43 消えない痕
「陛下、そろそろお時間ですが…」
「…そうだな、もう少し」
(……書類の山が減らない)
一度大きく伸びをしてため息をつくと、補佐官のリキルが心配そうな視線をこちらに送った。
「少しお休みになられた方が…」
「うーん…そうだな」
今日は日曜日…となると、本来は休日。しかし、多忙な若き国王陛下の仕事は尽きない。
山のように積まれた書類を片付けたと思ったら、また同じ位の書類が運ばれてくる…自分が執務をすると、周りが休めない。それはわかっているが、どうも落ち着かないのだ。
(こういうのを仕事中毒というのか…)
ある程度の量を金曜日の内に運んでおいてもらい、こうして時間を作って片付けていく。しかし、今日は直前にニカレア・ハーシュレイとの面談もあり、思うように進まなかった。
「それにしても、ハーシュレイ令嬢、面白い方だ」
先日あった騒ぎは既に耳にしていた。
ただ、こちら側の承認を得ずに勝手に辞退を宣言したことを疑問視する声もあることはあったが、ニカレアの意思は強固だった。…そして、彼女が最後にリヴィエルトに告げたのが。
『陛下はご自身に相応しい心に決めた方ががすでにいらっしゃることは存じています。ですが、それが本当に正しいのか、じっくりとお考えになられる時が来たのでは?』
『…それはつまり?』
『私は、王妃候補者たる者たちと一度真剣に向き合っていただければ、と切に願っております。そうでないと、彼女たちの心は休まることはなく、小さな傷が増えるばかりです』
『……忠告、とみなしておく。けれど…私の心は変わらないだろう。これからも、きっと』
(本当、ああいうのを苦虫をかみつぶした表情というのだろうか?…したたかな人だ)
要約すると、『アリスを諦めろ、候補者達が暴走しがちだから面倒を見ろ』である。
影の情報からは、二人が意気投合しているらしいというのは聞いていたので。はからずして大きな障害を自ら作り出してしまったのかもしれない、と苦笑したものだ。
「陛下…いいんですか?」
「何が?」
「…それは、陛下が一番ご存じでは?」
「……」
ハーシュレイ家の令嬢の婚約者候補辞退。
勿論、本人の意思を尊重したいリヴェルトはそれを容認した。だが、それで収まりきらない連中というのがいて、また、これをチャンスととらえる者達というのも同時に存在する。
「クライス家はともかく…軍務大臣のゴルトマン家、政務大臣のシドレン家、メドソン家それぞれの当主は手をたたいて喜ぶことでしょう」
「権力のバランス…か」
「はい。…特にメドソン家は、王后様とゆかりの深い公爵家。…それはその」
「…ああ、母上はあまり表に出ないようでいて、僕よりも影響力がご健在だ」
未だに、王后アルミーダ・ダイアン・パルティスは、レスカーラの一番上の地位を退いていない。表向きには、リヴィエルトが全てを取り仕切っているように見えるが、深淵の部分では、それが通用しない場面もたびたびある。
それこそ、リヴィエルトが下した決定を簡単に覆してしまうほどの力を持っている。
(本当に…あの人の考えていることはわからない。何をしたいのか、もしくは何をするつもりなのかさえも)
「全く権力というのは、厄介だ。本当なら…」
実を言うと、政治的にも、経済的にも最も信頼を寄せるロイセント家の長女がリヴィエルトの妻となれば、このいびつな母と息子の権力構図も様相を変えるだろう。
「陛下!俺は応援しています!!頑張ってください!!」
「ああ、ありがとう…心強い」
キリル・オルフォン。年齢は21歳、先代より国王に仕えしある男爵家の長男で、リヴィエルトの周りを支える12人の補佐官の内の一人で、最年少である。
数年前から補佐についてくれているこのリキルは、どんな時でもこうして傍に控え、ふとした相談相手になってくれるのだ。ただ、多少頑固なところと、思い込みが過ぎるところが難点ではあるが。
(うーん、忠心が熱いのはとても有難いのだが)
自分はいいとして、こんな時まで付き合ってもらっていたら、彼の身が持たないだろう。
そろそろ切り上げようか、などと考えていると…ふと、窓から見える中庭を歩く一人の姿が目に入った。
「…いや、今日はここまでにしよう。リキル、君も休むように」
「え?あ、ちょ えぇえええ?!!」
突如リヴィエルトはくるりと踵を返し、ハンガーラックにかけていた上着を取ると…そのまま半円形の窓を開け放ち、足をかけた。
「それじゃ、また明日」
「陛下―――!?ここは二階ですぅ――――!!!」
キリルが慌てふためくのもお構いなしに、リヴィエルトは窓から飛び立つと、地上に着地し、そのまま一目散に走り出した。
「わかってる!心配するな!」
「ちょ ま!!!う 噓でしょお…なんで、あ」
らしくない行動に見えるが、その理由はリヴィエルトが向かった先にいる人影をみて、納得した。
「あー…なるほど、レディ・ロイセント…」
基本的に、王宮に入る際には、どんな地位の人間だろうと、ある一定の手続きを踏むものだが。いつの間に手続きを済ませたのだろうか?
それとも…。
「まあ、あの方なら、しょうがないか」
なんたって、事情を知る側の人側からすれば、最有力の時期王妃候補となるわけで…二人の事情は知らずとも、それを深堀するのは野暮というものだろう。幸い今日は他の候補者たちはこちらに来るという話を聞いていない。
「ならば、ここは気を遣ってお二人をかげながらサポートするのが有能な僕の役割だ!!」
そうして、有能かつ、明晰かつ忠誠心に溢れた若き国王陛下の側近補佐官は、瞳を閉じて、回れ右をしたのだった。
**
「はあ…、疲れた」
ぽつりとつぶやくと、考え事ついでにアリセレスは歩き出した。
(これで、メロウはわらわをアリセレスとは違う人間と認識しただろうな)
別に、正体を明かすつもりもないが…ただ、あのメロウがもし、過去の記憶を持っているとしたら。お前が処刑台に追いやった姉はもうこの世にはいない、ということを身をもって知ってほしかったのだ。
「ヒトの魂は、何度も何度も転生できるが、同じ人間になることなど、ありえない…なのに」
メロウといい、過去を知っている口ぶりをする宣告の広場であった男といい、どういうことなのか?
誰かの差し金だとしたら、名も無き魔女と同じように、力のある魔女なり賢者なりが介入していることになる。それさえも『父』の思し召しだとしたら…何をお望みなのか?
「神の采配は…人の身であるわらわには知る術もないが」
さわさわと花々がゆれる。四季の花が楽しめる王宮の庭園では、今はコスモスの花が盛りを迎えている。ほかにも青く小さな花を咲かせるアルゼア、ネリネ、大きな大輪の花が美しいダリア、など。
(人がいない庭園は落ち着くなあ……)
実は、ニカレアが陛下に謁見する際に便乗してこの王宮にやって来た。土、日は基本的に王宮の勤め人も一部の人間を除き休日となっているらしく、その分警備も篤く、長々しい手続きを踏まないとはいることさえままならない。
しかし、一般人には嬉しい休日も、婚約者候補たちにとっては別の意味を持つ重要な日となるらしい。
「あの人たち、日曜日の昼は、必ず集まるんです。」
「それは、なぜ?」
「いわゆる『牽制ティータイム』、です!」
「け、牽制ティータイム???」
「ええ、抜け駆けしないか、何か進展はないかと目を光らせながら談笑しあう…地獄のお茶会ですわ」
「…うわぁ、なんだか聞いただけでも頭がおかしくなりそうだ…」
「本ッとう…日曜日の午後はいつも憂鬱でしたわ…」
(そんな場所にいたら、そりゃあ寝不足にもなるよ…)
本当に、よくできた友人だ。こうして内部事情まで教えてくれるのだから…こういう時、自分がその中に入ることがなくてよかったと心底思う。
何となくしゃがみ込んだ時、背丈の大きな青色の花が天に向かって咲く姿が目に入る。
「ダリアか…」
この花は特殊な品種で、王宮でしか見ることができない。一枝に咲くのはたった一輪で、エンペラーダリアと呼ばれている。リヴィエルトと同じ髪の青色の花で、過去の世界のアリセレスが好きな花でもある。
(そう言えば…あいつもこの花が好きだと言っていた)
目を瞑ると、思い浮かぶあの姿。…名も無き魔女の命と魔力を奪った男。
無意識に記憶にふたをしているのか。どこか朧気で、夢のような世界で現実感がない。
自分が経験したはずなのに、時間とは残酷なものだ…声さえももう思い出せない。ただ残るのは最後に感じた絶望と、戦慄の瞬間の記憶だけ。
夏に突然降るスコールのように、突然激しく降り注いでは、心の奥をかき乱す。
憎しみでもない、悔しさ?違う。
ただ、哀しいだけ。
哀しい理由は、恐らく…答えのない疑問のせいだろう。
(なぜ、わらわを…いや、名も無き魔女を)
「アリス!!」
「?!」
混濁していた記憶が現実に戻る。
思いがけず聞こえた声に、さっと体中の血がひいていくような感覚すらした。
「…あ、なぜ」
息を切らしながら、満面の笑みでやってくる姿。
思わず後ずさりをしてしまう。ナイフの刃を素手で触るような不快感を覚えるが、手を握りしめ、自分自身を律する。
(落ち着け、こいつは…奴ではない)
悟られぬよう、そう…自分は『アリセレス・エル・ロイセント』。
(最上の貴族令嬢で、完璧で美しい王さえ手に入らない高貴なる薔薇を演じねば)
「リヴィエルト…陛下。ご機嫌麗しゅう」
「!…ああ、驚かせてごめん、君がいたのを見つけたから」
「ここは中庭の真ん中ですわ、一体どこから あ」
アリセレスはそう言うと、リヴィエルトの髪についた葉っぱを取り払った。
「葉が付いてるということは…もしかして、執務棟の方ですか?」
「あー…うんまあ」
「随分と慌ててらしたみたい。葉っぱだらけです」
「ごめん、とってもらえるかな」
(正確に言うと、執務棟というより執務室の二階の窓から飛び出して、近くの木に引っかかったんだけど)
それはなんだか気恥ずかしく、リヴィエルトは詳細を言うのをやめた。
「こんなところで君に会うなんて、珍しい」
「…まあ、たまたまです。もう用は済みましたわ」
「用?…それなら、この後の時間は?」
「特には…街に出て図書館にでも行こうかと」
「なら!僕もちょうど午後の時間が空いているんだ。…最近忙しくて、休息に付き合ってくれないか?」
「…え?」
思わず、アリセレスは絶句した。
いや、タイミング!今そういう気分じゃない!!この能天気王め!!!
…などと言えるはずもなく。
とりあえず喉のあたりまで押しあがってきた『NO』という言葉を、ガブリと飲み込んだ。




