55 憑依少女・結~黒い悪魔を怖がってるのはどこの誰?~
あの日、私は死んだはずだったの。
「よし、金目のものは持ってて…、ガキは袋にでも突っこんどけ!抵抗する奴は構わねえ」
泣き叫ぶ子供たちの声、響く物音、何かを打ち付ける音、固いものがぶつかる音。
「いやああ!!」
「うわああん!!」
「や、やめろ!子どもたちを!!」
「だまってろや神父様!」
「ぎゃああ!!!」
(どうしてこうなったの?これは本当に現実?それとも、悪い夢の中?)
ぎゅっと握りしめた手は冷たく、身体を精一杯縮こませながら薄いカーテン越しの向こうで起きている出来事が早く終わるようにと祈り続けている。
(みんなを助けなきゃ、でも、どうしたらいいの?)
でも、自分が出て行って何ができる?…きっと。何もできない。
なら、目を背けるしか、この悪夢のような時間が過ぎ去るのを待つしかできない。ああ…でも。
「ん?…へぇ」
一人の男の声が、すぐ近くで聞こえる。
ひたひたとこちらに向かってくる足音。息を殺して身をひそめる。
――どうか、見つかりませんように、どうか、気づかれませんように。
足音は目のまえで止まり、握っていたカーテンがバッとはがされた。
「…っひ」
「みぃつけた。…黒い悪魔を怖がっているのはどこの、だーれだ?」
にやりと笑う口元、その男は、ぼろぼろの服をきた、穴の開いた帽子の男。
…それから、あとはもう覚えていない。
ただ、誰かが何かを叫んで、目の前の男の身体からぶわっ!と赤い液体が飛び散って…そのまま気を失ってしまった。
「……」
ふと、目を開くと…そこは知らない場所だった。
暖かい布団に、どこか嗅ぎなれないツンとした香り。のろのろと目を動かすと、そこには、知らないおばさんがいた。
「だれ?」
「まああ!!気が付いたの?!私のかわいい子供!」
「…え?」
黒い髪の、唇が真っ赤な派手な服を着た女の人。…こんな人、知らないのに。
「あなた、知らない…だれ?」
「ああ、可哀想なドロレス…!記憶を失ってしまったのね?怖かったでしょう?もう大丈夫だからね?私はママよ」
「…ママ?」
知らない、こんな人。でも、ほんとうにもしかして…?
「ママ……?」
「そうよ!さあ、一緒に帰りましょ?ね?!」
「…でも」
皆、どうなったの?あれは夢だったの?神父様は?それに、あの子たちは。
色々な疑問が浮かんでは消え、言葉にならない。すると、枕元に置いてあった一冊の本が目に入った。
「!!」
夢中でその本を掴んでぎゅっと握りしめる。‥それは、かつて神父が持っているのを見たものと同じ、赤い血に染まった黒い本だった。
「夢じゃ…ないんだ」
「どうしたの?ドロレスちゃん」
「…なんでもない」
その後、本を見て…見たことのない文字で、私は字も書けないし読めない筈なのに、全部読んで理解することができた。
読み進めていくうちに、それは『黒魔術』と呼ばれるものだったと知った。
「ああ、その本が読めるのね?私のかわいいドロレス」
「!…え?」
「その本を読める人は特別なのよ。やっぱり…あなたは特別な子なのね」
特別、という言葉は、心を揺さぶった。
それから…時折、自分の中で自分じゃない別の声が聞こえるようになった、それは知っている声でもあり、知らない人の声だったり。普通の人に見えないものまで見えるようになったけど、それは『ママ』も同じだというから、ほっとした。
それから、私は色々な人の声を聴くようになった。
時として、それは誰かの心をなぐさめ、誰かの罪を非難する者でもあり…いつしかそれは神の声と言われるようになった。
未来も、過去も、明日の天気も、少しだけわかる。だってみんなが教えてくれるから。寂しい時には話し相手になって、苦しい時は慰めてくれて。
私は一人だったけど、一人じゃなかった。…知らないおじさんに『ご奉仕』するときも、別の私が代わりにやってくれて、私は眠っている間に全部終わってた。
…そうしていくうちに、私は私が『誰』で、どれが私か、わからなくなってきたんだ。
だから、今、涙を流しているこの子が、誰なのかわからない。
「あ…」
「大丈夫?」
心配そうにのぞき込む、アリスの顔。
ぎゅっと握りしめてくれた手が、暖かくて安心した。茫然としていると、頭を優しく撫でる大きな手…キルケさんだ。
「けが、してないか?」
「…うん」
「終わったよ、ロリータ」
「……」
そう言って、アリスが見せてくれたのは…焼け焦げたようにボロボロになって崩れていくあの本だった。
「私…」
「無事に、終わりましたの…?」
「大丈夫だよ、ニカも。もう安心して」
後ろを振り返ると…さっきまで私の代わりに動いていたお姉さんがほっとしたように笑った。
「良かったですわ…あなたも、ね」
その顔を見て、心がざわざわした。
「…私は、誰、なの?」
「ん?」
「私は、この身体に元々いただけで、この身体はドロレスの物よ、でも、もうドロレスも、ドリーも、ローラも…皆いない」
ずっと頭の中で聞こえ居た声はもう何もない。…静かで、私は一人だ。
「皆いるよ、ほら、そこ」
顔を上げると…そこには、三人の女の子が並んでいた。
茶色の髪のローラに、赤い髪のドリー、それに…青い髪の。
「ロリータ?…でも、私は」
「言ったでしょう?人は皆、心に悪魔を飼っているって」
「え?」
「辛いことが起きる度、苦しいことが起きる度…楽になれとささやく声があるように。でも、時としてそれは自分を守るために産まれる悪魔もある」
「自分を…守るため」
「あなたはロリータでもあり、ドリーでもあり、ローラでもある。そして、ドロレスでもある」
三人の少女は、手を振ると、まるで光に融け込むように消えていった。
「…また、ひとりになっちゃった、の…」
全身の力が抜けていくような、ぽっかりと心に穴が開いたような、そんな気分。大事にしていた友人たちがどこかに行ってしまった。…もう二度と会えない。
それが、とても悲しい。
「あの!ロリータ!!オレの助手になってよ!」
「…え?」
「!」
「オレ、その…ファントム・ハントってやってるんだけど、あまり目が良くなくて…時々見えないやつもいるんだ。でも、見える人が近くにいてくれたら、その、もっと頑張れそうな気がする!」
「キルケ!」
「だって、ほっておけないよ。…俺んち広いし、大丈夫だって」
「だからって…」
「どうかな?!」
「……」
突然言われても、どう答えればいいか、わからない。
でも、一人になるのは嫌だ。
「その話はあと!今はニカとこの子を休ませてあげないと。…それに、ここはあまり良くない」
「あ…うん、そうだったな」
「……今度」
「ん?」
「お花を、添えに来ていい…?」
「いいよ。…ロリータ、これから自由だ、何をするにも、誰の許可もいらない。自分の主導権は自分で握るんだよ?」
「…うん!ありがとう、アリス」
それから…しばらくして。
ママだった人は、やっぱり本当のママじゃなくて…二度と会うことはない、とアリスが言っていた。
「あの女はもう、ここに来れないよ。ずっと、遠く…海の向こうの島で暮らすんだ」
寂しくもないけど、何となく、ほっとしたような変な気分だった。
あの後、赤い髪のおじさんから色々と聞かれたけど…あまり覚えていなくて、何も答えられなかった。
ずっと住んでいたあの青いおうちは、次の日に起きた火事で壊れてしまったらしい。
あそこには、いい思い出がないから、少しほっとした。でも、色々な大切な物が全部燃えちゃった、って赤い髪のオジサンはしょんぼりしていた。
「うーん…弟子っていうわけでもないけど。少し、魔法の勉強をしようか、ドロレス」
「うん、わかった!アリスが先生なの?」
「そう。困ったことがあったり、キルケに嫌なことされたら言うんだよ?」
「ちょ、俺そんなことしないよ!」
名前は「ロリータ」じゃなくて、「ドロレス」にしてもらった。
後から聞いたんだけど、「ロリータ」も「ローラ」も「ロリータ」も、本当は同じ名前で…呼び方が少し違うだけなんだって聞いた。
それなら、私はドロレスがいい。それが、私の名前だから。
**
同時刻―――孤島の監獄
その日の夜もまた、女の金きり声が監獄中に響き渡る。
「うるせぇんだよ!!黙らせろ!!」
複数の囚人からいつものクレームである。
うんざりと言った表情で看守のレイン・バスカルはため息をついた。
「…あーーったく。あの新しく来た女、とんでもない狂人だな」
同じく同郷の看守、スミス・ヒャルトも同意する。
「毎晩毎晩うるさいっすよねえ。黒い男が来るとか何とか…詐欺師だって?厄介ですねえ」
「誰も来ないってのに…あー見回りの時間だ」
「ご苦労様です」
夜の監獄は静かだ。…いつもであれば、自身の歩く靴音だけが響くのだが、ここ最近はそうはいかない。例の女囚人である。
王都でなにやら詐欺を働いたらしいが、ここにくる以前から目はうつろで、虚空を見つめてはぶつぶつと何かをつぶやいている。時々以上に怯えては体を震わせ、許しを請う。
「ああ、すみませんすみません…申し訳ありません、聖母様…」
「聖母様?信心深いんだか何だか…結構美人なのにもったいないねえ。おい、番号230!少しは静かにしろ!!」
ガン!と棒で牢をたたく。一瞬びくりと肩を震わせた女性は、レインを見て、かっと目を見開いた。
「ああ…ああ!!黒い悪魔がやってくる!!!黒い悪魔がぁああ!!!!」
「え?ちょ…」
バタバタと暴れだし、布団の中に身体をくるませては怯えている。異常な怯えぶりに、自分以外に誰かいるのか?などと考え、振り向くが…もちろん誰もいない。
「ったく…まあ静かになったからいいけどよ」
くるりと踵を返し、レインはその場を後にする。
しかし、囚人230番、ノワール・ルールは、その数時間後に死亡が確認された。




