「これは?」
「気分が良くなるおクスリ」
「薬…?小さな瓶に入っている…栄養剤みたいなもの?」
「そう。変な物じゃないよ、安心して!」
当初は半信半疑だったエミリアだったが、口に含んだ瞬間、口の中にぱあっと薔薇のような華やかな味が広がる。
「…少し、甘い、でも」
「ふふ、気分がすぐれないときに飲むと、ぱあっと明るくなるの。素敵でしょ?」
ふくよかな風味の余韻をうっとりと感じていると、先ほどまで苦しかった動悸も落ち着いてきたように感じた。
「すごい…本当だわ。なんていう薬なのかしら?」
「これはね、薬草を扱うのが得意なお母さまが作ってくれた、特製の薬なの。今度、エミリアさんにもおすそ分けするわ」
「うん、ありがとう…あの、メロウさん」
「ん?」
「あなたは…ロイセント令嬢をどう思う?…あの子、ずるいわよね」
ぽつりとつぶやいた言葉を聞いて、メロウはにこりと笑った。
「うーん、しょうがないんじゃないかしら。陛下とは幼馴染だし、仲もいいみたいで…」
「それがずるいというのよ!…陛下をお慕う気持ちは私たちも変わりませんのに…!」
「本当に、愛してらっしゃるのね陛下の事」
「!そ、それは…でも!だって」
「ふふ…なら、私、協力しちゃおうかしら」
「…えっ?」
眼を見開くエミリアをじっと見つめ、その手を取る。
「私、あなたに幸せになってもらいたいもの!」
「メロウさん…」
「私はエミリアの味方よ!…一緒に、頑張りましょう?」
「あ、ありがとう…!」
2人はほほ笑みあうと、手を握り合った。
二人を結び付けたのは、友情でもなく、同情でもなく…間違いなく内側に潜む暗い感情なのだと。まだ、エミリア・シドレンは気づいていない。




