39 まだ、不透明な未来
フロントに行くと、パアン!とニカレアの頬に平手打ちが飛んできた。
「ニカレア!!!何をしているの、こんなところで!!!」
「…おばあ様」
(この方が、ニカレアの…)
顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべた年かさの女性。
髪はきっちりとまとめられ、大きな白薔薇の刺繍が施されたボンネットを被っている。どことなく二カレアに似ているような顔立ちで、化粧もしっかりとした上品そうな、老婆…と呼ぶには若い女性だった。
「ニカレア…大丈夫?」
「……はい」
よろよろと座り込んだニカレアの瞳に光がない。…完全に怯えてしまっている。
「…うちの令嬢をかどわかしたのは、あなた?」
「!」
「ふん。挨拶もまともにできないなんて…さぞかし立派な名家のご令嬢なのでしょう?」
うっわ、感じの悪い人だ。
せせら笑うという表現がぴったりの意地悪そうな笑み。
「……ええ。私はアリセレス・エル・ロイセントと申しますわ。ラベリティ・ハーシュレイ夫人」
「!!ロイセント…ですって?」
「まあ、ご期待に添えられたようで何よりですわ。恥ずかしながら、我がロイセント家に並ぶ名家など、そうはございません。あいにく、私の方から先に他の皆さまにご挨拶をする機会があまりなく…ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。ご指摘、有難く胸に刻んでおきますわ」
基本的に、爵位が上位の人間が下位の人間に挨拶をすることはほぼない。それが特権であり、責務でもあるのだ。つまりは要約すると「期待通りうちは超立派な名家なんだよ、すっこんでろババア。お前の事覚えたからな」である。おお、思った通り顔色が変わった。
「そ、それは失礼いたしましたわ…う、うちの孫娘がまさかロイセント家のご令嬢と親しくさせて頂いたなんて」
「ええ、とても親しくさせて頂いております。ニカレアの所作は優雅で美しくて、つい見とれてしまいます。私もたくさん見習うべきところが多くて…全て一朝一夕で身につかない、きっと、たくさん努力をされたのでしょうね」
「アリセレス様……」
「ほほほ!…まあ、ロイセント家のご令嬢にここまで褒めて頂けるとは、光栄ですわ!」
「多くの努力と、時間をかけて学んで習得された努力が二カレアを彩って…素晴らしい個性です」
「そう、この子こそ国を担う妃に相応しいと…」
「いいえ、おばあ様。私は、そんな未来…望んでいません」
「え?!」
すっと立ち上がったニカレアは、シャンと背筋を伸ばし、真っすぐ夫人を見た。
「おばあ様に教えて頂いたこと…作法や礼儀、それに所作などは、ご指導いただいたことは本当に心から感謝をしています。でも、私はあなたの作品ではありません」
「さ、作品…?何を」
「いつでも完璧であれ…欠点一つ、あってはならない。弱音は胸にしまい、いつでも微笑みを絶やさずにいるように。おばあ様がいつも私に仰っていたことです。でも、私は」
ざわざわと周りの注目を浴び始めてきた。
ちらりと横目で確認すると…幾人かメモ帳のようなものや、携帯写真機を構えた者達もいる。もしかしたら、記者か?
「…周りに人が集まってきた。そろそろ」
「いいえ、…そこのあなた!」
「!は、はい?」
異動したほうが、と言おうと思ったのに…ニカレアはくるりと振り返り、記者らしき男をの元へつかつかと歩いていく。
「よくお映しなさいませ。…私の名前は、ニカレア・ハーシュレイ。僭越ながら現在、国王陛下の王妃の候補者となっております」
「ちょ、ニカレア!」
どうしたどうした??
ああ、方々からカメラを構えた記者らしき連中がぞろぞろとまるで餌を求めてうろつく獣のごとくたかりだした。
新聞を読んでいた紳士風の男性も、誰かと待ち合わせでもしているかのような女性も…みんなみんな記者か?!いち、にい…どころじゃない、いったい何人いるんだ?ファントムよりも怖いな?!
すると、キルケがわらわの腕を掴んでそろそろと後方に下がり、そっと耳打ちをする。
「ここ、超有名なホテルなんだろ?…有名人がたくさん泊まるわけだし、今日週末明けだし?ネタ集めの記者たちの巣窟でもおかしくないって」
「め、名推理だな。…でも」
「だいーじょうぶだって。あのお嬢さん、結構したたかだよ?抜け目ないっていうか…とにかく、暖かく見守ろう?ニカレアの戦いを、さ」
「戦い…」
ニカレアはしゃがみこんだ記者たちに囲まれ、その中心に立ち、まるで記者会見のような状況を自ら作り出したのだ。おばあさまはそれらを制するも、効果がなく…結果、口をパクパク開いておろおろしている…。
「私は、長い間ハーシュレイ伯爵家の娘としてその役割を全うしてきました。ですが…国王陛下がご提示された、女性が活躍できる社会というものを体現させるため、私はその第一歩として、私は自らの意思で決めました。この場を借りて王妃候補者を辞退いたします!」
「ニカレア?!!」
パシャパシャパシャ――っと、フラッシュの嵐が巻き起こる。
そして、悲鳴のような夫人の叫び声…。
ちなみに、この国では、有名な貴族の令嬢というのは、舞台女優やオペラのディーヴァと並ぶ位注目度が高い。特に、若き国王のお相手は誰か?!なんていう格好のネタは大好物で、その候補者達というのもやはり人気があるもの。
競馬レースよろしく、誰が射止めるか、なんて賭けも横行しているわけで。
ああ、明日の朝刊の見出しはこれで決まりかな。
「やるな、ニカレア…しっかりリヴィエルトも巻き込んでる」
「まー、アリスの助言をきっちり料理したってことじゃない」
「ああ。そう言えば…リヴィエルトの力を借りろっていうのは、こういう意味ではなかったんだけど」
幸い、ここに注目度高めのロイセント令嬢がいるとは誰も気が付いていないらしい。ばちっとニカレアと目が合うと、彼女はわらわの目を見てしっかり頷いた。
「そろそろ行くか」
「いいの?最後まで見届けなくて」
「明日の朝刊を見ればわかるし…あのハーシュレイ夫人の様子を見れば」
ああ、すっかり唖然としちゃって。
なんだか可哀想になってくるけど、しょうがない。
「この勝負は、ニカレアの一人勝ち、だ。きっとね」
色々とこれから後始末に回るであろうハーシュレイ伯爵に、少しだけ同情した。
「うぅむ、日差しがキツイ…」
なんとしても送ると意気込むキルケを丁重に追っ払い、わらわはゆっくりと道を歩く。
いつも昼間の移動は馬車なので、こうやって地面に足をついて歩く機会はそうない。
「今日はレナもいないし、格好もジェンド・ウィッチだし…ということで、気兼ねなく歩けるな」
もう、太陽が天頂に達している。ただ、抜けるような青い空の色は夏とは違って少しくすんでいて、徐々に近づく冬の訪れを感じさせている。
人ごみをかき分け、わらわはある場所にやってきた。
街の中心にある、全体的にがらんとしただだっ広い円形の空間。通り過ぎる人はたくさんいるのに、ベンチが置いてあるわけでもなく、憩いの場の象徴ともいえる噴水があるわけでもない。
中心に向かって楕円状に広がるレンガは、中央に向かっていくにつれて色味が濃くなり、うっすらと赤みを帯びる。
「ここ…昼間でも薄気味悪いよね」
「うん…」
時折、聞こえるそんな会話。
アリセレスの赤い左目は、広場に隙間なく漂う浮かばれない多くの亡霊たちの姿を映しているのだから、無理もない。
…ここは、宣告の広場。
恐らく一番最近処刑が行われたのは、先王の処刑の日…もう10年ほど前の事だろう。
その時も、広場には人がごった返し、全員が誇り高き王の最期を催しものとして見物していたことだろう。
アリセレスの時もそうだったように。
(だが…過去の世界から比べて、こちらの未来は形を変えていっている)
過去の世界では、公開処刑が娯楽として日常的に行われていたし、多くの人間が貧困にあえぎ、この時期なら徐々に国が傾き始めていた頃だろう。
ふと、ニカレアが見た悪夢の話を思い出した。壊れた建物に、火薬のにおいがしたと。そして、大人になった自分が倒れていた、と。
「火薬のにおいと煙となると…戦争、か?」
もしかして、それは、この世界線ではない別の未来に起きた出来事ではないだろうか。それこそ、アリセレスが処刑されたような、そんな結末である未来の。
なぜ、過去の世界では、この国が40年というわずかな時間で滅亡したのか。単純に国が傾いていたからかもしれないが、実は一番簡単に国が亡びる理由がある。それが…戦争だ。
(…確かに、今世でも、近隣諸国のきな臭さは消えていない…)
では、これから起こるかもしれない未来の一つ、となるのだろうか?
「ああ…ダメだ。もしもを考えたらきりがない」
視線を落とすと、多くの血を吸い込み、赤黒くなったレンガがある。…この場所だ。
「今度は…そうはさせないから……」
ふと、何か異様な気配を感じて視線を動かす。
(誰かが見ている)
通りゆく人々、すれ違う人々…その中の一つで明らかに感じる違和感のようなもの。
「…靴を磨きましょうか?」
「……靴?」
やってきたのは、わらわよりも頭二つ分くらい背が高い大柄の男性。
目深な帽子をかぶっており、その表情は見えない。しかし、よく見れば手に持っているのは靴を磨く布と、黒い塗料の入った缶。…靴磨きだろう。
平民と貴族との格差があるこの世界では、貴族はともかく、それ以外が満足に勉強を受けることができない。それでも改善はされつつあるも、中心部から離れた農村や小さな家々の子供たちは大人になってもその機会に恵まれない子供の方が多い。
そうなると、目の前の彼のように、字を読むこと以外の仕事を探すこととなる。
「…すまないが、間に合っている」
「そう ですか、ざんねん」
この、片言の違和感のある言葉遣い。
何処かで聞いたような。
「あなたの髪は…きんいろなのですか?」
「え?」
あ、しまった。
今朝、風呂を入ったときに染粉で落としてしまった。
「…そう見えますか?」
「ながい ながいかみ …雪が舞う日に、後ろ手を縛られ、膝まづいて 白い首先があらわになって…それを」
ゾッとした。
雪が舞う日に?後ろ手を縛られて…?
その状況は、もしかして。
「お前、は?」
「みつけた…あなただ。ワタシが この手で…!!」
思い出したくない映像が頭に流れる。舞う雪と、痛いほどの凍りついた空気の中…長い髪は切り落とされて、そして。
それが…アリセレスの処刑の時の最期の映像。
「…っ」
「あ!!見つけた!!」
「!!」
声をかけられ、我に返る。
靴磨きの男は、気が付いた時にはもう人ごみに紛れていた。
「……あいつ」
「見つけた―――!!えーと、なんだっけ…お、お嬢様!!」
やってきたのは…。ええー…。こいつ。
今日は非番じゃないのか?オレンジ色のくせっ毛の…コンスタブル。
赤いマントに青い制服が目に痛い…やばい、逃げるか、コレ?
「って、後ろめたいことはない、ぞ?」
「あ!!ちょっと待ってよ!!」
そう、後ろめたいことがないはずなのに。身体が勝手に回れ右をしたのだった。




