52 憑依少女4~キルケの事情~
「あのー…、もしもーし!」
「!」
(しまった。そう言えば、忘れていた)
ひらひらと手を振るキルケの手をたたき下ろす。
「どういうこと?俺にもちゃんと説明してよー」
「ちゃんと話す。…の前に」
「キルケ…あの女は?」
「あっち。アリス…何かした?ずっとあの様子」
見れば、マダムは何かを怯えたようにうずくまり、震えている。…これは、つまり。
ちらりと手を握っているロリータの方を見た。
「あの人は…儀式の一部始終を見て、打ちひしがれたドロレスを拾って無理やり連れて来た悪い奴。食い扶持が見つかった…そう思ったんでしょう。今は、逃げないようにローラとドリーが見張ってる」
ロリータの言う通り、マダムの左肩と前方には姿なき二人の子供たちがしっかりとのっかっているのが見える。
つまりあのマダムは、亡霊にずーっと、見張られているわけだ。
その様子を見えているのかいないのか、キルケも両腕をさすっている。
「なんか…尋常じゃない寒気をあの女から感じるけど…」
(あ、見えてはいないけど、感じてはいるのか)
「まあ、亡霊に取りつかれている状態だから」
「亡霊?!…え、なにどういうこと」
「そういうことだ。…一応、赤毛警部に連絡しておこうか」
アリスはそう言って、パチンと指を鳴らすと、同時に一羽の鳥が飛来する。それを見て、キルケとロリータは同時に目を輝かせた。
「魔法…!!」
「すげえ!!それどうやるの?!」
「使い魔みたいな奴。手紙を届けるくらいしかできないけど…事件、発生。大至急託宣のオラクル・ファミリアの館まで来い!」
「ぴぃ!ジケン、ハッセイ、ダイシキュウオラクル・ファミリアノヤカタマデコイ」
現れた鳥はまるで機械人形のように元気に復唱したのち、空に消えていった。
「…今のは?」
「あの鳥は私の一言一句を真似て目標の相手に伝えることができる。…そういう魔法だ」
「名前名乗らなくてよかったのか?」
「まあ、あの男は超人的記憶力の持ち主だし、声を聴いただけでわかると思うよ」
アリスとしては、事実を述べただけだが…キルケは過剰に反応する。
「あの…オトコ、男?!」
「ん?」
「な、何でもない…」
「??さて、行くとしようか」
「…靴を取ってくる」
「うん」
ロリータが奥の方に引っ込むと、キルケが挙手した。
「お、俺も行きたい!!」
「キルケ?…でも」
「ニカレアだって追わないとだし、ほら、オレアリスの相棒じゃん!」
「それはまあそうだけど。…と、いうか」
ググっと顔を近づかせ、じっとキルケの顔を見た。
「…なんだか、随分と力が入っているように見えるけど」
「な、なにが」
「ここに来る前に言っていたよな。確かめたいことがあるって。…もしかして、あの子の事?」
「それは…」
アリスがロリータの方を指をさすが、ロリータはこちらに気が付いてはいないようだ。キルケは気まずそうにロリータ…もとい、ドロレスを見た。
「…はあ、そうだな。うん…ええと、ちょっと耳、貸して」
「?」
「俺に妹がいるかもしれなくて、それが、その子なんだ」
あまりにも突拍子のない、意外な言葉で…アリスは絶句した。
「え?…セイフェスの??」
「いや、そうじゃなくて、その…生母の方」
「そう言えば、再会したとき、ある程度のカタはついたって」
「…うん、アリスと最初に別れた後、父さ…セイフェスが連れて行ってくれたんだ。…実母の墓に」
「……そうか」
「でも、調べてみたら…実は、その墓に中身がなかったんだ」
思いもよらない言葉に、耳を疑う。
「中身…が、ない?か、確認したの?!」
「‥ちょっと、思うところがあって。その墓地の墓守を問い詰めたんだ」
「思うところ?」
「手紙が届いたんだよ。…オレのところに」
「手紙?」
キルケの話はこうだった。
アリスと別れたのち、次の街へ赴き…その道中でセイフェスはキルケの母親が眠るという墓地に案内をしてくれた。
本当なら、その時で終わるはずだったのだが、後日、セイフェスとキルケの元に、送り主未記載の真っ白い手紙と日記が届いた。中には…そこには『キルケ』という名前の女性が記したと思われる日記が入っていたのだ。
…そして、その内容は驚くべきものだった。
ひとりの娘がひとりの男と出会い、恋に落ち、母親と同じ名前の男児を産むまでの話だったのだ。
「手紙の投函の消印も最近の日付のもので…なんかおかしいなって。少なくとも、日記の主が死んだなんて期日はどこにもなくて。それで…墓守に聞いたら」
「その墓は空だったと。…そう言われたのか」
その言葉に、キルケは頷いた。
「おかしいだろ。そしたら…日記の日付が自動的に勝手に更新されて、新しい内容が増えだしたんだ」
「更新?…それは、もしや、魔法?」
「多分…セフェスに聞いたから間違いないと思う」
「ふうん」
(まあ、あいつがそう言うなら間違いないのだろう)
アリスの見立てでは、セイフェスは魔女の男版…賢者であるだろう。しかも相当な手練れで、もしかしたら、名も無き魔女と匹敵するほどの魔力の持ち主だった。
「でも、そんな難解な魔法、聞いたことがない」
「でも…魔女なら可能かもしれないだろ?」
「どういうこと?」
「日記を信じれば、だけど…俺を生んだ母親は、魔女かもしれないんだ」
「え?……まさか」
その言葉は、アリスにとって信じがたく…また、色々な複雑な思いが交錯する。
「ありえない、だろう…そんなこと」
「…けれど、その日記に書いてあるんだ。自分は『魔女キルケ』、だと」
「魔女…キルケ」
(その名前、どこかで…?)
「自称、かもしれない。鵜吞みのにするの?」
「アリスのいうことはもっともだよ。…でも、本当かもしれないじゃないか」
「でも!」
何処か祈るような、そんな気持ちでアリスは語る。
…そうでなければ、見えない何かが揺らぎそうで少し怖いのだ。
「それこそ、セイフェスのおかげでで、今やそこら中に魔法使いはいるし、文明も魔法技術の発展が進んでいる!魔女じゃなくたって…」
「でも、最後に更新された十年前の日付では…ここ、レスカーラで妹が生まれたって内容だったんだ!」
「だからそれが…!」
(魔女が?子供を?…馬鹿な)
「妹だって、そんなの真っ赤な嘘かも」
「…わかってる。もし、それが本当なら、探したいよ!少なくとも、嘘かどうかを判断するためにも…見つけたい!」
「……それがどうして、あの、託宣少女なの」
「黒い髪の子供で、不思議な力を持った女の子だって…書いてあったから」
(それは、随分と具体的過ぎるのでは?何か、変だ)
まるで、キルケを誘い込むように。…この地に。
「…魔女は結婚などできない。勿論子供も産めるわけがない」
「初めて、聞いたけど…そうなのか?」
「そもそも、そういう生殖的な機能がない。性欲がないから」
「せっ せい」
「…噛むな、馬鹿者」
「アリスこそ何でそんなこと知ってるんだよ?!」
「そういう、掟…と、ほ、本で読んだ」
魔女は基本的に『恋』をしない。そういう決まりであるから。それは間違っていないが、実は、正確に言うと違う。
『父』と契約を結ぶことで、強力な力を得る。その際、人間としての本能の一部…女性であれば母性だったり、男性であれば性欲だったりするのだが…を対価として差し出すのだ。その証明として、魔女には体の何処かに特有の刺青が浮かぶ。
「でも…聞いたことがない」
「……」
そりゃ、あるはずないだろう。
そう思いつつ、アリスは言葉を飲み込む。
どちらにせよ、強力な魔力を持つ者が、特定の誰かを想うようになることは、あらゆるものの秩序を乱すことになる。体を流れる魔力のバランスは崩れ、その力は徐々に失われる。同様に賢者も同じように障りがあるため、特定の異性を肉体的にも感情的にも、愛することができないのだ。
そんな状態だからこそ、いわゆる『一線』を超えた行為は起こりうるはずのないもので、…万が一間違いが起きてしまえば、その瞬間、『父』との契約は消え、その魔女は契約の証である刺青が病んで命を失う。
だからこそ、名も無き魔女はそれを抱いた自分を呪い、嫌悪を持った。
(たまにいる。人を愛すること…その欲望に敗北することで自らの死を選ぶ魔女や賢者も)
魔女は自分で自身を殺せない。それでも、そうしたい時はどうするか?
契約を破ればいい。罪を犯して、その相手に懇願して心臓を貫いてもらうのも良し、炎に身を投げるのもありだろう。
契約の破棄は『父』の怒りを受け、身体は朽ち果て大地に還る。そして、魂は完全に喪失し、二度とこの世界に還ってくることはできない…永遠の死を迎える。
(それが、なんだと?まだ、生きているなんて。…魔女の身で、子供を宿すなんて)
ありえない。
もし、方法があるとしたら。
「害ある住人達に…心ごと受け渡したのか?」
「…アリス?」
「いや…キルケの事情は分かった。ひとまず、ロリータが戻ったら、ウェスト13に向かうとしよう。…それで、何かわかればいいけど」
**
(このお姉さん、なんか変だ)
ニカレアと共に館を出たドロレスは、取り付いているこのニカレアという女性が普通じゃないことに気が付いた。
「ええと…やっぱり、ウェストに行くならみずぼらしい格好は必須…とりあえず、今日のドレスがお気に入りだから、着替えましょう!」
所で、最近のニカレアの愛読書は、『探偵シャロン』という名前の推理小説である。
舞台はレスカーラのような霧深い大きな都市で、数々の難事件を女性探偵シャロンが華麗に解決していくというストーリーである。
その影響か、なにか?ニカレアが選んだみすぼらしい恰好というのが…このチャコールグレーの襟立トレンチコートと、その辺で新聞を売っている少年から銀貨一枚で購入したややくたびれたハンチング帽である。
(ねえ、お姉さん…どうして、お鬚をつけるの?)
「それは勿論、コスプレだから?」
(こすぷれ…)
「身も心も物語の小説のヒーローになりきるというアレ、ですわ!」
(へえー……)
「あとは…ええと、化粧を落として」
ニカレアはぶつぶつそう言いながら鏡の前で布を持ち出して、顔をごしごしと拭いた。
「あら、お鬚、忘れてはいけませんわね」
果たして意味があるのだろうか?そういう疑問をドロレスは感じたもの、あまりにもニカレアが楽しそうだったので、言葉には出せなかった。
「これでよし。さて、では参りましょう!ウェスト13へ!」
(…うん!お願い)
かくして…ニカレア・ハーシュレイと、それに取りつくドロレス二人の冒険が始まったのである。




