38 若者たちの夜(一人を除く)
「私…空気を読み過ぎるというか、昔から、向かい合った人の期待通りに行動してしまうところがあるんです」
「…それは、立派な処世術ってやつじゃない?」
「キルケ?」
「皆、誰かしら持ってるだろ?そういうの。まあ、空気読み過ぎてもダメだけどさ」
きっと、こいつにもいろいろあるんだろうな。
実は、ニカレアとキルケはどこかしら通じるものがあるのかもしれない。
「うーん…私は、実はそういうのはあまり考えたことがないかもしれない」
「アリスはその必要ないじゃん。ブレないから、なんだろうなあ」
そんなキルケの言葉に、ニカレアはうんうんと何度も力強く頷く。
「私…初めて一緒にカフェーに行ったとき、衝撃を受けましたもの」
「え、そ そお?」
「それで、思い知りました。…他の人と合わせることが日常的過ぎて、私の意志はどこに行ったんだろうって」
「ニカレア……」
「本当は、未来だって…私自身で選ぶ権利があるはずなのに。いつの間にか、周囲の期待通りに動いてしまう。私の意志とは違う小さなずれがいつの間にか大きくなっていって…とても苦しくて」
「…俺が言うのも変だけどさ。皆、やっぱり嫌われたくないじゃん。周囲の期待が大きかったらそれに応えたいって思うし、誰かの為に何かをするって、それだけですごいことしてる気分になるっていうか」
おう…。
どうしよう、彼らのような若い子供たちの言葉は、無駄に年をかさねてしまったわらわにはちょっと難しい…。
「…若いな」
「え?何て?」
「あ、いやいや…ええと、色々考えても、生きてる人間が全員自分の意志をしっかり持ってるかというと、そういうわけではないでしょう?」
「そう、なのかな…」
「それが…社会ってものだろ?全員が『個』を持っていたら、まとまりが付かない。合わせることはもちろん重要だが、それでも『個』を失わないからこそ、出会いや新しい発見があるわけだから」
「おお、哲学的だな、アリス。さすが」
いや、すまんキルケ。これは多分…150年以上培った人生経験から学んだ結果の一つだ。
魔女はその洗礼を受けた時から、身体の時間が止まる。生まれては老いていくたくさんの命を見つめ続けていくと、一つの結論に達する時が来る。
命は廻り、期限があるからこそ、輝き、次に生まれ変わった時の宿題を見つけては、それを解き、魂は洗練されていく。そして、新しいものを生み出し、後に続く未来を担う命たちにつなげていくもの…、害ある者たちの誘惑でさえ、彼らの試練であり、修行なのだと。
「空気を読むのは正しいかもしれない、けど。それで、ニカレアらしさを失ってしまうのは、勿体ないことだ」
「なら…私も、私らしくいていいってことなのかしら…」
「それを、俺はアリスに教わったよ」
「!そ、そうなのか…?」
「だから、今があるんだ」
「キルケ……」
「ふふ…なんだか、嬉しい」
「ニカレア?」
「ふああ…そろそろ眠くなってしまったわ。ベッドが二つあるから…アリス、一緒に寝ましょう?あ。キルケさんはそちらをおつかいになって」
「…言われなくてもそうするよ。むしろ二つあってよかった…」
な、なんだかくすぐったいような。
これが俗にいうお泊り会、みたいな奴か?
「う、うん」
「嬉しい…」
「え」
いやいや、なぜ顔を赤らめる?ニカレア??
「…アリス気をつけろよ。なんかそいつ危険な香りがする…」
「き 危険…?」
「お黙りなさいな、キルケさん。…寝ぼけてもこちらに来ないように!」
「あ あたりまえだろ!!」
こうして…夜は更け。
翌朝の事―――
「ふむ…」
テーブルに並べられた新聞を一つずつチェックしていく。
(事件があったのは、昨日の夜だから…印刷が間に合った物ばかりではないか)
ざっと見る限り…例の事件の記事が載っていたのは、印刷が間に合わなかったのだろうか?約半分の新聞社で、見出しはどれも『深夜、若い女性が襲われる』にとどまり、恐らく情報規制でも敷かれているのだろうか?その詳細は書かれてはいない。
「まだ、わからないか…」
朝の眩しい光に照らされた最上階のスートルームの窓辺の椅子にもたれかかり、わらわはため息をつく。すると、キルケが入れたてのカフェ・オレを運んでくれた。
「何、昨日の事件?」
「ああ。…もっと詳しく載っているものだと思ったけど」
さりげなく隣に座って新聞を覗き込むと、今度は向かい側に座っていたニカレアがルームサービスで頼んだモーニングセットを運んできてくれた。
「アリスは随分と気にされているようだけど…何か理由が?」
…おお、ハムとチーズ、それに葉物野菜を中心の野菜が挟まれたミックスクロワッサンサンドのセットだ。おいしそう。
それを有難く頂戴し、キルケが入れてくれたカフェ・オレの香りを堪能する。…なんだか至れり尽くせりで申し訳ないなあ。
「まあ…ちょっと気になる情報を寄越したおせっかいがいて。…それに」
昨晩見たあのコートの男…あいつはもしかして。
「アリス?」
「あ、いいや。それよりニカレア、アウローラ宮に戻らなくても大丈夫?」
「…どうせ戻るにしても、まだ早朝。モーニングくらいはゆったりと過ごしたいですわ」
「そうね」
「あーあ、なんだか、夢が冷めていくみたい」
ニカレアはそう言うと、綺麗に食べ終えた皿を見ながら残念そうに笑った。
「夢?」
「それ、ちょっとわかるかも、俺。特別な時間ってのは、すぐ終わっちゃうよな」
「キルケさん…」
あれ?なんだかしんみりとした空気になっていく。いや、無理もないか。
ニカレアはこれから、昨日決めた決断を告げなくてはいけないのだ。
「…私は、これから、みんなを納得させて、自分の道を歩かなければなりません」
「ニカレア…」
「……祖母や、色々な方々と」
『王妃候補者を辞退する』―――これは、簡単なようでとても難しい。
ニカレアのみならず、ハーシュレイ家、王家側の支持者等々様々な人間が浅からず関わっているため、本来ならばニカレア一人では決して決断できない事柄である。
「さあ…、これから よね」
「ニカレア…助言というわけではないが、まずは陛下を味方につけるといいよ」
「リヴィエルト様?」
「…きっとわかってくれて、ニカレアの味方になってくれるから」
「信頼されていらっしゃるのですね」
「付き合いが長いから。こういうのも変だか、彼とは…幼少の頃から互いを知っているから、ね」
そう。良いのか悪いのかはわからないが、切っても切れない腐れ縁というのは、こういうことを言うのかもしれない。
何となく視線を感じて顔を上げると…あれ?キルケが珍しく神妙な面持ちでこちらを見ている。
「付き合いが長い、か…」
「うん、多分キルケよりも前にあってるし…」
「ふうん」
何だろう?この反応。ははん、もしかして拗ねているか、こ奴は。
「…そう言えば、せっかくの機会だから、ゆっくり朝風呂に入ってきてもいい?」
「あ!いいですわね!…お供しましょうか?」
おいおい、冗談なのかそうでないのかわからないので、曖昧に笑ってやんわり断った。
実を言うと、わらわは風呂が好きだ。
いや、本当は屋外にあるような広い温泉に行きたいところなんだが…今のご時世はそこまで風呂革命が起きていないのだ。
邸にいると、どうしても使用人やメイド達が一から十まできっちりお世話をしてくれる。それはとても有難い。有難いんだけど…たまには一人になりたい時だってあるのだ。
(風呂!!楽しみ!!)
・・・
「………」
アリセレスが出ていったあと、微妙な沈黙が下りる。
「あの、さ」
「?」
「貴族ってのは…俺は昔から嫌いで。でも、あんたの話を聞いて、少し知ってみようって思った」
「なぜ?」
「戦ってるんだろ?色んなしがらみとか、そういうのと」
「え?」
(戦っている…?)
思いもよらぬ言葉に、ニカレアはしばし言葉を失った。
まさか、男性に…しかも、貴族が嫌いだというこの青年にそんな風に言われるとは。
「俺は男だし。ニカレアとは、ちょっと違う感覚もあるかもしれないけど…貴族のお嬢様っていうのは、大変なんだな。自分の道を進むのも難しいんだよな」
「……まあ、普通の年頃のお嬢さんがしなくていい苦労、みたいなものはあるかもしれません」
「ふうん……」
「でも、だからこそ、私はアリセレス様に勇気をもらいましたわ」
「だろ?!」
言うなり、キルケはパッと笑顔になる。
「俺もいつも勇気と元気をもらってるんだ、アリスに」
「キルケさん…あの、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「俺に?」
「キルケさんは、アリスがお好きでいらっしゃいますの?」
「!…な、ななんだよ!!!そ、そうだけど…でも、あのその」
「なら、もっと頑張ってもらわなければなりませんわ!!」
「え?」
言いながら、ニカレアはググっとキルケの両手を掴んだ。
「このままでは…ほんっとうーーに、王妃様になってしまいますわ!!それでいいの?」
「い、いいわけないだろ!!」
「……お妃様になんかなったら、気軽に楽しくおしゃべりもできなるじゃないっ…」
「おいおい、心の声が駄々洩れだぞ?!」
「は!私ったら…と、とにかくこのままじゃダメですわ!!!」
「…アリスは、王様に気に入られているのか?」
「気に入られているどころか…本命中の本命、ですわね」
「……へー…」
「へえ、じゃない!!…決めました。私、あなたを応援します!!!」
「お、おおうえん?」
ぐっと握った両手に力をこめると、ぽつりと低い声で一言付けたす。
「今のご時世…爵位はコレで買えますのよ?ご存じ?」
「コレって…」
コレと言って、人差し指と親指でそれらしいわっかを造るニカレア。それを見て、キルケは思わずゴクリとつばを飲み込む。
「……金?」
「正解ですわ」
「まじで?…俺、持ってる」
「必要であれば…裏から手をまわしますわ?いかが?」
「…それは」
「こら、二人とも、何してる!!」
突如聞こえた凛とした声に、二人はびくりと肩を震わせる。
「…背後から見たら、明らかに悪巧みしようとしているイタズラ前の子供たちだ」
「悪巧み…は、まだしてないぞ?!」
「そうそう、純粋な励ましと応援です!」
それぞれおかしな言い訳を言う。
そんな二人を見ながら、アリセレスはため息をつく。
「息がぴったりで…似たもの同士だなあ」
「似てない!!」
「似てませんわ!!!」
そんな和やかな会話をしていると…、フロントから連絡が入った。
「大奥様がお待ちです」
「…おばあ様?」
「!」




