3 枯れ魔女さん、早速エンカウントしてしまう
「……はあ」
ダメだわ、一つため息をつくと、一つ幸せが逃げていくって聞いたことがある。
私、レナ・ロスターは憂鬱な気持ちで、私の仕えるお嬢様…アリセレス様のところへ向かっている。朝起きた直後は、お嬢様はいつも機嫌がよろしくない。
(悪夢を見る、と仰っていいたから…眠れていないのかしら)
ひどい時はこちらに洗顔の水をひっくり返すし、気に入らないメイドはすぐに邸から追い出されてしまう。そうして、彼女に仕えるメイドはほとんど関わろうとせず、何か理由をつけては、お役目をさぼる。
特に、朝の時間は誰も行きたがらず、必然的に私のような新しく入ったばかりのメイドが行くことになる。
「今日も…機嫌が良くないのかしら」
これでも、私の実家であるロスター家は、長年ロイセント家にお仕えしてきた。公爵家に対する忠心は自負しているし、誇りを持っているのに。
一度扉の前に立ち、大きく深呼吸をする。ノックをしようとするが、それよりも早くお嬢様の声が響く。
「入りなさい」
「あ、は ハイ…」
(…?いつもよりも冷静というか…)
「失礼いたします。おはようございます、お嬢様…」
「おはよう」
え?
今までこの方に仕えてきて3か月くらいでしかないけれど…挨拶を初めてされた…。
「お、はよう ございます…」
「ちょうどよかった。あなたにお願いがあるわ」
お願い?!
ど、どういう風の吹き回し?
「め、命令ではなく…?」
「?なによ。大したことじゃないし、命令するほどの事じゃないもの」
「あ…そ、そうですか。ええと…それで、何を」
「お母さまのところに行きたいの。連れてってくれる?」
「え…奥様、ですか?それは…その」
「…?そうよ。実の娘が母親に会いに行くのに理由が必要?」
「だ、旦那様が」
「公爵?」
現在、ロイセント公爵夫人、つまりアリセレス様のお母さまであるレイシア様は、この邸よりだいぶ離れた北の別棟で療養されている。
「その、お嬢様をあちらに行かせないように、と…」
そう言うと、明らかにお嬢様の表情が厳しくなった。
「…公爵のところに行くわ」
「ですが、閣下は今お忙しく…」
「さっきの言葉を二度も言わせるの?実の娘がどうして父親に会えないのよ!…もういい、執務室でしょう?かってに行く!」
「あ、お嬢様!!お着換えを…って、行ってしまわれた…」
(言葉遣いはもともと大人びていたけど…なんだか今日のお嬢様は別人のよう)
けれど、この変化は、なんだかとても良いことのような気がするのはなぜかしら?
**
「信じられん…っ公爵め」
なんと苛だたしいことだろう。
この公爵家は、娘と両親も満足に会えないのか?!親子だろうに!!
ずんずんと歩いて…ややしばらく歩いて。
重要な問題に気が付く。
「くっ執務室は…一体どこじゃ!!」
しまった。迷子になってしまった。
いくらアリセレスの姿をしていても中身は別物…邸の中など知るはずもない…!!
誰かに聞きたくても、使用人は皆、ばつが悪そうに眼をそらすばかり。結果、聞くこともできずこうしてさ迷っている。
…ここの邸で、アリセレスの立ち位置は一体どうなっているんだ…?
「もういい、諦めて聞くことに…うっ?!」
そう思った瞬間、なぜかひどく左の瞳が疼いた。
まるで目の中にゴミが入ったような違和感に、突き刺すような痛みに、激しい頭痛。まるで頭の中を誰かが打ち付けているみたい。
「…ッ痛」
すると、ふと 何かの視線を感じた。
その視線を追っていくと…メイドがいた。窓の外を見てぼうっと立っているようだ。
気のせいか、その姿を認識した瞬間、痛みは和らいだ。
(なんだったんだ?今のは…)
一度大きく息を吐いて、呼吸を整えてから…とりあえず、諦めてあの娘に執務室の場所を聞こう。
「そこの」
「…わたくし?」
「聞きたいことが…」
振り返ったメイドを見て、わらわは絶句した。
どうして気が付かなかったのだろう?他の生きている人間と変わらないように見えたはずだ。それなのに…この娘、目がない。正確に言うと、眼があるはずの場所は空洞で、顔も白いのだ。
「わたくしが…見えるのですか?」
「…おぬし」
こいつは…そう、この世に存在してはならないもの。
わらわは魔女の時、たくさん見てきたはずだ。
「死人、か?」
わらわがそう問うと、娘は途端に口の端を上げてにやにやと笑いだした。
「うふふっ、ふふっ…見えるの、そう!」
「!」
死人とは…この世に未練を残し、さ迷い、行き場を失った存在…いわば、『害ある住人』の眷属だ。悪魔にもなれず、生前の想いが強すぎて長い時間その場に縛られ、理性を失なった魂の成れの果て。声をかけてくるものを待ち続け、見つけた途端とらえて道連れにしようとする。…要は地縛霊、だ。
(見えるのは…もしや、わらわではなく、アリセレス特有の力…?!)
先ほど感じた目の激痛は偶然ではないかもしれない。
全身の毛が逆立つような感じがして、その場から離れようとする。が…目のないメイドはけたけた笑いながらこちらにつかみかかってきた。
「み、ミ、見えるのでしょお?!…一緒にきてくださぁい、ね?ね?」
「…っく…」
物凄い力だ。わらわの肩を鷲掴み、自分の方へ引き寄せる。
そして…がっしり首を絞めてきた。
「あは、あはは!!らくになりましょぉおお!!!おジョーサマああああ!!!」」
「…お、のれ…!!」
しまった、油断した…!
このままでは、マズイ。連れていかれる…頭をフル回転させて対策を考えるも、今のわらわでは太刀打ちできない…!
(しまった…盲点だった)
そう、魔女の身体なら、奴らを制する術があるのに…今はそのレパートリーが皆無な状態だ。それに今更気が付くなんて!!!わらわの大バカ者―――!!
そう思った瞬間、ぱあっと眩しい閃光が周囲を照らした。と同時に、断末魔の悲鳴が聞こえた。
「きみ、大丈夫?」
「?!!ごほっ…ゴホ…っ」
何じゃ今のは?床に座り込み、何とか息を整える。
「ゆっくり息をして…すう、はあ」
「…はあ、はあ、… …」
誰かが背中をそっと撫ででくれるおかげで、ようやく落ち着いてきた。
礼を言わねば、と振り返った瞬間、どこか懐かしい百合の香りが鼻をつく。そして…突然左目に燃え盛る炎のイメージが飛び込んできたのだ。
「!!」
(燃えてる…なぜ?!このイメージは…)
「大丈夫か?!」
「…あ」
声を聴いて覚醒した。そして、鮮やかな琥珀色の瞳が、わらわを気遣うように見ている。
先ほどの炎は…、こいつ?か
「まだぼーっとしてる?…指、何本に見える?」
「にほん…」
ひらひらと手を振るのは、年頃は…同じくらい??の少年だった。
緋と紫と金色を混ぜたような不思議な色…赤銅色、というのか?…な不思議な髪の色をしている。服装は見るからに仕立てのよさそうなブラウスにベスト、それに、赤色のリボンタイ。
どこのお坊ちゃまだろうか?
(しかし、こいつの琥珀色の瞳…どこかで)
「さっきの奴は、そのまま消滅したからもう大丈夫だよ」
「消滅…?あれが、見えるの?」
その質問には答えず、少年は曖昧に笑った。
「…君、ここのお嬢様?」
「…!」
そうだった。今はわらわは名門ロイセント公爵家の長女アリセレス。
誰に対しても、礼儀正しくいなければならない。…彼女がしてきたように。
「助けていただき、ありがとうございます。アリセレスと申します。…お客様ですか?」
「ああ、いいよ。堅苦しい挨拶はしないで。…僕は、そうだな。ケン、と呼んでもらえるといいな」
「ケン…様?」
じっとこちらをにこにこと見つめるケン少年。
思わず首をかしげると、ニッコリと歯を見せて笑った。
「手を…キスしても?」
「え?!」
キスって…、あ、そ、そう言ことか。
少年…ませておるな。恥ずかしい勘違いに赤くなりながらも、なるべく胸を張って手を差し出した。
「…ん。」
「ふふ、ありがとう。レディ・アリセレス」
こ、こそばゆい。
柔らかいものが触れたと思うと、そっと離れた。へ、平常心、へいじょうし
「何してる!!ベルメリオ!!」
「?!」
突然響いた大きな声に驚いて、手をひっこめてしまった。
目を丸くしていると、あ、…ケン少年の表情が曇った。そして…発した言葉は鋭い刃のように冷ややかだ。
「なに、リヴィエルト」
「リヴィ…エルト、殿下??」
わらわにだけ正面を向いているので、背後にいるリヴィエルトにケン少年の表情は見えないだろう。ちょっと見てはいけないものを見てしまったような…。ううむ。仲が悪そうな二人だ。
どういう表情をするべきか悩むと、元婚約者と目があった。
「!!!あ、し、失礼しました!!」
「え?」
なのに、なぜかリヴィエルトは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
って…そうか、もしかして、今日初めて会うのではないか?このリヴィエルトとは!
しまった!!なんて言おうか!!
「アリセレス!」
「!」
その声は、一瞬で回りの空気を冷え込ませた。向こうからやってきたのは…背の高い紳士で、白髪交じりの髪をオールバックにしている、スーツ姿の男。
…こいつが父親、か。
「…公爵様」
あえて父とは呼ばなかったのだが、それがお気に召さなかったらしい。
彼は片方の眉をピクリと上げ、冷たい視線をこちらに向けた。
「リヴィエルト王子殿下の御前だ…なんだ、その恰好は!…はしたない」
「恰好…はっ」
言われてみて、気が付いた。…これは寝巻だ。
しまったー…起きたばかりだった。ていうか、ケン少年!!言えよ!!思わずにらみつけると、ケン少年はにっと笑って見せた。
く~~このガキ!!最初から気が付いてたな?!
「お、お嬢様ああ!!」
「あ…メイドの!!ごめんあそばせ!!」
逃げるが勝ち!!わらわは、そのまま回れ右をしたのだった…